明晰夢とパラレルワールド
それから3人はおしゃべりをしながら優雅に作業をするはずが、結局各自作業に没頭して、トキオが戸口に立っていたことにもしばらく気づかない程だった。
「仕事のムシが一人増えてる。もう昼ご飯ですよー」
巡視に出ていたのか、首からは前に見たことのある双眼鏡をかけていた。
「トキオくんッ、ミチルちゃん元気になったのよ!」
アヤは跳ねるようにしてトキオの傍にいくと、腕をとり、満面の笑みでトキオの顔をのぞきこんだ。
「うん。さっきセンくんから聞いたよ。ううー、やっとアヤがボクに笑顔を」
泣きマネをするトキオ。その手に箱のようなものを持っていなければ、ここにカズネとミチルがいてもお構いなしにアヤを抱きしめたに違いなかった。
どうやらミチルのせいで、少しイタいくらい仲の良かった二人が妙なムードになってしまっていたらしい。トキオの苦悩を考え、ミチルは深々と頭を下げた。
「ごめんなさいッ!なんか私のせいでいろいろ」
「こっちの都合もあるんだから、お下げちゃんは気にしないで。あ、髪、今日は本当にお下げだ。はいこれ、お下げちゃんの昼ご飯だよ。二人は早く食べに来なね。当番さんに怒られるよ」
「ミチルちゃん、まだ中に入っちゃダメなの?」
「まあ、一応ね」
「えー、せっかく元気になってくれたのに、一人のご飯なんて美味しくないわ。ここでミチルちゃんと一緒に食べちゃダメ?」
「うーん、基本ご飯は中で……」
「お願い」
「ははは。可愛い彼女のお願いなんだから聞いてやんなよ。まあ、いいじゃないの。今回は特別ってことで。仕事の流れがちょうど佳境にさしかかってるからとかなんとか言っといてよ。実際気入れて働いてたでしょ?」
「しょうがないなぁ、カズネさんがいうなら。アヤへの私情は皆無ということでヨロシク」
「了解。んじゃ、昼ご飯取りに行ってくるわ」
カズネとアヤがいなくなるのを確認してから、トキオはミチルに向き直った。
「今回は何か覚えてた?」
首を横に振るミチルに、トキオは笑みを浮かべて「そっか」とだけ言った。
「この世界から消える時の予兆みたいなのはある?」
「あー、寝るとか意識を失うとかしたときかもしれない。最初トキオさんの前から消えたときは気を失ったし、次はベッドに横になった時だし。あ、関係ないのかも知れないけど、なんか、その時すごい木の香りがした気がする」
「うーん、まだ2回じゃなんともいえないけど、お下げちゃんが夢だと思う理由はそのあたりにあるのかも知れないね」
「……それと、ごめんね。なんか申し訳ないことになってたみたいで」
「さっきも言ったでしょ。こっちの都合なんだから気にしないでって。まあ、でも来てくれて良かったよ。これ以上話を引き延ばすのもキツイかもってところだったから。しばらく隔離みたいな状態続くかもだけど、ごめんね」
そのとき、棟のほうからトキオを呼ぶ声が聞こえてきた。トキオはそれに大きく応えると、猫を彷彿とさせる笑顔を残して去っていった。それからそう間をおかずに食べ物の載った盆を手にしたカズネとアヤが戻ってきた。
「さあさ、食べよ食べよ」
「いただきまーす」
三人で声を合わせてから、ミチルは細切れの肉のようなものに木のフォークをつきさす。口に入れようとしてから、ふと思いついて尋ねた。
「これって何の肉?」
「羽根の生えた大きなトカゲの肉」
カズネの即答に浮かぶ生物の姿。それはミチルも見たあの生物に間違いないだろう。緑の体液を持つ羽根トカゲ。ミチルの前で2回ともタケルが息の根を止めたことが生々しく思い出される。
「そう聞くとグロテスクな感じがするかもしれないけど、結構美味しいのよ」
アヤに笑顔を向けられ、ミチルはひきつりそうになりながらも何とか一口放り込んだ。
その肉は淡泊で、しっかりした食感の鶏肉といったところだろうか。ハーブをベースに調理してあるのだが、こんな砂だらけの謎の世界でよくまあこれだけの料理が作れたものだと感心した。
「うん。思ったよりもよっぽど美味しい」
「でしょう?」
「とか言ってるけど、アヤなんて肉の正体聞いて吐き出したんだよ」
「だって、まさか緑の血を出す生き物を食べてると思わなかったもの。ミチルちゃんはエライ!」
「ああ、私は3秒ルールオッケーな方だから。おおざっぱなの」
「何それ?」
「地面に落ちた食べ物も3秒以内だったら汚染されなくて食べても平気っていうやつ。小学校のとき言ってたんだ。って、あ……小学校の時言ってたんだ、私」
自分で言っておきながら、記憶のカーテンの向こうから勝手にこぼれた過去に小さく驚く。
「お、いいねえ。過去との邂逅」
「自分で言ってて不思議さ倍増。なんで3秒なんだろーか」
「そうそう。信憑性のない子供の話の一番最初に言い出した奴って誰なんだろうと思うよね。とかいいつつリアルにナントカ君!とか言われても、それ誰よって話なんだけどさ」
