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4-1

 王都でのアレクサンドル王子の横暴については、いよいよ国内全土に噂が届く頃である。

 その中で、アレクサンドルの不興を買わぬようにと恭順の意思を示す者もあれば、近しい者を失ったことで怒りに震えている者もある。東の国境を守るエスメラルダ領主のヘリオドール・ベリルは、後者である。ベルトランからアルミナ王女について信用が置ける妹だと手紙が来て、それから間もなくして訃報が届いた。

 ベリル家は、今は亡きベルトランの母の生家である。王家へ嫁にいった娘は病で死んだがその子供が遺された、ベリル家は安泰である。祖父にそう言い聞かされてきたヘリオドールにとって、いとこのベルトランとは大切な身内であると同時に、政治的な価値のある存在だった。王子として政治の中枢に立っているには優しすぎる男だったが、だからこそ惜しい。その清廉さこそ、貴重な風であったのに。


「一体、前世でどんな罪を犯せばこんな……」


 ありもしない罪を責め立てられ、名ばかりの決闘をもって殺される。思えば先日の手紙は、遺書のつもりであったのやもしれぬ。ヘリオドールの心に渦を巻くのは、深い悲しみと不当な扱いへの憤りである。


「アレクサンドルの大悪党め! 王子であるからといってどんな横暴も許されてたまるか!」


 思わず言葉が荒くなるのも仕方のないことである。とはいえ――ベルトランの死は悲しいことだが、ヘリオドールはベリル家の現当主であるという立場上、いつまでも嘆くばかりでもいられなかった。

 正妃の子であったベルトランが死んだということは、正妃の実家であるベリル家の王宮への影響力が削がれたということでもある。元々旧家といわれる家系であるから、それなりに他の貴族たちにも顔が効くが、それでも相応の打撃だ。速やかに今後の方針を決めなければならない。アレクサンドルが覇権を取ったというのなら、まず間違いなくベリル家は粛清の対象となる。何としても抵抗せねばベリルの名折れだ。先祖から受け継いできた財産、守るべき領民のためにも、負けるわけにはいかない。ベリルの粛清が始まれば、少なからず民も巻き込まれることになる。

「しかし、残るのもアルミナ王女殿下のみ、であるか……」

 聞くところによればアルミナ王女はベルトランをよく慕っていたという。少なくともアレクサンドルと違って敵にはならなさそうだが、あまり良い噂もない。



 青の瞳、魔眼の王女。古くよりベルゼアでは青い目は疎まれてきた。それは呪わしい魔女の色である。アレクサンドルは明確な敵であるから決して屈する気はないが、だからといって魔女の目を持つアルミナに恭順していいものか。



 亡きベルトランは彼女をよく褒めていたが、青い目であるがゆえに多くの貴族たちから敬遠されていることは、普段辺境のエスメラルダで国境を守っているヘリオドールとて知っている話だ。それが原因で、普段はエメリー王家の名で呼ばれず、母の家名であるルチルを名乗らされており、政治の場においても発言力がなく、彼女に近づく者も少なかった。呪わしき目の王女には、人望というものが圧倒的に足りない。そんな彼女に、果たして王たる器があるものだろうか。

 問題はアレクサンドルのことだけではない。国境を守るという役割がある以上、隣国にも目を向けていなければならない。

 ベルゼアの東側、つまりエスメラルダ領と隣接しているのは、長年友好関係の続いているテクタイ王国である。そのまま安泰であれば良いのだが、最近はどうやら反王政を掲げる派閥が現れたらしく、注意深く様子を窺っていく必要がある。いつ何時何の拍子にベルゼアと敵対するかわからないのだ。恐れていることが現実になった場合、何の対策もしていなければ民が傷つけられるだけだ。それは領主として看過できない。

 何らかの動きはしなければならないが、慎重さも捨ててはならない。選ぶべき、正しい解答は何か。焦燥ばかりが胸を焼く。


「失礼いたします、ヘリオドール様。お手紙が届いております」


「――差出人は?」

「アルミナ・エメリー・ベルゼア殿下であらせられます」

 使用人が持ってきたそれは、真っ白い便箋が眩しい。内容は、それは丁寧な美しい字で書かれた、協力を求めるアルミナの自筆の手紙である。

 ヘリオドールはそれに目を通して、大きく溜息をついた。北のカルブンクルスも粛清の対象となり、いずれ暴虐のアレクサンドルは臣のみならず、天下の民にも害を為すであろう。それを止めるために、手を貸してほしいという。心の籠った、真摯な懇願の手紙だ。言われてみれば納得はできる意見だ。汚い手でベルトランを殺したアレクサンドルは、今頃我が物顔で王城を仕切っている。

 ベルトランの評価が本当に正しかったのであれば、あるいは。

「一度、アルミナ殿下にはお会いせねばならぬ」

 ここへ向かっているという彼女。かつてベルトランが愛した妹。それがいかなる人物か、この目で確かめねばならない。ベリル家がアレクサンドルに対し遅れを取ってしまった以上、乗れる船は限られている。アルミナ王女が泥船でないことを祈るばかりだ。




◆◆◆




 王都では、カルブンクルス家の粛清に向けて、新たに部隊を編制している。今回隊長に任命されたのはオニキス・サードニクスではなく、アンバー・コーパルという男である。トライトが新たにアレクサンドルに勧めた戦士だ。




「コーパルが隊長だと!? 一体何を考えている!」




 オニキスが憤っているのにもわけがある。自分が隊長から外されてしまったことについては、失敗してしまったという自覚があるので甘んじて受け入れる他ないが、だからといってコーパルを隊長と仰ぐことには不安がある。

