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殺人考殺  作者: そらきち
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本編

「で、どうしてこんなところに呼び出したんだい?」

 僕は露骨に不満を表情と声に含ませながら悠々と珈琲に口をつけているとまりに問いかける。実に機嫌の良さそうなとまりが恨めしい。こちらはレポートと試験に追われて無駄な時間など一秒だってないのだ。その上今日の気候はここらへんでは珍しい大雪。早いところ家に帰って炬燵に入りみかんでも食べながら録画しておいた「怪奇!トマトバーガー男の謎!」とかいうB級臭い映画でも見たいのだ。レポートだってもちろんやる。妹の課題でも見てやるのも悪くない。とにかくとまりと話している暇があるくらいなら家に帰りたい。

 青春時代は短い。その中の時間を眼の前のこの人間に使っていると思うと腹立たしい。

「まあそう言わないでよ。こっちは大事な話があるんだからさ」

捌限は挑むような、しかし楽しそうな目でこちらを見つめる。こちらも気も知らないで、あちらはずいぶん上機嫌である。不愉快だ。

「あんたの好きそうな事件よ」

黒い、澄みきった黒い瞳がこちらを見据えながら語りかけてくる。夜空のような漆黒はとても美しかったけれど、その奥に潜んでいるものを考えるとゾッとする。捌限は鞄から茶封筒を取りだし、こちらに渡してくる。

僕は中の資料を――バインダーできっちりまとめられている――をペラペラと流し読みをする。

ふむ。

意外と悪くない。

気が変わった。捌限の誘いを受けようとしよう。この僕の人生における時間を、この目の前の人間と一緒に浪費してやろう。

この事件は、条件を満たしている。

「―――さてこの事件、君ならどう見る?殺人萬集家、病院坂忠犬くん」

捌限とまりは意地悪く笑っていた。





 さて自己紹介。僕の名前は病院坂忠犬。立志社大学の二年生。一九歳。A型。誕生日は三月一七日。特技はテトリスのデータ上ではごくごく一般的な学生である。データ上では、と前置きしたのはボクのパーソナリティでありアイデンティティでもあり特殊で特異な僕のたった一つにして無視できない、ある趣味。

『殺人蒐集』。

 劣悪で趣味の悪い、罪深い趣味であることはもちろん理解しているし、自分の最悪性の自覚もきちんとある。自己嫌悪は四六時中僕を苛んでいる。

 だが、どうしようもないのだ。

 「殺人」という行為そのものと、そこに至るまでの人の心の動き。そんなゲスな行為に手を染めてしまう人間の性格やバックボーン。そのどれもが僕の興味をそそるのだ。狂おしく、愛おしく。

 僕は殺人に魅せられているのだ。

 そんな風に、殺人という『人間の理性のタガが外れた瞬間の行動』への根源的な知識欲を目覚めさせられたきっかけというのがこの目の前にいるショートカットの女だ。

 彼女の名前は捌限とまり。同じく立志社大学の一年生。それ以外のデータなんてほとんど知らない――知りたいとも思わないけど――けれど、彼女の個人を形作り非常に重要なファクターとして「彼女は殺人鬼である」という点があることを僕は理解している。この非現実的なステータスを僕が知ってしまったのはある事件――彼女が犯行を起こしている最中に――鉢合わせてしまった時だ。

 その時、僕は殺人そのものに恋をした。

 この事件以来僕と彼女の縁は繋がってしまった。と言っても僕自身は決して殺人を犯さない善良な一市民で、ただとまりの探している事件に首をを突っ込んだり推理まがいのものをしてみたりいろいろ調べてみたりするだけだけど。

 なぜこんなに僕が彼女にこんなに入れ込んでいるからというのにももちろん理由がある。僕の目的は「人を殺した人間との対話」である。そして彼女の目的は「殺してもいい人間探し」だ。利害の一致。僕ら二人の目的の副利益として事件が解決したり犯人(殺害済み)が見つかったりするだけなのだ。あくまで副利益。正直事件がどうなろうと僕たちの知ったことではないのだ。

 彼女曰く、この街にはなぜか殺人鬼や化け物的存在が多く引き寄せられるパワースポット的な土地らしい。だからこそ僕のような一回の大学生でさえ殺人犯――――というより殺人鬼との対話を終わらせているのだ(一人はもちろんとまりだ)。狂った土地だと改めて思う。

 そんなこんなで僕ら二人はこうして趣味をゆるゆると堪能しているのだ。

 ついでに、捌限とまりの殺人鬼性についても説明をしておこう。

 捌限とまりは正義に生きる殺人鬼だ。

 こういうふうに端的に説明すると一見義賊的な人間なのかと錯覚するが、その実態は人の為に働いている義賊とは似ても似つかぬ正反対の自らの為に人を殺す鬼だ。

 捌限とまりは、ルールから外れた人間――――殺人者を決して許さない。これは社会的正義を貫いているのではなく、自らの中のルールを他人に押し付けているだけだ。

 結果として犯罪者はこの世から消えるものの、それはあくまで結果だけ見た場合のみにすぎず、自己中心的な理由、事故の価値観から外れたモノを殺害しただけに過ぎないのだ。

 故に、彼女には微塵も罪悪感は抱いていない。これが彼女を鬼と形容する理由だ。

 正義のために犯罪者を殺す。

 それが彼女、捌限とまりである。

 以上、閑話休題。





「ふむん」

とりあえず唸ってみる。なんだこの事件は。

「この事件の一番やばいのは」

 捌限がなぜか得意げに言う。

「死体の手足がぶった切られいること」

 そうかと思えばいきなりさも不愉快そうに顔を歪める。感情表現の豊かなことだ。わざとらしいけど。

「手足以外の場所には全く傷がなく、死因は手足を斬られたことによるショック死。失血死なのは一つとしてないわね。ちなみにこれまでの被害者の数は三。一人目から二人目までの間は四日、二人目から三人目までの間は七日のブランクがあるわ。シリアルキラー的犯行とみて間違いないわねこれ。アンタ好みの不可解不愉快非道徳的の三つそろった殺人事件よ」

 とまりは僕の手元の資料に違わないことをすらすらと語る

 表情こそ悲壮なものの、その瞳の奥に見え隠れしているドス黒い歓喜にはゾッとする物がある。

 こういう時、この目の前の女はやっぱり鬼である――――人間とは似て非なるモノだという実感をする。

 これぐらいの犯罪を犯した人間ならとまりの殺害条件を余裕でクリアしている上に、僕もこの手足をもぎ取る――――いや斬ったのか――――事件に対して非常に興味が湧いてきた。この綺麗な切り口は明らかに刃物で斬ったモノ――――つまり一撃で人体を切断するだけの技術を持った人間による猟奇殺人。相手はかなりの手だれであろうが、是が非でもこの犯人に問いただしたい。

