第五章 雪の降る日の[3]
「あれ、篠原じゃん」
目の前を、一抱えはある大きな荷物をかついだ、硬そうな短髪を針ネズミのように逆立てている、同年代な人が、話しかけてきた。
あれ、同じ学校の制服だ。
でも、こんな知り合いいたかな。
「なに、携帯買ったの? これから暇? 良かったら、一緒に……」
「何の用事かしら」
僕の後からノリが出てきて、そう言うと、針ネズミな人は、途端に表情を強張らせた。
「げっ、萩原……」
針ネズミな人は、青くなった。
「あたしの目の前でサイにちょっかいかけようなんてイイ度胸ね、柳沢」
「な、なんだよ、脅す気か? お、俺は別にお前に絡まれる筋合いは……」
「サイはあんたなんかに興味ないの。あんたの趣味にも全く興味ないんだから、かまわないでよ。痛い目見たくなかったら、とっとと去りな」
あれ、ノリの知り合い?
いや、でも何か変だな。
なんとなく既視感。
「いや、俺はナンパじゃなくて勧誘……」
「どっちもそう変わらないわよ。相手が嫌がってるのに無理強いすれば、押し売り・強姦とさして変わらないわ」
「いや、そりゃないだろ。だいたい俺は、無理強いなんて……」
「だからサイは嫌がってるの! 判らない男ね。グダグタ言うと、問答無用で急所蹴り上げるわよ」
「暴力はマズイよ、ノリ」
僕が言うと、ノリの言葉に一瞬怯みかけた針ネズミが、
「そうだぞ! 警察呼ぶぞ」
ノリは呆れたような顔になった。
「サイ、あんたもう忘れたの? こいつあんたが屋上で遭遇して、逃げ回ってた、あのしつこいヤツよ」
「え?」
驚いた。
「髪型違うよ?」
「短くなって、整髪剤で逆立ててるだけじゃない。もう本当、人の顔覚えるの苦手ね」
「ごめん、ノリ」
「謝らなくて良いわよ。それより嫌なんでしょ、この男」
「嫌っていうか、面倒で欝陶しいだけだよ」
僕が言うと、針ネズミは顔を引きつらせて硬直した。
「でも顔も見たくないんでしょ?」
「そうだけど、別にどうだって良いよ。行こうよ。人の迷惑だよ」
「えっ、ちょ、待て、篠原。俺、お前に何かした?」
焦った声で針ネズミが言う。
「君はしつこ過ぎる」
僕が言うと、絶句する。
「僕は断った。それで終わりの筈だ。僕は君が何をしようと関知しない。君は、君の好きな事をやれば良い。僕には関係ない」
「……俺は、篠原の声が、歌が好きなだけなんだよ」
「だから、僕は歌わない」
「……っ!」
「誰かに聞かせたいとは思わない。他を当たって。迷惑だ」
「…………」
針ネズミは黙り込んだ。
「行こう、ノリ」
僕はノリの腕を引いた。
「そうね」
と頷き、僕らは一緒に歩き出した。
針ネズミは諦めたのか、追って来なかった。
歩きながら、ノリが言う。
「……サイにしては良く言えたわね」
それ、ちっとも褒めてないよ。
僕は唇をとがらせた。
「さすがに今度こそ理解したわよ」
「そうかな?」
「何、自信ないの?」
「なんとなく、彼は人の話はあまり聞かない人な気がする」
僕がそう言うと、ノリは目を丸くした。
「って言うか、人の話を自分の都合が良い方に解釈して、それを疑問に思わない感じ」
「……なるほどねぇ」
ノリは感心したように頷いた。
「言われてみれば、そうかも。そうか、サイは意外とそういう事を見てるのね」
そう言って、嬉しそうに笑った。
「ノリ?」
「もしかしたら、サイが感じている世界は、あたしが感じているのとは、違う形や色をしているか、見ている箇所が違うのかもしれない」
「そうなの?」
「判らないけどね。ただ、サイにもし、人の本質とか性格とかを、正確に認識する能力があるのだとしたら、私の心配のほとんどは杞憂に過ぎないのかも」
「そうなの?」
「さあね。判りたくても、判らないもの。難しくて。……そうね、あたしはきっと、安心したいのよ。何か当てになるか、保証になるものが欲しいのかも」
ノリは淋しげに笑った。
「あんたの目が確かなら、あたしが心配する必要なんて皆無だもの」
「どういう意味?」
「あたしは、悔しいけどサイの母親にも、騎士にもなれないもの。サイの友達で良かったと思うわ。でも、時々悔しい。あたしがサイの救いになりたかった」
「別に僕は救いなんて求めてないよ?」
「知ってる」
ノリは優しく笑う。
「だけど、あたしはサイに救われたから。恩返しがしたかったの。たぶんそういう事よ。でも本当は、救われたかどうかは関係ないの。サイが好きだから、だからあたしのワガママなの。でも、信じる事にするわ」
「何を?」
「杉原のことよ」
ノリは苦笑した。
「いまいち頼りないけど、仕方ないわ。勿論、サイの意思が最優先だけど」
ノリは不意に真顔になる。
「嫌なことや困ったことがあったら、真っ先に教えて、サイ。あたしは何処にいても、何をしていても、すぐに駆けつけるから」
「うん」
判ったような、判らないような。
……難しい。
難しいと、思う。
するとノリが話題を変えるように、明るい笑顔で言った。
「ふふ、ケーキ食べに行こうか」
「うん」
迷いなく答えて、頷いた。
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