謎解き・前段階
「解けちゃえば簡単なんです。ただの物理トリックですから」
そう言って白音さんは、どこから持ってきたのか一巻きの糸を取り出した。色は白で、何だか柔らかそうである。そして白音さんは、その片方をナイトの駒の端にくくり付けた。
よく見れば左手には短く切ったセロテープを貼ってあるし、何かの工作番組みたいである。
「……あの白音さん、何をなさっているので?」
「黙って見ててください」
怒られてしまった。僕の方が十歳くらい年上なのに。
そうこうしている間にも、白音さんは糸の片方をくくり付けた駒を隠し扉の鍵穴に差し込んでいる。九十度ひねると、カチリと音がして隠し扉が動き始めた。
「じゃあ、実演してみましょう。私が犯人役をやりますので、比嘉さんは桐生さん役をお願いします」
「あの、ていうか本人のご遺体が横にあらせられるんですが。さすがにそんなことやったら罰が当たりそうな」
「事件解決したら憑りついた桐生さんの怨霊もどこかへ行ってくれますよ。ほら早く」
憑りつかれるのは前提条件なのか。
やがて、隠し扉が完全に開き切って、ゆっくりと停止した。一旦、向かいの緋桂さんの部屋に入る白音さん。ぽきぽきと指を鳴らしていてどこかの不良みたいである。なまじ外面がかわいらしいだけに怖い。
「比嘉さん、何かいま失礼なことを考えませんでしたか?」
「いえ別に。さあどうぞやっちゃってください」
じとっとした目でこっちを睨んでくる。おお怖い怖い。実演と言っていたが本当に殺されるかもしれない。そして死体が二つに増えるのだ。
「……まあいいでしょう。では、比嘉さんをうまく騙して室内への侵入を果たした私。凶器を振り上げ脳天へ!」
何も持ってない手で殴りかかってくる白音さん。何とリアクションすればいいか分からないのでとりあえず「やられたー」とやる気皆無の声で言って床に倒れ込む。
「さあこれで殺害は完了です。次に密室ですが……」
そう言って、さっきの糸に手を伸ばす白音さん。よく見ようと倒れたままで身体を起こしたら、後ろを向いたままの白音さんに「死体は動いちゃダメですよ」と言われた。仕方ないので倒れたまま無理やり首をひねる。逆向きに倒れたので首が痛い。
見れば白音さんは、隠し扉の前にあるキャビネットの足の部分に先程の糸をくぐらせ、そしてもう片方の糸端をセロテープで隠し扉に貼り付けていた。左端の方――今は全開状態なので、部屋のこちら側に入ってきている方の端だ。
「……で、そこからどうするんです?」
首をひねっているせいでちゃんとした声が出ない。
「これでおしまいですよ。あとは、隠し扉を閉めるだけです」
そう言って、隣の部屋へ行ってしまう白音さん。あ、ちょっと待って。
「ではでは」
隠し扉の端を、ぐっと押した。扉がゆっくりと閉まり始め、床からは微かに振動が響いてくる。本当にこれで、鍵がかかるのか?
扉の回転とともに、白音さんが糸を貼り付けたセロテープはだんだん壁に近づいていく。しかし、キャビネットの足の部分に一度ひっかけられているため糸にはだんだん余裕がなくなってきた。
そして隠し扉があるべき場所に収まり、ナイトの駒が九十度回転すると同時に――。
その駒が、何かに引っ張られたように隠し扉から抜け落ちた。
落下し、キャビネットの上を転がるナイトの駒。さいわい床に落ちる前に停止した。
「おお、思ったより上手くいくものですねぇ」
入口から白音さんの声。振り向くと、隠し扉からではなく普通の入り口から白音さんが入って来ていた。
「しかも、キャビネットの上で止まるところまで計算通りとは」
誰に対してかはわからないがパチパチと拍手する白音さん。きっと一発で実験を成功させた自分に対してだろう。
「……どういうことです?」
「では物わかりの悪い比嘉さんに、私からきっちり解説して差し上げましょう。イッツショータイム!」
パチンと指を鳴らす白音さん。
「まず、糸を用意します。切れすぎない程度に柔らかいものがいいですね」
「先生、質問です」
「何ですか比嘉くん」
「どうして柔らかくないと駄目なんですか?」
「良い質問です。それは、適度な伸縮性が必要だからです」
「伸縮性」
「はい。このトリックは鍵を扉から引き抜くために、室内に動くものを必要とします。その動くものというのが、ズバリ隠し扉そのものなのです。
また用意した糸は、扉を完全に閉じたときの、鍵穴からキャビネットの足までの長さプラス、キャビネットの足からセロテープを貼り付けた位置の長さになるようにしておきます。こうしておくことで、開いた状態ではたるんでいた糸が扉を締め切った時にはぴんと張るようになります」
「なるほど」
「さて、扉が閉まると鍵は自動的に回転して引き抜けるようになりますが、伸縮性に乏しい糸では扉から鍵が引き抜けません。ここで先程の伸縮性の話が重要になってきます――」
「……ああ。適度に伸びた糸が、元に戻ろうとする力で鍵を鍵穴から引き抜くわけですね!」
「その通り。よくできました」
「……でも、それだとやっぱり痕跡が残りますよね。それはどうしたんですか?」
「簡単です。私が入口から入った時に、うち開きのドアの陰に隠れてしまったんですよ。こんな感じで」
わざわざ入口の扉を開けて実演してくれる白音さん。確かに、大きな扉の影に糸もキャビネットも隠れてしまった。
「人は隠れられませんが、これくらいなら。直後にささっと忍び込んで、回収すれば終わりですよ」
はぁ、と溜息をつく白音さんだった。
まだまだ犯人特定には至らない。




