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尖塔館の殺人  作者:
尖塔館の殺人
10/24

昼食会

 扉を開けると、食堂にはまだ緋桂さん一人しかいなかった。そしてそのただ一人の先客はなぜかヘッドホンをつけてノートパソコンのキーを恐ろしい速さで叩いている。執筆ご苦労様です。

「白音さん、やっぱり早すぎたんですよ。だいたいまだ十一時じゃないですか」

「十二時がお昼なんじゃないんです。私がお腹が空いた時がお昼なんです」

 白音さんは謎の言葉を残して厨房へと続く扉に消えた。昼食ができていればつまみ食いするか、そうでなければ何かおやつを作ってもらおうという算段だろう。しかしかなりの食いしん坊のようなのにあの年であの小ささというのはどういうことなのか。

 とりあえず僕はすることもないので、もう一人の小さい人すなわち緋桂さんの前の椅子に座った。ちらりと目だけこちらに向け、しばらく指はキーを叩いていたがやがていくつかの操作をして彼女はノートパソコンを閉じた。当然のようにヘッドホンも外す。

「あ、いやいいですよ緋桂さん。どうぞお仕事続けてください、お邪魔でしたら出て行きますので」

「いえ、そういうつもりでは! ……小説書いて音楽聞くのもそれなりに効果はありますが、やっぱり一番いい方法は誰かとおしゃべりすることですから」

 何のことですか、と聞くほど僕も鈍くはない。事件からの逃避ということだろう。

「何の曲を?」

「自分用のミックスリストを作ってるので色々です。と言っても私の場合ちょっと変わってまして、九割以上が映画のサウンドトラックなんですけどね」

「へぇ……映画、お好きですか」

「それなりに。母が映画好きだったのでその影響でしょうか、小さい頃はよく一緒に映画を見ました。と言ってもあまり暮らし向きがよくなかったのでもっぱらレンタルビデオですが。大きくなったらたくさん稼いで母と映画館に行こう、と思っていたのですがご覧の有様です」

 閉じたノートパソコンの蓋をぺしっと叩く。

「作家がもうからない職業だってのはきょうび子供でも知ってることですが、よりによってそのもうからない職業の中のこれまた本格ミステリというさらにもうからない分野でデビューしてしまいまして。とても専業作家でやっていける度胸も勇気もないので、印刷系の会社でも勤めている二足のわらじ状態です。おかげで新刊を出すペースもそんなに早いわけではなく、まだ単行本は二冊しか出せてませんね」

「では、昨日白音さんが言ってた『霜降』というのがその……?」

 なんとか話を繋げようと、記憶のは執行に引っかかっていた単語を拾い上げてみる。

「あ、それは雑誌の『小説稀譚』さんに書かせていただいた短編のことです。ただこれ、編集さんが次の単行本までのつなぎとして振ってくれた仕事でして……ややこしいので名前は言いませんし言えませんけど、同期でデビューしたあの人とかこの間日本推理小説家協会賞にノミネートされましたからね。羨ましい限りです」

 その言葉に妬みや嫉みの色はなく、純粋な羨望のようだったがあまり精神衛生上よろしくなさそうな話だ。主に僕の精神が。

「まあ編集さんは『三冊まではいくら売れなくとも私の権限で出します』って言ってくれてるのでありがたい話ですが、四冊目が出せるかどうかは微妙なところなんですね。出せたとしても三冊目の売れ行きいかんで発行部数が下がったりするともうだめですよ。三、四冊目あたりで脱落していった先輩たちをたくさん見てますので」

 流石に緋桂さんの声が暗くなってきたので慌てて話を変える。えっと、何か他に話題はなかったっけ?

「……そうだ、緋桂さん。今回の事件、何か思いついたことなどありませんか?」

「思いついたこと、とは?」

「いやその……これは白音さんが言ってたことなんですが」

 言外に、警察官の僕はあくまで公平な捜査をめざしているのだがオブザーバーの白音さんがそうではないのだという意味を込めてみる。もちろん本心では僕も桐生さんが犯人ではなさそうだと思っているし緋桂さんにもそのことは見抜かれているようなのだが、一応建前ということがあるので。

