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キルミツ領にて、アクスラクス・カルブンクルスの死が発表された。アルマンダインは正式にカルブンクルスの領主を名乗り、王都の惨劇を民に告げると、少なからずの動揺があったのは傍から見ていてもわかることだった。さらにその後間もなく、王都からやってきた商人や飛脚が、アレクサンドル王子の、王都の様子についての情報を持ってくる――曰く、王子が反対の声を上げる者は貴族も民も関係なしに反逆罪であるとして、ろくな裁判もせずに処刑するので、僅か数日のうちに恐怖の悲鳴も許されない地獄と化した。そう言うのである。アルミナは吐き気がするようだった。民までも恐怖で支配しようというのは、乱暴が過ぎる。
そうした噂は、すぐに民の間にも広がった。元々青い目に対する忌避が薄いキルミツの民であったが、アルミナの姿を見かけた者たちは、怯えよりも先に期待の目で見つめてくる。あるかどうかわからない呪いより、噂に聞くアレクサンドルのほうが恐ろしいというのだ。
兵士たちには、アルミナについてアレクサンドル打倒を目指すことを告げる。これについて不満が上がることはなかった。それはアルミナを受け入れているというより、やはりカルブンクルス家への忠誠であり、アレクサンドルへの反発であるのだろう。
「アルミナ殿下も、彼らにお言葉を」
そう促されて、アルミナも前へ出た。未だ自身に王の器があるとは思っていないが、それでもアレクサンドルよりはましである。亡きベルトランの遺志を継ぐためにも、彼らの力を借りなければならない――言うべきことは決まっていた。
「戦争などろくなものではない。しかも戦う敵は、同じベルゼアの民である」
兵士たちはそれをどう思ったのだろう。静かにしているので、聞いてくれる気はあると見えた。
「それでも、私は戦わねばならぬ。アレクサンドルを放っておけば、いずれは王都のみならず、ベルゼア全土があの男を恐れて、苦しい生活を強いられよう。笑顔も楽しみもなくただ搾取されるだけの生など、そんなことはもってのほかだ」
語っているうちに、兵士のうちの一人と目が合った。アルミナよりずっと年上であろう、壮年の兵士だが、若いアルミナを軽んじるような目はしていなかった。真剣に聞いている者がいる。ならばやはり、語る意味もある。
「私は王になる。明日が訪れることを恐れずともよい生活ができる国を作る。そのためにアレクサンドルを討つ――この目は魔眼と呼ばれているが、それならばその呪いは、国を傾ける者にこそ与えよう。私は未熟な王女だが、そなたらのような心強い味方がいてくれるのなら、必ず勝てると信じている。どうか頼む。大業を成すために、皆の力を貸してほしい。ベルゼアの未来のために、そなたらの未来のために――どうか」
自然と、語る言葉にも熱が籠るようだった。恐れを利用することはアルミナとて知っている。けれどそれを前面に押し出して、臣下も民も抑圧するのは話が違う。恐ろしい噂話を聞くほどに、信じられないという思いと、あの男ならやりかねないという真実味がある――あの男に怯えて生きることなど、それは生きているとは言えない。あれを王としては認められない。
兵士たちの中の誰かが、アルミナ様と呼んだ。それは次第に広がり、歓声として届く。少なくともキルミツの民の中に、既にアレクサンドルを王として仰ぐものはいないらしかった。アルミナの退路は既にないものであったが、進むべき道筋は今、完全に定められたと言える。
◆◆◆
王都アルピレスでは、噂になっているとおり、アレクサンドルが臣下も民も構わずに逆らうものたちを処断している。先日隣国アストラムより訪れた使者、ダチュラ・ノワールを食客として扱い、彼女の意見を政治に取り入れると発表したところ、反発が相次いだ。その反発した連中を排除したのだ。あまりに多くのものが処刑されたために、死体の処理さえ間に合っていない。
そのような惨状の中、オニキスがアルマンダインの捕縛に失敗し、またアルミナと邂逅して帰還したことを報告すると、アレクサンドルはオニキスを処断しようとした。だが、それを止めた者がいる――トライト・ジルコンその人である。
「いかにスカー・フェイスといえど、想定外の事態があれば対処しきれないこともありましょうや。相手にあのルベウス・カルブンクルスがいるとなればなおさらのこと。彼のような勇者をみすみす失うのは王者の為すべきことではありません。ここは改めて対策を練り、カルブンクルスの粛清をやり直すのがよろしい。アルミナ王女のこともありますから、邪魔者は効率よくそぎ落とさなくては」
