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青い色をした瞳は、人に呪いを与える魔眼であるという。一瞥するだけで不運をもたらし、身動きをとれなくして、心臓を止めてしまう――。
今年十六歳の誕生日を迎えたばかりの王女アルミナの瞳もまた、海のような青だった。今は亡き母譲りの青い目だけれど、母以外に自分と同じような青い色の目をした人は、未だかつて見たことがない。
伝承に出てくる青い目は、珍しいけれど忌避されるべき色として扱われるから、もしかしたらどこかに隠れているだけかもしれない。アルミナ自身、この青い目が嫌われているということは実感していた。アルミナと目を合わせて話すものはほとんどおらず、厄介者は死ねとばかりに危険な戦場へ送りだされる日々であった。そしてその度に死なずに生き延びて今に至る。
「――私の目は魔眼だそうだが、ルベウス、そなたは私のことを怖がらないね」
アルミナは馬に揺られながら、隣を行く青年を見て言った。ルベウス・カルブンクルス――それが彼の名である。石炭のような深い黒の髪、高い鼻梁と少し濃い眉、髪と同じ色をした切れ長の凛々しい目は美形と言って差し支えないが、優男というのとは違った。アルミナより頭一つ分背が高く、よく陽に焼け、しなやかな筋肉に覆われた逞しい体は正しく戦士のものであった。アルミナはすっかり見慣れてしまっているから気にならないが、そうでない者にとってはその顔の美醜より恐ろしさのほうが目についてしまうだろう。体格がいい分威圧感がある。
彼自身ばかりでなく、彼の持つ槍もまた周囲に畏怖を与えている。鍛え上げられた鋼の刃は鋭く輝く。これまで数々の戦場で、ルベウスに振るわれて敵の血を吸ってきた槍だった。
「たかが十六の小娘の何を恐れよというのです」
彼は溜息を吐きながら、呆れたように――あるいは苦笑いをするように、アルミナの目を見て答えた。
「王族の血筋といっても所詮妾の子、しかも末の娘でそれらしい権力も振るえない。王城に出入りする連中はほとんど皆が軽んじて、ろくな味方もいない。そんなあなたに、恐ろしいところなど何がありますか」
アルミナの細やかな問いかけに対する返事は、思ったよりずっと多く、そして事実という刃を突きさしてくるかのようだった。
「まあ、剣の腕は確かですから、軟弱者どもには恐ろしいのかもしれませんがね。しかしこの私はあなたより強いので」
「……そなたは直球でものを言う癖を直したほうがよいな。私は嫌いではないが、そんなだからアレクサンドル殿下からは嫌われるのだぞ」
「私もアレクサンドル殿下は気に入らぬので望むところです」
「今の言葉、私以外に言うなよ。不敬の罪に問われるぞ。そなたがそのような態度をやめないから、功を立てられる外敵との戦場から外されて、私の護衛などせねばならぬ。此度の任務など、世間の目から見れば取るに足らぬことよ」
「アレクサンドル殿下の下につくくらいならアルミナ様のお傍にいるほうが楽しいですよ、私は。美しく聡明でお優しい姫君を守る――やりがいのある役目ではありませんか」
「武芸ばかりでなく口も達者か。それで良いというならこれ以上は言わないけれど……私の傍にいてはいつまでも出世はできないぞ。あまりアレクサンドル殿下のご不興を買うな。今はベルトラン兄様よりも声が大きいのだ」
囁くようにアルミナが言うと、ルベウスは「生きづらい世の中になる一方だ」と、どこまで本気かわからないような口調で肩をすくめて嘆いた。
「……上手く生きる術ならば私より十年も長く生きているそなたのほうが詳しかろう」
「それはそれとして、どのような世であれ、私はいつでも私の望むように生きておりますよ。それが一番後悔せずに済みますから」
「逞しいことだなあ……」
◆◆◆
朱星暦四一二年。
これより一年前、エフォロー大陸を不穏の影が覆う。ベルゼアより北西に位置するアストラム帝国では、先代の皇帝が死去し、新たにその息子が帝位に就いた。
彼は野心家であったのか、あるいは周りの人間がそうさせたのか、アストラム近隣の諸国に対し侵攻を行う。それにより四つの小国と地域がアストラム帝国に併合され、かつては辺境の小国にすぎなかったアストラムは今や大国と呼ぶに相応しい存在となった。
