謎の二人
ミチルは固まったまま目だけで化け物の消えた方を見やる。すると、そう距離をおかないところで化け物がバタバタとのたうち回っており、化け物と再び目が合いそうになって慌てて後ずさったミチルは、勢いその場にへたりこんでしまった。
化け物の体の中央には矢がささり、暴れるほどに緑色の体液が流れ出している。命の終焉の、やや白っぽく濁った目には相変わらず表情がなく、苦しそうな姿に反して声も音も発せられることのないことがやけに不気味に感じられる。空を掴む太く鋭いカギ爪を見て、今さらながらに体が震えた。
「新人さん、いらっしゃーい!」
背後から脳天気な男物の声が聞こえ、ミチルは声のした方を振り返る。そこにはやたらと背の高い男と、ともすれば白に近い程の金髪の男の、細身の二人の姿があった。
「わーお、ラッキー!セーラー服だぞタケルッ」
声は首に双眼鏡をかけた金髪の男から発せられたようで、その雰囲気とピッタリに、軽く口笛を吹いた。タケルと呼ばれた背の高い男はミチルなど目に入らないかのように無視し、さっさと化け物のほうに歩いていく。
「大丈夫?ビックリしたでしょ」
金髪の男は、唇の両脇をクイっと上げた猫を連想させる独特の笑顔を浮かべてミチルに手を差し伸べる。アジア系の顔に金髪は似合わないと思っていたが目の前の人物は例外で、ミチルは心の中で、いかにも女の子にモテそうなタイプの人だなと思った。
「あ、ありがとうございます」
差し伸べられた手をとって、立ち上がり際にタケルの方に目をむける。タケルは化け物と同じくらいの無表情で、手にした日本刀を化け物の首元深くつきさしていた。迷いのない所作に、思わずミチルのほうがグエッと声を上げそうになる。
急所をついたのだろう。のたうち回っていた化け物はその一刺しによって完全に動きを止めた。
タケルは動かなくなった化け物に足をかけてその体から刀を抜くと、腰にかけた布で切っ先の体液をぬぐってから、驚くほど無造作にベルトに差し挟んだ。化け物の背中に刺さった矢も同じ要領で抜くと、今度はそれを金髪の男に投げてよこす。受け取った金髪はそんなタケルをみて苦笑した。
「悪いねー。あの子無愛想で」
無愛想と言われた男は、それでも完全にこちらを無視したまま手慣れた様子で化け物を縛り始めた。整った容貌の為、無愛想を通り越し、いっそ冷たそうな印象をうける。
「お、斜め前方に砂煙発見!」
20代も中頃と思われる金髪の男は、ふと手をかざして遠くを見るように目をすがめると、手にした双眼鏡を目に当てた。
「うーんと…、今度はおっちゃんぽいかな?手にしたゴルフクラブで応戦中。あ、ヤバイ、すっぽ抜けた」
ヤバイという割には悠長な口調ではあったが、それでも行動は迅速で、彼らが引いていたらしいソリの中から大きな弓のようなものを手に取ると一度こちらを振り返る。
「お下げちゃんは無愛想ノッポ君と一緒においでッ!」
言い残して、かすかに見える砂煙の方へ駆けだした。
「あ、あのッ……」
必然、置いていかれたミチルは無愛想ノッポ君に目をやることとなる。ミチルの視線など全くおかまいなしに無言で化け物を縛り終えたタケルは、そのロープの端をソリを引くロープと繋ぎ合わせ、ひきずりながら歩き出した。
タケルは155センチのミチルよりゆうに30cmは高く歩幅も広いので、グロテスクな死体と木製のソリを牽いていても、ともすればミチルは置いていかれそうになる。ミチルの存在など頭から無視しているタケルなので、赤い砂に足をとられながらも極力死体を見ないようにしながら必死に後をついていった。「無愛想」というレベルはとっくに超越している。
なっ、何、いったいッ?何なのこの状況はッ!ワケのわからない場所に、ワケのわからない化け物に、ワケのわからない無愛想なデカ男ッ!そりゃ確かに命を助けてもらったかも知れないけど、その態度はあまりに酷いんじゃないのッ?あー、靴に砂入って気持ち悪いーっ!でも絶対こいつは待ってなんてくれないだろうし、とはいえこんなムカツク奴でも現状いないよりマシだしっ!