 なぜ、こんなことをしたのかを。

 どうして人を殺したのかを。

 そこまで思考が働いてふと顔をあげると、こちらを見ていたとまりの薄笑いが視界に入ってきた。どこまでも底意地の悪い、性質の悪い笑みだった。

「……何にやついてるのさ」

「いやぁ?別にぃ?」

 チェシャ猫のような笑顔のままこちらを見てくる。

「いやー正直こっちの世界にあんたを引きずり込んじゃったのには少し罪悪感あったんだけどさ、その真剣な顔見てるとその罪悪感も吹っ飛んじゃったわ」

「いや罪悪感は少しでいいから持ってくれよ…………曲がりなりにも君のせいでこんな犯罪の片棒を担ぐような真似をしなくちゃいけなくなってるんだから。本当は僕だってこんなことしたくないんだぞ」

「嘘つけ。そんなに楽しそうなのに。このツンデレめ!」

「いやこれは本心だよ。正直君が事件を全部を解決して犯人を完全に無力化してぶち殺す前に僕の前に縄で縛って口だけきける状態にだけしておいてくれればそれでいいんだよ。そしたら僕は勝手に犯人さんと話すから。僕としてはそれがベストだ」

「怖っ!その発想怖っ!それもうやってること死刑判決オンリーの裁判官みたいなもんだよ!」

 殺人鬼どん引きである。

 どん引きついでに腹が減ったのか料理を注文するらしい。呼び出しボタンを押すと間もなく店員さんがやってくる。

「ご注文お伺いいたします」

「えーと、この『名状しがたいパフェのようなもの』一つお願いしまーす」

「かしこまりました」

 注文は聞かなかったことにした。

 いくつか彼女に質問というか確認をする。

「とまり。この事件は君のお眼鏡にかなったのかい?」

「そうじゃなきゃ持ってこないでしょ」

 正論である。

「僕としても興味があるから協力するのはやぶさかではないけど、お前の方は大丈夫なのか?」

「なにが?」

「僕と協力する気はあるのかってこと」

 このやり取りだってもう答えはわかりきっているけれど、僕は毎回のようにこの質問を投げかける。

「当たり前じゃない。忠犬は相棒だからね」

 この答えもいつも同じ。

 これは儀式みたいなものだ。互いを裏切らず、最後までこの事件を終わらせて幕を引いて殺して壊してこの世から消すという契約。ほんの些細なことだけど、これは確かにとまりと僕の絆でもあるし、それと同時に彼女が僕を殺すという最悪の状況の阻止だ――――前述の通りとまりが僕を殺すことは、恐らくルールを破れば十二分にある。彼女は殺人鬼であるゆえに、そこら辺のゴミを拾ってゴミ箱に捨てるぐらいの手軽さで人間を殺しかねないのだ。今でも一応『日常の中で一般人として生きているうちは殺人を犯さない』というルールが彼女にあるからいいものの、そのルールがなかったとしたら彼女は「地球の二酸化酸素を増やして地球温暖化に貢献するという罪」でそこいらの人間を虐殺し殲滅し絶滅させようとしていたかもしれない。故に予防策。彼女を縛れるのは彼女自身のルールのみだ。故に僕は契約を使って彼女を縛る。

 そうでもしないと、こちらの精神が滅入ってしまう。

 このルールで僕も当然とまりを裏切れないわけだけど――――そもそも僕は彼女を裏切るつもりなど毛頭ないので特に不便はない。

 そんなことをいつもいつでも考えているわけではないけど。

 それくらいの危機意識位、僕にだってあるのだ。

 おそらく彼女は僕の意図に気付いているだろうけど、まぁそんなことはどうでもいい。

「どんなパフェが来るのかなー」

 問題なのはこの女がよく意味の分からないパフェ的な何かをなぜか心待ち指していることだ。なんか触手が出てきたりびちびち跳ねてたりするようなパフェを楽しみにできるこの女の精神構造が本気でわからない。

「たことかちくわとか入ってるかなー」

「絶対食べきれよ?」

「…………」

「なぜ黙る」

「いやぁよく考えてみたらアタシパフェ嫌いだったなぁって」

「…………」

「…………」

 数分後ファミレスから真っ青な顔をした女と上機嫌の男が出ていくのを僕らはまだ知らない。

 雪は止み、晴天になっていた





「被害者の中にうちの学校の生徒がいるみたいだけど……うぇ、トイレ行ってくる」

 ファミレスから取りあえず出て大学へと行こうとした僕らは、とりあえず駅へと歩を進めていた。だがその途中にとまりはパフェ(?)のダメージからか公園のトイレに吐きにダッシュしていった。

 しょうがないのでベンチに座って妹に連絡でもしてみる。数回の呼び出し音のあと妹の声が応答する。

「もしもしー?にいちゃーん?」

「ああわんこ。今日夕食何か買って帰ろうか?それとも僕作ろうか?」

「うーん。今日はどっか外食しようよ。お母さんもお父さんもいないし」

「そうかー。じゃあお金おろしてから帰るな」

「うんわかったよ―。あと次わんこって呼んだらにいちゃんのPCにサブミッション仕掛けるから」

「…………わかったよ、凜子」

「よろしい」

 ぶつりと通話が切れる。

 わんこもとい凜子は僕の妹で、現在十五歳の中学三年生。可愛い妹が受験勉強に追われている姿を見ていると心が荒む。受験恐るべし。

 凜子の紹介をあえてするならば、「ザ・妹」である。気立てもよくてかわいくて料理もできて家事なんかもう完璧。嫁に出すのがもったいないくらいだ。いや嫁に出したくない。もし凜子がよくわからないチャラ男を連れてきて「妹さんをくださいYO!」とか言ってきたらそいつをぶん殴ってしまうという妄想を毎日してしまうくらいには嫁に出したくない。

 それくらい可愛い妹である。目に入れても痛くない。

 このような趣旨のことをとまりに言ったら十中八九「このシスコン野郎!」とか言われる確信があるのでカミングアウトしていない。本人にはなおさらだ。もしこれで嫌われたら僕はもう立ち直れないだろう。

