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尖塔館の殺人  作者:
尖塔館の殺人
9/24

ままならない休憩

 全員で決を採った結果、矢針さんに桐生さんを監視してもらうことになった。あの人なら細かいことも見逃さなさそうだから向いてると思う。体格も桐生さんと同じくらいだし、よしんば桐生さんが犯人でも一撃でやられるってことはないだろう。


 ともあれ対策会議のようなものを終えて部屋に戻ってきた僕だったが、時刻はいまだ午前十時前だった。起きたのが朝早かったのと、予定外のショッキングな出来事のせいでもう一日のほとんどが過ぎたような気がしていたがいつもの休日ならやっと起きてくるような時間である。

 しかしベッドに倒れ込んでつらつら考えてみるに、着いた時は荷物を解くのに忙しかったし昨日の晩は遅かったしで、自分の泊めてもらっている部屋をじっくり見る機会がなかったことに気づいた。幸い今後の対策も決まったことではあるし、道が復旧するのはまだ先のことであるからにして時間だけはたっぷりある。ずっと本を読むだけというのも飽きてきそうなので、部屋の探検をしようと僕は立ち上がった。

 とはいえ、もともと建物自体がそう大きなものではないので部屋も面積的には広いわけではない――バスやベッドのせいでむしろ狭いほうだともいえるだろう。けれども東側の壁のほとんどを占めている大きな窓のおかげで、とても解放感にあふれたいい部屋である。ちなみに僕はこの窓を見て水族館のでっかい水槽を連想した。

 壁際にはガラス扉付きの小さなキャビネットが置かれている。その最上段に内線電話が鎮座しているのは昨日到着した時に白音さんから電話がかかってきたので確認済みだったが、そのガラス扉の奥には四冊の本(渋い装丁のハードカバー)とチェスのナイトの駒、それからこけしのような人形が入っていた。

 ナイトと人形を脇にどけて、とりあえず四冊の本を取り出してみる。背表紙を見た段階から薄々気づいていたが、どの本も結構古い。ためしに一番古そうな本の奥付を見てみると昭和九年だった。昭和九年って、西暦でいうと……1934年か。八十年前の本なんて僕からすれば化石に等しい。

 一番新しい本でさえ昭和五十三年だったので、さすがにこれは読む気が失せる。図書室へ行けばもう少し新しい本もあるだろう。そう思って、四冊の本を(僕が読みたいかどうかは別としてそれなりに価値のあるものだろうから)丁重にキャビネットに戻す。次は……バスか。

 自分でもどうかとは思うが昨日は風呂に入らなかったので、まだここの風呂がどんなものか見ていなかったのでどんなものかと思いつつ扉の横手にある扉へ向かう。

 風呂は拍子抜けするほど普通のユニットバスだった。ヒノキ風呂なんかを期待していたわけではないが、この向きだと廊下と部屋に挟まれて窓がつけられないからだろうか。アメニティが無駄に充実しているところ以外は特に見るべきところもなかったので、早々に扉を閉めて部屋に戻る。

 最後は絵画鑑賞。キャビネットとは反対側の、ベッドが置いてある側の壁に大きな絵画が飾ってあるのだ。キャビネット側にももう一枚絵が飾ってあったが、そちらはピカソみたいな絵だったのではなから見る気はない。

 まあ僕に絵の良し悪しなんかが分かるわけがないのだが。

 しかしそのど素人の目から見ても、その絵は確かに本物だという印象を受けた。背景の濃い緑色の中で、同じ緑という種類でありながら全く印象を異にする巨大な影――幻想的で抽象的な、それでいて何か特定の情景を想起させるような――しばらく眺めていて、それ(、、)が何なのかにはたと気づいた。

 尖塔館だ。

 この巨大な緑色の影は、尖塔館なのだ。

 そう気づくと、四本の塔やほとんど窓のない外観など、ほとんどの特徴がこの影を尖塔館として表現していることがひしひしと伝わってくる。漆黒の空の下、その黒よりも濃くのしかかってくる緑色の影――昨日外から見たときとは正反対の印象を受けるが、これもまたこの奇妙な館の一つの側面なのだろう。しかしこの絵には一点だけ、本物の尖塔館と明らかに異なると云える点があった。

 四本の尖った塔のうちの一本が、くすんだような赤色を撒き散らしながら今にも崩れ落ちようとしているのである。その赤色は炎と解釈できないこともないが、その時の僕には、それはまるで、血の色の紅のように思えた。

 決して刺激的なわけではないのに、なぜか僕の目を捉えて離さないその赤色を見つめながら、僕はまた新たなことに気づいて愕然とした。

 ああ、まさかそんな――。

 この崩壊しつつある塔、これは、あの南西の塔――殺された塔野さんが居室としていた塔じゃないか。




 どれくらいの時間そうして立っていたのだろうか。

 再びりんりんと鳴り響き始めた内線電話の音で、僕ははっと我に返った。絵画の右下に『I・H』という署名があるのを視界の端で捉えながら、反対の壁際にある電話機に駆け寄る。

「はい、比嘉です」

『あ、よかった。比嘉さん、部屋にいらっしゃったんですね』

 やっぱり電話を掛けてきたのは白音さんだった。

「よかった……とは? 何か用事でも?」

『ああ、いえ、大したことではないのですが――比嘉さんの部屋の壁に、絵か何かがかかってませんか? 私の部屋と隣り合ってる方の壁です』

 さっきまで見ていた絵の話を突然出されて驚かなかったと言えば嘘になる。なんだなんだ、白音さんは透視能力でも持ってて何分も馬鹿みたいに壁に向かって突っ立ってた僕の姿を観察でもしてたのか!?

