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打ち捨てられていた小さなものとはいえ、盗賊たちが根城にしているそこは砦には違いない。そして討伐せよと言われたからには、盗賊行為が働けない程度に痛めつける必要がある。場合によっては殲滅せねばならない。討伐とはそういうことだ。
「ベルヌイユの民から聞いた話だと、やつら四十人はいるとかいう噂だが……妙だな。それだけいたら入り口に見張りでも立てておくものではないのか?」
「確かに妙ですね。奪ったものを隠しておくのに最適な場所を選んでいるくらいだ、用心しているはずですが……」
辺りを警戒しながら、様子を窺うために馬から降りて砦に近づく。だがやはり人が出てくるような気配がない。
辿り着いた砦は、風雨に傷んでいるが、間違いなく人が出入りしている形跡がある。入り口付近には当たり一面に生えている雑草がないのは、人が歩いて通るからだ。砦の壁の燭台に松明の燃えた屑が挿したままになっているのも、最近使ったばかりという感じがする。外を確認するための覗き穴があるのを見つけるが、果たしてそこに見張りが隠れているかどうかまではわからなかった。
「賊というのは我々のような不審者がいたら、真っ先に襲い掛かってくるものかと思っていたのだがな」
「不審者は賊のほうでは……」
「中を確認しようと入りこんだら襲ってくる気なのか、まさか留守にでもしているのか。だが頭数が揃っているような集団が、略奪したものを守るための人員を置かないというのも考え難いな。このような砦に居ついているのなら猶更」
聞いておられぬか、と呟くルベウスの声は彼の言ったとおり聞こえないふりをして、アルミナは思考を巡らせる。
砦の中については、かつて建てられた当時の設計図が王立図書館に残っていたのを、頭の中に入れてきた。何も改造されてさえいなければ、アルミナが知っているとおりの場所のはずだ――けれど此処を本拠地にしている盗賊たちと戦おうというなら、どうやってもこちらの不利にしか働かない場所であることも確かだ。迂闊に中に入るのは憚られる。かといって、宝物の奪還も命令に含まれているため、砦ごと焼き払うわけにもいかない。
アルミナが内と外を隔てる扉に触れると、それの表面がぼろりと崩れた。どうも木の扉が腐っているようで、脆くなっている。
「入るのなら、私が先に参ります」
「……入らねばどうにもならぬしな。あまり良い予感はしないけれど」
「何、最悪の場合でも敵を全員殺せば済む話です」
「本当なら無用な殺生などせずにすめば一番良いのだがなあ。ひとまずは頭かな。たかが盗賊なら、指示できるまとめ役がいなくなれば烏合の衆にすぎぬ」
ルベウスは一つ頷いて、扉を押した。ぎい、と音を立てて開くとき、ぼろぼろと腐敗した木屑が落ちる。
だが、その先に待ち受けていたのは、まさに頭だった。
ごろりと転がる、黒っぽく変色した血がこびり付いた、頭。その首から下には、本来あるべき体が繋がっていない。
よく見れば、影になっているところに、別の死体もあった。一つや二つどころではない。首が斬られていなければ、心臓が一突きにされている。それら死体の身なりは決して上等な衣服ではなかった。擦り切れた襤褸のような格好に、櫛をいれたこともなさそうな髪を見る限り、恐らくこの砦を仕切っていた盗賊たちであろうと判断がつく。
思いもよらぬ光景に、アルミナは思わず息を呑む。死体など戦場に出ていれば見慣れてしまうものだが、これは予想の範疇の外だった。討伐対象が既に亡き者にされているとは。
「一体、何が……」
慎重に、周囲を見回す。死体の血は既に渇いているから、それくらいは時間が経っているということだ――が、それくらいしか経っていないとも言える。この惨状を招いた者は、まだ此処にいるのか。いるとしたら、それは何の目的で。
