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怒りんぼ将軍と新参者

 7本目の鉛筆を削り終え、その出来映えを心密かに褒め称えていたミチルに、いきなりカズネが何かを思い出したように顔を上げた。

「お茶忘れてた。ゴメン、悪いんだけど、その……うん、その緑の入れ物の中の葉っぱ。そう、それをその布袋に、中の匙2杯ほど入れて……うんうんそれくらい。それをクリッと巻いて、その向こうの日にかかってる入れ物、うんあれお湯だから、そこのカップにそれほうりこんで、あのお湯を。……そうそう」

 すっかり助手が板についたミチルは言われたとおりに用意すると、小屋の奥まったところにある炭を使った小さなコンロの上の鍋から大きめのカップにお湯を注いだ。ふわりとミントの香りが漂う。

「悪いけど、ゲートのとこで誰かが夜警してるから、そのお茶届けてやって」

「ヤケイ?」

「そ。滅多にないんだけど、前に一度バケモンに寝込みを襲われてね。それから一人は見張りに起きてることになってんだよ。新しい迷い人もあるし。で、その見張りの人間に眠気ざましの茶をね。じゃ、悪いけどよろしく」

「さっきから思ってたんだけど、カズネさんの『悪いけど』って、絶対『悪い』って思ってないよね」

 笑うミチルに、カズネも笑って返した。

「潤滑油潤滑油」

「そんじゃ、出前行ってきまぁーす」

 木のお盆にカップと透けそうに薄い干し肉を乗せてゲートに向かったミチルは、ゲートの向う側に、こちらに背をむけて座っている人物を目にして「ゲッ」と小さく声をあげた。

 薄暗がりの中、背中だけで誰か判ってしまったことも少し悲しく、天敵を見つけた小動物の気持ちがほんの少しだけわかった気がした。

 げぇー、怒りんぼ将軍だよ。なんでこいつかなぁー、もう。

 ミチルは凶暴な肉食獣に餌を置きに行くような心地で、ゲート越しに「あの」と小さく声をかけた。

 ミチルの声に振り向いたタケルは相変わらずの無表情で、ミチルを一瞥すると何も言わずまた前を向いてしまった。その背中を見たときに何となく想像はついたが、それでも軽くむかつく。少しでも距離を置こうと及び腰になりながらゲートの隙間からお盆を滑らした。

「これ、カズネさんから。……ここ置くね」

 声に出ようとする不機嫌さを何とか抑えつつ、さっさと立ち去ろうと踵を返したミチルの耳に届く低い声。

「昼間は悪かった」

 一瞬意味が理解できず、足を止める。

 さっきまでカズネからさんざん聞かされた「悪いけど」「悪いね」が脳裏をよぎり、たんなる社交辞令なのかとも思ったが、「社交辞令」そのものがあの尊大なタケルにはあまりに似つかわしくなく、ミチルも間の抜けた返答となる。

「へ?」

 タケルは背を向けたまま、ほんの少しだけ斜め後ろに首を傾けて言葉を短く継いだ。

「言い過ぎた。悪かった」

「は、はあ……」

 タケルはカップを手に取ると顔を前に戻し、中身を一気に口にした。

「……あっちッ」

 カップの中身が予想外に熱かったらしく、体がビクッと揺れたかと思うと、慌ててカップを口元からはずす。ミチルは一瞬吹き出しそうになったが相手が相手だけに何とか踏みとどまった。ミチルの視線を知ってか何事もなかったかのように、しかし見られていることを意識したその背中に、こぼれそうになる笑いをのみこむ。

「じゃあ、アイコ……引き分けってことで。夜警、頑張ってね」

 タケルは前を向いたまま左手を軽く挙げた。

 それを見たミチルは、野生の動物に少し近づけた気分になった。



「ふわぁーあ」

 カズネがカバのように大口をあけてアクビをした。

「もう寝たらいいのに」

「ものぐさなもんでね。気分の乗ったときにやんないと、ついついほったらかしになんのよ。あんたこそ、あたしに付き合わなくていいからもう寝たら。じき朝だわよ」

「うーん。なんか眠くなくて。それにカズネさんの手伝い、楽しいし」

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。これからもどんどん、こき使ってあげるわよ」

 早速新しい任務を与えられたとき、小屋の外、正確にはゲートの辺りが騒がしくなった。それこそ敵襲か何かなのかとカズネを見ると、カズネは立ち上がり、入り口の床に置いてあった大きな箱の取っ手を掴んで小屋を飛び出した。ミチルも慌てて後に続く。