「ふむ、なるほど、お前のいうことも尤もである。今回は聞き入れてやろう」
「カルブンクルスが治めるキルミツ領は厄介な土地です。入念な準備が必要となりましょう」
トライトがこれはと思う戦士を集めると主張し、アレクサンドルはそれでよいとして、オニキスは粛清を免れた。
カルブンクルス討伐に向けて男たちが準備を進める一方で、女たちは最近になって急に王都が荒れた雰囲気に包まれたことに対して怯えている。
それはアレクサンドルの婚約者である、リシア・トルマリン・エルバアイト公爵令嬢も同様だった。
リシアは、生まれつき足が悪い。それゆえに、誰かに連れていってもらわなければ何かを見にいくこともままならず、大抵は人伝いに噂を聞くばかりである。良い医者がいるからと王都で暮らしているものの、婚約者が何やら恐ろしいことをしているらしいと聞くと気分は重い。
「リシア様、お加減がよろしくないのであれば、今日の食事会は……」
「いいえ、平気です。殿下とお話できればよいのですけど……」
自分を伴侶として選ぼうという男が、噂のような非道をしていなければいい――しているのだとしても、それが皆の思うような暴虐でなく、何かしらの信念に基づいているのならまだ救いがある。
この日は王宮が主催する食事会がある。以前から決められていたことだが、本来参加するはずだったベルトラン王子やアルミナ王女の姿はなく、恐らくはアレクサンドルの権威を示すものとなるのだろう。この機会に、ぜひともじっくり話をしておきたいのだが――。
彼女が従者のベルデの手を借りて王宮を訪れると、やはりどこかぴりぴりとした緊張感があった。王宮で働く下働きの者たちの様子も、いつもとは違っている。活気がなく、怯えで縮こまっているかのような。
その違和感について誰かに問おうにも、皆顔を上げようとしない。廊下の掃除をしている王宮の使用人を見つけて話を聞こうとすると逃げられそうになったが、何か周りに言われたらエルバアイトの名を出せばよいと説得すると、ようやく話をしてくれる気になったようだった。
「殿下は、急に変わられてしまいました……ベルトラン殿下が亡くなられ、ホルンフェルス陛下が臥せっておられる今、この王宮に、殿下に意を唱えるものはおりませぬ」
噂話に聞いたとおりのことを、その掃除婦の娘は震える声で言った。思わずリシアも唾をごくりと飲み込んだ。
「そん、な――」
「ベルトラン殿下が亡くなられたのは、やはりアルミナ殿下の青い目のせいでしょうか? アルミナ殿下と親しくされていた方は皆不幸に――」
彼女がそれ以上言う前に、リシアは首を振った。
「滅多なことは言うものではありません。……最後の言葉は聞かなかったことにします。もう仕事に戻ってよろしい」
流石に言いすぎたと気が付いたのか、彼女は慌てて頭を下げて、元の仕事に戻っていった。周りに他の人間がいなくてよかった。ベルデはそれほど口が軽い人間ではないし、他に噂話を拡げる者がいないのなら、それでよい。
だが、話を聞いて心に抱くのはやはり不安だ。何かよからぬことが起きている。アレクサンドルが苛烈な行動を取っている、それは果たして表面的なものだけの問題だろうか。
「殿下――わたくしのアレックス。一体何を考えていらっしゃるの……?」
やはり何としても話をしなければならない。そう決意を新たにしたのは良いものの、いざアレクサンドルを探そうとしても多忙を極める彼を捕まえることは難しく、食事会のときも他の貴族たちとばかり話をしていて隙が無い。
話さねばならぬ、とは思っていても彼の政務を邪魔するようなこともできない。食事会においての対話も何かしら重要な意味合いを持つものだ。今後の国政にも関わることかもしれない――残念ながら、他の貴族たちとの政治的な話題に割り込んでいけるほど、リシアは弁舌に自信がない。
結局、食事会の終わり頃にようやく声をかけることができたものの、アレクサンドルは「すまぬがこれから用事ができた」と言って去ってしまった。リシアが止める間もなく。
「……わたくしってだめね。どんな淑女もお喋りが上手なものなのに、それさえできないんだもの」
「リシア様……」
「お前にも苦労をかけますね、ベルデ」
どうにもままならぬ。従者の彼女は恐れ多いと頭を下げるが、リシアがもっと優れた貴族であったなら、これほど彼女に苦労をかけることもなかっただろう。頼りない主であっても傍にいてくれるベルデは良い人間だ。誠実でよく気の効く、一番信頼の置ける従者だ。
