憶測の動機
「認めていただけます?」
軽い口調で言う白音さん。対する緋桂さんは、厳しい表情で、しかししっかりと頷いた。
まあこの様子ならいきなり暴れ出すようなこともないだろうけど、いちおう用心のため緋桂さんの背後に回る僕。
「で、最上さん」
いきなり白音さんに名前を呼ばれて、頬杖をついていた状態から姿勢を正す最上さん。
「それから比嘉さんも。他に聞きたいこととか、ありません?」
……聞きたいこと?
「そりゃあるよ。動機のことは、まだ何も言ってないだろう?」
といったのは、最上さん。それは、確かに僕も聞きたい。
「ああ、動機……そう言えば、そんなものもありましたね。では、お話しますか。
ただしここからは、いくつかの断片的な証拠に基づく憶測になります。それでもいいとおっしゃるのであれば」
同時に頷く僕と最上さん。
「では。
最初に気になったのは、年齢です。
塔野さんが殺された次の日に、桐生さんが私たちに『情報提供』をしてくれましたよね。あの場で桐生さんは、自分はこの館に勤め始めてから今年で三十九年だと言っていました。覚えていますか?」
細かい数字は覚えていなかったけれど、あと十年住めば半世紀だと驚いたことは覚えている。
「そしてあの場で、桐生さんは考えうる動機として『塔野さんの元奥さん』を提示されました」
しかしその可能性は、年齢の合致する女性が招待客の中にいないということで否定されたはずではなかったか。そう尋ねると、
「はい、確かに否定されました。しかし――ここでもう一歩、踏み込んで考えてみましょう。塔野さんが奥さんと離婚されたのは、桐生さんが勤め始めてから二十年、ということでした。つまり、今から十九年前のことです。
そして、もう少しだけ想像を広げてみます。
例えば、離婚時に塔野さんの元奥さんは妊娠していた、とか。
まだ初期段階で、気付かなかったのでしょうね。そして離婚して一年以内に、彼女は出産しました。その子供が、順調に成長しているとすれば―――今年で、十九歳です」
……まさか。
「ちょうど、緋桂さんが十九歳でしたよね」
「もちろんこの憶測は、第三の殺人の状況から緋桂さんが犯人である、ということが判明した時点で逆算したものでした。さすがにこんな綱渡りな妄想で推理を展開することはできません。
しかし、この結論に至った時私は同時に、納得もしました。
食堂で議論を重ねた際に、矢針さんが、『たかが金だけのために殺人まで犯すわけがない』というようなことを言いました。でも、その時点で動機がそれしか考えられなかったのも事実です。
結果的に正解は、それでした。ただ、解は二つあった、というだけで――」
一昨日、食堂で緋桂さんから聞いた言葉を思い出す。
『あまり暮らし向きがよくなかったので』『大きくなったらたくさん稼いで母と映画館に行こう、と思っていたのですが』。
「塔野さんに放り出された、彼の元奥さん――緋桂さんのお母さんは、子どもが生まれてもそのことを塔野さんには伝えなかったのでしょう。
そして彼女は、女手一つで緋桂さんを育て上げた。塔野さんが巨大な財団のトップだったため、放り出されてからの生活は一層貧乏に見えたことでしょう。決して贅沢などできなかったはずです――けれども彼女は、緋桂さんにきちんと教育を受けさせようと高校まで通わせました。
緋桂さんも、お母さんのそんな姿を小さい頃から見ていたのでしょう。だから、紙と鉛筆さえあればできる創作の世界を自分の趣味に選んだ。結果的にそれは大成して、作家デビューするに至ったわけですが……しかしそれだけでは収入として不安定すぎます。高校卒業と同時に就職したのは、お母さんに楽をさせてあげようと思ったから、ですね?」
小さく頷く緋桂さん。
「しかしそんなところへ、一通の招待状が届きました。ここに集まった全員が受け取った、あの招待状です。本名の冬木ではなくペンネームの緋桂で活動していたため、塔野さんもまさか気鋭の新進ミステリ作家が年の離れた自分の娘だとは気づかなかったのでしょう。
因果が巡り巡ってそんな招待状が届き、緋桂さんは思いました――これはチャンスだと。
何の?
もちろん――母を酷い目に合わせた男への復讐と、彼の遺すであろう莫大な遺産を手に入れるチャンスです。
緋桂さんのお母さんは既に塔野さんと離婚しているため、遺産の相続人にはなりえません。しかし、実子である緋桂さんは? 彼女には塔野さんの遺産を受け継ぐ権利があります。塔野さんにはほかに血縁もいなかったため、放っておいても遺産は確実に自分のもとに転がり込みます。
もちろん塔野さんが死ねば、警察は彼女に疑いの目を向けるでしょう。しかし、この機会を逃せばチャンスは二度とめぐって来ないかもしれない。だから緋桂さんは、計画を実行に移した。
事実、計画は上手くいきました。ただし間の悪いことに麓へと続く一本道が通れなくなり、しかもその状況下で桐生さんがまずいことを言い始めた。しかし緋桂さんは口封じの際でさえも綿密に計画を練り、そして桐生さんが死んでも私たちは犯人への糸口さえ見つけることはできませんでした。
それがいまこうして、全てが明るみに出たのは――第三の殺人という、考える余裕もない突発的な事故のおかげだったんです」
そこで白音さんは、これまで見せたことのない、彼女らしからぬ翳をたたえた――笑みを浮かべた。
「その点だけでいえば、矢針さんに感謝してもいいかもしれませんね」