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急襲

「……って、あれ?……カグラくんって、誰だっけ」

「って聞かれても。何、お下げちゃん、何か思い出したの?」

「あ、いや、これといって別に何も。なんか口が勝手に……」

「ありゃーあ?チルチル、ええー?」

 カイトがミチルの横にドッカと盆を置き、テーブルに肘を載せてミチルににじりよる。

「それって、リアル世界の彼氏?きゃー、爆弾発言。まあなあ、意識無しで自然とこぼれるくらいなんだから彼氏なんだろうなあー。だってさ、タケルッち」

 話をふられたタケルは仏頂面で盆の上から皿を取ると、無言でカイトの横に座り、右肘をついて、こちらに背を向けるようにして食べはじめた。

「タケル君、お行儀悪い」

 アヤはタケルに指導してから机に身を乗り出し、ミチルの肩をつかんで自分の口元に引き寄せる。

「あー、アヤもお行儀悪い」

「トキオ君はちょっと黙って」

 意外な力関係。

 アヤは引き寄せたミチルの耳元で声を上げた。

「ミチルちゃん、違う男性の名前言っちゃ駄目でしょうッ?怒らせちゃったわよ」

 本人は声を潜めているつもりかもしれないが、すっかりだだ漏れになっている。アヤの指導で前を向いたタケルの顔が一層険しさを増した。アヤは仮面カップルの事実を知らないので、弟分の不機嫌の理由を完全に誤解している。何よりカイトの「アヤポンラブ説」が正しければ、好きな相手に何より受けたくない誤解に違いない。ミチルは何やら申し訳ない気持ちになってしまった。

「そんなんで怒るなんて、狭量なんだからぁ、タケルっちー」

「あら、それで怒るのはミチルちゃんのことが大好きだからよ!私だって、元の世界にトキオ君の彼女が居たって考えたらとっても切なくなるものッ!」

 聞けば聞くほど肩身が狭くなってくる。

「何言ってるんだよ、アヤ。ボクはいつもアヤ一筋だって言ってるだろ?これ以上の気持ちなんて絶対ありえない。どこの世界の誰よりも大切なボクの一番なんだから」

「私もよ、トキオくん」

「健やかなる時も、病めるときも、喜びにも、悲しみにも、富めるときも、貧しい時も、君を愛し、君を敬い、君を慰め、君を助け、この命が尽き果てようとも、ボクは真心を尽くす」

「トキオくんっ!」

 ……さ……寒い。

 もう肩どころか、全身が狭まるくらい居づらい空気。前の席で繰り広げられる壮絶な光景を直視できず、ついつい皿に視線を落としてしまう。

 タケルはこの光景をどういう心境で目にしているのか。気になって、落とした視線をタケルの方に向けた。アホクサーと言いながら、完全に食べることに集中し始めたカイトの横で、ものすごい勢いで食べ物をかき込むタケル。あっと言う間に食べ終えて、さっさとその場に立ち上がる。席を離れようとしたタケルに、慰めと詫びの言葉をかけた方がいいのかとミチルも立ち上がった。

 寒さから逃れたかったこともあるが。

 そしてその時――事件は起こった。

「カズネさーんッ!」

 娯楽室と学習室の間にある通用口で、タクトの悲痛な叫びが響いた。

 タクトはカズネの姿を見つけると、躓きそうになりながら駆け寄ってその服を掴む。

「あんた、娯楽室でいたんじゃなかったッ?」

「来てッ!早くッ!」

 普段どちらかといえばヤンチャなタクトの顔から、すっかり血の気が失せている。タクトのあげる甲高い声はもはや意味をなしていなかったが、その姿を見れば、ただならぬ何かが起こったことは明白だった。タケルとトキオはもう既に娯楽室前の通用口から外へ駆け出している。

