3-1
グロシュラから、目的のキルミツ城塞まではまだ距離がある。アルミナたちも去らねばならないが、アルマンダインは村人たちに荷物をまとめるよう指図していた。
「そもそも、グロシュラの秘密も知られてしまいましたから、この村も解体せねばなりません。幸いにしてこれから開拓しようと手を付け始めたばかりの場所が他にありますから、彼らにはそちらへ移ってもらいます。しばらくはキルミツの蓄えから配給するかたちで、新たな拠点を作ってもらう他ありません」
「可能なのか、そんなことが……」
「グロシュラの民は逞しいですから、支援を惜しまなければ何だってやってくれますとも。それに、グロシュラの手のうちが知られている以上、サードニクス卿が本格的に兵を率いてこようものなら、この地では決して有利な戦いはできませんし」
グロシュラが元々天幕の多い、移動することを前提とした作りの村であったこともあり、準備自体はそう時間のかかるものでもない。村人たちは皆若きアルマンダインに信頼を置いているようだ。
「まあ、僕個人というよりは、歴代のカルブンクルスの威光あってのものでしょうが。皆祖父や父を慕っていたのです。僕は……まあ、豪雨や飢饉の対策にちょっと口を出したくらいで」
ちょっと――などとアルマンダインは語るが、若いながらにそれができるだけの知識と判断力があるということは、重要なことだ。それだけ過去から知識を学び、現地の痛みを身をもってわかっているということだからだ。まだ深い付き合いをしていないアルミナには正確な判断はつかないけれども、村人たちのアルマンダインに対する敬意の払い方は、単に彼の親のためだけではないのだろう。無論、前キルミツ領主を失った悲しみへの共感もあるのだろうが。
――良いことだ。アルミナの臣下は、アルミナより余程民に慕われているらしい。
さて、進むべきところは一本道であるので、しばらくは村人たちと共に行動することになる。団体で進むのは、ある意味では安全である。皆戦えるものたちばかりで、戦うことを専門職とする兵士や傭兵も一緒にいるのだ。少なくとも半端な山賊には狙われにくくなる。
また、キルミツ領の者はそういう者が多いのか、アルミナの目を厭うものがほとんどいなかった。聞けば青い目について皆さほど頓着していないという。王都ほど青い目への畏怖信仰がないのは、アルマンダインやルベウス曰く田舎であるからだそうだが、アルミナにとって目を理由に怖がられないというのは新鮮な心地がする。それどころか、カルブンクルス一族を大切に扱っていることを感謝されたくらいである。そのような形で誰かからわかりやすく評価を受けることなどほとんどなかったものだから、アルミナはひどく驚いてしまった。そのような見方をしてくれる者が、こんなにも多くいたとは。
「皆田舎者ばかりで、我々カルブンクルスの一族はともかくとして、王族という貴い方を間近で見るという経験が少ない。親しみのない青い目の伝承のことよりも、王族としてのアルミナ様に興味を持っているのです」
ルベウスは言う。言われてみれば納得はできる。王都アルピレスでのアルミナの扱いを詳しく知らないのであれば、単に王女であるという点だけを見るだろう。自分たちの領主が跪く相手が、キルミツに対して利益をもたらすのかどうか。それが最終的に自分たちの生活の維持、あるいは向上に繋がるかどうか。
「……なんでもいいさ。私を災厄としてではなく受け入れてくれたのだ。それが嬉しい」
「さようですか。ならばよかった」
「ああ、そなたの故郷はよいところだ」
きっと、こういう人たちを守るために、戦ってきた。アルミナにとっての国を守る戦いは苦難の道ばかりであったが、何か報われたような気分がする。
(とはいえ、私も罪を犯したもの。覇道を歩むならば必定。望まれた王になるのなら、私は相応の罪を負わなくては――それが亡きベルトラン兄様のためになるのなら。私を想ってくれるものたちを守るために必要であるのなら)
そのために、アルミナは人を殺した。国の敵ではない、自分の敵を。人の命が安い時代であるのは確かかもしれないけれど、それでもベルゼアに暮らすという意味で自分と同じ命を殺した。アルミナが覇道を行くうえで、これからさらに増えるであろう罪の始まりだ。
(――逃げない、私は)
選んだのはアルミナ自身だ。それがどのような道であっても、前に進むしかない。それだけしか、アルミナにできることはない。王になりたいと心から望んでいたわけではないけれど、それでもアルミナを望んでくれる者がいてくれるのなら、それに応えることが精一杯の誠意だ。
王に、ならなければ嘘だ。
◆◆◆
――王都アルピレス。
アレクサンドル王子は玉座にて、アストラムからの使者を待っていた。
既に宮殿は彼のもの。逆らう者は皆速やかに処罰している。時間などさほど必要ない。アレクサンドルは王となる者なのだ。それが一声かければ充分だ。
この使者との謁見というのは重要だ。何せ同盟を結んだばかりの隣国との対話である。互いに利益を生み出すためにも、より強固な協定が必要になる。そのための対話だ――表向きには。
謁見の間のドアが開かれた。待っていた使者が到着したようだ。
ベルゼア兵に案内されて入ってきたのは、女だった。これといった装飾のない黒っぽいローブを纏う姿は、隣国の皇帝クライビアの使者というにはあまりにも地味すぎ、表情を覆い隠すフードは怪しさすら感じさせるものだった。重鎮たちが怪訝な顔をする中、アレクサンドルだけはいつもどおりの、余裕のある笑顔をもって彼女を迎え入れる。
