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鈴蘭の君

「あ、はい」

 ミチルが応えると、ゆっくりと開かれたドアから白い肌をした華奢な少女の顔がのぞいた。ミチルと目があった瞬間、例の花開くような笑顔を見せる。その笑顔はあまりに可愛くて、ずっと見ていたいような気持ちにさせるものだった。

「遅くなってごめんね。修繕が長引いちゃって」

 黙って立っているときも勿論可愛い。しかし初見が儚く、消えてしまいそうなほど控えめな印象なので、突然その存在感のある笑顔をみせられるのはダーツの矢がド真ん中にささるようだった。

「とりたてて楽しいわけではないと思うけど、私の作業場にお誘いに来たの。図々しいけど、手伝ってもらえたら嬉しいかもって」

「あ、勿論です。役にはたたないかも知れないけど」

「そんなことないわよ。ここは同年代の女の子があまりいないから、ミチルちゃんが来てくれて嬉しい……、あ」

 アヤは話の途中で口元に手をあてて眉をよせると、上目遣いでミチルを見た。

「ごめんなさいね。私、本当に考えなしなの。こんなところに来てしまったこと喜んじゃいけないのに」

「いや、そんな。まだパニックになれるほどもよくわかってないから」

「ミチルちゃん、優しい……」

 胸の前で手を組み感謝の眼差しを向けるアヤ。

「実は前に、カエデちゃんに同じこと言ってすっごく怒られたの。あんたは記憶どころか神経まで元の世界へ置いてきたんじゃないのかって」

 アヤは、へへっ、と笑って小さな舌を出した。

 窓越しに見かけたカエデを思い返したミチルは、雌豹と、その前で震えるウサギを想像してしまった。

「来て来て」

 アヤはミチルに手招きすると小屋から出て軽やかに歩きだす。まるでステップを踏むようなはずむ足取りを見ていると、ミチルもなにやら元気が出る気がした。

「ゴチャゴチャしてるでしょ。その辺に腰掛けてね」

 アヤの作業場は中央に大きなテーブルがあり、その周囲にはうずたかく布が積まれていた。色とりどりの生地は遺品だという事実を思い出し、どんよりとした気分になる。ミチルは、もう少しで布に埋まってしまいそうな椅子に座ると、さっきから気になっていたことを口にした。

「新しい人、……例えば私みたいなのが現れるのは、どれくらいのぺースなの?」

「うーん。私が知る限りでは多分、2~3日に一人かしら。でも、ちゃんと住人になる人はそんなにいないの。ここにある洋服の殆どの持ち主は、出会うこともなかった人達のものなのよ」

 ミチルは自分履いているスニーカーに目を落とした。このスニーカーの持ち主も、誰にも知れら無いまま砂になってしまったのだろう。

「今のところ、ここに住んでいるのは、ミチルちゃんを入れて22人ね」

「あ、そんなに居るんだ。ちょっと意外かも」

「あまり外に出てこない人もいるから」

 アヤは布の小山をはさんでミチルの横の椅子に座ると、夏物の水色のストールと、ニッパーを前に差し出した。

「これから糸を取りたいの。お願いしてもいい?」

「うん。あ、さっきの部屋のパッチワーク、アヤさんが作ったんでしょ?すごいキレイだった」

「あは。ありがとう。お裁縫しか取り柄がないから、そう言ってもらえるととっても嬉しいわ。私、ここに来たとき、お裁縫道具を抱きしめてたのよ。パジャマを着てたんだけど、刺繍で『2棟5F佐倉綾』って。よっぽどお裁縫好きだったんだろうなーって」

 言いながら、アヤは手に持った布に、チクチクと針を刺していく。かなりの手際の良さだった。

 それにくらべてミチルは、ただ糸をとるだけの作業だというのに、なかなかうまくいかない。元の世界でも、あまり裁縫は得意ではなさそうだなと嘆息した。

「アヤさんは、ここに来たとき、最初どんなふうに思った?」

 アヤは裁縫の手を止める。少し言葉を選ぶように考えたあとミチルを見た。

「私ね、なんでかはわからないけど、嬉しかったの。なんでだか、いっそウキウキして砂の上を跳ね回ってた。おかしいでしょう?その時に私を拾ってくれた人も呆れてたわ。でもその時は本当に気分がよくて、夢なんじゃないかって、何回もホッペをつねったのよ」