 なんて益体の無いことを考えながらぼーっとしていると、公園に人が入ってくるのが見えた。

 なぜか袴姿、というよりは剣道着か。竹刀袋を担いだ青年――――凍りつくような美貌を持つ青年だ――――がゆっくりながら無駄を感じさせない歩き方で公園の真ん中に立つ。

 竹刀袋からおもむろに竹刀をとり――――いや違う。アレは――――刀だ。

 ゆっくりとその刀身を表し、あくまで緩やかな動作で構えに入る。

 上段の構えとか言うやつだったか。

「あれは形の練習だねー」

 いつの間にか帰ってきていたとまりが隣に座っている。どうやら帰ってきたことに気が付かないほどに眼の前の青年に目を奪われていたようだ。

 空気を刀(おそらく模造刀だろう)が斬る小気味よい音が聞こえてくる。振り下ろす動作から足の運びまで、素人目には完成された動きに見えるが。

「うあー。あれじゃあヒト一人斬れないだろうなぁ。あれは刀を振ってるんじゃなくて鉄の塊を振っているだけだよ」

 とまりの目、つまり人間を殺すことのプロフェッショナルから見た戦闘技術としての青年の剣道は及第点にすら達してないようだ。

「さしもの全国一位の実力者の鈴仙先輩でもあの程度かー…………」

「ん?知り合いか?」

 僕がなんとはなしに聞いたことは相当におかしなことだったらしい。とまりの顔が驚愕の色一色になっていることからそのことを理解する。

「いや……だってうちの学校の有名な先輩じゃん……剣道の全国大会で十九歳から三年連続制覇してる現代の佐々木小次郎と噂されているあの先輩だよ?」

「だから知らないってば。誰だいその零戦先輩とかいう強そうな字面の先輩は」

「変換ミスだからそれ。鈴仙。鈴仙博兎先輩。うちの大学の四年生」

「ふぅん」

 特に興味もなかった。

 僕みたいな一般人から見たら十分すぎるほどに人を殺せそうな太刀筋だけど。

 そう思いながらしばらくとまりと二人で鈴仙先輩の剣舞を無言で眺める。あの美貌であの腕前なら確かに人気者であるのも頷ける。

 一通りのルーティンが終わったのか一息つくと、こちらをちらりと見て微笑を浮かべた後にこちらにやってきた。

 まさか斬られるのか。

 目の前に先輩が来ると、深々とお辞儀をする。何故だ。

「剣舞、見てくださってありがとうございます」

 すさまじいほどに清涼感にあふれた声だった。声からマイナスイオンでも出てるのではないだろうか。

「は、はぁ」

 自分の間抜けな声が恨めしい。

「いやこうして静かに見てくれる人、少ないんですよ。話すときもあまり大きな声ではなかったし。おかげで集中できました」

 なるほど。確かにこの人が剣を振ってたらそこら辺の女子諸君が黙ってはいないだろう。

「いえいえ。こちらこそいいものを見せてもらいました先輩」

 とまりは立ち上がって礼を言う。若干の皮肉ともとれる感謝の言葉だった。

 僕もそれにならって「ありがとうございました」と一応礼を言う。剣舞は確かに美しいものであったので僕の言葉は純粋な気持ちしか入っていない。

「ところで」

 先輩の目つきが少し変わる。

 やっぱり斬られる。

「さっきあなたが言っていた人を斬れる斬らないの話ですが」

先輩はとまりの方に向き直ると諭すように話しかける。聞こえてたのかこの会話。

「剣道とはあくまで精神と体を健やかに鍛えるものですから、人を斬ることには特化していないのだと思います。剣術と剣道は似て非なるモノですから。確かに通じるところはありますけれど、僕は多分人を斬れませんし、そもそも斬るほどの勇気なんてありませんよ」

 先輩少し怒ってないですか?とはさすがに言えなかった。

「先輩怒ってます?」

「いいえ?怒ってはいませんけれど、ボクのことをある意味批判しましたからね。やはり武道に身を捧げた身としてはその言葉は見過ごせません」

 先輩は竹刀袋からもう一本の模造刀を取り出し、とまりの前に突き出す。

「貴女が女性であることを考慮して言いますけど、こんな勝負をしないでほしいというなら謝罪を要求します。もし謝罪をしないのならボクは全身全霊で貴女を剣道で倒します。貴女は剣術で戦ってください。人を斬れなくても強くあれることを、証明します」

 謝罪をすればこれ以上追及はしませんが、と言いかけたところで先輩もこの異様な雰囲気に気が付いたようだ。

 とまりが犬歯をむき出しにして嗤っているのだ。少女の体から迸る殺気は、この空間すら支配していた。

 とまりは口を開く。

「いいですね。やりましょう」

 絶句している先輩をちらりとも見ずにとまりは模造刀を受け取り、すたすたと公園の中心に陣取る。

 ばずん、と一気に刀を引き抜くと、鞘を捨て、両の手で柄を持ち、無造作に構える。

 先輩の顔はすでに真っ赤を通り越して白くなっている。先輩は僕の目の前で止まりの方向を向いて正眼に構える。その後ろ姿はまるで修羅のようであった。

 だがしかし。

 その先輩の視線にいる刀を構えた女は、正真正銘の鬼だ。

 刹那の間。

 先輩が一瞬でとまりとの距離を詰め。

袈裟切り。

 だけれどそこにはもうとまりの体は無く。

 空しく剣先が宙に漂う。

 次の瞬間には。

 横に回避したとまりが。

 あくまで無造作に。

 けれども正確に。

 首への斬撃を――――





 捌限とまりの運動神経はまさに人間離れしていると形容するのが正しい。と言ってもその異常な運動神経が発揮されるのは刃物、もしくはとまり自身が刃物だと認識したモノを持った時のみで、日常生活中の運動能力はおそらく僕よりも低い。おそらく刃物がない状態でも最悪爪を使って殺せるのだろうけど、本人がそう認識していないので普段は一般人並だ。本人曰く人間としての本能的なスイッチであるらしい。常時殺人鬼モードであると体と精神がその負荷に耐えられなくなって脳味噌が爆発すると言っていたが多分嘘だろう。

 よくハンドルを握ると人格が変わる人がいるが、それの亜種的なものだと考えてもらって構わない。

 例えば通常状態のとまりは何もないところですっ転ぶし全力疾走五秒でぶっ倒れるし、野球の鉄バットなんか当然振り回せない。

 だが殺人鬼モードのとまりは五〇メートル五秒で走り抜けるし真剣は片手で自由自在に振り回せるし学校の校舎から飛び降りても捻挫するかしないかのダメージで済むくらいである。

 まさに人外。

 体の構造自体が違うのではないかと疑う。

 ちなみに本人は体の強さの秘訣に対して「ご飯食べて映画見て寝るだけ!それで十分!」とか言っていた。

 そんなので強くなれたらだれも苦労しない。





 先輩の唾を飲み込む音がこちらまで聞こえてくる。首筋にあてがわれた模造刀は陽光を反射して輝いている。

「先輩、これが実戦だったら死んでましたよ」

「――――」

 ダメ押しの一言。

「ボクの――――完敗だ」

 鈴仙先輩が膝をつく。

「君はいったい何者なんだ……」

「アタシですか?通りすがりの正義の味方です」

 なぜか真顔でふざけたことを言った後、刀を降ろし、地面にそっと置く。

「先輩は剣術に負けたんじゃなくてアタシに負けただけですから、どうか剣道はやめないでください。先輩は十分すぎるほど強いです」

 よくわからないことを言った後にくるりと踵を返してこちらに向かってきたかと思えば、そのまま公園を出ていく。僕も先輩に一礼してとまりの後についていく。

 公園に先輩を一人取り残したままに。

「なぁとまり」

「ん?どうしたの」

 とまりの隣を並んで歩きながら問うてみる。

「最後の言葉の意味はなんなんだい?」

「別に。あの人プライド高いっぽいから多分この勝負を『剣術に負けた』っていう風に割り切るんじゃないかと思って、釘射しておいたの。あの人精神強そうだしもっと強くなれそうだったから一回その高慢を砕いておいたの」

