この世の全ては仮説であるというのだが、あまりに仮説に嵌まりすぎていて誰も仮説に気づかない。
仮説にすぎないことを信じ込み過ぎると本当の真実が見えた時に、その真価が解らなくなる。考古学が信じ込ませてきたことが否定された今、新しくどんな仮説が作られるのか。その前に今までの仮説を批判しておこうと思う。
この世の全ては仮説であるというのだが、あまりに仮説に嵌まりすぎていて仮説に気づかない。
世の中は全て仮説であるという本があるらしい。私は読んではいないのだが、まさしくこの本のタイトルどおりの仮説が明らかに間違いと解っているのだが、なぜかこんな重要な事実に知らぬ振りを決め込んでいるケースが目の前にある。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡についてである。ナショナルジオグラフィックでも特集されたのでご存じの方も多いと思うが、この遺跡そのものよりも、この遺跡の発見で解った考古学という学問を利用して、いかに人々を思想操作の罠に嵌める手法こそがはるかに重要かもしれない。
この遺跡が世界を驚かせているのはその古さと規模の大きさにある。ピラミッド建築を遡る事五千年以上前に作られた巨石遺跡であるという事がまず、驚かされる。高校の世界史で習った新石器時代の時代、すなわち金属の道具が使われていない時代にこの巨大な遺跡群が作られたという事。そして発見から二十年の月日を経ても未だに遺跡の全貌が解らないほど広大な遺跡郡であるということ。現在推定されている遺跡群の広さは周囲十キロメートル、直径三十メートル程の一つの円形遺跡ごとに彫刻が施された巨大な石柱が十本以上立ち並び、さらに彫刻の種類などから宗教施設ではないかと思われているのですが、この神殿らしきのもが二十以上もまだ埋まっていると見られており全体の発掘が完了するのに後五十年は必要とのこと。凄すぎる規模である。仁徳天皇陵墓も完敗である。
さて、問題はこの遺跡のある場所が、今までの考古学の考えから遠く離れたとんでもない場所であったことが問題で、今の考古学の主流の人たちはこの遺跡を問題にしないように誘導しています。このことから今までの考古学が実は別の思想に基づいた思想操作の道具に使われていることが明らかになることが都合が悪いと気にしているのです。まさに曲学阿世の徒とはこのことです。
私が三十年以上前に習った世界史の考えでは、生産性の低い狩猟生活から生産性が高い農耕定住生活に移行したのは必然。高い生産性を求めて肥沃な大河の周辺での灌漑農業が始まり、余剰になった物資の分配をめぐって権力が発生し、その権力が余剰な物資や人口を集め易い川岸に巨大な都市を出現させ、その権力を正当化するために原始的な精霊信仰から神殿などの礼拝施設を支配管理する信仰集団が発生する。と説明があって、これが世界の四大大河文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明であるとして、堂々と教科書の先頭に載っていたものです。人類の古代文明の発祥の地は肥沃な三日月地帯とか書いておりました。
ところが、今回のギョベクリ・テペ遺跡はその大河が文明のゆりかごであるという欧米人の経済生産性重視の歴史観がまるで間違いであったと証明してしまいました。
すなわち、ここでの生活跡や道具などの発掘が無い事、農耕すら無い狩猟採取生活時代の新石器人類はこの施設を作成するためだけにこの場所に通っていた可能性が高い事。このギョベクリ・テペ遺跡が一番近い輸送に使える河川から百キロ近く離れた場所に位置する事。権力の始まりよりも宗教的な崇拝の影響力の方が先に人々を統合した可能性が高い事。など今までの経済生産性の高さから全てを説明してきた歴史観はガラガラと音を立てて崩れております。実はこれと同じような事は今を去る事一世紀前にもあったのです。
それはドイツのシュリーマンによるトロイ遺跡の発掘でした。この時にも全ての考古学者たちはギリシャ神話のままに大河も無く、良い港も無く、荒れ地しか周囲に存在しない土地に大国が存在できた筈が無いとして散々バカにしていたのですが、発掘は成功してしまいました。ところがシュリーマン自身が考古学の素人であり、発掘品の年代や地層の判定などについて誤りが多かったため、重箱の隅をつつかれる事で信頼を失してしまい、折角の発見の本当の真価を示す事ができませんでした。まぐれ当たりのトレジャーハンターにされてしまったわけです。うまいプロパガンダの実例です。
