捜1
ペット用バスケットを片手に、見上げる大きさの門をくぐり玄関へと続く道を歩く。
車二台が並んで通れるほどのエントランスは、シンメトリーの庭を真っ直ぐに貫き、その道の終わりに有る邸宅の入口は遠く小さく見えていた。
何人の庭師を入れているのだろう、季節ごとに手入れが施され雑然とした樹木は一本も見当たらない。
整えられた、お行儀の良い庭。そこには機械的な人工物と変わらない感触が見え隠れする。
その庭を通り過ぎ、辿り着いた玄関は、持ち主の威厳を現すような重厚な造り。
取っ手に手を伸ばそうとした瞬間その扉が開き、中から見慣れた執事が現れた。
「お疲れさまです、美夜さま。坊ちゃんがお待ちです。」
「はい、遅くなって申し訳有りません」
親子ほど年の違う美夜に、丁寧に頭を下げる執事の崎守。
主の客であるなら、どんな者にでも丁寧な対応をする。
それが、この館の執事、崎守 近衛。
ゆえに美夜は未だ嘗て崎守に軽い扱いを受けたことは無かった。館内の部屋の位置を知っている美夜が先に歩いても、目的の部屋に着く頃には、美夜が扉を開くよりも早くドアの前に立ち扉を開き招き入れる。決して客の手を煩わせない、良く出来た執事だ。
「坊ちゃん、お待たせしました。只今つれて戻りました。」
「うわぁ~ん、ツェルぅゴメンよぉ。」
扉が開かれると挨拶も途中で、なみだ目で飛びついて来る小学生の名は、
時国 宗薫
この土地の有力者の一人、時国貿易会社社長の一人息子で美夜のパトロンである。
その宗薫の前で、バスケットの蓋を開けると、毛艶の良い黒猫が出て来た。
体が半分ほど出た所で、窮屈なバスケットから開放されたとばかりに、絨毯に爪を立てながら長い伸びをし、もったいぶったようにノソノソと、如何にもお座成りに、飼い主の足元に頬を擦りつけた。
「お腹空いてない、大丈夫だった?」
黒猫を泣きながら背後から抱きしめ、頬擦りをする幼い飼い主。
傍から見れば感動の再会に見えるが、抱かれている当のツェルは、さも嫌そうにダラリと力を抜いて抱かれて、正面に居る美夜に向って、ベローッと舌を出していた。
ここ数日、脱走常習犯の黒猫を探し、昼夜問わず駆けずり回って、今日やっと苦労が報われると言うのに、まるっきり人を小バカにしたネコにあるまじき態度のツェルを見て、ギリギリと拳を握り締め美夜は睨みつけるが、ツェルがアカンベーをしているなどと思いもよらない宗薫は、
「どうしたの美夜?怖い顔して…。」
「いえ、なんでも有りません。」
「そう、だったらいいけど。ツェルを見つけてきてくれてありがとう美夜。依頼料は、崎守に言ってもらってね?」
「はい、そういたします。それでは、私はこれで」
「もう帰っちゃうの?」
「申し訳ありません坊ちゃん、この時間は…」
「そうか、そうだったね、仕方無いや。帰ってゆっくりしてね」
「はい、有り難う御座います。それでは」
「うん。じゃぁまたね!」
黒猫を抱いたまま、部屋を退出する美夜に手を振り微笑む宗薫に頭を下げ、美夜は執事室に向った。
「美夜さん、いつもご苦労様です。これが今回の報酬です。」
パントリーに入ると、依頼料が入った袋を片手に崎守は待っていた。
「有り難う御座います、崎守さん。」
ツェルが逃げ出す度に美夜が見つけて連れ戻す。そして執事の崎守から、それなりの報酬を受け取り生活の糧とする。
小学生である宗薫が、美夜のパトロンである理由の一つがそれだった。
貰った袋を大事そうにポケットに仕舞う姿を崎守は、目を細め優しげな笑みを浮かべると、
「お疲れさまでした。ご自宅に戻られたら、お食事をされてゆっくりとお休みくださいませ。」
「はい、そうします。それではこれで失礼します。」
心の中を見透かされた気がして、慌てて崎守に頭を下げパントリーを出ると、
崎守は当然のように美夜の後を着いて来て玄関扉を開き見送ってくた。その崎守に、もう一度頭を下げ時国家を後にした。
庭園の道を半ばスキップのするかのように進み、大通りのバス停までポケットの中の袋を握り締めうきうきと歩き、バスの待ち時間の間は、この後の食事をあれこれ考える。
乗り込んでからも唐揚げ弁当に生姜焼き弁当、クラブサンドにとろっとろプリン、
それともクリームたっぷりシューにしようかなどなど、あっと言う間に自宅付近のバス停に到着する。
ICカードのタッチすらもどかしく、バスにのステップを駆け下り、コンビニの扉をくぐったら、バスの中で考えていたメニューは。弁当の棚を前にしてあっけなく吹き飛んだ。
