砂上突破と流血騒ぎ
白い煙をあげ待つミチルの方へ細長い影が近づいてきた。ミチルと目があっても眉ひとつ動かさない、いっそ天晴れな程無愛想を貫くその姿勢。
げー、あいつかよ。まったく。顔の筋肉使うとHP減るとでも思ってるんじゃないの?
「……あのッ……!」
愛想のみじんもない様子にひるみながらも、一応の挨拶をしようとしたミチルを素通りし、タケルは白煙発生装置の前にしゃがみこんで手際よく装置の中身を入れ替えはじめた。声をかけそこねたミチルは、どうしようかとうろたえながらそれを見守っていたが、タケルは作業が終わるとさっさとミチルを追い越して歩きだしてしまった。
「……あの、手間かけてごめんね」
「べつに」
後ろを追いかけながらかけた言葉に帰ってきたのはあっさり3文字。その後に言葉を続ける気は全くないらしく、ミチルを振り返ることもなく先を進む。
その背中を見て一番初めにこの世界へ来た日のことを思い出した。その時も確か、こんな風にタケルの後ろを小走りについていったのだ。いきなり地面から現れたイソギンチャクの化け物のことを思い出し、タケルの背中との距離を縮めた。
距離が狭まると何やら沈黙がいたたまれなくなり、とりあえず声をかけてみる。
「あ、あの、巡視の途中だったの?」
「ああ」
「一人で?」
「違う」
「トキオさんとか、センさんとか?」
「違う」
「ああー、そうなんだ。……あ、そういえば今ってこっちはお昼過ぎてる?」
「ああ」
「そんじゃ、私が居なかったのってちょっとの間かな」
「ああ」
「…………」
特にイエスかノーかで答えてくれとは言ってないのに。
「あのさ、コミュニケーションとろうと努力してる人間に対して、もうちょっとこう、なんか答え方ってもんがあるんじゃないかなあ?会話のキャッチボールって言葉知ってるッ?」
しかしミチルの投げた言葉の球は見事に見送られ、どこかに吸い込まれてしまった。完全無視である。
ミチルはふんと鼻を鳴らすと小さな声でつぶやいた。
「はいはいそうですか。もう話しかけませんよーだ」
ただ、砂上での歩きづらさにその宣言はすぐに撤回された。
「あのさあ、ほんのちょっとリーチの差を考えてくれないッ?」
砂地を歩くことにただでさえ慣れていないのに、下手をすると小走りさせられる状況にさすがに息があがり、ミチルはタケルの格子柄のシャツの裾を引っ張った。
タケルはやっと足を止めミチルを振り返ると、ミチルの腰から足に目をやって、ほんの少しだけ片眉をあげた。
「これは失礼」
悪かったなっ。足が短くて!
タケルはミチルにそう思わせる表情と口調をかすかに見せて前に向き直ると、さっきよりは速度をゆるめてまた歩きはじめた。
タケルの背中に小さく舌を出したとき、地面に生えている可愛らしい花がフッとミチルの視界に飛び込んできた。赤い砂に映える小さな白い花。近づいて見てみると花弁には少し透明感がある。背の低い、薄い緑の葉とあいまってそれは繊細な細工物のようだった。
この砂ばかりの世界でも、こうやって植物が根を下ろしているのかと思うと感慨深く、そっと花弁に指を触れようとした、その時だった。
「……え?」
いきなり砂の中から小振りな何かが飛び出してきたかと思うと、ミチルの指に鋭い痛みが走る。慌てて手を引っ込めたが、ミチルの右手の先にはその何かがぶら下がっていた。
それはグロテスクな形をした口の大きな赤い生物で、頭部からは先ほどの可憐な白い花が垂れ下がっている。重さはリンゴほどのチョウチンアンコウモドキと言ったところだろうか。手を振って落とそうとしたが、ガッチリ噛みつかれているらしく指が恐ろしく痛んだ。慌てて左手でその生物をささえようとしたが、それはそれでどうにも気持ちが悪く、どうしていいかわからずに、結果空いた左手を自分の腕に添えて右往左往してしまう。
もちろん黙々とパニックに陥っていたわけもなく全力でギャーギャーわめき散らしていたので、先を行っていたタケルにもミチルの現状は伝わっていた。
タケルは大きなため息を一つついてから、とりたてて慌てるでもなくミチルのところへやってくると、チョウチンアンコウモドキの大きな口のすきまに両手を入れ、ゆっくりと左右に広げた。ミチルは自由になった指をあわてて抜く。指を見ると中の3本から血がダラダラと流れ落ちていた。