ルベウスが少し奥を覗き込み、アルミナは物陰を警戒する。慎重に歩を進め、この砦に何が起きているのか暴かなければならない。
その時不意にざりと砂を踏む足音がした。アルミナは咄嗟に腰の剣を抜く――瞬間、剣に何かがぶつかってきた。物陰から飛び出してきたそれは剣だ――アルミナの手に伝わってきた重みから考えるに、使い手もそれなりに訓練を受けた様子で、武器そのものも上等なものに見えた。その正体を探るより生き延びるほうが先決であり、アルミナは敵の剣を振り払うと、相手に体勢を立て直されるより先にその心臓を一突きにした。血が噴き出る。
彼女の背後で、どさりと音がして振り返れば、ルベウスの槍が別の敵を殺しているところだった。そちらも身なりからして盗賊とは違う者だ。
「おっとうっかり手が滑った。死なせない程度にするつもりが」
これでは話を聞きだせない、とルベウスは肩を竦める。だが間もなくして、奥から矢が飛んでくる。ルベウスは迷いなく傍に転がっていた賊の死体から盾を奪い、それに隠れてやり過ごす。
「二人だけではなさそうだぞ」
「ええ、少々厄介なことになりそうです」
矢が止むと今度は剣や斧を持った男たちが現れる。一見、彼らは倒れている賊と大差ないような、薄汚れて擦り切れた服を着ている――だが、彼らの持つ剣の柄に刻まれた紋章に、アルミナは見覚えがあった。細やかでしかし大胆な、茨が絡みついた王冠がデザインされた紋章。
「――そなたら、アストラムの兵士か」
問いというよりはそれは確信であったが、返答は襲い来る凶刃であった。ルベウスが槍を振るってそれらを捻じ伏せるが、まだまだ敵の数は多いようで、気配が減らない。辺りを囲まれている。アルミナはルベウスと背中合わせに立ち、彼にだけ聞こえるように囁いた。
「よし、知恵を絞ろうルベウス。この砦を奪い返す」
「策がおありで?」
「そなたが目立っていれば、私が工作できる」
「あなたが狡い罠を仕掛ける間に、私が全て片付けてしまうやもしれませんね。それかあなたに追いつくかも」
「それならそれで文句はないぞ」
――いっそ場違いなほどにこやかに。アルミナの言ったそれを機に、ルベウスが一歩踏み込んだ。鋭い槍が向かってくる敵の心臓を貫き、首を刎ね、体を薙ぐ。赤い血が足元を濡らしたが、確かに一筋の道ができた。
アルミナは体を反転させ、その一点へ向けて走り出す。阻むものがあればルベウスの槍が足を斬り、アルミナは体勢を崩した敵兵を踏み台にして奥へ向かって飛び込んだ。後ろは振り返らない。
真っ直ぐに駆けていくアルミナを見送って、ルベウスはくっと笑った。アルミナを追おうとする兵士を左手の槍で刺し殺し、その隙を狙って襲ってくる兵士を槍の柄で殴り、彼らがその衝撃で手を滑らせて落とした剣を右手で拾って斬りつける。数がいるだけで、盗賊どもに毛が生えた程度の大したことのない連中だ。都合が良い。ルベウスはこの場から誰一人逃がすつもりはない。
「この俺が何者か、その身をもって教えてやろう。このルベウス・カルブンクルスの名を刻み滅んでゆけ!」
◆◆◆
敵の包囲網を一人抜け出したアルミナは、記憶の中の図面に従って、人の目につきにくい廊下を駆けた。ほとんどの兵士が入り口付近に集まっていたのか、あまり人の気配はないが、それでも時折敵の姿を見かける。アルミナは足音を立てぬよう後ろから忍び寄り、見つかる前に手持ちの剣で敵を刺した。敵を生け捕りにして事情を聞くならば、ルベウスがいるところで、あからさまに優勢を保ち命の危機を退けた後だ。
「……やっていることがいよいよ暗殺者染みてきたな」