「うっわ、えげつないことするなぁ」

「いやぁこれがアタシのジャスティス。さらなる成長を若人に与えたのよ」

 何故かドヤ顔をするとまり。

「君の方が全然年下だろう……」

 駅の方面へと改めて歩を進める。

 駅への道ではまた益体の無い、人生において何の利益にもならない話をしたり、電車の中では外の景色を見ながらこれまたなんの生産性もない会話をしていた。僕ととまりの会話はいつもこうだ。なんの意味もない、そこにあってもなくてもいいような時間。この絶妙な距離感が心地よい。だがそれを本人に言うと調子に乗るので黙っておくけれど。





 立志社大学はこの町の中心、ひいては県の中心部にある日本有数の超弩級大学である。敷地面積の広さもさることながら来る人間性の多様さ、研究内容の多彩さ、実験施設の豊富さは他の追随を許さない。就職率も良いともっぱらの評判であり、この大学を志望する人間は多い。ちなみに後者は今シーズンナンバーワン視聴率を誇る月曜九時から放送されている「海の上のガリレオ古書堂」というドラマの舞台にもなっている。自分の知っている場所がテレビで放送されているとテンションが上がる。

 そんなことはどうでもよく、とりあえず僕ととまりは大学へと着いたのであった。

「そういえば大学に来たはいいけど被害者の友人が誰なのかわかんないね」

 とまりが能天気に話しかけてくる。

「心配するな。僕の友人がこの子と同じサークルだ。今からそこに向かう」

「うぃー」

 なぜかとまりはやる気なさげについてくる。先輩の精神をへし折ってからテンションが低い。それだけ先輩に期待をしていたのだろう。

 とりあえず友人に電話でもかけてサークルの活動場所を聞き出すとする。

 コール。

 一回の呼び出し音の後に喧しい声が鳴り響く。

「やっほー!忠犬くんだー!いぇーい!どうしたのおおおおおお!?」

「うるさいうるさいうるさい!少しテンション押さえてくれ!」

やたらとハイテンションなこの電話相手は同級生の千石優子。アッパー系女子。基本的には良い奴なのだが如何せんこのハイテンションには乗りにくい。僕は、いつも笑顔で同級生の輪の真ん中にいるこいつなら何か知っているかもしれない、という推測を立てていた。

「んあー!」

「お前酒でも飲んでんのか?」

「飲んでるよ!」

「昼間からかよ!」

 こいつは将来肝臓を壊す。間違いない。

「相談したいことがあるんだけど今から会えるか?割と早急に」

「ん?何の相談?」

「殺された子について聞きたい」

 一瞬の間。

「…………いいよー!じゃあ第三校舎の二階のカフェテラスで待っててよ。私そこに近いからさ」

「了解した」

 手早く通話を切り、自分のスマホを弄っていたとまりを呼び寄せる。

「今からカフェテラス行くぞ。僕の友達がたぶん相談のってくれると思う」

「ん。了解」

 そっけなく返事を返された。すたすたと一人で目的地方面へと歩き始めている。

 怒ってないか?こいつ。

「…………」

 とまりの横に並んで歩きながら横顔を観察する。明らかにむくれていらっしゃる。なにがあったんだ。

「…………あの」

 恐る恐るとまりに話しかけると、すごく冷たい声で返事をされた。

「何」

「おまえ、怒ってないか」

「…………怒ってない」

 嘘つけ。

 何が原因でこうなったのかはわからないがこれは解決しないと今後の調査にも関わるような気がする。とまりがこんなに拗ねているのなんて初めてだし、こんなに年相応より幼い感情表現をしているところだって初めて見た。確かに胸とか身長とかはかなり成長不足だけど。

 ガツッ。

 無言で蹴られた。痛い。

「…………どうしたんだ」

 まさか心を読まれたのか、と思ったらまた蹴られた。

「…………」

「…………」

 道路の前で立ち尽くす二人の男女。この光景は女が我が定期的にこちらの脛を蹴ってこなければ別れ話の最中か何かに見えたかもしれない。

「…………まさか、妬いてる?」

「妬いてないし。忠犬が誰と話しても別にいいし。あのハイテンション女に助けを求めても別にいいし。アタシの推測が全然的外れだったからって別に拗ねてないし」

「めんどくせぇこの女!」

 嫌な相棒だった。

「だって今回の事件これまで全く役に立ってないじゃん…………」

「いつものことだから心配しないでもいいと思う」

「…………」

 睨まれた。

 実際いつもの事件では、僕が調査でとまりが実戦という役割であるのでとまりは調査などほとんどしなかったというのに。どういう心変わりであろうか。

「…………調査任せっぱなしだから、申し訳ないなどと考えた……」

「なんでちょっと日本語不自由なんだよ」

 調査を僕一人に任せきりになっているのが気になっていたらしい。馬鹿な奴め。

「僕は僕のできることをする。君は君のできることをする。それでいいじゃないか」

「うーん…………そういう考え方嫌い。少しでも役に立ちたいんだってば」

「その気持ちはわかるが気持ちだけ受け取っておくよ。君が調査を手伝ってしまったら僕は殺人の手伝いをしなくちゃいけないんだぜ?さすがにそれは僕としても避けたい。だから僕のためを思って、な?」

「むー」

 唸っている。少し卑怯な論法ではあったけれど、こうでもしないと引き下がらなかっただろう。一通り唸ると、とまりはこっちを見据えて決意の眼差しの元宣言する。

「じゃあ、調査の件は忠犬に任せる。あたしが殺人を請け負う。きちんと役割分担をする」

 でも、と続ける。

「アタシが手伝えることがあったら言ってね。何でもするから。これは純粋な善意よ」

そういう風なところで落ち着くらしい。

僕は一言「了解した」と呟いて、とまりの髪をわしゃわしゃと撫でてやる。できの悪い妹のようだ。

 嫌がるかと思ったがあまり抵抗してこない。最後に髪を整えてやって気分を入れ替える。

「そろそろ行くか」

「ん」

 返事はそっけなかったけれど、とまりの顔は穏やかなものになっていた。





「あー!こっちこっち!」

 千石がぶんぶんと手を振ってきた。サイドで一纏めにした髪の毛がぽよぽよと跳ねている。犬が尻尾を振っているみたいだ。

 犬なの僕の方だけど。

「やっほー忠犬くんと、えーと……ゆびきりちゃん!」

「捌限です千石先輩」

「そうだはちきりちゃんだ!はっちゃん!」

「そんなあだ名で読んだら次は絞め殺します」

「相変わらず物騒だなー!?」

 酒が抜け切れていなかった。顔が若干赤い。少し潤んだ瞳が色っぽいがそんなことをおくびにも出さずに早速質問を開始する。

「えと、この前の事件の被害者の間桐奈々子ちゃんだけど」

「うん。私のサークルの後輩だよ」

 千石は悲しげに目を伏せる。こいつの喜怒哀楽は何のブラフもないので見てるこちらまで悲しい雰囲気になってくる。

「えと、お前のサークルって」

「うん。映画同好会だけど……あの子あんまりこっちに顔出さなかったなぁ。ななちゃんの友達のさっちゃんが映画同好会に元々は言ってて勧誘受けてきた子だから。多分友達がいたから来てたんだろうねー。あんまり私とも話さなかったし。可愛かったのになー」

