好きな人に体操服を嗅がれるところだったわ
「はぁ…そういえば体操服が破けちゃって使い物にならないんだった、買いなおさないとなぁ…もったいないけど破れたのは捨てよう」
「そういえばお兄ちゃんがこの辺りにブルセラショップがあるって言ってたぜ、どうせ桃子の体操服は捨てられてもストーカーに拾われるんだ、いっそのこと売りにいこう!」
「…縫って直そう」
私、正留水面と幼馴染にして私が想いを寄せている葵愛生。両方毎日決まった時間、それも2人とも同じ時間に家を出るタイプの人間なようで、大抵一緒に登校している。幼馴染の特権というものかしら?
それは向こうで話をしている2人の可愛らしい女子高生も同じみたい。だからあの2人の事も大分わかってきたわ。
背の高い金髪の子はさなぎと言って、素敵な彼氏と変態の兄に愛されているようね。
背の低い桃髪の子は桃子と言って、自分が可愛いが故に恋愛ができないと悩んでいるようね。
桃子さん、同じ恋愛に悩む女性として言わせてもらうわ。くたばれ。
「水面はブルセラショップに行ったことある?」
「そもそもブルセラショップって何?」
ブルセラ…ブルーセラミックスの略だろうか、どちらにせよ意味がわからないけど。
「俺も行ったことないんけど、女の子の下着とか専用の古着屋みたいなもんかな」
「…そしてそれを買うのは男ってわけね。愛生、朝からそんな気持ち悪い話をしないでくれるかしら、ただでさえ今日は気分が悪いの」
金のために自分の下着を売りにいくような女にはなりたくないわね。
まあ、他人の下着を欲しがる男を好きになってる時点で同じようなものなのだろうけど。
今日は体育の授業がある。体育は得意だが、今日は見学するつもりでいた。
その、なんというか、今日の私は一段と女の子なのだ。
人によって個人差はあるのだろうけど、私はかなり辛い。
体育の前の授業が終わり、今から着替える時間だ。女子は体操服の入った袋を持って更衣室へと向かっていく。
ふと、奏さん…愛生が想いを寄せる、いわば恋のライバルが教室を出ずにおどおどしているのに気が付いた。
「どうしたの、奏さん」
困っている人はあまりほっておけない人間だ。恋する相手の奇行はほっておくけれど。
「あ、正留さん。実は、体操服忘れちゃったみたいで」
なるほど、それで困っていたのね。
私は自分の体操服入れを奏さんに手渡す。
「そういうことだったら、私のを使って。今日は体育を見学するから」
奏さんにはちょっと大きいかもしれないが、問題はないだろう。
「で、でも、私汗かきだし」
「気にしないでよ、困っている時はお互い様よ」
本音を言うと罪悪感かもしれない。何せ私は愛生が奏さんの靴を隠すのを見過ごし、傘を隠すのに加担し、お弁当を盗むのを見過ごしているのだ。
「あ、ありがとうございます!ちゃんと洗って明日には返します!」
私を尊敬するような眼差しで見ないで。辛いから。
今日の体育はマラソン。野球やサッカーだったら見学し甲斐もあったのでしょうけど、マラソンは目の前を走っている人しか見れないし見学し甲斐がないわね。
結局タイムを計るとか体育教師の雑用をする羽目になったわ。
そうしていると、愛生と奏さんが仲良くゴールイン。
私がサボらずに体育に出ていれば、今ごろ愛生の隣には私がいたのだろうか?
体育の次の授業は移動教室。視聴覚室で道徳のビデオを見ながら愛生をうかがうと、なんだか落ち着きがない。あれは間違いなくよからぬ事を考えている。今日は何をやらかすのやら。
案の定授業の終わりのチャイムと共に愛生は真っ先に視聴覚室を出て行った。
この間は奏さんのお弁当を盗んだけど、今日は何を盗むのかしらね?
今日は体育の授業があったし、体操服かしら?
…ん?
ここにきて大事な事に気づく。奏さんは私から体操服を借りているわけで。
洗って返すからと自分の机に私の体操服入れをひっかけているわけで。
私は急いで自分の教室に戻る。
ない!授業の前にはあったはずの、奏さんの机にひっかけられていた私の体操服が!
教室を飛び出して愛生を探す。ワンパターンな愛生の事だ、どうせ前回お弁当を食べようとした空き教室にいるに違いない。
「ま、待ちなさい!」
「うおっ!」
空き教室のドアを開けると今まさに愛生が私の体操服を嗅ごうとしているところだった。
愛生が、私の好きな人が、私の体操服を。自然と顔が赤くなっていく。
「み、水面!た、頼む!誰にも言わないでくれ!ちゃんと体操服は返すから!」
「言わない、言わないから。とにかくそれは駄目なの、その袋をそっちに寄越して」
「何で駄目なのさ、俺が奏さんの体操服を嗅ごうと水面には関係ないじゃないか」
関係大有りだ。確かにその体操服は奏さんの汗と匂いが染みついている。
けれどもそれ以前に私の汗と臭いも染みついている。
自分の唾液のついた縦笛を舐められるのはまだいい。関節キスなんて自然と起こることもある。
だけど体操服を嗅がれるのは私的には駄目なのだ。
汗や臭いは、好きな人には嗅いでほしくない。だから私達女の子は制汗スプレーなどを使っている。
そういう必死で隠しているものを、それも他人のついでに嗅がれてしまっては困る!
「駄目なものは駄目なの、また今度にしなさい。気絶したくなければ」
この時の私は恥ずかしさで気が動転していたのでしょうね。
気が付けばファイティングポーズを取っていたわ。
そしてどうやら愛生は忠告を無視して、私と戦う道を選んだ様ね。
欲望に支配された愛生が私に野獣のように襲いかかってくる。
好きな人に襲われたい、という願望がないわけではない。
例え嘘でも愛生に真顔で好きだ、と言われて今のように襲われれば、
私はきっと喜んで体を差し出すでしょうね。
だけど今は喜んで体を差し出す時でなければましてや負けていい時でもない。
ワンパターンな愛生の攻撃をかわし、掌底を数発打ち込んでやる。
吹き飛んだ愛生は机と椅子をいくつか倒し、その中に埋もれて動かなくなった。
…ちょっとやりすぎちゃったかしら。だけど武道を嗜む者として怪我はしないように配慮はした。
悪いのは全部愛生よね、と自分に言い聞かせながら体操服入れを持って教室を出る。
その後ごめんなさい体操服入れ無くしちゃいましたと涙目で謝ってくる奏さんに、
放課後に使う用事があったから取っていったの、何も言わずにごめんなさいねと逆に謝ることになった。
そう、謝っても謝り足りない。
「駄目なものは駄目なの、また今度にしなさい。気絶したくなければ」
あの時私はこんな事を言ってしまった。また今度にしなさいと。
つまり奏さんの体操服なら別に嗅いでもいいわよと言っているわけだ。
間違いなく、近々奏さんの体操服は愛生に嗅がれる。そして私はそれを止めない。