3分間の幻想
この短編小説に意味はありません。
目に止まった貴方は、すっと流し読みして。
そっと記憶から消してください。
…星を見ていた。
ふと、誘われるように、意識を攫われるように。
目的があって来たわけでもない。家から歩いて五分ほどの寂れた公園で、雨風に曝されて半ば朽ちたベンチに浅く腰掛けて、夜空を見上げていた。
周りにあるのは田植えが済んだばかりの水田。私を照らし出すのは、星明かりだけ。
舗装もされていない砂利道を走る車もなく、夜中に散歩に出かける近隣の住人が居るわけでもない。
普段なら嫌気が指すほどの虫や蛙の鳴き声が、今、この瞬間においてはとても心地よいものに感じられた。
私がこの世に生を受けてから、17年。
私はいったい何をしてきたんだろうか。何が出来たんだろうか。
思い返せば、色々な思い出が浮かんでくるものだ。…たった17年しか生きていない小娘が何を言うか!とお年を召した方々に言われそうではあるが。
小学3年生の頃、大好きだった飼い犬の『ラビ』がこの世から去った時も、この公園に来たんだったか。
私が生まれる2年前から我が家に子犬の時に拾われてきたダックスフントの可愛らしいお姉さんだった。
家では『ラビ』が裏庭に埋葬されようとしていたのに、彼女が死んだということを認めたくなくて、泣きながら走ってきて、またブランコに腰掛けて泣いたんだったか。
結局、夕方になってお母さんが探しにきて、夕焼けに染まる裏庭のちょっと小さなさくらんぼの木の下で、また泣いたんだったか。
小学校6年生の頃、いつも一緒に遊んでた仲の良い男の子が、急に引っ越すことになって、この公園でさよならを言われたんだったか。
いつもと全く変わらない様子で、隣に並んでブランコを漕いでたのに、急に引っ越すんだって告げられて。
結局、さよならも、またねも言えずに、ただ相槌をうつしかできなかったんだったか。
もちろんあの時も、さよならって言って帰っちゃったあの子の後ろ姿を見送って、この公園のベンチで泣いたんだったか。
中学2、3年生の頃、頑張ってレギュラーに入ろうと奮闘していたけど、結局どの試合でも結果が出せなくて、悔しくてこの公園のコンクリート壁に夢中で壁打ちしてたんだったか。
結局、最後までレギュラーにはなれなくて、中体連は人一倍の声で応援して、あっさり強豪校に負けちゃった仲間と一緒に泣いたんだったか。
学校で最後の挨拶して、みんなで写真を撮って、トボトボと歩いて帰る道すがらこの公園で、枯れ果てて声も出ないまま、何を悔しがっているのかわからないままボールの跡のついた壁にもたれて泣いたんだったか。
あの時も、あの時も、と思い出が溢れてくるけれど、結局この公園に残っているのは悲しい記憶ばかり。
私の流した涙も、この公園の土に混ざって、たくさんの雨に流れて、どこかに消えてしまったのだろうか。
ふと、大声を出して叫んでみたくなる。
今は夜だ。田舎の夜は犬の遠吠えもよく響く。やめとこう。
高校2年生にもなって、子供っぽいなんて言われるかもしれないけど、何となく、無性に泣きたくなった。
思い出に映る私を見て、本当なら笑い飛ばしてやりたかったけれど、ブランコに座る私が、ベンチに顔を伏せる私が、壁にもたれかかる私が、
泣いて欲しい
と懇願するのだ。
どの私も、ベンチに座って星を見上げる私の方なんて見ていないのに、言葉にならないほど泣いているくせに。
ああ、泣いてやろう。
泣けば、またこの公園で泣いている思い出が増える。
でも、次は私は何のために泣けば良い?
感傷に浸って何となく流す涙で良い?
それとも、最近何か悲しいことがあったか思い出してみようか?
訳がわからなくなって、私は泣いた。
上を見上げたまま。星を眺めたまま。
頬を伝った涙は、雫になって、私のパジャマのズボンに吸い込まれていった。
ちょっと湿った感覚を覚えた時、私はやっと気づいた。
今まで泣いてた私は、
みんな、地面を向いてたんだなって。
そりゃ悲しいときって下を向くだろうに。
そりゃ寂しいときって下を向くだろうに。
そりゃ悔しいときって下を向くだろうに。
じゃあ、いまは?
上を向いて泣くときって、どんなとき?
たまたま私が今まで上を向いて泣いた経験がないからだろうか。
甲子園で惜しくも敗退してしまった高校球児達は、夏の高い空を見上げて泣くの?
分からない。しかし、何となくそれもあっていいような気がした。
へとへとになるまで戦って、もう足腰が立たなくなって、地面に倒れ込んでしまったとしたら、私も上を向いて泣くんだろう。
泣きながら、そんな訳の分からないことを考えて、また頬を流れる涙の感触を私は感じていた。
帰ろうかな。まだここにきて3分も経っていないけれど。
右手の甲で流れ落ちる涙をゴシゴシ拭いて、私は半ば朽ちたベンチから立ち上がった。
私の正面には、壁にもたれて地面に涙を零す私がいる。
私の左手には、ブランコに腰掛けて地面に涙を零す私がいる。
私の右手には、朽ちたベンチに伏せて地面に涙を零す私がいる。
ここには、星を見上げながら零した涙の頬に残った一雫を右手の人差し指に乗せて、眺める私がいる。
きっと、またこの公園に私の欠片が零れていくんだろう。
だから、今日も、
「私の涙、置いてくね」
私は、そっと右手を振るって、雫を地面に落とした。
帰ろう。
公園の出口でもう一度後ろを振り返ってみた。
泣いていた私たちはもうそこにはいなくて、代わりに、涙が溢れた場所が、綺麗にキラキラと光って見えた…気がした。
星みたいだ。すぐに消えてなくなってしまったけど、確かにそこには、星の雫があった。
3分間の幻。3分間の想い出。
私だけの、私たちだけの、
輝いた、たった、3分間の幻想。
帰ろう。
今日は、何となく、星を見ながら帰りたい気分だ。