アルミナの生まれたベルゼア王国にも、そのアストラムの影がちらついている。無用な争いを避けるべく、同盟を結ぶ話が持ち上がっているが、アルミナには関われない部分である。問題はそれだけではないが、今年大きな話題となるところは、一応はそれだ。
さて、当のアルミナは現在、第二王子アレクサンドルの命によって、ベルゼア王国の北西の国境付近にある都市ベルヌイユを訪れている。街からさらに北にある、今はもう使われていない古い砦に住みついた盗賊たちの討伐の任務である。治安維持のため、そして彼らがベルヌイユで略奪した宝物の奪還が目的だ。
ベルゼアの王女であるアルミナがそのような任務についている理由は、ただ偏に立場が悪いからであった。
母サフィルス・ルチルは平民の出身であった。それだけではなく、忌避される青い目を持っていて、アルミナはそれを受け継いでしまった。血筋から軽んじられ、不吉をもたらす魔眼と恐れられるアルミナは、国に仕える戦士として振る舞わねば居場所というものがない。第一王子ベルトランのようにアルミナに優しくしてくれる者もいないではないけれど、本当に少数だ。王女と言っても名ばかりで、王族として勉学はさせてもらったが、実際にしっかりと政治に関わることなどできた試しがない。
これまでも幾度となく戦場へ出て、その度敵を滅ぼして生き延び、縋りついてきた居場所――自ら望まざるとも受け入れざるを得ない戦いの場。自分の身を守るために敵を討ち、敵を討つために剣の腕を磨く。アルミナがアルミナとして生きていくためには、国に尽くして戦うことは避けられない。
とはいえ、此度の任務、供はルベウスただ一人であった。移動のための馬は与えられたが、それだけだ。恐らくは、死ねと言われているのと同義なのだろう――卑しい母より生まれても王の血を引くアルミナは、曲がりなりにも王位継承権を持っている。それは次の王座を望む次兄アレクサンドルにとっては結局ただの邪魔者でしかないということだ。兄と呼ぶことを許されたこともない。彼にとってはアルミナが賊を討伐できればそれでよし、できずに死んでしまっても何ら問題ない、その程度のものなのだ。アルミナの思う居場所というのも、ないのと変わらないようなものなのかもしれなかった。
「浮かぬ顔をしていらっしゃる」
ルベウスは、何かとアルミナをよく気遣ってくれた。それは仕えるべき主に対してというより、年上としての余裕からくるもののように思えたが、アルミナにとってはどちらでも構わなかった。重要なことは、ルベウスがアルミナにとって数少ない本当の味方であるというそれだけだ。
燃え盛る炎のような赤の衣装を纏うこの男は、若くして師団長となる異例の出世を果たしている。戦場に出れば天下無双と謳われるほどの武勇を誇り、数々の戦場で敵の首級を挙げ、それが認められて一万の兵の指揮権を持っていた。しかしアレクサンドルの用兵に不平を漏らしたことから不興を買い、今は役職から遠のいて一介の騎士としてアルミナの傍にいる。
アレクサンドルから嫌われている者同士、というのもあるが――ともかく、彼は本当に心を許せる相手には違いなかった。アルミナを恐れたり遠ざけたりせず、きちんと話を聞いてくれる。だからアルミナも饒舌になる。
「いやな、私が城を留守にしている間に、ベルトラン兄様に何もなければよいのだがな。あの方はお優しいが、危険には疎くておいでだから」
第一王子ベルトランは、戦場に立つアルミナと違い可哀想だからと虫も殺せぬような男である。心優しく穏やかで、愛嬌がある笑い方をするから放っておけない。そんな気質をアルミナは好いていたが、ベルトランは王位継承ということの重みをあまり理解していないようだった。
否、王子としての責任感はあるのだ。民のため尽力しようという心意気は確かにあり、政治をよく学び民にも慕われている。けれど王位に付随する権力を求める者が他にいるということをわかっていない――アレクサンドルという王位継承権を持つ者が他にいるということを。