新作の弁当やサンドイッチが並び、夏限定スウィーツもずらりと並べられていたからだ。
結局決めていたメニューに5品ほど増え、レジ袋3つを手に、自宅へと通じる坂を上る。
先ずは新作の弁当からにしようか、それともいつもの唐揚げ弁当からにしようか決めかねて、
ふと坂の上を見上げると、自分の家の門の前で話し込む二人の男の姿が見えた。
財布が膨らんだら、お腹も膨らませ、幸せな昼寝を貪る、気持ちはバラ色、
軽いはずの足取りが一気に重くなった。
依頼人ならせめて昼寝を終えてからにして欲しかったのにと、
苛立ちまみれに二人の男をよく見れば講義室で見知った顔の男達だった。
「ここだココ!間違いないぜ。」
「…でけぇ屋敷だな」
「ここで頼めばなんとかなる。行こうぜ。」
派手な顔立ちとスラリとした均整の取れた体つきの鷺ノ宮 総司の方は直ぐにも中に入ろうとしているのが見て取れる。
が、もう一人、着ているTシャツが窮屈そうな肩まわりと、鷺ノ宮よりも頭半分大きな檪 恭一は屋敷の周りを探るように見ている。
日本家屋のようで、洋風のテイストが効いている大きな館。
思い起こされるのは、何かの教科書に載っていた鹿鳴館だが、
洋風の館に和風の竹垣と、えらくチグハグな和洋折衷で、
門から館の玄関はすぐそこに見えているのに、敷地を囲んでいる竹垣の終わりが見えない。
それだけの広い土地に、竹垣を作る作業はどれほどのものか、かかる金額も想像出来ないが、全てを竹垣で囲う意味が有るのかと思う。
「アンタ達、ここで何をしている」
「お…アッ?!」
声を上げ振り返る二人の後ろに、コンビニの袋を両手に下げた美夜が居た。
「弓月お前こそ、何の用だ」
「私は自分の家に帰る所だ。」
「じゃぁ君が?!」
驚きの総司と疑いの目を向ける恭一。
その態度に揉め事の匂いを感じ取った美夜は、それ以上の返事もせず中に入ろうとしたのだが、
「お願いだ、もの凄く大事な物を盗られたんだ。探してくれないか!! 」
「なっ ! ちょっ !! 」
肩を捕まれた美夜の傍を顔見知りの老人が、ニコニコ笑いながら頭を下げて通り過ぎていく。
苦笑を受浮かべて頭を下げたが、痴話喧嘩と思われていたらと思うと気が気では無い。
美夜の館が建つ場所は、街を望む小高い丘の上に有り、その奥には森林が広がっている。
街の丘陵公園も近くにあり、この辺りに住む人達の絶好の散歩コースとなっていて、丘の下に住む人達が良く通るのだ。
「イキナリ何だ! 私は紹介者の居ない依頼は受けない。」
「そんな事言わないで、お願いだ君しかもう頼む所は無いんだ」
真剣な表情で、総司が掴んだ肩をガクガクと揺すると、美夜の両手のレジ袋がガサガサと派手な音を立てて揺れる。
「ママ、あの人達ケンカしてる?」
「違うわよきっと…ほら見ちゃダメ。」
それを親子連れが好奇の目で見て通り過ぎて行った。
このまま此処で言い合いをして、変な噂にでもなって、今後の依頼に影響が有っては堪らない。
「うっ…ちょっ分かった、話は中で聴くから」
了承の返事を聞いたとたん脱力する総司に背を向けると、コンビニの袋を揺らしながら美夜はさっさと門の中に入った。その後について二人は門を潜った二人は、
「ん?!」
「なんだ?!」
門扉を通り抜けた瞬間、体感気温がスッと低くなり、肌に感じる空気の質の違いを感じた。
湿り気を帯びた豊かな深緑の香りが漂い、この空間だけが、まるで山奥であるかのように。
何が起きたのかと、周りを見回しても竹垣の向こうに見える風景に変わりはない。
あまりの変化に、立ち止まり周りを見回す二人に、
「何をしてる、早く来い!」
「はい、今行きます。」
総司は慌てて返事をし美夜を追いかけるが、恭一は周りを観察するようにゆっくりと歩いた。
玄関に向かうまでの道のりは、辛うじて日本庭園と言う括りに入る造形だった。
どう見ても、庭弄りが好きな人間が造ったようにしか見えず、その上雑草が生い茂り、伸び放題にのさばっている。
その中に恭一が見知っている庭木などが埋もれて見え、庭園と言うよりも、ただの雑木林と言った方が良いかもしれない。
「恭一、早くしろよ。」
「…ああ。」
玄関を入り、数歩の所にある扉が美夜によって開かれ、通された部屋は応接室らしかった。
そこは、一般家庭の応接室など比べ物にならない広さ、設えられたソファが無ければダンスパーティーが出来るフロアと言っても良いだろう。
大きめの窓がいくつもあり、Uの字を逆さにした木造りで、開けば門から見えていた庭へと出る事が出来るらしい。