そんなふうに楽しい昼食の時間を過していることが、何故か特別な気のするミチルであったが、3秒ルールなどのどうでもいいようなことは思い出せても、やはり肝心なことは何も思い出せなかった。
「ごめんね、なんかそっちからかけてもらって」
「全然オッケー。高校入ってからプランあげてもらったから。こっちこそゴメンね、ミチル。なんか逆に気つかわせちゃって。大分いいの?」
「うん。ご飯も普通に食べられるし。熱高いとき変な夢見ちゃったけど、今は夢見もいいみたいで寝起きスッキリ」
「よかったよー。倒れたって聞いて本当ビックリしたもん。しかも直接の原因が集って、ガチないわ」
同じ中学だった里香としばらくメールのやりとりをしていたが、しびれを切らしてか結局里香のほうから電話がかかってきた。
里香とは小学・中学校を通しての仲良しだったが、成績優秀な里香の志望校にはトライすることすら許されず、泣く泣く別の高校に行くことになってしまった。あの時ほど、ミチルはマジメに勉強しておけば良かったと思ったことはなかった。まあ、集に言わせればミチルがどれだけ頑張っても、もともとの頭の造作が違うので無理だということになるのだが。
「集のボケ、本屋の前で思わず蹴りそうになったわよ」
「もう蹴ったから」
「あはは。聞いた聞いた。ああ、そんでさ、集と一緒に居たイケメン、ミチル知ってる?」
「それって背の高い、垂れ目気味の男前のことでしょう?」
「そうそう。何、あれ?あの集との差はなに?もう、あたしゃ、集が不憫で不憫で」
「そうなのよ。神楽くんっていうんだけどさ、性格もよろしげなんだわ。スポーツ万能。成績優秀。だた少々とっつきにくいみたいで、こないだも……って、あの集に倒された日だ。派手めのネエチャンから、なんか間を取り持て的な?本当カンベンって感じだった」
「あー、あんたそういうの興味ないもんね。実は私もさ、一緒にいた子にそのイケメンのこと聞いといてくれとか言われてさ。面倒だったけど集の家に電話して聞いてみたら、今ボス戦なのにふざけんなって怒られた。チビのくせに」
「おー、集の奴もうボス戦かー。良いなあ」
「……はあぁ、これだからゲームオタクは。あー、でもまあ、あんたや集と話してると、なんか落ち着くわぁー。なんか今の学校の女子とか男の話ばっかりで、それしかないんかいッ!って感じだし」
「うちもそんなんだよ。だからなんか居づらくて。はぁー、里香との時間が懐かしいよー」
「実際あんたと何話してたかも良く覚えてないけど、中学が楽しかったー」
「本当に。あー、なんか久々に里香と話できて元気が出た気がする。自分が思ってたより病んでたのかなぁ。あ、……そうだ、ねえ、夢ってさ、やっぱリアルが反映されると思う?」
「強く思ってたら夢に見ることはあるけどねえ。それとか実際痛かったりすると、夢の中でも痛かったり。オネショがその最たるもんだよね。夢の中でトイレいったら、実際は布団の中が!……みたいな」
「ああ、それやったことあるわ」
「おお、同士よっ!……て、まあ、そういう体感するもんとかはわかるんだけどさ、抑圧されて意識してない願望が夢に現れるとかいうのは占いみたいなレベルのもんだと思わない?実際認識できてないんだから、本当に抑圧された無意識の願望なのかそうじゃないのか判断しようがないもんね。え?で、なに?なんか気になる夢でもみたの?」
「うーん。細かいことは殆ど忘れたけど、気持ち悪いくらいリアルな夢だってことは覚えてるんだ。夢の中では確かに夢だって判ってるんだけど、あまりにリアルで夢じゃない気がしてくるの。でも目が覚めて、ああやっぱ夢だーって」
「明晰夢ってやつだ」
「しかも夢の話続いてるんだ。寝て目が覚めると……いや、実際は夢だから目は覚めてないんだけど、ずっと同じ夢の世界なの。その世界の話?の続き。目覚める場所も同じ、登場人物も同じ……だったと思う。そんで寝るたびに話が進行してるっていうか、……なんか……うまくいえないけど……」
夕方に目が覚め、夕食を食べ、風呂に入り、里香とやりとりをする内にやはり夢の内容はすっかり褪せてしまったのだけれど、夢の内容がつながっているという確信はある。
「あ、そうだ、夢の中で夢だって言ったら、中の人に怒られた。何が夢だ、ふざけるな的な感じで。しかも夢の中のくせにケガすると痛いし。とにかくリアルすぎて気持ち悪いくらい」
「案外夢じゃないのかもよォー。ほら、漫画とか映画とかでよくあるじゃない。パラレルワールド。私たちの世界と並行して、別の世界があるっていうやつ。物理学上ありえなくもないって話だし、本当にそれかもよ。熱出してるとき集にボールぶつけられたのをきっかけに、時空が交錯してんのよ。入眠を媒介にして。……おおッ!ほら、そもそもあんたの名前がアレじゃない。青い鳥探しに出かけた妹の方と同じ。チルチルミチルのミチルちゃん。あれも確か夢から入ったはず」
笑いを含む里香に本気は感じられない。けれどそれらの言葉は、ミチルの心にひっそりとではあるが確かな居場所を作ってしまった。




