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尖塔館の殺人  作者:
尖塔館の殺人
12/24

第二の殺人

「さて、あとは桐生さんにどこで寝ていただくか、ということなのですが……」

 午前中はとても長く感じられたのだが、午後は反対にあっという間に過ぎて行った。夕食は僕も白音さんもあまり食欲がなかったので、食堂のテーブルに『お腹がすいたら食べてください 緋桂』というメモとともに置いてあったパンを三つずつ食べた。しかし困ったことに僕はハズレを引いてしまったようで、三つ目のパンからはレモン味がした。この状況でロシアンルーレットは洒落にならんぞ。

 雨は依然として降り続いているようだが、築何十年という古い建物にも関わらず、よほど注意しないと雨が外壁をたたく音は聞こえてこない。よくできている。

 のだが。

「……それはどういう意味です? 白音さん」

「いえ、先ほど矢針さんに言われたんですが……曰く、『勝手知ったる自分の部屋で寝てもらうのはまずい。俺たちの知らない仕掛けがあるかも』とのことです」

 ああ、客室から隠し扉が見つかったからか。あの評論家先生、ほかの部屋にも同じ仕掛けがあると思っているらしい。

「まあ私は桐生さんは犯人じゃないと思いますし、だからそんな心配しなくても彼は逃げたりはしないと思ってるんですが……ま、矢針さんからすれば念には念を入れ、ってことなんでしょう。というわけで、桐生さんが日常的にあまり使う機会もなく、また私たちもそれなりに知っている場所――客室のどこかで寝ていただくというのが一番妥当な線ではある気がします」

 まあ、それはそうだろう。隠し扉なんて代物が付いていることには付いているが、両方から鍵を差さないと開閉できないことも含めて存在が僕らにも知られている。彼の部屋にはどこにどんな隠し扉があるかもわからないから、という矢針さんの主張はわからないでもない。

「だったら白音さん、僕の部屋で構いませんよ。もともと僕は白音さんのおまけみたいなものですし、それに警察官ですから」

「……どっちも理由になってませんよ、比嘉さん」

 苦笑しながら言う白音さん。ともあれ承諾はいただけた、ということらしい。




『じゃあ、もう一度やってみますよ。いいですかー?』

「どうぞ」

 電話越しに聞こえてくる白音さんの声。数秒後、カチリと音がして絵の中央に差し込んだナイトの駒が九十度回転し、壁の両端に切れ目が現れた。どうやら朝試した時の重低音は長いこと使われていなかったためだったらしく、隠し扉は今回はあまり音を立てずに回転を始めた。

 ゆっくりとした動きに若干苛立ちながらも数秒待つと、回転する隠し扉の向こうに白音さんの姿が現れた。隠し扉の回転角度が六十度ほどになったところで、白音さんが扉を手で掴む。さしたる抵抗もなく隠し扉は動きを止めた。

 再び手を放す白音さん。隠し扉はまたゆっくりと動き始め、さらに三十度ほど進んで止まった。

「なるほど、九十度回転した時点で、自動的に止まるようになってるのか」

 僕の後ろで実験を見守っている最上さんが弾んだ声で言った。推理小説好きとしては、こういうものはロマンなのだろうか?

「戻すときは、こう、逆方向にちょっと手で押せばいいみたいですね」

 言いつつ、僕は実際に扉を戻す方向へ押す。いったん止まっていた扉は、逆方向へ回転を始めた。

 ここで僕らが何をやっているのかというと、最上さんと緋桂さんの立会いのもと隠し扉の性能チェックを行っている。基本の開閉プロセス以外にも、例えば鍵を逆方向に回してみたりして他に仕掛けがないかどうかを探しているのだ。最上さんはここで、緋桂さんは隣の部屋で白音さんと一緒に実験を見ている。