剣に付着した血を払って、アルミナはさらに進む。かねてより一人であったり、あるいは少数で敵に臨むということはしてきた。一応は王女という身分ではあるけれど、こういったことは慣れていた。
過去の図面のとおりであるならば、階段を上がって廊下を右にいったところに、この砦の仕掛けのひとつが隠されているはずだった。果たしてアルミナがそれに辿り着けば、少々錆びてはいたが巻き上げ機に鎖が絡みついているのが見つかった。覗き穴があり、下の様子が見える。
固い巻き上げ機を手動で動かすのは困難だが、繊細な操作などこの場で必要とはされない。アルミナは力いっぱいレバーを蹴った。ガタンと音がして、急速に鎖が伸び、鉄の板が下に落ちる。ぐしゃりと下にいた者が潰される。すると、板の落下を避けたルベウスが抗議の声を上げた。
「今のが最後の獲物だったのですよ」
「それはすまぬ。だが事情を聞くなら上にもまだ人がいるようだ。そなたも上がってこい」
覗き穴から声をかける。ルベウスならばたとえアルミナのようにこそこそとしなくとも、敵を全て始末できてしまうだけの強さがある。
その時だった。背後に近づいてくる気配がして、アルミナは体を捻り横へ転がった。ざくりと床に突き刺さる剣には、やはりアストラムの紋章があった。
「貴様が魔眼の王女――アルミナ・エメリー・ベルゼアだな」
それを知っている程度には、どうやら知識を得られる階級の人間であるらしい。アルミナは素早く起き上がって剣を構えた。
「このアルミナ・ルチルをそのような名で呼ぶ者はこの国にはおらぬがな。しかしアストラムの兵士が何故ここにいる。我がベルゼアと同盟を結ぶという話が持ち上がっているはずだが」
「ああ、そうだな。そのためにはあなたの身柄が必要だ」
「何?」
男はアルミナに剣を向け、容赦なく斬りかかってくる――否、本気で殺そうとしているのではなかった。けれど、たとえばアルミナの足や腕が使い物にならなくなってしまっても、何の支障もないと思っているのは違いなかった。生きたままアルミナが必要だが、生きてさえいればどのような形でも構わないのだ。
当然ながらアルミナがそれを受け入れるわけもない。相手は信用を得ようなどとすら考えておらず対話のしようもなかった。アルミナは一度男の重い剣を受け止めたが、真正面からぶつかるのは得策ではない。このまま打ち合えばいずれこちらの剣が折られてしまう。その前に、アルミナはこの場を脱する必要があった。
下の階にいたルベウスが「今向かいます」というのを聞いて、アルミナは身を捩って敵の剣を躱し、廊下の奥へ向かって逃げた。
とにかく生き延びなければ。生きてルベウスと合流さえできれば、どうにでもなる。ルベウスの腕は一番信頼しているのだ。
後ろから追われながら、アルミナは努めて冷静に思考しようとした。少なくともわかったことが二つある。相手はアルミナを殺す気ではないということ。この砦を根城にしていた盗賊ではないということ。
特に後者は重要な部分だ。相手がアストラムの兵士であるということは、砦の使い方はわかっているかもしれないが、ここに滞在している期間はさして長くないということだ。元々盗賊がいたのは事実で、アストラムの兵士たちは前の住人を殺して成り代わり、アルミナを待っていただけなのだ。
それならば、砦の構造全てを把握しきれているということはないだろう。ここには隠された仕掛けも多く、知っていなければ使いこなせないようにできている。砦の設計を頭に入れているアルミナのほうがまだ、上手く立ち回れる余地がある。
下の階の惨状も伝わっているのか、上の階も騒がしくなってきていた。人の気配がいくつも動いている感覚があった。アルミナは逃げながらも砦の壁に隠された仕掛けを動かして、追手の足止めに使った。見えぬ場所から矢が飛んだり、足元から槍が現れれば、そうそう簡単に追いつけるはずはなかった。