心の中で必死に折り合いをつける。
前を向くと引きずられる化け物の死体と目があってしまう為ふ地面を見ながら歩いていたミチルは、タケルが立ち止まったことに気づかず、すんでのところで化け物につまずきそうになった。
「ひぎゃッ!」
ミチルの、10代の乙女らしからぬ悲鳴に、初めてタケルが視線をよこす。仮面の無表情でこちらを見下ろす様に、人の良さとは無縁のあざけりが見えたのは決して気のせいではないだろうと感じた。
タケルは一目くれただけで何も言わず、間近となった金髪の男に視線を戻す。金髪の男は手にしていたゴルフクラブとスーツを掲げ、タケルに向かって大袈裟に肩をすくめた。
「残念。一歩及ばず。ウネウネ虫くんにショック受けちゃったみたい。しかもウネウネ虫くんまで取り逃がしちゃった」
金髪の男は手にした品をソリの中に放り込むと、おもむろにミチルに向き直り片手を差出した。
「ようこそ赤い砂の楽園へ。ボクは一応、みんなからトキオって呼ばれてる。ヨロシクヨロシク」
「あ、香坂ミチルです」
ミチルとの握手の手を小さな子供のようにブンブン振っていたトキオは、ミチルから発せられた言葉にその手を止め、マジマジとミチルを見た。
「―――え?……覚えてるの?」
「何を?」
問われたことの意味がわからず聞き返す。
「いや、自分の名前とか、どこから来たか、とか」
自分の名前を覚えているかどうかなどは真剣に聞かれるようなことでもなく、何か別の意味のこもった質問かと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。
「はあ、そりゃあ、まあ。ここは一体何なんですか?目が覚めたら、何か大きな木のウロの中にいて、そんで…」
「木のウロって、あんた、砂に落ちたんじゃないのかッ?」
ミチルの言葉に今までまったく声を発することのなかったタケルがトキオとの間に割り込んできたかと思うと、ミチルの両肩を強くつかんだ。その握力は強くミチルは痛みに眉をしかめたが、タケルのあまりの形相に気圧されとりあえず頷いておく。
初めて真正面から見たタケルの顔は思ったより若かったが、鋭い眼差しと身長差のせいでかなりの威圧感があった。
「あの、本当に何がどうなってるかわからないんで、説明してもらいたいんだけど…」
2人のあまりに深刻な雰囲気に、ミチルは控えめに言った。
―――その時、目の前のタケルが強く舌打ちをしたかと思うと、力一杯ミチルの体を横にはらいとばした。視界が反転する。
加減のない力で飛ばされたミチルは砂の上に派手に転び、反動で口の中に細かい砂が入った。 転んだ痛みよりもまず、噛みしめる砂の不快感に沸々と怒りがこみ上げる。
いくらなんでも酷すぎるッ!
突然の暴力に怒りを覚え、タケルの方に目を向け、そしてその光景を目にしたとたん、怒りの言葉は行き場を失ってしまった。
目をやった先、―――タケルの前に、突如大きなイソギンチャクのようなコケシ型の生物が生えていた。
そう、文字通り、赤い地面からそびえるようにニョッキリと。
濃い肌色の、タケルの腰程も太さがあるヌラヌラした胴体表面には、内蔵や血管などがうっすらと透けてみえる。胴体てっぺんの、張り出た扁平な口盤周辺に沿って多数の触手のようなものが並んでおり、口盤の中央にある口にタケルを飲み込もうと、前のめりになりながらその触手を伸ばしてきた。
さっきの羽根の生えた怪物もたいがいにグロテスクだったが、今、ほんの数メートル先にいるイソギンチャクモドキに比べればマスコットみたいなものだとミチルは思った。
ミチルがそんな感想を抱いている間にも、イソギンチャクモドキと対峙していたタケルは腰にかけていた日本刀を手にとり、伸ばされた触手をなぎはらった。そして間髪入れずにイソギンチャクモドキの懐に飛び込むと、その勢いのまま胴体に斬りつける。一刀で胴体を切断するには至らなかったものの、返す手でイソギンチャクの背後に刀を入れるとイソギンチャクモドキの体は真二つになった。
細身だが上背のあるタケルが渾身の力で振り切った刀は、かなりの勢いを持っていたのだろう。
ドザッッ!
切り離されたイソギンチャクモドキの頭部は、体液をまき散らしながら宙を舞い、弧を描いて砂煙をたててミチルの目の前に落下した。
「ヒヤッ!」
少し遅れて、ミチルの顔や体にイソギンチャクモドキの体液と臓物の一部が飛沫となって降り注ぐ。胴体と離れてなお、すぐ傍のミチルの足に触れようとする触手や、こちらにむけられた口盤の中央にある小さな歯のならんだ口、そしてトドメの生臭い匂い。それらがミチルの五感を刺激する。
ミチルの頭の中で何かがグルっとまわり、見えているはずの景色がよじれた。一瞬、ここで目覚めた時と同じ、湿気を含んだ濃い木の匂いが鼻腔をかすめる。
トキオが何か言っている声が聞こえたけれど、その意味を理解することはできず、そのまま吸い込まれるように意識を失った。