その窓を飾るカーテンは、どこでも見かけるヒラリとしたレースの物ではなく、中世ヨーロッパを思わせる、手づくり厚手のカーテンが脇に束ねられている。
古めかしいシャンデリア調の照明と、昭和初期の頃を忍ばせる布張りのソファが部屋に彩りを添えいて、そのどれもが大切に使われているらしく、古さを感じても汚さは感じられなかった。
近代を感じられない部屋に二人は戸惑い、戸口で立ち止まって居ると、
さっさと中に入った美夜がカーテンを閉めて歩いた。
昼間だと言うのに何故カーテンを閉めるのかと、疑問を口に出す前に美夜が、
「どこに座ってくれてもいい。」
絶妙の間でで着座を進めてきたため、質問のタイミングは外された。
「それじゃぁ失礼して。」
と返事をするしか無い総司は、二人掛け用ソファの手前半分に軽く腰掛た。
ところが、着座を進められても、不調法に部屋の中を眺め回している恭一に総司は、
「ほら恭一、お前も座れ。」
自分の隣をアゴで指し示すと、
「ん?ぁぁ。」
気の無い返事をしドッカリと深く腰掛けた。
美夜はその右隣、恐らく美夜専用であろう一人掛けのソファに座り、手にしていたコンビニの袋から弁当を取り出し、二人が見ているにも関わらず、包装を解き食べ始めた。
「あのぉ…」
イキナリ押しかけて、茶の一つも出して貰える訳が無い、
と思ってはいても、まさか目の前で買って来た弁当を食べ始めるとは、
女の子のする事には寛容なはずの総司も、流石に飽きれたのか次の言葉が出てこない。
一方恭一は、こんな女が探偵である筈が無いと思っているのか、そんな美夜の態度には、何も感じてはいないらしく、
ソファに遠慮がちに座っている総司と違い、深く腰掛け、背もたれに寄り掛かり、さらに両腕をも背もたれに乗せ完璧に寛いだ格好をとっていた。
その二人を上目遣いに、一瞬チラリとだけ見て
「で、誰の紹介?」
と言うとペットボトルのお茶を一口飲み、残りのオカズなどをまた美夜は食べ始めた。
「誰って言われても、噂に聞いただけで…。」
「はぁぁっ…ふりの客か。 」
美夜は派手な溜息をつき項垂れた。以前に仕事を請けた客の紹介でもなければ、時国家を通しての客でもない。
と言うことは、依頼料についても、まともに貰える確立は低い事になる。露骨に嫌な顔で総司を見る美夜に、
「フリーの客って言い方は無いだろう、確かに誰にも紹介してもらって無いが、依頼人に変わりは無いだろう」
「フリーじゃない『ふりこみ』って意味のふりだ。 誰の紹介もなく、大手を振って乗り込んで来る客の事を言う。
私は、依頼を公然と募ってはいないからな、そんなのは野暮って言うんだ、憶えとくんだな」
美夜をジロリと睨みつけ抗議した恭一に、白けた顔で美夜はサラリと言い返した。
「野暮って…」
総司は、依頼を受けて貰えそうに無い事よりも、野暮だと言われてガックリと肩を落した。
女にモテたいがゆえにサッカーを始め、一番目立つフォアードを勝ち取り、
今ではエースストライカー。名実共にモテる要素を手に入れたのに、
業界の決まりを知らなかったとは言え、『野暮』と言われたのだ、落ち込まない訳が無い。
「私は、紹介者の居ない客は取らない主義なんだ。誰かの紹介状を添えて出直して来るんだな。」
項垂れる総司に、美夜はトドメを差した。
「待てよ、そんな言い方しなくてもいいじゃねぇか。 同じ大学に通って、同じ講義受けてるよしみで、話しだけ聞いてやってもいいだろう。」
「なんで、名前も知らないヤツの話を聞かなけりゃならない?そんな義理は無いね。」
取り成すような恭一の言葉を軽く突き放し、袋からデザートだろうコンビニスイーツを取り出し食べ始めた美夜に、
「名前ですね?名乗ったら聞いてもらえます?俺、鷺ノ宮 総司って言います、この地域の一ノ宮で」
「この辺りの一ノ宮って、あの月輪が御神体の」
「そう!その月輪が盗まれちゃって」
「はぁっ!?それをなんで早く言わないんだ、詳しく聞かせろ!」
まるっきり乗り気では無かった美夜が、月輪盗難と聞き、手にしていたコンビニスイーツを一口で飲み込むと、テーブルの真ん中まで身を乗り出した。
「聞いてくれます?素敵な瞳のレディ」
その美夜の頬に手を添え、口説き落すかのように問う総司は、今まで激しく落ち込んでいた者とは思えない変わり様。
「うわぁぁ聞いてやる、聞いてやるから!」
汚いものが触れたかのように、慌てて体を反らせる美夜に追い打ちをかけるように、
「そんなビックリしなくても良いんだよ、ハニー」
フフンと、俺様な笑顔まで浮かべて、事の起こりを総司は話し始めた。