アレクサンドルと話はしたいが、今日のあの様子ではもう難しそうだ。リシアが一つ溜息をついたそのとき、背後から靴音が聞こえた。そちらのほうへと目線を向けると、そこには黒い衣装を纏う女性が立っている。
「リシア様は何を憂えていらっしゃるの?」
同性でありながら、脳髄まで震わせるような、蠱惑的な甘さを感じさせるその声。食事会の時に、アレクサンドルの傍に着席して何やら話していた、顔に傷のある女性。隣国アストラムから使者としてやってきたという、傷の醜ささえ忘れさせる美貌の女性。
「あなたは……ダチュラ様」
ダチュラ・ノワール。白すぎるほどの肌と、左目の青。ベルゼア王国においては魔女と呼ばれてもおかしくないような身体的特徴を持っていながら、誰一人そう呼ばないのは、アレクサンドルが彼女を丁重にもてなそうと図らっているからだ。
リシアは彼女のことをよく知らないが、どことなく苦手だ。確かに目の前にいるのだが、どこか人間離れしたような美貌で見つめられると、自分の欠点が浮き彫りになるような気分がする。
「アレクサンドル殿下も気が利かない方ですのね。大切なご婚約者様を放っておくなんて」
「あの、それは……」
「でも、寛大なお心で許してさしあげてくださいましね。アレクサンドル殿下は全てあなたのためを想って行動していらっしゃるのだから」
まるで耳元で囁くときのような優しげな声で、ダチュラは言った。
「わたくしの、ため……?」
ろくに話すこともできなかった婚約者の行動が、全てリシアのためだなどと。一体なぜダチュラはそのようなことを言うのだろう。アレクサンドルがやっていることは、王都を恐怖に陥れているだけのように見える。貴族も民も怯えさせて、それが何になるというのか。
ふと、傍にいるはずのベルデの様子がおかしいことに気が付く。確かに真っ直ぐ立っているのに、その目は虚ろで、どこを見ているというふうでもない。周囲に対して全く無反応で、リシアの呼びかけにも答えない。
「ベルデ? ベルデ、聞こえていないの?」
「彼女は今、夢を見ているのです。あなたの呼びかけでは目覚めませんわ」
淡々と、ただ事実を述べるダチュラは、先程からずっと変わらず薄らとした笑みを浮かべている。ベルデの異変は、彼女の細工であるらしい。
「――ベルデに、何をしたのです」
「あなたと大事なお話をしたかったの」
背筋が、ぞわりとするような感覚。ダチュラは何一つ態度を変えていないが、それが恐ろしい。一体どういう手品なのか、ベルデは完全に周囲の状況を認識しておらず、立ったまま眠ったように動かない。ダチュラはベルデに仕掛けたことについて、何も感じていない。躊躇がない。それはつまり、リシアの思うような良心では止まらないことを意味している。
心臓の鼓動が速くなる。気を抜いてはならない。目の前にいる人は、リシアでは対抗できない相手なのだ。
「殿下には崇高な目的がございます。それをあなたにも理解していただきたくて」
「崇高な、目的……」
「殿下は、この現代に旧きティタニアの輝きを取り戻そうとしているのです」
ティタニア。それは聞いたことがある。ベルゼア……というよりは、このエフォロー大陸に旧くから伝わる物語を編纂した、いわゆる神話に登場する王国だ。ティタニアには精霊がおり、その力で国は隆盛したが、やがて信仰が薄くなって滅亡していく。
「そんなの、お伽噺ではないの……?」
「神話をご存知ですのね。ええ、精霊の力を借りれば、どんな望みも叶うのです。青い目の持ち主には精霊の力が宿る。わたくしの目は半分しか機能していませんから、せいぜいあなたの従者を眠らせる程度のことしかできませんが」
実際に、ダチュラの言うとおり、従者のベルデは全く動けなくされてしまっている。その手品の正体はさっぱりわからないが、ダチュラが本当に精霊の力を使えるというのなら納得はできないわけではない。
「殿下が全てを成し、全てを総べる国は、きっと素晴らしいものになるでしょう。我がアストラムもまた、ティタニアの輝きを望むもの。我々はかつての統一国家の再現を目指しているのです」
ダチュラが尤もらしく言っていることに対して、リシアは、何故か素直にそれを受け入れられるとは思えなかった。彼女は嘘はついていないのかもしれない、けれど全てを打ち明けているとも思えない。そのような重大なことを、ただアレクサンドルの婚約者であるだけのリシアにわざわざ漏らす理由がわからないのだ。
しかし。
「あなたのその意思で、その足で、殿下の隣に立ちたいと思ったことは?」
ああ――その誘惑は、毒が過ぎる。