#003
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神々と肩を並べるには、たった一つの方法しかない。
神々と同じように残酷になることだ。
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僕こと、二条 名木と実の姉である二条 幟季の奇妙な姉弟関係を語る上で欠かせない一つの物語がある。
いや、物語と言うには程遠いものだし、仮にそうだとして、大言も甚だしい。
だからこれは物語ではなく、一つの小話。
かと言って、それを小話と表現するのもどうかと思うので、やはり内容を展開する以上、それは『物語』とした方が正しいのかもしれない。
面白くもない話だ。
愉快痛快、胸躍るような話ではない。
そのせいか、今から数えて三年も前になる過去を回想することに全く気が乗らない。
気が乗らないどころか、思い出すだけでも憂鬱である。
よって、これから語る僕と姉の『物語』は誰に聞かせるわけでもなく、放課後の教室の隅で独り言のように呟く程度の回想だと捉えて欲しい。
ぶつぶつ、と。
過去の姉について、滔々と語るだけなのだから。
しかし、それが例え本当に面白くも何ともない話だったとして、それを語ることに一体何の利益があるのか、むしろ過去を振り返るだけで気鬱になるほどの話なら、それは間違いなく損益だろう。
損得で言えば、紛れもなく損だ。
大損だ。
それを語ることで僕のモチベーションは露骨に低迷し、デメリット以外の他ならない負の感情に駆られることになるのだから、まさに百害あって一利なしである。
だとしても、僕と姉の素性を明らかにするという意味で必要不可欠な要素だし、今現在こうして僕と姉がくだらない会話で仲睦まじく笑い合える関係になったことにも繋がるその『物語』を、「面白くないから」という理由で打ち明かさないのもやぶさかだろう。
自覚はしているのだ。
他より――世間より、いささか行き過ぎた関係だと。
語弊を生みかねない表現であるが、間違ってはいない。
その行き過ぎた関係の片鱗として垣間見えるのが、今朝のような突拍子のない殺人未遂である。
あれは別に、今日だけのことではない。
もっと言えば、昨日の朝も同じようにバールで寝込みを襲われている。
その前はカッター。
勿論、幟季が言ったように僕を本気で殺すためにやっていることではなく、言わば行き過ぎた冗談なので、まさか殺されるなんてことはないだろう。
ない、と思う。
うん……。
いくら家族だからと言って、姉弟だからと言って、容認するには難しい行為を平気で行っている僕たちを他人から見れば、それは『行き過ぎた』関係と言えるだろう。
そういう意味合いの『行き過ぎた』である。
間違っても、家族間、姉弟間で過ちを犯したりなんかしていない。
過ちと言えば、幟季の行為そのものがそれに等しいものだけれど、いくらそんな『行き過ぎた』関係だからと言って、近親相姦なんて断じてない。
少々、表現が過ぎたかもしれないが、それに似通う行為もしていない。
と言うか、近親相姦なんて本当に存在するのだろうか。
有り得ないし、想像もしたくないことだが。
ともかく。
兎に角。
幟季が一体全体どうしてそんな危ない過ぎた冗談という刃を僕に向けるかと言うと、それは三年前の事件がきっかけだった。
事件――放火事件。
近隣の住宅までをも巻き込んだその業火の火元は僕たちが住む二階建ての一軒家だったのだ。
当時、僕は十三歳。
当時、姉は十七歳。
両親を含めた一家四人はまさに地獄の業火に見舞われたと言って過言ではなかった。
業火であり、劫火だ。
不幸中の幸い、近隣を含め死者が出ることはなかったけれど、幟季はそれによって全身に大火傷を負い、今でもその事件を物語る酷い傷痕が背中に残っている。
爛れた、歪な形をした背中を多感な時期に背負うことになった彼女はその頃、それを気に病み塞ぎ込んで、閉鎖的になっていた。
その姿を今考えれば想像だにできないものだが、外見と内面の一致という点においてその頃の幟季は確かに合致していたと思う。
儚げで、大人しそうで、もの静かで、薄っすらとした彼女の第一印象を裏付けるものだっただろう。
事件を振り返って、こんな感想を抱くなんて不敬極まりないと思うが、遡れば新たに感じることもあるということだ。
そんな考えにすら及ばなかった事件を契機にすっかり塞ぎ込んでしまった幟季を今ある姿に戻したのが僕だった。
戻した、と言うか変えたと言うか。
それこそ、今振り返れば、彼女が『行き過ぎた』性格をしているのも、僕のせいだということになってしまいかねない。
僕のせいであるならば、毎日のように寝込みを襲われることは自業自得と言える。
なんともまぁ、納得し難いことだけれど……。
しかし、気に病む幟季を『救った』とするには大言である。
僕は何もしていないのだから。
特別、彼女を手厚く介抱したり、慰めたり励ましたり、時には叱咤したり――なんて、そんなこと一つとしてしなかった。