「父王ホルンフェルスが病に臥してから、アレクサンドル殿下の功績が目立っている。辺境の反乱の鎮圧や、敵軍の粛清。加えて交通網の整備、商人たちへの手厚い保護。何より、スピライチウムの発掘によってベルゼア王国の財政は潤沢だ」
「ああ……スピライチウム、あの七色に輝くという宝石ですか。よく売れるそうですね。アレクサンドル殿下の支援があって鉱脈が幾つか見つかったとか。ああ、そういえばこれから向かう砦の傍にも鉱山がありましたね」
「そう、そのスピライチウムが重要なのだ。ベルトラン兄様は教育機関の整備や新たな技術を得るための研究機関設立のほうに力を入れていらっしゃるが、アレクサンドル殿下の上手い金稼ぎの影に隠れてしまっている。順当にいけば正妃の息子であるベルトラン兄様が王になるべきだが、アレクサンドル殿下の才覚を捨てがたいと思う者も多い」
「そうした連中がベルトラン殿下を害すると?」
「可能性がないとは言えぬであろう。全てがそうとは言わぬが、人の心は金で移ろうこともあるではないか。普段私の魔眼を恐れて寄り付かぬ者も、私がおらぬとなれば」
ベルトランはアルミナにとってよき兄だったが、アルミナもベルトランにとっては敵対者への抑止力となった。全ては青い目だ。魔眼の呪いをものともせず従えている、というのはベルトランの箔になったのだ。
そのアルミナが、長期にわたって城を空ける。アルミナはあくまでも国に仕える身として、アレクサンドルの命令に背くことは難しい。ベルトランはアルミナを案じながらも、盗賊たちに民が脅かされることをよしとはしないから、結局はアルミナをルベウスと共に送りだした。今、ベルトランの守りになる者が、城にいないのだ――少なくともアルミナが傍にいないことで、ベルトランに何かあったときに、身代わりとして差し出せる程度の人間も、剣をとってベルトランを守り抜けるような武人も、足りていない。
「恐ろしいことを仰いますな、アルミナ様」
「ああ、恐ろしいよ、もしそれが現実になってしまったら。強かなアレクサンドル殿下がその気になった時、ベルトラン兄様は果たして抵抗しきれると思うか」
「さて」
ルベウスは断言を避けた。彼女の言うことが現実になる可能性は決して低くなかったが、ここで何か言ったところで、問題の解決に繋がるわけではない。それはアルミナもわかっていた。所詮は世間話というやつだ。
「ベルトラン兄様……ご無事だと良いのだが」
命令に抗えず賊の討伐へ来たが、そのことだけが気がかりだ。ベルトランに何かあればアルミナの立場にも影響があるとか、そんな打算は抜きにしても。
これから危険な場所へ向かうアルミナが、本来安全であるはずの城にいるベルトランを案ずるのは、奇妙な話であった。ルベウスはその違和感を口にした。
「アルミナ様は私とたった二人で敵地へ向かうというのに、ご自身のお命は案じておられないのですね」
アルミナは考えてもみなかったという顔をした。
「そなたがいるではないか。百戦錬磨の英雄がいるのに、何か案ずることがあるのか」
当たり前のことのように返されて、ルベウスはハハ、と笑うように息を漏らした。
「ご期待に沿えるよう尽力いたしましょう」
「頼りにしているよ」
目的の砦までは、今日中に辿り着ける。敵陣へ赴くのだからそれなりに計画的に行動せねばならないが、アルミナは隣を行く青年がいるだけで、この討伐作戦に対しての不安は何もなかった。ただ、彼の武勇を思えば、つまらない仕事をさせてしまう――それだけだ。
「本当なら、そなたをもっと上手く運用してやれればよいのだがな。そなたに見合う立場と役目というものを与えてやるには、今の私では力がなさすぎていけない」
「今はそのお言葉で充分ですよ。それに、あなたのお傍でしたら、私は本当に不満はありませんから」
「そういうものか?」
「私はいずれあなたが世間に認められる方になると信じているのですよ」
随分と、柔らかい声色だった。普段誰かに期待をかけられるという経験に乏しいアルミナは、何だかむず痒い気分がして、つい片手で口を隠しながら目を背けてしまった。普段は目を合わせて話せる相手だと思って気安く接しているのに、おかしな話である。