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ものを見る角度

 体育館シューズが床にこすれるキュッキュッという心地よい音が、人気のない体育館に響いている。ミチルはそこに神楽の姿を認めた。

 ボールを器用に脚の間で八の字ドリブルさせたかと思うと、流れるような動きでそのままゴールにシュートする。その姿はまるで猫科の動物がジャンプしたようで、思わず足を止めて見とれてしまった。

 放たれたシュートはキレイに弧を描いて、するりとゴールネットに吸い込まれる。

 綺麗な人間は、やっぱ何やっても綺麗だな。それにひきかえ……。

 体育館の壁にもたれ、お弁当をモグモグ頬ばっている幼馴染みを見て哀れを感じた。体操服と同じく制服も大きめのものを着用しているので、腕を曲げたシャツの袖にはとんでもなくシワが寄っている。なんだか高校の体験入学の遠足にきた小学生がお弁当を食べているようだった。

重い足取りで近づくミチルに気づいた集は、箸を持った手を挙げる。

「よお。おまえ早退しなかったのかよ」

 それだけ言うとまた弁当に視線を戻し食べ始めた。

「うん。でもここ来るつもりは無かったんだけどね。なのにさァ」

 神楽も手を止めミチルを振り返ると、笑顔をむけて挨拶代わりに軽くボールを挙げる。比較的タレ目な神楽の笑うと下がる目尻の色っぽさに、ミチルは疲れたため息をついた。

 先ほど二人の女子からいわれのない圧力をかけられ、結果、二人が立ち去った後も教室に居づらくなり、弁当もほとんど手つかずでここに来ることになってしまった。魔女二人の退出後、神楽の過去だのなんだののうわさ話がヒートアップしたからだ。

 一年ダブっているのは傷害事件を起こして鑑別所に入っていたからだとか、いやいや、女の子を妊娠させて学校をクビになったのだとか、はたまた、体が弱くて手術をしたせいだとか、外国に行ってたんだとか、こっそりやってるモデルの仕事が忙しくて単位を落としたのだとか。

 もちろんミチルへの口止めを忘れていない。そしてそうされればもちろんミチルは神楽にリークすることはできない。女の世界は狭くて恐ろしいのだ。

 噂話はつきず、どこまでも無責任な話題にミチルは完全に食欲を無くしてしまった。

 モデルの話に至っては、こっそりやってるモデルの仕事が忙しいって何だッ?モデルなんてもんは学校やめるほど忙しけりゃ「コッソリ」なんて無理だろッ!と、つっこみたくもなったが、彼女達にとって神楽は身近な都市伝説のようなもんなんだろうと思い直し、訂正ではなく逃亡の手段をとったのだった。実際、訂正する為の真実も知らないのだからしょうがないと自分に言い聞かせて。

 しかし、本来今一番避けたい相手の居るところが避難場所というのは何とも皮肉な話だ。

「だってさ、お昼ご飯の話題がさ、植物に……状態の人の子供を産む人の話なんだよ」

 神楽の話以外で覚えていたのは、結局それだけだった。

「シュールだな」

「それって、ひょっとして、モデルのルミカの話じゃないの?」

 神楽が長い指先でバスケットボールをクルクル回しながらこちらへやってくる。それを見るたびに、あんな大きなボールがよく落ちないものだと感心する。

「えーとね、ポワールってバンドの人の奥さん」

「うん。彼女、知り合いの先輩らしいんだけど、なんか可哀想な話だよね。脳死状態でも何でも、ただ旦那さんの子供を残したいだけなんだろうに、周囲から叩かれて、結局妊娠・出産も許可されなくて」

「なんか、別居してたのにって。印税目当てだとかって……」

「別居してても妻は妻。既に権利は十分あるでしょ。脳死は植物状態と違って回復の見込みがないから、よっぽどの覚悟だったんだと思うな。……こういう言い方はまだ心臓の動いている人に対して不謹慎かもしれないけど、これからもう居なくなることが確実なわけでしょ。顔も見たくない程嫌いな男の子供なんて、欲しくないよね」