 どうやら主体的に映画サークルに入ったわけではなかったらしい。

「そういえば掛け持ちで剣道サークルにも入ってたなー。あの鈴仙先輩のところ。そう、すごく強いところ。おとなしくてちっちゃくて髪長い子だったけどすごい強かったらしいんだよねー」

 とまりの足がかたりと動く。剣道サークル。まさか。

「鈴仙先輩とは仲良かったみたいだねー。同じサークル主として話したこと何度かあるけどあの人いい人だもんねー」

 ってどうしたの?と聞いてきたけどこちらはアイコンタクト真っ最中。

 刀。

 実力者。

 同じサークル。

 接点は、ある。

「ふむ」

 取りあえず顎に手を添えて考えてみる。この事件を、ただの単一の事件として見るのならば鈴仙先輩は間違いなくクロだけど、あくまでこの事件は連続殺人事件だ。他の事件の被害者はリストラされたサラリーマンと近くの美大生。それら二人とまったく共通点はないけど。

 これが、連続殺人犯の犯罪ではなく、連続殺人鬼の犯罪だったら、また別の話だ。

 何の共通点も意識も意味もなく殺された、通り魔殺人であってもまた話は違う。これら二つのパターンの場合であるならば調査なんて無意味でひたすらに深夜徘徊を繰り返して犯罪現場に出くわす以外に犯人とコンタクトをとる手段がない。

 僕らがやっていることが徒労に終わるのか、はたまたそうでないのかを決めるカギは。

 どうやら、剣道サークルの方にあるらしい。

 アイコンタクトを見る限りではとまりも同じことを思っているらしく、目の中にさっきまでとは打って変わった凶暴性が見え隠れしている。

 やることは決まった。

「えーと…………あははー。見つめ合ってどうしたのー……?」

 突然黙りこくった二人を少し怯えながら見ている途方に暮れた千石は、どうすることもできずに珈琲を啜っているのだった。





 そのあとやることが決まった僕ら二人は早急に行動を開始――――するわけでもなく和やかなムードで2,3時間ほど千石とだべっていた。おかげでカフェテラスを出るころには外は既に夜の帳を降ろしており、学生たちのほとんどが帰途に着くか飲み会の話をしているといった時間になっていた。僕ととまりも千石に呑みには誘われたものの、とまりはそもそも飲めないし、僕も家出妹が待っているので非常に残念だが辞退させてもらった。

 とまりとは正反対の家なので液で解散をして、独りで電車に乗り込む。携帯で凜子に今から帰るという旨のメールを打った後、ほんの少しだけ意識レベルを低下させて、イヤホンから流れる小気味よいベースの音が鼓膜を打つのを感じながら。

 ほんの少しだけ、寝た。






 街灯なんてなく、月の光のみで照らされている道の真ん中に、まるでスポットライトを浴びた舞台役者のように凛として立っている少女が見える。この時間帯に女の子の独り歩きとは珍しい。最悪声でもかけて送っていこうかなどと思いながら近づくと。

 瞬間。異様な匂い。人体の根源的恐怖に働きかけ生理的に吐き気を促し恐怖を喚起する鉄のようなえぐい匂い。冗談ではなく人間が嗅いではいけない臭い。本能的に逃げ出したかった。しかし自分の足はまるで鉛を埋め込まれアキレス腱どころか足の腱を一本残らずねこそぎに丁寧に一本一本ハサミで断絶させられたかのように動かない。がくがくと自分の意思に反して震える。口の中が塩酸でも流しこまれたのではないかと錯覚するぐらいにじりじりと灼ける。指先は神経が通っていない肉の塊のように動かない。

 なのにどうして。

 僕は前に進んでいるのだろう。

 女の顔がはっきりと見えた。歓喜と絶望と絶頂と嫌悪と快楽と挫折と愉悦と不幸と幸福と優越感と劣等感と達成感と罪悪感と希望と不快感の全部をぐちゃぐちゃに掻き回してミキシングしてずたずたにして纏めて壊して最初から作り直して終わらせて抉って治して剥がして溶かして遊んで犯して蹂躙して嬲って辱めてできたドロドロとしたモノを全部飲み込んでしまったかのような顔。全部が全部しっちゃかめっちゃかに、他人と自分もの区別も付かないような悪意と正義の塊が、そこにはあった。

 自分の歩みは止まらない。徐々に彼女の姿形がはっきり見えるようになった、その瞬間、上空の月に僅かにかかっていた雲の全てがその体を退け、月光の全てをこの世界に投下する。

 鮮血で染まったブラウス。赤黒い粘土の高い液体がへばりついたバタフライナイフ。顔面に着いたひっかき傷から流れ出る血液。左手には誰のものかもわからない腕。その目前には手足をもがれ、首を斬られ、心臓に四カ所ほどの穴が開き、腹の中から内臓という内臓がはじけ飛んでいる人間であったかどうかすらももはや怪しい、惨殺死体。明らかなオーバーキル。一人の人間を何度も何度も何度も何度も殺したことが見て取れる。執拗な殺害は、もはや殺すことが目的では無かったかのようにすら思えた。