「あります、けど。でっかい――変な絵が」

『そうですか。では少しお待ちを』

 そう言って電話は切られた。なんだったのだろう……ん、『少しお待ちを』?

 その言葉の意味を吟味する暇もなく、突然真横の入り口の扉が勢いよく開いて白音さんが入ってきた。そういえば、鍵を掛けていなかったか。不用心だから次からはちゃんと掛けないと、と思いつつ白音さんに声をかける。

「あの絵がどうかしましたか、白音さん?」

「いえ、実を言うと私の部屋の壁――ちょうどその絵の反対側に当たる部分にですね、同じように絵が飾られているのですよ」

 そう言って数センチの距離まで絵に近づく。

「……ははぁ、やはりこの絵もかの画家の……」

 何やらぶつぶつ言っているが、細かい内容までは僕のところまでは聞こえてこない。特に聞きたいというわけでもないけれど。

 やがて、何かを見つけたのか動きを止めた白音さんだったが、次の瞬間振り返って僕の方を厳しい表情で睨み付けてきた。

「え? あの、白音さん?」

「どいてください」

 小走りに駆け寄ってきてキャビネットのガラス戸を引き開ける。束の間「うわぁ、全部初版で揃ってる……あ、しかもこれ塔晶夫名義だぁ」などといつもの白音さんの雰囲気に戻ったが、その隣に置かれていたナイトの駒を認めるなりその表情がまた厳しくなった。

 ナイトの駒を壊れんばかりに握りしめて再び壁の絵のところへ。何をするつもりなのかとみていると、白音さんはなんとそのナイトを絵の真ん中に突き立てた。

「ちょ、白音さん! 何やってるんですか!」

 絶対高い絵でしょこれ!

「ここを見てください」

 意に介さず、さきほどナイトを突き立てた部分を手で示す白音さん。壊れた絵なんか見たくないなぁと思いつつ近くに寄ってみると――。

「……窪み、ですか?」

「はい。数ミリのものですし暗めの色を使ってカモフラージュしているので一見しただけでは分かりませんが」

「で、この窪みがどうかしたんですか?」

「鈍い人ですねぇ」

 はぁ、と溜息をつかれる。控えめに言っても酷い話だと思うが、この扱いにもなんだか慣れてきてしまっている自分が怖い。

「こういう場所で、壁に大きな絵がかかっていて、しかもその絵に不審な箇所がある場合――答えは一つでしょう」

 突き立てたナイトを右にひねる白音さん。

 と同時に、ごごん、という重低音が響いて。

 目の前の壁の両端に、切れ目が表れた。


「隠し扉――ですよ」


 見れば確かに目の前の壁、いや隠し扉は、壁の絵の中心あたりを軸としてゆっくりと回転しているようだった。

「……白音さん」

「何です?」

「これ、まずいんじゃないですか? たぶん、客室は全部の壁がこうなるんじゃ……」

「そうでしょうねぇ」

 いつの間にかのほほんとしたいつもの調子に戻っている白音さん。

「そうでしょうねぇじゃありませんよ! これ、つまりは桐生さん以外の人が犯人だった時犯人は夜中に隣の部屋に忍び込めるということに……!」

「まあ落ち着いてください比嘉さん。何のために私がわざわざこの部屋まで来たと思ってるんですか」

 へ?

「言ってませんでしたが、私の部屋にはクイーンの駒がありました。十分ほど前、壁の絵の真ん中あたりに不審な窪みを見つけたのでそのクイーンを差し込んで回してみたんです。しかし、何も起こらない。鍵のように回せたので思い違いではないということは歴然なのですが、しかし何も起きないというのはどういうわけだろうと少し考えてみて結論が出ました。この隠し扉、双方向から鍵を差さないと開かないんですよ」

 遅まきながら、僕にも白音さんの言わんとすることが呑み込めてきた。

「つまりあれですか、こちら側の鍵を差さないでおけばやっぱり部屋には誰も入ってこれないと」

「はい、そういうことです」

 何だ、よかった。

「ただまあ、用心に越したことはありませんので寝るときは壁の軌道上に何かを置いておくことをお勧めします。現在のところ、ベッドやキャビネットは扉の動きを邪魔しないように配置されているようですので」

「わかりました」

「――ああ、それともう一つ」

 まだ何かあるのか。

 そう身構えた僕だったが、幸いにして白音さんの次の言葉は事件とは全く関係のないことだった。

「そろそろお昼です。食堂へ行きましょう」

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