対策会議
「……じゃ、こう言っちゃあなんだけど桐生さんだよ。彼はそこを通らなくても東館と西館を自由に行き来できたんだし、他の人にはできなかった。かのホームズ大先生のあの名言を持ち出してくるまでもないね、ありえない可能性じゃあないんだから」
今度も気まずい空気の中で最初に発言したのは矢針さんだった。しかし、その空気が打破できたとは僕には思えない。
「……」
桐生さんは何も答えない。反駁しようと頭の中で論理を組み立てているのか、それとも何も考えていないのか。
しかし。
僕だって、論理的に考えればそういう結論に行きつくことは分かっている。僕が犯人ではないことは分かっているし、最上さんはずっと僕の目の前にいた。そして西館に出入りする人間を見逃したとも思えない。となると、残るはもう一つの経路――玄関扉――を通れる桐生さんだけということになるのだから。
分かっている。
けれど。
けれど僕には、桐生さんが犯人だとは思えない。
横目に白音さんを見ると、同じことを考えていたのか大きく頷いてくれた。『桐生さんをとっ捕まえましょう』という意味の頷きでないことを願う。
白音さんが立ち上がる。
「しかし、桐生さんが犯人だとすると不自然な点がいくつかあります。
まず、どうして第一発見者となったのか。言い換えるならば、どうして遺体の発見を遅らせなかったのか。桐生さんが、『どうやらまだ寝ていらっしゃるようです』と言うだけで発見は五、六時間は遅くすることができます。そうなれば死亡推定時刻の幅はもう少し広がったでしょう――遺体の発見を早くして彼が得をすることはありません。遺体の発見を早めて犯人が得をする場合として唯一考えられるのは、犯人が何らかのアリバイ工作を行って自分には犯行が不可能だったと言い張りたい場合ですが……彼はそんなことは言いませんでしたね。
もしかしてこの中に、昨日の桐生さんのアリバイを完璧に証明できるという方がいらっしゃったりしますか? 彼は言い出してくれるのを待っているかもしれませんからね」
誰も答えない。僕は桐生さんが九時前頃に紅茶を持ってきてくれたことを知っているが、白音さんが今言っているのは『もし桐生さんが犯人だとすれば何らかのアリバイ工作をしている可能性があるが、そういう証言ができる人はいるか?』という意味のことなので特に必要はないと思う。
ただしその証言が思わぬ突破口になるかもしれないし、それに僕も一つ思いついたことがあるので挙手して発言する。
「僕からも一つ。九時前くらいに、一度桐生さんが図書室にいた僕と最上さんの所へ紅茶を持ってきてくれました」
それが何か? という表情の矢針さん。確かにそれだけでは何のことか分からないだろう。
「そして死亡推定時刻は九時から一時の間。つまり、桐生さんが紅茶を持って図書室に来たのはどうやっても犯行の前です。そして僕らが図書室にいることを知っていたのなら、桐生さんは犯行を取りやめたはずです――なぜなら、僕らがそこに居座っているとなれば犯行が可能だった人間が自分一人だということになるからです」
「その論理には穴があるね。さっきの説明だと犯行が事前に計画されていたことが前提になっているけれど、衝動的な犯行でそんなことを考える暇がなかったとしたら? 部屋にあったライトスタンドを凶器に使っていることから僕にはそう思えるんだけど」
「それは……」
「それはますますありえません」
とっさに言葉が出なかった僕に代わって、白音さんが引き継いでくれた。
「なぜなら、他ならぬ桐生さんが『玄関扉の鍵はずっと閉まっていた』と証言しているからです。もし彼が犯人なら、事実がどうであれ『鍵を掛け忘れていた』と言えばいいんです――誰も、昨晩玄関扉の鍵など注意していなかったのですから。自分で自分の首を絞めるようなことを真犯人がするわけないでしょう」
「ふむ、なるほどね……しかし、いま君たちが挙げた反論はどれも不確実すぎる。容疑者が何人かいる状態なら、俺も納得して彼を容疑の圏外に出すんだが……物理的に犯行が可能だったのは彼一人ときている。彼まで除外すると、容疑者が一人もいなくなってしまう――まさか、この館にはぼくらが知らない八人目の人物が潜んでいるとでも?」
「……」
結局、そこへ返ってくるわけか。
確かに僕らには、それを覆すだけの根拠を持っていない。
再び膠着状態に陥った空気の中、手を挙げたのは白音さんでも矢針さんでもなかった。
「じゃあこういうのはどうだろうね。一旦事件が収束するまで――具体的には警察が介入してくるまで、桐生さんをどこかの部屋に閉じ込めてしまうというのは」
最上さんだった。
「前にある推理小説で読んで、なるほど一人とても怪しい容疑者がいる場合には最適の方法だと思ったものでね。もし桐生さんが犯人だったら彼はこれ以上犯行を重ねることができないし、他の人が犯人だったとしても最重要容疑者が隔離されている状態で犯行を行うはずがない。桐生さんは犯人じゃないと大声で触れ回るようなものだからね」
安全圏からの物の言い方ではあるが、確かに理にはかなっている。悪くない手段だ。
ただしそこにも、白音さんは異議を挟んだ。
「確かに有効な手段ではあるでしょう。ただし、いくつかの問題点があります――まず第一に、他の人が犯人だった場合の桐生さん自身の安全です。当然部屋は外から鍵を掛けるのでしょうが、その鍵を一人が持つことは好ましくない。そうすると共用で使うことになりますが、犯人がその鍵を手にしてしまうと桐生さんの身は一気に安全でなくなります。
次に、いま言ったように鍵が誰でも使えてしまう状況になりやすい。これは犯人にとって格好の状況です――そこで」
と、白音さんはそこでいったん言葉を切った。
再び息を吸い、
「そこで、桐生さんに一人監視をつけてみてはいかがでしょうか」