「よくぞ参られた、アストラムの使者よ。この国の次の王として、そなたを歓迎しよう」
女は一礼して、フードを取り去る。中から零れ落ちるのは、白金を思わせる繊細な眩しさを持った長い金髪である。
肌はいっそ病的とさえ言えるほどに白く、ローブから覗いた指は白魚の如くの嫋やかさで、纏う服の印象に反して優美で洗練されている。
しかし何より目立つのは、その女の顔には傷があるということだ。厳密にいえば、右の瞼を裂くような傷痕が残っている。少し濁って白っぽい瞳は、眼球も傷ついたということであろう変色の痕だ。そしてもう片方の、左の目は――アルミナと同じ、青い色をしている。気味の悪い色だった。
「アストラムより参りました、ダチュラ・ノワールと申します。此度は、アストラムの申し出を受け入れてくださり、誠に感謝しております。こうして殿下とお会いできましたこと、光栄に思いますわ」
彼女――ダチュラは、そんな顔の醜い傷も、目の恐るべき青さえも忘れさせるほど、可憐に唇に弧を描いて微笑む。彼女の笑みは誰もが感嘆の息を漏らすほどに麗しく、彼女の声は誰もが聞きほれるほどの蠱惑の蜜である。
「下らぬ挨拶はいらぬ。トライトは残り、他の者は皆、下がるがよい」
アレクサンドルが命じると、騎士であるトライト・ジルコンと、客人のダチュラを残して、他の者は皆部屋を出ていく。命令は絶対だ。やはり予め反逆者がどうなるのか見せしめとしての事例を作っておくと、うるさいことを言うものがいなくなるのでやりやすい。
余計な目も耳もなくなったところで、アレクサンドルは話を切り出した。
「して、スピライチウムの採掘は順調に進んでいるのか」
ダチュラは、美しい笑みを保ったまま答える。
「ええ、勿論滞りなく。よい鉱脈です。この調子ならば、必要なスピライチウムはすぐに用意できましょう。ただ、問題が一つございますの」
「問題だと?」
「お約束いたしましたでしょう――計画のためには、アルミナ王女殿下の目が必要だと。ですがまだそれを確保できておりません。ベルヌイユの町に誘導していただいたはずですのに、我がアストラム兵は全て殺され、王女殿下の行方も知れないとは何ごとでございましょう」
ダチュラは、あくまで淡々と事実としてそれを述べ、問いかける。アレクサンドルは予想もしない言葉に驚いた。
「何? おれはベルヌイユの領主にはアルミナを外へ出すなと伝えているぞ」
「でしたら、伝達に何か不備があったのでしょう。アストラム兵が殺されたことについてはアルミナ殿下の戦力を見誤ったこちらの失敗です――けれど、アルミナ殿下の身柄をお引渡しいただくことはそちらの責任でもあります。我々が彼女を受け取れるように計らっていただくこと、それが取引の条件でしたわ。これはとても大切なことです」
「む――トライト」
王子の傍に控える騎士は「今一度確認させましょう」と言った。
「状況が分かり次第報告いたします。ベルヌイユに問題があるのであれば、然るべき処断を。アルミナ王女の捜索はあらためて部隊を編制いたします」
「ということだ。ダチュラ・ノワールよ、しばし待て。しかし理由がいまひとつわからぬのだが、何故あえてアルミナに拘らねばならない? 他に替えがきくものなら、そうしたほうが早いかもしれんぞ」
アレクサンドルがアストラムとの同盟の条件に、アルミナの身柄を渡すことを許したのは、偏に彼女が政敵となるものだからだ。いかに妾腹とはいえど王女として認められている女。今はもう始末したベルトランに心酔していた腹違いの妹。アレクサンドルが王位を継承するうえで邪魔となるものが、アレクサンドルの目指す道を行くうえで有用となるのなら使わない手はない。
けれどその理由については、深く聞いてはいなかった。アレクサンドルにとってアルミナは取引のための生贄のようなものだ。それ以上の価値は感じないが、何故あえてアルミナであるのか――そこにどんな価値があるのか。今更ながら知りたくなった。ダチュラは頭を振る。
「いいえ、いいえ、替えはききません。それが可能なくらいなら、あえて王女を選ぶ理由もありません。よろしいですか殿下。必要なのは若い少女の体でも貴い王女の血でもなく、あの欠けていない、生きているままの青い目なのです。青い目の持ち主でなければ、精霊の力を引き出すことはできません。それは神話の時代より決められていることです」
そう語る女の目は、欠けている。片目は青いが、一方の色は失われている。もし彼女の目が完璧な青で揃っていれば、アルミナは必要なかった。
「今や青い目の持ち主など、ほんの僅かにすぎず、また生きていたとしてもほとんどがひっそりと隠れて見つけられないのが現状。王女殿下がいなければ、かつてのティタニアの世界を蘇らせるという我々の共通目的は果たせなくなりますのよ」
「うむ――確かに重要であった。つまらぬことを問うたな」
ティタニア。かつての神話に語られる栄光。今はただお伽噺として伝えられるだけの、旧き時代の微かな名残。それを現代によみがえらせる。
――そうすることで、全ての望みは叶えられる。
「今は採掘作業を進めさせていただきますわ、アレクサンドル殿下。全ての準備が整うまでに――きちんと、青い目をご用意してくださいましね」
「わかった。お前も役割を果たすがいい。おれも努力はするが、お前たちの努力も充分に必要な計画だ。我々は運命を共にし、志を合わせたもの。そうだな?」
「――ええ、そのとおりですわ、殿下」
女は、嫣然として微笑んでいる。