痛みと混乱で泣きそうになったが、タケルに殴られた男を思い出し、なんとか踏みとどまった。
この上思いっきり殴られて「ほら、殴られた痛みでその傷のこと忘れただろ?」とか言われでもしたらたまらない。
「釣りがうまいじゃないか。こいつは花と間違ってとまった虫を食料にしてるんだ」
タケルをみたら泣いてしまいそうだったのでその表情の程は不明だが、あきらかにバカにされている口調。半泣きで震えそうになる声をなんとか怒りでおさえ言い返す。
「わ、私は、虫じゃないわいっ」
3本の指の所々に、歯でうがかれた穴があいていて、そこから次々に血があふれ出している。左の手でギュッと握ってみたが、その手の隙間からも血はこぼれ落ちて地面の赤い砂を黒く染めた。
そこへフワッと何かが被せられた。それは大きな格子柄の布で、さっきまでミチルが睨んでいたもの―――タケルの着ていたボタンダウンのシャツだった。
「それで押えとけばすぐ止まる」
その声に顔を上げると、上半身タンクトップ一枚のタケルは、絶命したチョウチンアンコウモドキを麻紐で器用に括りあげているところだった。
細身ながら綺麗なその筋肉の付き方に、うっかり見ほれてしまいそうになる。
「でも、シャツ血だらけになっちゃうから」
「いいんじゃない、別に。それよりこの撒き餌。さっさと移動しないと、今度は体ごとバックリいかれるぜ。釣りが好きなら無理にとは言わないけど」
めずらしく長文を口にしたかと思うと、思いやりのかけらもない突き放したような口調。タケルは撒き餌―――地面に落ちたミチルの血痕を下の砂ごと蹴り上げて攪拌すると、そのままさっさと歩き始めてしまった。
血も涙もないタケルの態度に腹が立たないでもなかったが、確かに化け物の襲来は恐ろしく、ここで泣き言を吐いてもどうにもならないであろう確信もあったので、ともかく痛みを我慢して歩き始めた。
あ……ありえない。痛過ぎる……。
しばらく黙ってタケルの容赦ない早足についていっていたミチルであったが、タケルのシャツを巻いた手は容赦なくジンジンと痛み、体中の血がその傷口に集まって行くかのような感覚に息がつまる。その焼け付くような痛みは、とても夢の産物とは思えなかった。
黙って歩くと、どうしても痛みに集中してしまう。何とか気持ちをそらそうと、ふと浮かんだ言葉を口にした。
「パラレルワールドってわかる?」
タケルは首だけをこちらに傾けると、肩越しにミチルを見た。
「まさに今の状態がそうだと思ってるけど」
「だよね。今回こっちで目が覚めたとき、まずその単語が浮かんだの。正直嘘くさいんだけど、そうでもなけりゃこの変な状況と感覚の説明がつかなくて」
「それで?」
「いや、それでって言われても……。て、え?あっ!何か痛みがひいてきた!」
あっけないほど急に焼け付く感覚が消えた。若干鈍い痛みはまだ残るものの、さきほどまでの激痛が嘘のように楽になる。手に巻いたシャツをゆっくり外してみると、すっかり血は止まっていた。
「その毒は弱いから動いてたらすぐ散って抜ける。逆に動かないとなかなか抜けない」
「……え?毒……?そんなもんあったの?」
足を止めてこちらを振り返ったタケルの何気ない言葉に、ミチルは動きが止まってしまった。
「うん」
「いや、うんって。じゃあ、先にそう言ってくれても……」
「結果は同じだろ」
「そういうことじゃないでしょッ?」
「そういうことだろ?早く楽になって良かったじゃないか」
タケルのやたらの早足は、血痕から遠ざかることと合わせ、ミチルの手先の毒を散らす為でもあったらしい。そのわかりにくい配慮に、ありがたさよりも腹立たしさの方が先にたつ。
「いいや!私は余命を告知して欲しいタイプの人間なんですッ!黙って手術されて結果オーライなんてのは嫌なのッ!もしも死んだらどうしてくれたのって話でしょーよ!」
「どのみち死んだらわからないんだからいいじゃないか」
表情も変えず言い放つと、ミチルの手から血まみれのシャツを奪い返し、チョウチンアンコウもどきと共に肩に引っかける。
「うるさいから離れて歩け。せめてあの岩場までオレに近づくな。話しかけるな」
小さく見える赤い岩の方を指しそれだけ言うと、さっさと先を歩き始めた。