 ミチルも夢だとは思ったが、ミチルのテンションとはかなりのズレがあるようだった。どこをどう前向きにみれば、この状況に楽しさを見いだせるのだろう。

 ミチルの言いたいことを察してか、アヤは少し微笑む。

「本当に嬉しかったの。そりゃ、変なところだし、気持ち悪い生き物もいっぱいいるけど、とにかく生きてるんだってことが感じられて。私、元の世界でよっぽど酷い目にあってたのかって思ったわ。そしたらトキオ君がね。アヤはどんな世界に居ても人生を楽しめる子なんだよって言ってくれたの」

「それでトキオさんとラブラブに?」

 アヤは頬に手を当てるとハチミツにように甘い笑顔を浮かべた。

「私、今とても幸せなの。こんなこと言うのはいけないんだけど、実はここにこられて、良かったと思ってる。じゃなきゃ、トキオくんに出会えなかったものね」

 トキオのことを語るアヤの表情はとても美しく、女の子は恋をするとキレイになるという言葉をミチルはシミジミ思い返した。

「確かにアヤさんはとっても前向きな人だと思う」

「だって、どこの世界に居たって人間には寿命があるわけでしょう?そりゃあ、私だって、砂になるのは怖いわよ。……えと、ここの住人が砂になる時にはね、来たばかりの人と違って、予兆があるの。まず体が怠くなって、動けなくなって、それからだんだん体が冷たくなって、そうして砂になる。その時のことを考えたら、とても怖いわ。でも……」

 アヤは澄んだ瞳で真っ正面からミチルを見た。

「死ぬために生きるのは嫌なの」

 その瞳の強さに、華奢で可愛らしいだけではないアヤの本質を見た気がした。

「ちゃんと生きたい。死を身近に感じる程、不思議と『生きてる』って実感がわくものよ。他愛のない時間も、一瞬一瞬がとても愛しく感じられる。だから、その時が来て後悔しないように、生きてるうちにいっぱい幸せになっておくの」

 軽やかな足取りや改心の笑顔は、そういった思いに裏打ちされたものなのだと気づいて、トキオとのバカップル加減もすっかり受け入れられるような気持ちになった。

「私も応援する」

「そう言ってもらえるの、本当に嬉しいわ。ミチルちゃんとお話できて良かったぁ。バカだとか無神経だとか言われてて、ちょっぴりヘコんでたの。あ、でもほんのちょっぴりだけね。ミチルちゃんも、これから色々あると思うけど、私も頑張るから、一緒に頑張っていこうね」

「うん。私もアヤさんと話せてよかった。どうせ思い出せないんだから、グジグジ考えたって始まらないもんね。私、あんま考えるの得意じゃないし。うん。すっごくスッキリした。まったくね、アヤさんのそのポジティブさをタケルに分けてあげたいわ」

「あら、もうタケルくんとも会ったのね」

 ミチルの言葉のニュアンスに何か感じるところがあったのか、アヤがクスクス笑う。

「良い子なんだけどね。人見知りなの。許してあげてね」

 あれが人見知りのなせるワザなのだろうかと疑問に思う。それにアヤには何も説明していないにもかかわらず、ミチルが許してやならければならないようなことをしているという確信のある言葉。当然何かしでかしたんだと思っているからこそ発せられる言葉だろう。それなのに「良い子」だと言えるのは、彼らがいい人過ぎるだけではないかと思うミチルであった。

「甘やかしちゃダメだって。アヤさんやトキオさんが……あと、センさんも、甘すぎんのよ。ただでさえ日照権の侵害みたいなデカイ図体してて威圧感ハンパないんだから、ちゃんとそれをふまえて発言してもらわないと」

「タケル君はね。責任感が強いのね。自分がなんとかしないとーって頑張ってるから、トゲトゲしてるだけ。本当に頑張りやさんなのよ。うーん、苦労性っていうのかな?もうちょっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかと思うんだけど、性格なのかな、そうもいかないんでしょうね」

「えー、あの傲岸な感じって責任感なの?」

「あはは。それは地かも。実は私も、最初は苦手だったのよ。でも、今はすっかり弟みたいに思ってる」

「にくったらしい弟?」

「たまにね」

 クスクス笑うアヤの声は、まるでやわらかい鈴の音のようだった。

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