 遅れて食堂を出たミチルが監禁室の前で目にしたもの――。

 視覚に飛び込んだその惨状は、ミチルの脳内で現実として結びつかなかった。

 それはあまりにも凄惨で、残酷で、非現実的で…。

「シュン!シュンッ!しっかりしろッ!」

 声をあげながら、タケルがもどかしそうに自分の着ていた薄手のパーカーを脱いでいる。

「ば……ばけ……もの……。ヒ、ヒサ、サシが、おい……お……おいはらった……け、ど」

 ひきつれるように必死に言葉を絞り出すタクト。

 手に火のついた松明を持ったヒサシが放心したように座り込むその先――。

「ヒサシッ!お前はなんともないのかッ?ヒサシッ?」

 トキオに揺さぶられ、目を見開いたままのヒサシの手から松明が落ちた。一瞬火の勢いが強まり、オレンジ色の火の粉が舞う。

「アヤッ!子供達連れて中戻れ!部屋から出すなッ!センくん、ヒサシを頼むッ!あーッ、クソッ!なんだって外に出たんだよ!」

 薄闇の中、黒い飛沫が地面を濡らし、濃い血の臭いが立ちこめる。

 完全に動く意欲を失ったヒサシをセンが担ぎあげた。その先には  。

「……ュン……」

 血を吸って黒くなった砂の中央にあったのは、仰向けに倒れたシュンの体。

 弱々しく上下する胸の動きで、かろうじてその命が繋がっているのだとわかる程度にシュンはボロボロになっていた。

 あちこち破れた水色のシャツが赤黒く変色している。同じ血を吸ったタケルのパーカーが、ヒサシの落とした松明の火で真っ赤に浮かび上がっていた。

 タケルの服はよく血まみれになるな……。

 こんな時にそんな場違いな感想が浮かんだのは、タケルのシャツで被われたシュンの右の膝から先が、すっかり失われてしまっていたからかもしれない。あまりに現実感のない衝撃。

「大丈夫だ、しっかりしろシュンッ!今、薬くるからなッ!」

 タケルがその小さな体を抱き上げ通用口から中へ駆け込むとき、だらんと垂れ下がったシュンの柔らかな、あのクリームパンのような手がミチルの腕をかすめていった。

「い………たい…よ……」

 シュンの喘ぐような小さな声が、動いた風に乗ってミチルの耳に届く。

 緩慢とした動作でミチルはシュンの手が触れた場所に目を向けた。

 一本の赤い筋。

 それを目にした瞬間、まるで呪縛が解かれたかのような現実感がミチルを襲った。ミチルははじかれるようにして通用口から建物の中に駆け込んだ。

 開け放たれた学習室の中からシュンを呼ぶ声が聞こえてくる。

 大きなテーブルの上に横たえられたシュンの血の色を失った姿。膝から先を失ったシュンの太股の付け根と膝の上部をしばりながら、タケルが必死に声をあげていた。

「邪魔ッ!どいてッ!」

 入り口に立っていたミチルを押しのけるようにして、大量の布を抱えたトキオが部屋に飛び込んでいく。何をどうしていいかわからずただ立ちつくすミチルに、トキオが振り返りもせず怒声を上げた。

「ボーっと突っ立てないで水汲んできてッ!」

「は、はいッ」

 ミチルは言われたまま水場へと走り、井戸の水をくみ上げようとロープを手に持った。その時グウっと喉が鳴ったかと思うと、先ほど口にした夕食が胃から迫り上がる。こらえることができず、それでもなんとか井戸から少し離れたところで全て戻してしまった。内容物を全て出し尽くしてもまだ吐き気は収まらず、何度もえづいてミチルの顔は胃液や涙でグチャグチャになった。

 なんでこんなッ!

 なんでこんなッ!!!

「ああああああああッ!!」

 ミチルは声の限りに叫んで、桶に溜まった水の中に頭をつっこんだ。鼻や口に水が入るのも構わず、それでも水の中で叫ぶ。空気の固まりがゴボゴボとミチルの顔の横をすりぬけていった。

「ゴホッ!ゴホッ!」

 桶から顔を出した時には鼻が痛み、器官に入った水で大きく咳き込んだものの、冷たい水で頭が冷えたことと、吐瀉物が喉の奥から流されたことでなんとか吐き気は収まった。

 頭から滴を垂らしながら再び井戸にさがるロープを手にする。井戸の傍らに伏せられた取っ手のついた桶に水を移すと、飛沫をまき散らしながら学習室に走った。

「ほら、ごっくんして。シュン。だめだよ、ちゃんと飲み込まないと」

 シュンが横たえられたテーブルに覆い被さるようにして、カズネが口元にスプーンをあてている。

 色を失ったシュンの頬から流れる茶色い液体の筋が、ランプの光を弱々しくはね返していた。

 ミチルは持ってきた水でテーブルの上にあった布を濡らす。短く浅い呼吸を繰り返すシュンの傍に膝をつき、やわらかく絞った布でシュンの汗と血でまみれた頬や髪を拭った。あまりに苦しそうな姿に胸が締め付けられる。

 井戸水の冷たさの為か、シュンの瞳にかすかな意思の光が戻った。

「シュン、お薬、お薬だよ。飲んで、ねえッ」

「……いたい……よぅ……」

「シュン、ほら、飲み込め」

 タケルがシュンの頬を両手でおさえ、口を開けさせる。そこへ再びカズネが薬を注いだ。

「飲むんだ、シュン。頼むから」

 しかしシュンが小さくむせたと同時に、注いだのと変わらない量の液体が口からこぼれ出す。カズネの手からスプーンが落ち、カランと乾いた音を立てた。

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