 神楽から聞く「モデルのルミカさん」という奥さん側の立場。言われて始めて、友人に言われるままにすっかり「ルミカ」さんを悪いイメージで見ていたことに気づいた。

 人工授精はとてつもない精神力がいると聞いたことがある。それを、しかも死んでいく人の子供を産むなんて、そんな軽い気持ちでできっこないよなあ。旦那さんの立場にしろ、奥さんの立場にしろ、偏った側から一方的に決め付けちゃいけないんだ。

 発生元から火の粉のかからない距離で一人歩きした噂話は、適当に、いかにもな尾ひれをつけてどんどん厭らしくなり人を傷づける。

 噂話にいたたまれなくなって逃げてきたはずが、これでは噂話に興じていたのと何ら変わらない。それどころか、良い子ぶってる分一層タチが悪い。

 自己嫌悪に小さなため息が出た。

「おまえなあ、自分がメシ時にされて嫌だった話題を人の前でしてるっていうのは、さっきの雑巾のリベンジか?」

 集に言われ二重に胸にささる。やっぱり同じ穴の狢だ。

「ごめん。リベンジはちゃんと別でするから安心して。……熱とか夢とかいろいろ、なんか疲れたっぽい」

香坂(こうさか)さん、まだ熱下がってないんでしょ?無理しない方がいいよ」

 優しい言葉をありがとう。まあ、原因の一端はあんたにもあるんだけどね。

 二人の魔女を思い出し、少し身震いがした。魔女怖い。

「そーだそーだ。風邪引かないはずの馬鹿が熱出すってよっぽどだぞ。さっさと帰れ帰れ」

 思いやりのかけらもない幼馴染みの言葉。ミチルは集のペットボトルをひっさらうと、半分残っていたお茶を一気飲みした。

「あッ、おまえ、なんて事すんだよッ!ふざけんなッ!買ってこい!3秒で買ってこいッ!」

「ケチなこと言わないの。可愛い幼馴染みの乾いた喉を潤せるという光栄。ありがたーく思いなさい」

「おまえは馬鹿か、って、いや、馬鹿は知ってるけど、ほんっとに救いようのない奴だな!へたくそな奴の金魚すくいのポイかッ!」

「わかりにくい上にリズム感悪ッ」

「ポイって何?」

「神楽知らないの?金魚すくうときに使う、あの紙とか最中でできたワク」

「あー、なんかそんなイメージかァ」

「え?おまえ、ひょっとして金魚すくいしたことない?」

「うん。残念ながら機会がなくて」

「はあッ?おまえは修行僧かッ!日本の若人で金魚すくいしたことない奴がいるなんてッ!いかん、それはいかんぞッ!幸町2丁目の金魚すくいマスターと言われたこの俺様が、今度連れてってやるから心しておくようにッ!」

 まず、「修行僧か」のツッコミが謎な上に、物心ついたときからの付き合いになるが、「幸町2丁目の金魚すくいマスター」と呼ばれた話はついぞ聞かない。しかし神楽を見るとニコニコ目尻を下げて、「うん。楽しみにしとくよ」などと言っていた。なんだか孫とおじいちゃんのようだ。 

 集はといえば金魚すくいの極意(集が思っているだけ)を熱弁している。すっかり茶のことは忘れてしまったようだ。そして、饒舌に語る集にいちいち頷く神楽の笑顔を見て「何が楽しくて一緒にいるのか」という、あらたまって芽生えたささやかな疑問は氷塊した。

 神楽自身で自分が色々な噂の種になっていることを知らないはずがないだろうから、集のような噂話と無縁の子供相手は気が楽なのかもしれない。この数週間一緒にいる機会も多くあったが、実際、神楽が他の同級生にこんな表情をするのを見たことがなかった。

 そんな神楽君に……、そんな神楽君に噂の真実だとか、彼女の有無だとか聞けないッ!いや、彼女の有無くらいは別に聞いてもいいのかもしれないけど、それはもう、私のプライドが許さないッ!

 それを聞いてしまうことは、魔女に魂を売ってしまうことのような気がする!そうよ、そんなに好きなら自分で聞けって話よッ!

 そうしてミチルも、金魚すくい談義に加わった。

「エアポンプとかフィルターの傍は駄目よ!流れでポイが破れやすくなるから!」

 勢い込んでいったミチルに、少し笑いを含んだ声で神楽が言った。

「香坂さんって、やっぱり集の幼馴染みだね」

 集と同じレベルにされたことに、ちょっぴり屈辱を感じたミチルであった。

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