 ほとんどわからないくらいの振動がして隠し扉が元の位置へ。それと全く同時に、鍵として壁の中央に差していたナイトの駒もカチリと音をたてて自動的に回転。

「これでやっと駒が抜けるようになります。扉が正常な位置にない間は抜けないような構造になっているみたいですね」

 ぱちぱち、と拍手をいただけた。いや、僕の手柄じゃないんだけどね。

「ま、これでこの隠し扉は片方からの努力じゃ開けることができないってことがわかりまし――」

「しっかしすごい。これ、建てられたのは昭和四十年代でしょ? さすがだよね……話はさんざん聞かされてきたけど、実物を見るのは私も初めてなんだ」

 無視しないでください。

「推理小説界隈では有名な話……なんでしたっけ」

「うん。ロナルド・ノックスって人が決めた『ノックスの十戒』っていう、推理小説を書くときのお作法みたいなものには『秘密の部屋および抜け道を複数個使用してはならない』ってのがあるんだけど……まあ見るべきところがないわけじゃないけど古くさい決まりだし、それにこっちは小説じゃあないんだから。そうでしょ?」

「はあ、まあ」

 そうすると、いま僕らが巻き込まれているこの事件は推理小説的には失格、ということなのだろうか。

 などと考えていたら、電話のベルがけたたましい音を立てて鳴り始めた。白根さん以外にはありえないのでのんびりと受話器を取る。

「はい、もしもし」

『実験は終わりましたので、部屋から出てください。以上終わり』

 ガチャリと切れる。

 もう少しこう、愛想というものはないのか。

「……じゃあ、最上さん。出ましょう」

 なおも名残惜しそうに隠し扉に貼り付いている最上さんを半ば引っ張るようにして部屋から出る。隣の部屋の入り口をみると、ちょうど白音さんたちも出てきたところだった。

 左腕にはめた時計を見ると、もう夜の九時。いつもならやっと夕食を食べるころだが、昨日は夜更かししたし今日は早起きしたしでもういい加減眠い。警察官だって人間なのだ。

「じゃあ、みなさん。おやすみなさい」

 ふわぁとあくびをしながら三人に手を振ると、なかば呆れたような笑顔で見送られた。




 翌朝。

 二、三度瞬きをし、存外よく寝られた、と思いつつ体を起こすと、目の前に白音さんがいた。

「うわ」

 さすがに驚く。

 しかし、白音さんの様子がいつものお気楽な感じとは違うことに気づいて僕の表情は自然と引き締まった。拳を握り込み、厳しい表情をしている。まるで、昨日の朝のように。

 ……何があったかは、さすがの僕でもわかった。

「誰です?」

 上着を羽織りながら、主語を省いて聞く。最上さんか矢針さんか、はたまた緋桂さんか。しかし返ってきた答えは、そのどれでもなかった。

「桐生さんです」




 案内されたのは、予想は付いていたが僕が使っていた客室の前だった。白音さんから手袋を受け取る。自分がごくりと唾を飲み込んだのがわかった。

「開けますよ」

 血の匂いは、思ったほどはしなかった――というのが、第一印象。

 僕が匂いに慣れたのか、それとも出血量が少ないのか。前者だったらいやだなと思いつつ、幸いなことに答えが後者だということは、すぐに分かった。

 正面に、桐生さんが倒れていたからだ。見たところ、大きな出血などは見当たらない。

挿絵(By みてみん)

 桐生さんは窓の方を向いてうつぶせに倒れていた。塔野さんと違って首は切断されていない。そして、隠し扉はどちらも壁と完全に同化していた。

「白音さん、発見時の状況は?」

「六時を過ぎたので起こしに行ったら、返事がなかったんです。途中で緋桂さんと最上さんも起きてきたので一緒に呼んだんですが、やはり。仕方がないので、私の部屋で保管していた鍵で扉を開けて……」

「あ、ちょっと待った。保管していた鍵、というのは?」

「誰かが使おうとすると問題なので、私と緋桂さん、最上さんの三人でサインした紙に包んで私の部屋に置いてあったんです。紙は糊付けしていたので、こっそり忍び込んだ誰かさんが紙を破ったらわかる仕組みです」

「なるほど。……続きをどうぞ」

「もう話すことはありませんよ。鍵を開けて室内に入ると――」

 手で目の前の桐生さんを示す白音さん。この通りだった、という意味だろう。

「しかしそうなると、白音さん」

「はい――またしても密室ですね。困ったものです」

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