3-2
キルミツ城塞へ入るまでには、二つの跳ね橋を渡らなければならない。うち手前の一つは鍵がなければ動かせないようになっており、あとの一つは城塞の中の人間に渡してもらわなければ通れないようになっている。アルマンダイン曰く、旧い時代の名残であるという。
「かつて遠い昔、ベルゼアという国ができる以前には、キルミツ領と他の貴族の領地は同じ国家の中にあるものではありませんでした。外敵を防ぐために、先祖が遺したのがこの跳ね橋ですが――今の時代にも役に立つものですね」
アルマンダインが使った鍵は全員が渡り終えた後に回収しているため、追ってくる者は他の道を選ばざるを得ない。城塞の跳ね橋の深い濠も超えるには工夫がいるが、渓谷の地形を利用した天然の濠についてはまず迂回する他ないだろう。跳ね橋が使える程度の距離といえば近いようにも思えるが、実際に眼下に広がるのは切り立った崖である。跳ね橋は見かけからしても頑丈な作りをしているようで安心して渡れるけれど、この高さを知りながら、平常心を保ってそれ以外の選択肢で渡ろうというのは無謀であろう。
(だがそもそも跳ね橋を作れたということは、金と時間と人手が揃えば新しく建設もできる……はずだ。現実的ではないが……)
アルミナは脳内で計算を始める。それをキルミツ攻略のためにしようと思うと、時間や金がかかりすぎるだろうので、実際にはそのようなことはまず起こらないだろうけれども。もしやるのならキルミツの事情をよくよく事前に調査したうえで、跳ね橋の材料をあらかじめ加工して持ってくるくらいのことはしなければならない。それくらいならば、やはり迂回するほうが速かろう――どちらにせよ充分に時間稼ぎはできそうである。
「ふむ。その鍵というのは誰が持っているんだ?」
アルミナが問うと、アルマンダインは「領主が許可を与えた者だけが持っています」と返事をした。
「基本的には、カルブンクルスの一族は皆鍵を持っていますが、出回っている数はそう多くはありません」
ルベウスも持っているのか。アルミナが振り返れば、当然とばかりに首からペンダントのようにして下げているのを見せてくれた。
「私一人がこの鍵を持っていたところで、跳ね橋を動かすには少々難しいですが。このような巨大な跳ね橋ですから、人手がなくては」
「ふむ……」
「カルブンクルス家以外の者でしたら、以前父が許しを与えていたのは一部の家臣と商人、あとは飛脚たちでした。鍵を持たない人間が橋を渡るには事前に連絡をつけておいて、鍵を持つ者に橋を渡してもらう必要があります」
「迂闊に怪しい人間は入れないというわけか……防衛面では確かに良い手段かもしれない。ある程度通行を制限できるわけだし」
「まあ、外の人間を入れるかどうかを選びすぎたせいか、未だにキルミツは田舎くさいところですけどね。さあアルミナ殿下、着きましたよ。カルブンクルスの城、キルミツ城塞へようこそ」
門が開かれる。ひとまずは、安心できる拠点へ辿り着けたようだ。
◆◆◆
領主の帰還とあって、出迎えの数は多い。だが、彼らの表情には戸惑いの色が見える。当然だろう、本来の領主アクスラクスの姿はなく、グロシュラの民も一緒なのだ。
「おかえりなさいませ、アルマンダイン様。ルベウス様もご一緒なのですね。あの、アクスラクス様はどちらでしょう。それに、こちらの方々は……」
「――父は死んだ」
アルマンダインの言葉に、誰かがひゅっと息を呑んだ。
「これよりこの僕、アルマンダインが領主である。ああ、やることが沢山あるぞ、まずは彼らの宿の用意だ。それに大事なお客様がいらしている」
アルマンダインは矢継ぎ早に返事をし、指示を飛ばす。使用人たちはアルミナの瞳の色を見て、皆まで言わずとも彼女が何者であるか――そして尋常ならざる状況があることを察したようだった。
「すぐにご用意いたします」
「頼むよ。アルミナ殿下、叔父上、今日はゆっくりお休みいただきたいと思いますが――その前に今後の方針だけは定めておきましょう。どうやらアレクサンドル王子との敵対は避けられないのですし、サードニクス卿も厄介だ」
「確かに、今のうちに決めるものは決めておかなくては。アルミナ様もそれでよろしいか」
「うむ、異論はない」
あれこれの手間を使用人たちに任せて、アルミナたちはアルマンダインの案内で、キルミツ城の書斎へと向かう。
「狭い場所で申し訳ありませんが、ここは一通りの資料が揃っていますから。少々お待ちください」
壁一面の本棚を埋め尽くす書籍の中から、アルマンダインは慣れた手つきで目的のものを探し出して、アルミナたちの前に広げてみせた。
「これは地図か、この辺りの」
位置関係だけでなく、地形まで細かく書き込まれたキルミツ領周辺の地図だ。
「はい。僕が王都で見たこと、そしてアルミナ殿下のご事情を思えば、真剣にアレクサンドル王子への対策を練らねばならない。幸いにもキルミツは山岳地帯が多く、慣れない者の行軍は容易くない」
それはここまで歩いてきた道のりからもわかることだ。慣れたアルマンダインや、傍で支えてくれたルベウスがいたので問題はなかったが、そうした補助がなければかなり険しい道のりだった。坂も多く、足元は舗装されていない山道とくれば、それを踏まえたうえでの準備がなければ簡単に疲弊してしまう。
「ですが――行軍も不可能なわけではない。守るだけでいるわけにはいきません。このキルミツ城塞とて本来は外敵から国を守るためのもの。内部からの攻撃であれば、防衛の穴がないわけではありません。この城塞も、内側はさほど壁が厚くない」