「どうも今回の事件、一概に桐生さんが犯人だとは思えないのだとか。そこで一応、警察より本職なわけである推理作家の緋桂センセイに意見を伺ってみようかと思いまして」

「そういえば比嘉さん、今朝は白音さんと一緒に矢針さんをばしばし叩いてましたね。あのあと矢針さん、『確かに一理ないこともない』ってぼやいてましたよ」

 僕らの主観としてはやたら攻撃的な矢針さんに防戦一方というイメージだったのだが、そういう風に見えていたとは。それなりに説得力があったということだろうか。

「意見ですか、そうですね……」

 しかし、緋桂さんが何か言おうとしたとき、食堂の扉が開いて今度は最上さんが入ってきた。

「そろそろ食事の時間だと思ったんだけど……他の人は?」

「桐生さんと矢針さん、白音さんは隣の厨房です。桐生さんは矢針さんの監視付きでお昼ご飯を作ってるのではと」

 一旦会話を切り上げる緋桂さん。何か『思いついたこと』があったようだけれども、この分だとそれが聞けるのは昼食の後になりそうだ。

「白音さんは?」

「私が思うに、つまみ食いかおやつをもらいに行ったかのどちらかです」

 僕と全く同じ所見である。出会って二日の人に行動パターンを看破されるというのは探偵としてどうなのだろう。

 そしてタイミングのいいことに、厨房へつづく扉が開いて件の三人が入ってきた。ご丁寧に白音さんはスルメを一本くわえている。あなたは数分後の昼食が待てないのですか。

 矢針さんは巨大なお盆にお皿をたくさん載せて持っているが、桐生さんは何も持っていない。別に職務怠慢なわけではなく、食器に毒でも塗られたらまずいという矢針さんの判断だろう。

「私は、桐生さんにつくのは矢針さんじゃない方がいいと思うけどね……」

 と、いつの間にかすぐそばまで寄って来ていた最上さんがぼそりと呟いた。僕もひそひそ声で返す。

「どうしてです」

「いやぁ、確かに目は良さそうなんだけど運動神経がいまいちっぽいのよね。昨日、階段で転びそうになってたし注意して見てりゃだいたいわかるよ。私は緋桂ちゃんの方が向いてると思うね――私が思うに彼女、何か武道を習ってるんじゃないかな」

 それは僕も、昨日から気づいていた。その手の人というものは体幹がしっかりできていたり端々の動きでわかるのだ。対照的に矢針さんはいささか心もとない。

「明日は変えてみますか? 当番制とか何とか言えば」

「私から言えば彼も嫌とは言わないだろうし」

「お願いします」

 いい意味でフランクな最上さんの話なら、桐生さんを除けば最年長の矢針さんも言うことを聞いてくれるだろう。四六時中桐生さんの手元に目を配るというのは神経も参るだろうから、嫌がるとも思えないが。

 食器が並べ終えられたようだったので、こちらの密談もそこで打ち切って僕らは自分たちの席に付いた。




「えぇと、ここで私から一つ皆さんに質問があります」

 三十分後。

 粛々と進んだ昼食(ちなみに誰も毒で倒れたりはしなかった)も終盤に差し掛かったころ、白音さんが立ち上がった。

「と言っても簡単な質問で、皆さんの部屋に絵はありますかという質問なのですが」

「絵?」

「はい、絵です。私の推測が正しければ最上さんの部屋には一枚、矢針さんと緋桂さんの部屋には二枚ずつあるはずなのですが。最上さん?」

「確かに、南側の壁に一枚あります」

「矢針さんと緋桂さんは?」

「南北の壁に、二枚ずつあるけど」

「何か暗い感じの、あまり長い時間は見たくないような絵ですね」

「なるほどなるほど……では、少し気づいたことがあるので発表させていただきます。

 私は今朝ここで朝食を取った後、部屋で北側の壁にかかっている絵の中央に窪みがあるのを見つけました。ためしに、キャビネットに置かれていたチェスの駒を差し込んでみたのですが……皆さんなら、ここまでで壁にどういう仕掛けがあるのかお分かりになりましたね?」

 一瞬の沈黙。

 それは答えが分からない沈黙ではなく、答えは分かっているけれども教師に当てられるまでは言いたくないという学生のような。

 白音さんも別に本気で質問するつもりはなかったようで、

「そう、隠し扉です。さっきの質問により、五つの客室を結ぶ四つの隠し扉があることが分かりました」

 とあっさり言ってのけた。

「しかし、それは俺たちにとってあまりいい知らせではないね。桐生さんが一番怪しいという説を翻すつもりはないけれど、夜中に隣の部屋から誰かが忍び込める状況というのはあまりうれしいものじゃない」

「ああ、すみません。先程比嘉さんにも同じ勘違いをされたのですが……この隠し扉、どうやらその両側の部屋から同時に鍵を差し込んだ状態でないと開かないようなんです。自分が鍵を差さない限り依然として誰も入って来れませんので、ご心配なく」

 全体にほっとした空気が流れる。

 その弛緩した雰囲気のまま昼食会は終了、という流れになると誰もが思っていた。この食事中、一度も口を開かなかったある人物が言葉を発するまでは。


「ここで一つ、私からも発言させていただいてもよいでしょうか。もしかするとこの事件の動機に関わることかもしれませんので」

 相変わらずの静かな口調で、桐生さんは言った。

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