昔からよく言うだろう、家族は一番の敵だとか、家族は他人だとか、近い存在だからこそ距離を置いてしまうとか、近すぎるからこそ厭うとか――家族間でも嫉妬は絶えないし、むしろ目の敵にしたり、暴言だって躊躇なく吐くだろう。
それは過言であるかもしれないが、僕もそんな感じで似たようなものだったのだ。
姉のみならず、両親にもそうだった。
自ら壁を作ったり、距離を置いてみたり。
気取っていたのだと思う。
思春期、不良に憧憬を抱くことと同じような感覚だ。
けれど、そんな僕でも――反抗期真っ只中の僕でも、住宅を燃やされ、家族が混乱したとなれば歩み寄らないわけにはいかない。
何をするというわけではないけれど、少なくとも近くに存在しなくてはいけないと感じたのだ。
両親の隣に。
そして、幟季の横に。
時間が解決する、その言葉が果たしてどれほど応用の利くものなのか、通用する場面がどれほど存在するのか、疑問を感じるには十分過ぎるほど曖昧で投げやりなその言葉は少なくとも僕たちの間では適応した。
僕が何をするまでもなく、一応の解決は見た。
消えない傷痕が刻まれたものの、事件自体は無事に収束した。
高い壁を越える達成感、それと同じように言えたのは、苦難を乗り越えた先にあったのは家族間のより強固なる結束だろう。
余儀なく長い入院生活をすることになった幟季を反抗期の僕が毎日見舞ったのもその表れだと思う。
その時だったか。
僕のある一言で幟季が立ち上がったのは。
それなら、僕が彼女を暗闇から救い出したと言えるのかもしれない。
けれどそれも、今となって振り返れば、の話だ。
当時の僕は何も考えず、ましてや、幟季を救うなんて大それたことをしようという気は微塵もなかったのだ。
いや、それは嘘か。
痛々しい幟季の姿を見て、確かに僕も気落ちしていたと思う。
『救う』までいかなくとも、虚ろな瞳をした彼女が元気になって欲しいと願っていただろう。
確かにそう、望んでいたと思う。
「後ろは振り返るな、背中は守る――僕が大好きな漫画の台詞なんだけどさ、確かに格好良いんだよ。熱くなるし、鳥肌立つ台詞なんだよ。けれど、戦うなら背中ってすげぇ重要だろ?背骨があるんだぞ?脊椎には重要な神経しかないんだぞ?それをさ、いくら信頼を置いているパートナーだからと言って何の考えもなしに預けるってまずいと思うんだよ」
火傷の残る背中を嫌がり、現実から目を背ける幟季に対して僕はこんなことを言った。
単なる日常会話だ。
どうってことない、気にも留めない程度の与太話だ。
「侍が背中の傷は恥だ、って言うだろ?それもさ、確かに格好良いんだよ。背後から斬られるってことは逃げているってことを暗に示しているんだろうけれど、僕は思うよ。堂々と真正面から斬り殺し合うことに一体何の意味があるのかって。侍魂が卑怯な手を使わないって意味なら、僕は日本人を辞めたい気分になる。人間、誰もが卑怯で狡賢くて、仁義なんてない、損得勘定で生きているだろ?」
全く。
当時の僕は何の意味を持たない平凡な会話で、まさに背中の傷痕を病む幟季に対して何てことをずけずけと言い放ってしまったのか。
ましてや、日本人の国民性の根底にある侍魂を全面的に否定した挙句、日本人であり日本でしか暮らすことのできない中学生がそれを辞めたいなんて。
そんなことを何も考えず、日常会話の一環として言ったのだから、これを僕が幟季を救ったとは言えないだろう。
どう間違っても、その言葉にそんな意図は含まれていない。
軽い冗談を混ぜつつ、そして暗に背中の傷痕なんて気にするなと、そんな意味合いはあったけれど、まさかこの僕のくだらない発言が彼女を立ち直させるきっかけになるとは誰が想像しただろう。
いや、誰も、ない。
当人の幟季すら、そんなこと思ってもいなかったのかもしれない。
「背中の傷が『背後の一突き』だったなら、それは確かに言い得ているかもね」
幟季はくつくつと笑いながら言った。
「……ん、背後の?」
「背中の傷は逃走によるものではなく、裏切りによって負ったものだということさ」
「僕は別に誰も裏切ってないけどな。放火犯が裏切ったってことか?それだと意味がわからないけど」
「はっはー、小学生にはまだ早かったかな。まぁそういうことにしておこう」
「僕は中学生だぞ!?」
そんな会話があって、背中に火傷痕を残しつつ退院することになった幟季は翌日から僕の寝込みを幾度も襲ったのだった。
それが『背後の一突き』という裏切りの行為なのだとしたら、僕たちの関係は良好とは程遠い険悪なものかもしれない。
しかしまぁ、冗談半分だろう。
まさか本当に、僕を殺すつもりでやっているなんて有り得るはずがない。
それなら、僕はすでに軽く千回以上死んでいることになるのだ、あれから三年間現在に至るまで間断なく継続されてきた殺人未遂が本気だと到底思えない。
冗談だという確固たる証拠はないものの、少なくとも僕が生存しているということはつまりそういうことなのだろう。
そういうことにしておこう。
この回想がどんな意味を持つものなのか、そんなこと誰にもわからないけれど、少なくとも僕たちの姉弟関係を知るに当たって、有益な『物語』だったに違いない。