到着
二〇一四年九月二十七日 愛知県山中
新しい部署に異動してから一か月。
僕――つまり、警視庁総務部総務課組織外協力者係所属の比嘉司警視は、新しい部署にうんざりしていた。
人間関係に悩んでいるわけではない。そもそもこの部署に配属されているのは僕一人だし、仕事上で唯一関わる必要のある人も気さくでとても話しやすい。もちろん寂しいとかそういう軟弱な理由でもない。
理由はただ一つ、暇なのだ。
何せ仕事と呼べる仕事が、素人高校生探偵の警護、ただそれだけだ。警護といったって四六時中張り付いているわけではなく、一か月(もしくはそれ以上)に一回彼女が遠出をする際についていくだけだ。つまり、仕事らしい仕事は月に一回だけ。最初の頃は暇で暇で仕方がないので家からPCやテレビ、ゲーム機などを持ち込んで誰もいない部屋でニートのような生活を送っていたが毎日それの繰り返しというのもやはりつまらない話で、最近は以前いた課へお手伝いに行ったりしている。ただ、やはり本来の仕事ではないため「こんなので給料もらっていいんだろうか……」という良心の呵責に苛まれたりしながらとても充実しているとはいえない毎日を送っている。
けれども、今日の僕は最近の憂鬱な気分を補って余りあるほどうきうきしている。なぜなら、
やっと本来の仕事である『警護任務』が回ってきたからだ。
「ところで比嘉さんは、1980年代後半から1990年代前半にかけて、とある建築家が設計した建物で殺人事件が多発したことを知ってますか?」
関東地方とは違って既に涼しくなりつつある山道を歩いている途中、急に白音さんが振り返って尋ねてきた。
この白音紅音さんこそ先述の『素人高校生探偵』である。
着任前に課長あたりからさんざん噂話を聞かされていたが、実際に会って見た限り、そのような鋭すぎる知性を持っているようには見えなかった。それなりに知的な顔立ちではあるのだが、あくまで一般常識の域を出ないというか。
ただ――その右目の、眼帯を除いては。
初めて会ったときは一時的に目の病気でもしたのかと思ったが、聞けばどうやらそうではないらしい。何でも、必要なものなのだとか。詳しくは教えてくれなかった。
ともあれ、白音さんが振ってきた話に、ときおり聞かされる村雲課長の話と似たような匂いを感じとった僕は反射的に回避しかけたが、よく考えれば僕はこの高校生探偵の警護任務について日が浅い(何しろ今日が実質的な勤務初日だ)。探偵という職業のイメージとは程遠いあまり裏表のなさそうな子だが、警護対象のことをよく知っていて損はない――と、逃げずに会話することを決めた。
「えーと……前に課長から聞いたことがあります。依頼を受けた建物には必ず何らかの仕掛けを仕込むって人ですよね?」
「はい、その人のです。中でも秘密の抜け穴はほとんどの建物に使われていたので、事件が無駄にややこしくなっているケースも結構あるとか」
めんどくさい人だ。警察官という立場からするとただただウザい。
「……で、それがどうかしましたか?」
「いえ、今から行く建物もその人が設計してたら楽しいなぁとか思っちゃったので」
「楽しくありません。殺人事件が起こるとかまっぴらです」
ぴしゃりと言ってみたが、白音さんはあははと笑ってスキップを始めた。警察官という職業柄、同僚ほどではないにしてもそれなりに体力をつけている僕ではあるが、三時間も山道を歩き続けているとさすがに疲れていて白音さんに合わせてスキップする余裕はない。山道と言ってもきちんと整備されているので車で来ればよかったようなものだが、一部にかなり狭い箇所があるので車は麓のT**村に預けてきた。まさか警察の車を盗むバカもいないだろうからさほど心配はしていない。
「でも私が都内から出て、山奥の山荘とか孤島とか、クローズドサークルと呼ばれる場所に行くとだいたいなにがしかの事件がおこっちゃうんですよねー。代議士先生んとこの双子のお兄さんみたいなもんです」
「……参考までに聞いておきますが、そういう山荘とか孤島に行った時の殺人事件遭遇率はどれくらいなんです?」
「九割です」
うわぁえげつない。……あ、でも待てよ。
「ということは、十回に一回は殺人事件が起こらないということですね?」
「まあ、一応そういう建前ではあります」
よかった。ひょっとしたら危ない目に遭わずに済むかもしれない。
「ていうか白音さんどうして――」
「でもその一割は最終的には自殺と処理されたというだけであって、私の見た感じあれは殺人ですね」
最悪じゃねえか。
「……ということは、白音さんでも解決できなかった事件があると?」
「いいえ!」
先程までのふにゃふにゃした声とはうって変わって、力強く否定する白音さん。人差し指をビシッと突き付けてくる。
「あれはただ単純に、前回の事件から一か月経たないうちに次の事件が発生してしまったからです! たとえば今、もう一度この場所この時間であの事件が起こったとしましょう、一秒でスピード解決してご覧に入れます!」
自信たっぷりに宣言する白音さん。じゃあどうしてその時は解決できなかったんですかと聞くと、
「あれ、比嘉さんには言ってませんでしたっけ。私、謎解きは月に一回しかしてはいけないという禁則事項があるんですよ」
との答えがウィンク付きで返ってきた。何か嘘っぽいので、話半分で聞いておくことにしよう。
「あ、見てください比嘉さん。もう少しです!」
そう言って白音さんが指差した先を見ると、緑色の木立の中に白っぽい建物が見えた。まだその正確な形が分かるほど近くはないが、こんな山の奥深くに他に建物が建っているとも思えない。
「あれが――」
「はい。塔野財団の前会長、塔野昭一が建てた館――『尖塔館』です」