それはそうだろう。本来であれば敵対者は外から来るものだけのはずだったのだ。それにいくら崖や濠があろうと、ただ時を過ごしていればいずれは突破される。戦いにおいて受け身であって良いのは、他から援軍が来ると確定しているときだけであろう。
「アレクサンドル王子の一派が軍隊をまとめ上げるより先に、我々も対抗できるだけの戦力を集めねばなりますまい」
ルベウスが言う。
「他のところにも王都の惨劇の報せはそろそろ伝わっている頃でしょう――この城塞を第一の拠点として、アレクサンドル王子を打倒するための味方を集めましょう。キルミツ城塞も国境防衛のための拠点ですから相応の兵士はいますが、その全てを王都への進軍に使うわけにはいきませんから。無論、どのようなことがあろうと、御身は必ずお守りいたしますが」
「わかっている、内乱のために国の防衛を疎かにしてはならぬとも。だが、頼れるところが果たしてどれほどあるものか。アレクサンドル殿下の横暴は許されぬことだが、私も人望というものがなくてな」
キルミツの人間は珍しくアルミナの目を厭わないものが多いようだが、それは稀なことだ。王都に出入りすることの多い上流貴族ほど、アルミナの目を恐れたことをよく覚えている。
「でしたら、同じ目的を持つ者を見ればよいのです」
アルマンダインが言った。
「同じ目的――」
「僕が父を殺されたように、家族や親類を殺された貴族たち。粛清の手が伸びきる前に、彼らを説得いたしましょう。アルミナ殿下にとって信頼の置ける家臣を増やすことは大切ですが、誠実である限り信頼は後からでも築けるものと存じます。今は利害のみで声をかける相手を決めればよろしい」
利害の一致――確かにそれならば、目的が果たされるまでの間は、味方として信用が置けるだろう。敵の敵は味方という。どのような理由であれ、アレクサンドルを討つ理由があるものたちを集めさえすれば軍としての体裁は整う。仲間に引き入れたい者たちに対しては、アレクサンドルに対する勝機があると見せられればいいというわけだが――。
「……ならば、ベリル家はどうか。ベルトラン兄様の母君のご実家である。アレクサンドル殿下のベルトラン兄様への仕打ちを知れば、黙ってはいまい」
アルミナは、ベルトランが言うのならと覇道を歩むことを決めた。であれば、ベルトランを失った者同士、アレクサンドルに対する感じ方は近いものがあるだろう。
(王位継承争いなど実質、兄様との間にはないようなものだった……決して私の家臣にはなりはしないだろうが、アレクサンドル殿下を打倒する仲間にならなってくれるやもしれぬ)
まさに利害の面から考えた相手である。ベリル家からすればアルミナも政敵となり得る要素があるものだったので、好かれることはまずないが――今の当主が冷静な判断をしてくれるのであれば、可能性はなくはない。恨みは人を行動させる強い原動力となる。
「成る程、交渉の価値はあるかと思います。もしベリル家が味方につくのであれば、これほど心強いことはない。何せ歴史の古い家柄です。申し分ない権威がある」
「上手く説得できるかはわからないがな。自分で言いだしたことだが、私はベルトラン兄様とは親しかったがそれ以外とはさして対話したこともないのだ。せめてこちらの敵に回らないようにだけはしたいところだが――他にも声をかけられそうな者はどれほどいるかな」
「では、僕のほうでも考えてみましょう。何かしらこちらの陣営が有利であるように見せる工夫は僕が用意します。叔父上も知恵があればどうぞ」
「絞るほどの知恵なんぞ俺にあるものかよ。こちとら専門は実際の戦場でいかにして勝つか、それだけだからな。俺の知り合いもいるにはいるが――」
思案するように腕を組みつつ、しかし、ルベウスは「特に拘りはない」と結論を出す。
「どこの家でもアルミナ様のお好きなようにお声かけなさればよろしい。完全に敵でしかないものを懐柔するのではないのですから、あまり難しく考えなさるな」
「確かに、敵というわけではないが……」
「駄目で元々とお思いなさいませ。味方が増えれば楽になるが、増えぬなら使える駒だけで勝てるよう、私が戦術を考えましょう。ですから、まずはベリル家に、それからアルマンダインの思う候補に順番に当たればいい。何、勝ち筋を見せればよいのなら、このルベウスがいる、このアルマンダインがいる。如何様にも説得材料は作れますとも」
ルベウスの言うとおりだ。天下無双の騎士ルベウスと、広大なキルミツの領地を守るカルブンクルスの当主アルマンダインが味方についているのだから、充分すぎるほどに心強いのだ。アレクサンドルを相手取るには寡兵であることは間違いないはずだが、それでも、それを覆してくれそうな期待をもたせてくれる仲間たちだ。
だから今以上に味方を増やすというのは、彼らの負担を軽くしてやるためのこと――そう考えると、幾分か、アルミナの気持ちも落ち着いた。気負いすぎていたということだろうか。
やがて食事の準備ができたと報せがあり、今日の話し合いはこれで切り上げとなる。
食べるものを食べた後は、アルミナはベリル家へ宛てた手紙を書く。ぜひともその手を借りたいと、精一杯、真摯な想いで書いたそれを飛脚に託して、それが終わればただ用意された部屋のベッドに寝転ぶだけだ。ようやくの真っ当な休息であるのだから、効率よくだ。アルマンダインは明日正式にアクスラクスの死を発表しなければならぬというし、それから支度を整えて出立せねばならぬ。忙しくなる――されどやらねばならぬことだ。
明日からのことを思うと不安もあったが、肉体はやはり休息を求めていたのか、柔らかな寝床にすぐに意識は微睡んでいった。