「ねぇ」

 女はその唇を開き、僕に問いかける。

「あなたはこの状況を見て、どう思う?」

 心の像を握りつぶすような冷たい声音でこちらに目を向ける。もはや鷹のような眼という表現すら生ぬるい。鬼そのものの瞳。

「――――」

 まるで声帯が発声方法を忘れてしまったのかと思うくらいに声が出ない。乾いた唇が切れて血を流す。

「…………早く、あたしの質問に答えなさい」

 かつん。

 女が一歩、こちらに近づく。

 鳥肌がぶわっと全身余すところなく立つ。

 かつん。

 二歩目。

 少女の皮をかぶったグロテスクなソレはこちらを見つめながら徐々に距離を詰めてくる。不意に吹いた風が新鮮な空気を肺に送り込んでくれる。やっと息ができる。

 三歩目。

 もはや距離なんてなくなっていた。自分からも近づく。

 かつん。

 女と僕との距離がゼロになり、動きが止まる。

 一閃。空気を切り、さっきまで付いていた血糊を払い飛ばす。

 その動作から字は考えられないような緩慢さで、僕の首筋に、冷たい鉄の塊をあてがう。間違いなく頸動脈。此処からこの刃物を引かれてしまえば。


 僕は、死ぬ。


 一瞬で血液が熱くなる。鼓動が早鐘を打つ。死にたくない死にたくない死にたくない。指先に熱が戻る。脳の中にアドレナリンが充満する。足だって既に自分のモノだ。

 女は語る。

「私はね、自分の正義にのっとって行動している」

「この殺人だって例外じゃない」

「この死体になった男は、元は巷を騒がす連続殺人犯」

「それを殺した」

「殺した人間の分だけ、殺した」

「私はこの男に罰を与えた」

「神様気取りじゃなくて、ただの一介の人間として罰を与えた」

「断罪した」

「アタシの中の正義を貫き通さなきゃいけないという、酷く自分勝手な偽善から、殺した」

「醜い自己中心的な発想で、死刑を実行した」

「そんなアタシを」

「あなたはどうする?」

 あくまで淡々と話している。この女は、自分のやったことの罪深さをだれよりも知っているけれど、同時に自分のやったことを完璧な善だと思っている。矛盾した感情を飲み込んでいる。

 恐らくこいつの動き方から察するに――――どうして察せたのかはわからないけど、雰囲気的なものでわかる――――この女は殺人鬼だ。殺人犯ではなく、殺人鬼。僕の住んでいる世界とは違う世界のモノ。それと僕は、今から対峙しなくてはならない。

 と言ってもやることはたった一つだ。

 声を発する。

 言葉を紡ぐ。

 たった一言言えばいい。この目の前の人間を――――殺人犯をどうするかを。

 答えは決まっていた。 


「――――」


 僕が言葉を紡ぐと、彼女はナイフを力なく降ろした。

 正解だったのだろう。

「いいね、その返答。気に入ったわ」

 少女は力なく笑うと。

 僕の方に倒れてきた。

 それを抱える。

 その小さな体は、熱い生命の熱を帯びていた。




 少しだけ、夢を見ていたようだ。

 僕とあいつが、出会った時の回想。もう何度思い出したかはわからない。それくらい、この記憶はこの脳味噌に焼き付いている。他の全てを一切合財忘れても、このことだけは忘れることはないだろう。

 電車が自宅の最寄り駅に着いたのでそそくさと降りる。雪はとっくに止んでいたけれどそれなりにダイヤは乱れていたらしく人がいつもよりも多い。

 駅から十分ほど歩いた場所にある病院坂家に着き、とりあえずリビングにいた妹を確認する。

「もういつでも行けるか?」

「ばっちりだよー」

 遅いよにいちゃん、とぶつぶつ言いながらも玄関に置いてあるヘルメットを手に取って外に出ていく。僕は財布の中を満たしてから電気を全部消して、バイクのカギをかぎ入れから取り出して、ドアの鍵を閉めてからガレージの方へと向かう。

 ガレージの中には父のハーレーと、僕が自力で金を貯めて買ったバイクであるホンダのCB400SUPERFOURがある。とりあえず凜子にしっかりとメットを装着させる。きちんと上下しっかりとした長袖である上にジャンパーも着させている。僕も大体同じような格好だ。きちんとグローブもつけさせて準備万端にした後、二人乗りで近くのレストランまで行く。

 夜風を裂いて走るバイクの音が気持ち良かった。



 次の日、朝八時。気持ちよく起きる。今日は講義もないので一日調査に没頭できるな、と思っていた矢先にとまりから着信。

 とりあえず出てみる。

「はい、病院坂」

「ねぇねぇねぇねぇ聞いて聞いて聞いて聞いて!スクープスクープ超スクープ!事件事件事件よ!」

「テンション高いなぁ……」

 こんなにテンションの高いのは前に殺人鬼と対峙した時以来である。まさか――――

「新しい被害者か?」

「うん!」

 元気いっぱいだった。人が殺されていてここまで喜ぶのはいささかながら不謹慎ではなかろうか。

「…………誰だ?」

「今回は大学近くでの犯行!これは鈴仙先輩犯人説再浮上だね!」

「いや鈴仙先輩は人斬るほどの実力ないんだろ?それじゃあ再浮上も何もない気がするんだけど…………」

「んー?あれは『模造刀では』っていう前置きありきだからねー。真剣で本気になればあのくらいの実力で十分斬れるよ」

「そんなもんか…………」

 どちらにしても今日やることは決まった。

 剣道サークルとやらに行って、もう一度鈴仙先輩に会い、さらにサークル構成員全員にある程度の聞き込みはしたい。

 どちらにせよ殺された間桐さん関係から辿っていくことしか、僕達に方法は無いのだから。

「ところで、今回殺されたのは誰なんだい?」

「んー、売れない舞台俳優ってところかな。一応劇団にいたけどあんまり舞台に出させてもらえなかったみたい」

 調査済みか。中々初動捜査が速い。

「ありがとな」

「いえいえ」

 冗談っぽく言ったとまりの声は少し嬉しそうだ。やはり初めて会った時よりも人間味が増してきている。感情表現も豊富になっていてなんとなくこちらも嬉しくなる。

「じゃあ、一時くらいにまた大学でどうだ?少しやることがある」

「ん。了解」

 そういって電話が切られる。

 それではやることを済ましてしまおう。

 推理。僕のこの事件捜査における役割はあくまでそっちだ。故に考える。

 殺された人間の共通点。殺し方の意味。殺人犯の気持ちになって、思考をトレースしていく。なぜこの人たちが殺されたのか?どうしてこの人たち以外は殺されなかったのか?思考の沼へと意識を沈殿させていく。

 考えろ――――――――

 思考を繋げろ。事件を繋げろ。

 被害者。まさか――――――――

「――――そうか」

 ある程度のアタリまではついたし恐らく犯行動機まではわかったけど、これでは誰が犯人なんかわかるわけがない。完全に詰みだ。

「うーん…………モチベーション下がるなぁ…………」

 独り言をつぶやいてみても特に状況が変わるわけでもないし全く意味なんて無いけれど、それでも呻かずにはいられなかった。

「この犯人探しは少しばかり難易度高すぎねぇか…………?」

 部屋の中に自分の不満が響く。この事件はしばらく待って警察からの状況証拠を確実に手に入れてからまた再開した方がいいか。とりあえず今日の捜査はもう徒労に終わりそうだな、と諦めてみる。

「本当、人生ってのはままならないなぁ」





 というわけで大学。とまりは今日はなぜかいつもよりボーイッシュな格好で来ている。

「どうしてだ?」

「今日はもしかしたら先輩ともう一回切り結ぶかもだしねー。一応女子的にめくれるとまずいし」

「おおう。まともだった」

 朝のテンションから通常に戻ったらしい。あのテンションで来られるともはや会話することすら困難になるになるのであまり精神衛生上よろしくない。

「早く行こうよー!剣道サークル!」

「どこにあるか場所分かるのか?」

「わかんない!」

「元気すぎて若干腹立つなぁ」

 このテンションの上がり方はいつものモノだ。もうすぐ悪人を殺せるという昂揚感なのだろう、事件が終盤に近づいてくるとそれに比例してテンションが上がってくるのがとまりの特性だ。善行をすることによって得られる快楽の絶対値が大きいとまりにとっては善行をする――――いや善行を犯すことはその行為自体もご褒美なのだ。

