透明人間は羞恥で悶えるか?
ネット上における、匿名性を利用した誹謗・中傷の問題について取り上げたあるテレビ番組の中で、ある人がこんなことを言っていた。
「…………まるで透明人間のように…………」
これを聞いたとき、私は「なるほど、上手い例えだ」と思った。そして「透明人間」と聞いたせいなのだろう。ある映画のことを思い出した。
タイトルは覚えていない。ただ、透明人間が出てくる映画だった。透明人間が人の目に見えないのをいいことに色々と悪さを働き、そして最後には退治される。そんな内容の映画だったはずだ。
確かに、匿名であることと透明であることはよく似ている。誰か分からず、どこにいるかも分からず、ただ結果だけがそこにあるように見える。そしてその結果というヤツは、たいてい悪意にまみれている。
そこまで考えて私はふと思った。「そういえば、透明人間は全裸だった」と。
そう、透明人間は確か全裸だったはずである。着ていた服までは透明化していなかった。透明であることを有効利用するためには、全裸になるしかなかったのである。
透明であることは確かに恐るべき能力だ。だが全裸である。しかし全裸である。誰がなんと言おうと全裸である! 彼は確か、全裸で街を疾走していた……。
全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸全裸……。
――――うぉっほん!!
確かに、匿名性を利用して誹謗・中傷を述べることは、透明人間が目に見えないのをいいことに悪事を働くのに似ている。
そして私はこうも思うのだ。匿名性をいいことに誹謗・中傷を述べることは、透明であるからと言って全裸で街を疾走するくらい恥ずかしいことなのだ、と。
確かに彼は、人の目には見えないかもしれない。しかし彼が全裸であることは、他ならぬ彼自身が最もよく分かっている。
ネット上に無責任な誹謗・中傷を書き込みたくなった時には思い出して欲しい。
ぶいぶい言わせている透明人間も実は全裸なのだ、と。
そして彼自身、ある時ふと自分が全裸であることを思い出し、そして自分がやったことを思い出して、あまりの恥ずかしさに頭を抱えて身悶えしているに違いない。