 元々、アンバー・コーパルといえばルベウス・カルブンクルスの副官を務めていた男だ。ルベウスがアレクサンドルの不興を買って師団長の位を返上することになってから、アンバーがその穴を埋めることとなった。

 つまり、アンバーはルベウスと相応に親しい仲であったのだ。そんな男をカルブンクルスの討伐に向かわせて、果たして何ができようか。手緩いことをしていれば隙を突かれてしまうだけだというのに。

「口答えは許していません。これは決定事項です。殿下のご温情あってこそのあなたの命。無用な反抗は避けるのが身のためと思いますが」

「…………」

「コーパル卿はかつてルベウス・カルブンクルスの配下にあった男。ゆえにその戦い方も熟知している。手のうちがわかっていればそれは有利に働きましょう」

「本当にそれができると考えているのか」

「失敗したあなたに口を挟む権利はない、と先程から言っています。彼の忠義も立派なものと期待しています。ご不満がおありなのは結構ですが、冷静さを失わぬよう。あなたの働き次第では、扱いを考え直すこともありましょうや」

 トライトのことは完全に信じ切れるとも思っていないが、オニキスはひとまずその言葉に頷いて彼の前から去った。そして、気分は乗らないものの、最低限の挨拶は必要であろうと思い、アンバー・コーパルのもとを訪ねる。

 かつてルベウスが率いていた、紅蓮師団の騎士たちをとりまとめるのが、若きアンバーである。

 ルベウスはわかりやすい男であったが、アンバーは対照的に感情を表に出さない人間である。さらに言えば目立つ武功もなく、師団長の立場は実力で得たものとは到底思えないような男だ。ルベウスもアンバーも、どちらにせよ気に食わないことには変わりないが、それでも今後は彼に従わねばならぬ。




「カルブンクルスの対策については、私に裁量が与えられている。この先は私の指示に従ってもらう」




 いちいち癪に障る言い方をする男だ、とオニキスは思った。

「……アレクサンドル殿下のご命令だ、従うさ」

「結構。部隊の編制が終わり次第、詳細は追って通達する。よろしく頼むぞ、スカー・フェイス卿」

 言葉だけはそれらしいが、目線は終始合わなかった。オニキスを軽んじるような態度は、流石に腹も煮えくり返る。今後自分がどういった扱いを受けるのか、充分に想像がついてしまった。これならいっそ挨拶になど来なければよかった。

 しかし、だからこそ、これだけは言っておかねばならぬ。

「勘違いするなよ、アンバー・コーパル。俺は貴様を認めたわけではない」

 本来ならばアンバーの下につくなどありえないのだと、オニキスは主張した。それに対して、アンバーは一瞥くれるだけだった。

 そのまま退室しようとしてドアノブに手をかけたとき、アンバーが口を開いた。




「――お前こそ慎めよ。私の采配一つで運命が決まる身であることをゆめ忘れるな」




 それには答えなかった。その必要さえ感じていない。アンバーとオニキスの距離感は、そういった性質のものだ。あくまでも、アレクサンドル殿下の命令あってこその、一時の同僚に過ぎない。

 道を歩けばスカー・フェイスに恐れ戦いて有象無象が道を空ける。感情を抑えきれないために威圧感となっているのかもしれないが、どうせ恐れられるのはいつものことで、気を遣うつもりもなかった。

「おこぼれで成り上がっただけの男め」

 本来ならばあのような男は、オニキスの上に立つどころか、肩を並べることさえできない小物なのだ。今は甘んじてこの状況を受け入れる他ないが、あくまでこの采配は一時的なものだ。いずれは必ず真の立場を思い知らせねばなるまい。




◆◆◆




「ようやく、ようやくだ。ルベウス――お前を取り戻す時が来たんだ」

 オニキスがアンバーに対して敵対心を燻らせている一方で、アンバーのほうは廻ってきた機会を幸運と捉えている。これまでルベウスを案じる心を表に出さず、任務に徹してきたかいがあったというものだ。

 かつて上司であった、ルベウス・カルブンクルスのことを、アンバーは未だ戦士として尊敬し、友として案じている。苛烈な戦いぶりはいつだって味方を鼓舞してくれたし、仲間が不当な扱いを受ければ自分の身も顧みず抗議をしてくれたものだ。だからこそアレクサンドルに嫌われて憂き目に遭ったわけだが。

「命だけでも救ってみせよう。そのためには諦めなければならないものもいくつかあるが――それは仕方のない犠牲というもの」

 今回の任務は、彼を紅蓮師団に取り戻すためのチャンスだ。カルブンクルスの討伐とはいえ、裁きを受けさせるためとして殺さずに捕らえ、そのうえで弁護をすればいい。言い訳はいくらでも考え付く。とにかく、ルベウスだけは死なせない。彼に相応しい役職は無理でも、生き永らえる道さえあれば将来を模索できる。

 アンバーとてルベウスには何度も命を救われた恩義があるし、それを抜いても年の近い友人として、ルベウスは色々とよくしてくれていた。困ったことがあれば相談に乗ってくれたし、解決のために手を尽くしてくれた男だ。彼には再び紅蓮師団に戻ってもらい、外敵との戦場で天下無双と謳われたあの剛毅な槍を振るってもらうのだ。

「生きてさえいればいい。青い目も家も捨てて、紅蓮師団へ戻るがいい、ルベウス」

 オニキスは使い勝手の悪い駒ではあるが、あの勇猛なスカー・フェイスの力は活用しない手立てはない。彼にはせいぜい上手く立ち回ってもらい、ルベウスが何故か心酔しているアルミナを排除してもらおう。どんなものも使いようだ。オニキスが先走る前に、外堀を埋めればいい――ルベウスを助けるには、それしかない。


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