シュリーマンが成功したトロイ遺跡の発掘の本当の真価とは、経済生産性重視の欧米、詳しくいえばイギリス流の世界制覇思想に間違いがあることを証明した点にあったのです。
イギリスの世界制覇の根本思想はスペインのハプスブルグ支配の否定から始まりました。
ハプスブルグ支配の実体はカトリック宗教の庇護者として世界をキリスト教に染めるための先兵として支配教化する役割をになうのがハプスブルグであるという宗教と表裏一体のものでしたので、今見ると信じられない事をローマ教皇に諮問しています。曰く「キリスト教を受け入れない原住民は人間でしょうか。受け入れないなら野獣として虐殺したほうが良いですか。」とかいう妄言がそれです。これをイギリスは否定します。
ローマ教皇に支配を認めてもらうなど馬鹿らしい。全ては金のため。利益のためにやること。当然そこには経済生産性最優先の考え方がありこれを正当化する必要がありました。そのための道具に使われたのが当時勃興し始めていた学問、考古学です。なぜにこの場所に文明が栄えたのか、なぜピラミッドのような巨大建築物が作られたのか、そしてハプスブルグ家の支配がなぜイギリスの前に敗れることになったのか。なぜイギリスはスペインの植民地で勝つことができたのか。その正当性を証明するために使われたのが経済生産性最優先のエジプト文明発展論や肥沃な三日月地帯発展論です。この論の中心はイギリスの発展の様子と全くシンクロしています。
ヨーロッパの一番端っこにある生産性の低い島国であったイギリスが世界の覇権握ったのは、経済生産性最優先の社会への組み替えが驚くべきスピードで進んだことに秘密があります。もともと四つの国に分裂していたほどの多くの民族に蹂躙されたこの国では、実権を優秀な人材が握ることに何の抵抗もないのです。世界で最初にユダヤ出身の最高指導者ディズレーリーを首相にしたのもイギリスですし、そもそも純粋なイギリス人という思想が無いので王様すらドイツから連れてきても何の疑問もありません。鉄道、蒸気機関、鉄砲、造船など各国からの優秀な人材をどんどん登用して強化していきます。ドイツからもイタリアからも北欧からも、果ては仮想敵国だったフランスからの人材すら平気で受け入れます。驚くべきことに彼らはどんどん成果を上げていくのです。人使いが真に巧みなのです。
ですが、蓄えた経済力をもってして世界制覇を進めれば進めるほど自分たちの行動に疑問を持つようなことが多くなります。インドの織工の手を切り落としてイギリスの綿製品を売りつけたりすれば当然でしょう。経済優先でやるイギリスも宗教優先でやるスペインも自分のやることに疑問を持つ程については一緒です。そこでどのように正当化するのかを考えていた時に嵌まったのが考古学における人類の進化の過程を経済優先で説明する思想と生物学における進化論の融合です。経済優先と適者生存の考え方が融合した思想こそがイギリスおよびアメリカの支配思想の本質です。決して否定してはならない不磨の大典でしょう。とりあえず自分のした事に後ろめたさは感じていると言う事ですね。
これを軽く否定する証拠が再度見つかったのですから、さてこの後どうするのか。これからが見物です。
それにしてもトロイ遺跡のシュリーマンといい、ギョベクリ・テペ遺跡の発掘を指揮するシュミット博士といい、イギリス思想を否定する証拠を見つけるのは必ずドイツ人であるというもの因縁めいています。おそらく新しいヨーロッパ経済支配の正当性証明論はドイツから出てくるのでしょう。
かの国の民の優秀性については疑う人はいないでしょう。それが地球にやさしいものであることを祈ります。
ですが、本当は日本人にこそ新しい世界秩序のあり方を決める思想を打ち立てて欲しいと言う事が私の望みであるのですが、そんな事を考えている日本人はというと見当たらないみたいですね。残念ですが。
世界中にこの手の遺跡がまだのこっているのだろう。日本にはあるのか。誰が発見するのか。楽しみだ。新しいフロンティアは大歓迎です。