 薄暗がりの中、ゲートから少し離れた砂上で、数人の人影がうごめいていた。中の一人が錯乱したように言葉にならない何かを口走っている。

 近づくにつれ、センともう一人の男が錯乱する男をなだめ、タケルが少し離れたところで腕組みをして眺めているのだということがわかった。カズネが男に駆け寄り、持参した箱の中から何かを取り出すと男の口元にグイグイ押しつける。

「はい、これ飲んで。落ち着くから!」

 しかし男は半狂乱になって、何やら叫びながらカズネの手を払いのけた。液体がひっくりかえって地面を黒く染める。

「ちょっとあんたらしゃんと押えてて!ほれ、タケルも」

 タケルはカズネの言葉に肩をすくめると、黙って男との距離をつめる。そして、センともう一人の手を外させたかと思うと、言葉にならない声で叫んでいる男の胸ぐらをつかみあげる。次の瞬間、錯乱した男はタケルに顔面を殴られ体ごと後方に飛んでいった。

「この方が早い」

 タケルは男を殴った右手を振り振り、悪びれることなくそう言い放つ。

 殴られた男は唇の端から血を流していたが確かにすっかり静かになっていた。

「こらタケル!」

「なんてことすんだ、おまえはッ」

「だってうるさい。子供らが起きる」

 そのとき、周囲がパッと明るくなった。夜と同じように唐突に朝が来たのだ。ミチルは一瞬目がくらみ瞼を閉じた。何度か目をしばたき殴られた男を見ると、男は慣れない状況に蒼白な表情をしていたが、怯えたようにタケルと腰の日本刀を見て、それ以上のパニックに陥ることはなかった。

 年の頃は20代前半というところだろうか。明るくなると、殴られた頬の腫れとうっ血が目について痛々しかった。

「夜警終了。じゃ、オレもう寝るから」

 仲間達の呆れたため息を背に、タケルは棟の方へ足を向けた。

「立てる?しばらく顔痛いと思うけど、生きてる証だと思って我慢して。はい、これでうがいしな」

 男は腫らした顔を押えて顔をしかめる。それからカズネに渡された器を今度は素直に受け取った。

 ミチルは自分がここへ来たときのタケルとのやりとりを思い出し、ぞっとする。自分も一歩間違えたらこうなっていたのだろうか。やはり野生の獣は恐ろしいと思うミチルであった。

「ミチル、あんたももういいから部屋戻って寝な。今日はありがとうね」

 確かにここにいてもミチルにできることはあまりなさそうだ。殴られた男の傍らに立つカズネとセンともう一人の男に挨拶をする。そして砂にぺたんと座り込んでいる男にも一声掛けようとしたが、すっかり放心した目を見ると、かける言葉を見つけることは出来なかった。とりあえず頭だけ下げ、ミチルは自分の与えられた寝室へ戻った。

 グルグルグルグル。

 頭の中でまとまらない思考が、遊園地のあの三半規管を試すような乗り物、コーヒーカップのように回っていた。しかもヤンチャな同乗者に余分な回転をかけられているみたいに、イレギュラーな動きをみせる。ヤンチャな同乗者……ん?「不測の回転」に触発され、ふいにその回転を発生させた特定の誰かが浮かびそうになった。しかし、あと少しでめくれそうな記憶のカーテンは再びピッタリと閉じてしまった。

 めまぐるしい出来事にミチルはなかなかついていけない。さっきタケルに殴られた男の、あの半狂乱の状態。本来はあれがここに迷いこんだ人間の妥当な姿なのかもしれない。何だか自分が無神経な阿呆のような気持ちになってしまった。

 ドッカリと青い色調のベッドに腰を下ろす。とたんに風船の空気が抜けたように吐息がこぼれ、そのままベッドに倒れ込んだ。横になったとたん、さっきまでは感じなかった眠気を覚える。

 そのときまた、生木独特の湿気た匂いが鼻腔に届いた。

 ミチルはそのままストンと眠りについた。

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