初会
先輩の差し出す酌を断りもせず飲み過ぎたツケで、痛む頭を押さえながら講義室に入ってみれば、ど真ん中辺りに、きゃぁきゃぁと騒ぐ女の子で埋まった席が目に入った。
「やっと出てきたのか恭一」
みっちり隙間なく取り囲まれていて声の主は見えなかったが、誰が居るかは確かめなくても分かる。同じスポーツ特待で入学した幼なじみ鷺ノ宮総司だ。
返事の代わりに、真ん中に辺りを睨み付けると周りの女の子達が悲鳴を上げる。
「そんな怖い顔すんなよ恭一、レディ達が震えてるだろ」
「ほっとけ、生まれつきだ」
そう言うと恭一は、そのまま入り口付近の最前列に腰を掛けた。
「いいのかそんな前に座って。教授の目についちまうぞ」
「ちゃんと出席してるってアピール出来りゃいいんだよ」
二日酔いを押して出てきたのは、出席日数をかせぐためだ。確実に教授の目に留まり代返ではない事を示さなければ、単位不足を補うための夏季特別講習は免れない。全国大会出場が決まったからには、夏季休暇は一分一秒でも貴重な時間だ。
席に座ると間もなく教授が講義室に入って来た。携帯やスマホで出欠確認するご時世に、この教授は必ず声の確認を取る。武道学の教授らしい出席確認方法だが、面倒くさいことこの上無い。
名簿順に読み上げられる名前と返事、自分が呼ばれ返事を返すと、片肘をつき、惰眠を貪ろうとし始めた時、隣の席から澄んだ声で、「はい」と返事が聞こえた。
(座る気配なんぞ感じなかった…)
いくらウトウトしていたからと言って、隣に誰かが座れば気付くはず、それがまったく分からなかったのだ。有り得ない事だと思わず右隣を注視する。
短めに切りそろえられた黒髪は艶やかで、チラリと見える喉元の肌はやけに白く、その瞳の色は、一般的モンゴロイド特有の茶色より、かなり色素の薄い茶色、と言うよりも黄色、いや、一瞬だが光を受けて、恭一には金色に光って見えた。
「何か?」
「あ…いや」
何の面識もない女生徒ををじっと見てしまった罰の悪さから目をそらし、肘をついて目を閉じた。明るい講義室では、瞼の裏はほの紅く、その血の色のスクリーンに不意にワンシーンが蘇った。
眩しい朝日
ふわりと浮き上がる体
ヒラリと翻るシャツのスソ
「…あ!」
2mを越える壁をいとも簡単に越えて行った人影、あれは二日酔いの目見せた見間違えでは無かった。不覚にも声を出してしまった事に気づいた時、
「ほら、教授が睨んでますよ」
その言葉に、目立つ座席を選らんでしまったのを後悔しても遅かった。盛大に余所見をしている所を見た教授がニヤリと笑い、これ見よがしに名簿に記入しているのが分かった。
これで教授の憶えも目出度く、二日酔いを押しての出席も徒労に終わり、恭一の夏季特別講習への出席が確定した。
「ご指摘痛み入るぜ、お陰で夏期講習決定だ。」
「お陰でって、私は貴方に何かした覚えは無いが?」
「ああそうだったな、こっちが勝手に…」
突然、耳障りな黒板を引っ掻く音がし、誰が見ても分かる青筋をコメカミに浮かべ、シビレを切らした教授が、音の元であるチョークで二人を指し、
「檪!久しぶりに顔を見たと思えば、隣に見とれて揚句にナンパか? 君達二人共、夏期特別講習参加とレポート一冊追加だ!!」
「んなっ?!」
「講習受けてる暇なんて無いのに…とんだトバッチリだ」
「クソっ、こっちこそ迷惑だぜ、練習不足のまま全国だぞ!」
「そんなもの、私には関係ない!!」
まさかのレポート追加に、講義中にも関わらず睨み合い、大声で言い合う二人。
授業態度を指摘したと言うのに、さらに妨害するかのような二人に、
教授の怒りは沸点を越えた。顔を真っ赤にし、震える指先は扉を指し、声は震え、
「そんなに仲良くしたいのなら、外で話したまえ!続きは夏期講習で補えば良い!!」
教授の怒声に、ピタリと言い合いを止めた二人は、同時にスクッと立ち上がり、席を離れた。
途端、何事も無かったかのように教授は講義を再開しだしたが、誰もが教授の話しを聞かず今起きた椿事について話し、総司は好奇の視線を浴びる恭一を横目に声無き爆笑をかまして居た。
その姿を視界の隅で確認した恭一は、中指を立てて総司を睨み付けてから、先に講義室を出た女の後を追うように講義室を出ると、数歩先を歩く不本意ながらも夏期講習仲間となった者に声を掛けた。
「おいお前、名前教えろ」
不機嫌そうな足音はピタリと止み、肩越しに恭一を振り返った。
「何故教えなきゃならない?それに、知りたければ先に名乗るものじゃないのか?」
「ちっ…俺は、檪 恭一お前は?」
「弓月 美夜」
名を名乗のると、質問には答えたとばかりに美夜は、さっさと正門に向けて歩いて行ってしまった。
最悪の初会は幕を閉じた。