それと同時に死にそうなほどの罪悪感と虚無感も経験するらしいけど。

「えーと…………学校のガイドブックには一応第二体育館で活動してるみたいだな…………ここから近いんだっけか」

「うん。昨日行ったカフェテリアの隣にあるよね」

 二人並んで歩き始める。

「ところでさ」

 ん?と言いながら小首を傾げるとまり。

「一応犯人の動機とか、あの残虐性の理由、分かったぞ」

「え」

 ハトが豆鉄砲どころかダムダム弾食らったような顔をしていた。とても間抜けである。

「え?なに?会話すらなくてわかっちゃったの?それじゃ意味ないじゃん。アンタのモチベーション駄々下がりじゃん。もうこの事件完全に徒労じゃん」

「しかもだ」

 既にぽかんとしているとまりにさらに駄目押す。

「剣道サークルに行くこと自体無駄かもしれない」

「――――」

 絶句しているとまりを見て少しだけ可哀想に思えてきた。先程までのテンションからは想像できないくらいだ。口が完全に開いている。そんなとまりを無視してつらつらと自分の推理を語る。

「たぶんこの事件の動機――――そしてこの残虐性の理由っていうのはおそらく『人間を殺していない』っていうとこに帰結すると思う。手足をもいでいるだけで、勝手に被害者は死んでいるだけだ。被害者の共通点は昼に仕事をしていないとか、たぶんそういう程度だ。昼からずっとつけて、路地裏に入った瞬間に殺す――――いや、ただ手足をもぐ。多分このレベルの技量の人間だ、自分の力を見せびらかしたかっただけだったと思う。だけどこれはこれでまた興味がある。どうして手足だけをもいで『人を殺さなかった』のかを聞きたいし。意外とモチベーションは下がってないよ。やる気はないけど」

「それモチベーション下がってるじゃん!」

 至極言うとおりだった。正直会えれば幸運かな、くらいのノリだ。

「ひどい!最初あんなに乗り気だったのに!しかも人間殺してなかったら私殺せないじゃん!」

 いや結果的にはガッツリ殺人犯なわけだけれど。

 たぶんこいつの価値観の中では直接的な殺意で殺してしまっていなければソレは殺人を犯しているとは認識できないのだろう。自分の中のルールがほかの人間より以上に繊細に明確化されているとまりの弱点であり長所だ。

 故にとまりは突発的な殺人や過失による殺人は殺人とみなさない。

 と、なると。

「アタシもモチベーション下がってきたわ。帰っていいかな」

「駄目だって!さっきまでのテンション何処に行ったのさ!」

「火星」

「火星!?」

 ダメだ完全に適当になってきている。このままじゃ剣道サークルにすら辿り着けない。

「あー…………いや、僕の推理だからな?あくまで参考程度にしとけよ?」

「うー」

 もはや人語を使っていなかった。

「とりあえず剣道サークルの方に行ってそれからまた考える。それでいいな?」

「わかったわよ…………行くわよ…………ちっ」

 舌打ちされた。態度が変わりすぎだと思う。

 そうやってぐだぐだと歩くとまりを引きずりながらも体育館に着く。話しているうちにあまり遠くない距離が消化されてしまったらしい。二人ともローテンションのまま、面を打つ音と掛け声が響く道場に入る。

 面を外して腕を組みながら他の人にアドバイスを送っている鈴仙先輩が見える。

「そこ!もっと動作に緩急つけろ!」

 とてもじゃないが昨日膝から崩れ落ちた人間とは思えない。やはりアスリートであるのだろう、精神力と根性は常人の比ではない。

 こちらに気付いた先輩が少し顔をひきつらせながらこちらに近づいてくる。昨日ぼこぼこにした相手にも笑顔を向ける先輩はやはり人格者である。

「えと…………君たちどうしたんだい?」

「昨日聞き逃したことがあって」

 とまりは何となくやる気なく聞く。

「殺人事件の被害者、間桐さんのことについて聞きたくて」

「ふむ…………」

 少し沈黙してから、彼は語りだす。

「正直君たちに話す内容じゃないし、君たちが何なのかよくわからないから言うべきではないんだろうけど――――なぜか君達には言わなきゃならない気がするんだよな。多分君たちの強さに魅かれたからなんだろうけど。うん。間桐さんね。彼女、実はもうこのサークルをやめようとしていたんだよ。右足の腱を切ってしまっていてね。剣道をこれから先の人生で二度とできないレベルの損傷を、ね。彼女は剣士、いや選手として優れていたから非常に残念だったよ――――本当に、悲しいよ」

 悲痛な面持ちで語る先輩は、まるで自分のことのように悔しがっている。

「――――センパイ」

 後ろから亡霊のような声が聞こえる。

「――――稽古――――勝手にやってていいですか――――」

「ん?ああ構わないよ。左」

「――――はい――――」

 無表情な男はこちらを一瞥し、一礼した後中心に戻り、面をつける。

「今のは後輩の左中心。間桐ちゃんと同じくらいの実力者だよ。暗いけど、それも彼の持ち味だね」

「――――」

 なぜかとまりが絶句している。

 どうしたのだろうか。

「ああ、あとそれでね」

 先輩は絶句しているとまりに目もくれずに話し始める。

「僕はね、学校をやめて剣道場を開こうと思っているんだ。きみに――――とまりちゃんに負けて気が付いたんだ。僕はやっぱり剣道が好きなんだ。だからもっと多くの人に剣道をやってほしいからね。決して君に負けて心が折れたわけじゃないんだよ――――確かに傷ついたけどね。でも、それ以上に成長できたんだ。本当に感謝してるよ――――ってどうしたんだい?とまりちゃん」

 鈴仙先輩の素敵な発言をすべてスルーしたとまりは左を凝視している。その目は。

 殺意に満ち満ちていた。

「――――っ」

 別に左君の技が素晴らしいわけでもない。強さで言ったら先輩の方が上だが。

 何かが違う。

 アレは、剣術――――

「…………先輩、学校、やめるんですよね」

「ん?ああ?でもそれは新たな夢の為に――――」

「そんなことは関係ないんです。やめたという――――いや諦めたと見えるだけでもう充分なんですよ――――」

 とまりは低い声で言う。

「先輩。夜帰るときに一報お願いします。一緒に帰りましょう」

「ん?いや…………いいけど…………」

 少し不思議そうに承諾してくれる先輩。とまりはいきなりどうしたのだろうか。

「ありがとうございます。では大学内にいるので何かあったらお願いします」

「うん。わかったよ。暗くなってから帰るようだけど、いいのかい?」

「ええ、その方が好都合ですから」

 では、と言ってすたすたと一人で行ってしまうとまりを追いかける。

 困ったような顔をした先輩に見送られながら道場を後にする。

 突然動き出したとまりに追いついて事情を聞き出す。

「とまり!どうしたんだ!」

「ん。わかったから。この殺人事件の全て」

「え?」

 なんだって?今なんて言った?

