動機探し
ぴんと張り詰めた雰囲気の中、白音さんと矢針さんがうなずきあう。それを許可と受け取ったのか、桐生さんは静かに口を開いた。
「本来ならば塔野様の許可なくこの話をするのは許されることではありませんが、非常事態であること、また塔野様が既に亡くなられていることを鑑み私の方から皆様に情報提供という形で話させていただきます」
丁寧過ぎるともとれるその断りの文句は、誰に強制されたものでもなく彼のポリシーによるものであることは、その場の全員に伝わった――塔野さんが死んだ今でも、彼はこの館に、その主に仕え続けているのだ。しかしその一方で主の死の真相を明らかにしたいという志もまた強く伝わってきた。
「私がここで働き始めたのは三十九年前――1975年の春でした。すでにこの館――尖塔館は築五年ほど経っていましたが、今と比べれば大分真新しく、そのおかげで今よりも広く感じられました。当時から塔野様はここにお一人で住んでいらっしゃいましたが、自分だけでは館の管理が難しいと当時休職中だった私を雇ってくださいました。以来、ここで雑務一般をこなして過ごしております」
二人ともここに住んで長そうだと思っていたが、桐生さんでさえ四十年――塔野さんは四十五年ということか。僕は半世紀も同じ場所に住み続けることはできなさそうだ。
「塔野様は当時塔野財団の会長職に就いておられたため、このような辺鄙な山奥に巨大な建物を建てることは造作もなかったようです。十年ほど前に信頼できる方に財団をお譲りになられましたが、それまでに成した財がかなりのものだったため、現在でも暮らし向きは悪くはございませんでした。ですから、今回お集まりいただいた皆様にも『招待に応じて下さったお礼』として、このようなものをご用意されていました。先ほど私の部屋から回収してきたものでございます」
背広の懐から、封筒のようなものを四枚取り出す桐生さん。それを、丁寧にテーブルの中央に置く。
「小切手でございます。招待に応じてくださった皆様に、と」
白音さん以外の全員が息を呑んだ。ここに集まっているのは暮らし向きがそうそういい人たちばかりではない。最上さんは絵にすごい値段がつけばどうだかわからないが、ひょっとしたらこの中で一番生活が安定しているのは僕じゃないかと思える。
……だって『画家』『評論家』『作家』、そして『探偵』だもの。
「私は、皆様がお帰りになる際にこれをお渡しするようにと、塔野様から承っておりました」
「なるほど、それで『関係があるかもしれない』と」
「そういうことでございます、白音様」
桐生さんの後を引き継ぐ白音さん。
「つまり、こういうことですか――この小切手、額はどれほどのものか知りませんが、元塔野財団の会長殿のことだから少額であろうはずがない。幸い、用意はされているものの塔野さんはまだ全員にこのことを発表していない。だからここで塔野さんを殺害してしまえば、四倍の金が手に入る――と考えた人間が、この中にいるかもしれないと?」
うなずく桐生さん。
なるほど、それはありそうな線かもしれない。金銭は今も昔も殺人の動機として根強い人気を誇っている。
「一応聞いておきますが、この中に塔野さんから小切手のことを聞いた、もしくはそれを誰かに話したという方はいらっしゃいますか?」
当然のことながら、だれも何も答えない。
犯人の動機がそれなら答えるはずはないし、犯人でなくとも自分が疑われる可能性があることを言い出せる人間などいるはずがない。それに、動機はこれ一つとは限らないのだ。
「しかし……それはどうなのかな」
ぼくの思っていたことを代弁したかのように、そこに異論を差し挟んだ人が。白音さんの意見に反対するならまた矢針さんかとも思ったが、今度は最上さんだった。
「たしかにこの尖塔館で犯罪を起こすのなら、一番動機として選ばれやすいのは確かにお金のことだろうね。だけどここでちょっと立ち止まって考えてみよう――殺人まで犯す必要がどこにある? リスクとリターンが釣り合わないだろう、常識的に考えて。もしお金が欲しいのなら書斎なりどこなりへ忍び込んでちょちょっとちょろまかしていけばいい」
「わかりませんよ。書斎で机なんかを漁っているときに塔野さんに見とがめられ、やむなく近くにあったライトスタンドで殴ったのかもしれません」
「まあその可能性もあるけど……だいたい、犯行はあの夜起こったと聞いているけれど、塔野さんは夕食後すぐにあの書斎へ上がっただろう? トイレくらいは行ったかもしれないが、彼はほとんどあの書斎を離れなかったとみていい。とすると、いつ犯人は書斎へ? 君の過程が成り立つには、塔野さんが一定時間書斎を開けてその間に犯人が書斎に忍び込まなければいけないんだよ」
「……なるほど。では桐生さん、ほかに何か動機の候補として思い当たるものなどありませんか」
渋々ながらも、一応は最上さんの意見を容れ桐生さんに質問する白音さん。桐生さんは少し考えてから、
「……塔野様には以前、奥様がいらっしゃいました。塔野さまとは違ってどこかの令嬢というわけではございませんでしたが、とても美しい方で、塔野さまは初めてお会いになったときに一目惚れなさったとか。私が勤め始めたころには、お二人でここにお住みになっていました」
ふぅん。
「しかし塔野様は財には恵まれていらっしゃいましたが、子供には恵まれませんでした――私がこの館に勤め始めて二十年が経とうとしていたころ、塔野様は子供が生まれないことにお嘆きになって奥様と離婚なさいました。ですから、そちらの方面に一応、動機と呼べそうなものはございますが――」
「その動機で殺意を持ち得るのは、この世でただ一人、塔野さんの元奥さんだけということですね」
「そしてこの中にはいらっしゃいません」
「でしょうね。女性陣の中でいちばん年がいっている最上さんでさえ、塔野さんが離婚なさったときはまだ八歳ですか」
最上さんの眉がぴくりと動く。すみませんうちの白音さんが失礼なことを。
しかし、あの温厚そうに見えた塔野さんが……人は見かけによらない、と言うのは簡単だが。
「まぁ、凶器やその他の条件から計画殺人ではない可能性もありますので、かっとなってやった……というのも考慮しておきましょう」
白音さんがぱん、と手を叩いた音で、当初よりはだいぶ緊張も薄れてきた昼食会は終わりを告げた。