「動機とかはまだ分かんないし、それはアンタの領分だから」

「お、おう」

 なにを言っているのかわからない。

 でもこれだけは言える。いや言わせてほしい。

「あと五時間以上暇じゃねぇか!」






 最終的に六時間の壮絶な暇潰し(内容的にはひたすらツイッターに規制かかるまで連投して見たり凜子に電話かけたりとまりと対戦格闘ゲームをやりに行ったりするくらいだけど)の後にようやく先輩から帰宅の報告が来た。急いで道場まで行くと、ラフなスタイルで待っていた先輩に手を振られる。近くの女子生徒からの目が痛いけれど、そんなことを気にすることができるほどの余裕はなかった。何故なら、ついさっきとまりから衝撃の事実を聞いたからだ。

「犯人はわかった」

「そして、今日恐らく先輩は襲われる」

 それ以外の事をとまりは話してはくれなかったけれど、何か根拠があるのだろうと期待する。

 つまり。

 先輩を餌にして、今日、これから殺人犯と対峙する。そういう状況で緊張しない人間はいない。

「やぁ!ごめんねこんなに待たせてしまって」

「いやいいんですよ…………」

 すまぬ先輩。あなたエサです。

 そう言いだせるわけでもなく。

 ついに殺人犯との対決が。

 始まる。




「で、どうして一緒に帰ろうだなんて言い出したんだい?」

「え?」

 とまりが先輩の質問に答える。

「あなたが今日、殺されるかもしれないからです」

 ド直球だった。

 なのに。

「ふむ。そうか」

 先輩は何故か悟りきった顔で答える。おかしい。まさか何か心当たりがあるのか?

「左君、かな?」

「ええ。彼は明らかにこちら側の人間です。多分間桐先輩を殺したのも、そうです」

「うん。君と戦ってやっとわかったよ。左君は君と同じにおいというか、雰囲気をしていたんだ。君もそういう人種かい?」

「わかりません。やっていることは一緒でも動機は全く違いますし、私は自分のすることを認めていますから」

「君は強いな」

「ええ。わかっています」

「あはは!」

 何を言ってるのかさっぱりわからない。

「ときに、病院坂くん」

 突然話題を振られてどきっとする。

「はい、どうしましたか?」

「君は――――」

 一拍おいて、決意をしたように、問う。

「どうしてここにいるんだい?」

「――――殺人犯を、殺すためです」

「君に左君は殺せないよ」

「殺します。その意思を、心を、精神を、中身をすべて殺します。そのために僕はいます」

「…………」

「肉体の方はとまりに任せますけど――――中の方は、僕が殺戮します」

「…………君も、強いな」

 いいコンビだよ君達は。

 そう言った次の瞬間。

 先輩の後ろには。

 左君が。

 刀を。

「――――――――っ!」

 先輩を力の限り押し退ける。先輩の体は右側に逸れ。僕の目の前に刀を持った殺人犯――――左君が――――剣を振り下ろし―――――――――――――

「      」

 ばつん。

 僕の右腕が。

 跳ぶ。

「ぐ」

 呻くことすらできないぐらいの激痛。

 もう一度振り下ろされた刀を神速で駆けつけたとまりがナイフの腹で受け流し、わき腹を鋭い蹴りで貫く。左君の体が吹っ飛ぶが、彼は空中で体勢を立て直して猫の様に着地する。

 痛覚が焼ける。神経が蕩ける。頭の中はノイズとフラッシュで覆い隠されている。目の前は完全にホワイトアウトしている。

 意識がと――――ぶ――――

 ガン!

「―――――気絶しないで!死ぬわよ!」

 ナイフの柄で思いっきり殴られた。

 頭の中が正常域まで戻る。いや正確には戻っていない、完全にアドレナリンだけで今意識を保っている。

「くっそ――――痛い――――」

 とまりが自分の服をナイフで切り、一気に止血を始める。

 足元に赤い血溜まりが範囲を広げていく。ねばねばとした液体が腕を伝わらないで方から直接溢れていく。

やばい。死ぬ。

「大丈夫だ!君は死なない!いや死ぬな!頼むから!」

 先輩が涙声のまま励ましてくれる。そんなことしてるくらいなら逃げてくださいよ――――

 だけど先輩のおかげで辛うじて意識を保っていられる。目前ではとまりがナイフを構える。

「――――ぁ――――」

 声が出ない。一回息を吸い込んで。もう一回。

「左君。君は、なぜ、人を殺す」

「――――知れたことです――――進歩をやめた人間に――――生きる価値はありません――――」

 ゆっくりと、しかし確かな意思をもって語る。

「夢を諦めた人間――――進歩から逃げた人間――――そんなモノに――――人間である権利はない――――だから――――」

 殺した。

 そう言った左君――――いや左は、改めて刀を構え直す。

「……………………手足を、斬ったのは?」

「――――夢に進む足も――――夢を掴む手も――――いらないだろう?」

 あくまで無表情で語る左は、やはり殺人鬼のそれだった。

「……………………その程度か」

 僕は呟く。その呟きを聞いて左の顔がピクリと動く。

「その程度かと言ったんだよ三流」

 はっきりと声が出た。

 痛みは、もう感じない。

「手前勝手な殺人理由だな」

「――――どうせそっちの女も――――同じく――――ぼくと同じようなモノだろう――――殺人鬼なんて――――そんなものだ」

「お前如きがとまりを語るな。殺すぞ」

「――――君にぼくが殺せるとでも」

「殺すのは僕じゃない。とまりだ。君にはもう興味なんてない。もっと高尚な理由で人を殺してくれればよかったよ。君に殺された間桐ちゃんも報われない。右腕を飛ばされたのも不快で仕方ない。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ!」

 不快感で頭がバグる。

 右腕なんて知ったことじゃない。

「左中心」

「お前は殺人犯らしく」

「くだらない殺人犯らしく」

「殺されとけ」

 とまりがナイフを構え直す。

「アタシの名前は捌限とまり!正義の殺人鬼!生まれて生きて死ぬまで全てを自分の正義に捧げた!アンタは正義じゃない!だから!」

 表情からは読み取れないが明らかに激昂している左が刀の柄を握りしめる。

「――――ぼくは人間以外を認めない――――夢を求めない豚なんて皆殺す――――そしてそれを邪魔する殺人鬼なんて――――」

 両者の声が被る。

「「ぶっ殺す」」

 その瞬間。僕の意識は闇に溶け込んだ。

 最後に見た光景は。



捌限とまりのナイフが。

左中心の心臓を。

貫いている、光景だった。

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