第五章 雪の降る日の[1]
今回から一度にUPする分量を少なくし、小分けにします。
「あのね、携帯電話、買おうと思ってるんだ」
そう言ったら、ノリが驚いたように、軽く目をみはった。
「どういう風の吹き回し?」
「杉原先輩に、携帯電話の番号とメールアドレス教えてもらったから」
「……へぇ」
ノリは、何だかちょっと不機嫌そうな、何か納得できなさそうに、唇をゆがめて笑った。
「サイ、電話嫌いって言ってたのに」
どこか拗ねているようにも見える。
「あたしが一緒に買いに行こうって誘った時は、必要ないから要らないって言ったのに」
「だってノリとは毎日会えるじゃない」
「毎日じゃないわよ。学校行く日だけじゃない」
「勿論ノリの番号も登録するよ」
「あたしはついでなの?」
「まさか」
僕は首を左右に振った。
「これまで僕は、家と学校と病院の他は、ノリとしか一緒に行動してなかったでしょ」
「そうね」
「だけど、これからはそうとも言い難いから。土曜日は先輩と市立図書館で、勉強する事になったし」
「…………」
ノリは面白くなさそうな顔をしたけど、何も言わなかった。
「ノリは嫌なの? 僕が携帯持つの」
「別に嫌ってわけじゃないわよ。嫉妬してるだけ」
「嫉妬?」
「ま、気にしないで」
気にしないで欲しいなら言わなければ良いじゃないか、と僕は思う。
ノリは不機嫌だ。
杉原先輩が学校に来なくなった。
登校拒否とかじゃなくて、もうすぐ受験があるから、その試験勉強のために、登校日以外の日には来なくなってしまった。
僕は先輩に携帯電話の番号と、メールアドレスを教えてもらった。
杉原先輩は、何故か照れくさそうに『いつでも連絡して良いから』って言ってくれたけど、僕はまだ一度も連絡してない。携帯電話もPHSも持ってないから、というのも理由の一つだ。
先輩から自宅に電話が来た事もない。
ノリに言ったら『杉原ってヘタレというより、ただのバカね』と言った。
意味が良く判らない。
勉強は苦手だけど、杉原先輩に教えて貰った事とか、言われた事を胸に、僕なりに頑張ってるつもり。
「うん、えらい、えらい」
「……ノリ、それ褒められてるように聞こえないよ」
僕はぼやいた。
「だって、あんなに勉強嫌いだったサイが、宿題は勿論、予習復習までして、ついでに余分な勉強までしてるんだもの。すごいわよ」
そんなに言われるほどかな。
きょとんとしたら、頭をそっと撫でられた。
「ねぇ、サイ。あんた、そんなに杉原のこと好き?」
「え?」
どういう意味だろう。
「杉原先輩のことは、ノリと同じくらい好きだし、尊敬してるけど」
「……全然進歩無しね」
「どういう意味? 僕、進歩してない?」
聞き返すと、
「サイは頑張ってるし、進歩してるわよ。頑張ってないのは、杉原の方」
「えぇ? でも杉原先輩、勉強頑張ってるよ? 遊んでないよ」
「……杉原に遊ぶくらいの余裕があるなら、こんな事にはなってないと思うけど」
「何が?」
「サイは気にしなくて良いわ。だってその分、あたしがサイを独占できて楽しいもの」
くすくすとノリは笑う。
変なノリ。
「携帯欲しいって言ったわよね」
「うん」
「買うの、付き合ってあげるから、その後ケーキ食べに行かない?」
「うん、良いね」
そう言って、僕は参考書に目を落とす。
「……本当にサイが、学校で参考書開くようになるなんてねぇ」
ノリは感慨深げに言う。
「試験勉強すらしたことなかったのに」
そう言ってノリが暇そうに化粧道具を取り出したのを、視界の端に見て、また参考書を見る。
現在、高校一年の数学を勉強中。
次の土曜日に杉原先輩と会うまでの宿題。
ズルしないようにって、解答は杉原先輩が持っている。
そんなことしなくてもズルなんかしないのに。
数式をノートに書き込んで、考える。
僕にはこれといった趣味がない。
部活もしてないし、委員もしてない。
バイトもしてない。
だから、たいてい暇だ。
テレビも漫画も見ないし。
今はその暇な時間を、昼寝かうたた寝か勉強に充てている。
心なしか、学校の授業の内容も、以前より理解できるようになってきた気がする。
担任の原は、まだ時折『本当に城南へ行く気なのか』とか聞いてくるけど。
最近、全く授業はサボってない。
宿題もきちんとしている。
それだけなのに、最近時折教師に『頑張ってるね』と声をかけられるようになった。
不思議。
そんなに頑張ってるとは思わないんだけど。
最近、例のウサギ少女もとい串田響子、が目の前に現れなくなった。
手紙もない。
なんだか淋しいような気がする。
例えば、クリスマスにプレゼントがなかった時のような、誕生日にケーキがなかった時のような。
そういう感じの。
「どうしたんだろうね」
キリがついたので、参考書を閉じながら言うと、
「何が?」
とノリが聞いてくる。
「あの子、串田響子。最近ちっとも見ないし」
彼女、元気なのかな?
するとノリは苦笑した。
「平気よ。気にすることないわ。あれは殺しても復活するタイプよ。別の男でも見つけたか、あんたにかまうのやめて、杉原一本に絞ったか、どちらかじゃないの」
「え? 杉原先輩?」
どきりとする。
だって、杉原先輩は。
あんなに気にしてたのに。
あんなにも怒ってたのに。
「杉原先輩、大丈夫かな」
「心配なら電話すれば? ところであいつ、家にいるの?」
「え?」
良く判らない。
「塾の講習があるって聞いたけど、いつあるのか、知らない」
そう言ったら、ノリがちょっと呆れたような顔になる。
「予定聞いてみたら? 杉原喜ぶでしょ」
「え? 何で?」
尋ねたら、ノリがおかしそうに笑った。
「サイがしたくなければ、それで良いけど。どうなの?」
「え?」
どうなのって、そんなこと聞かれても。
そんなの判らないよ、ノリ。
「だって忙しいかもしれないし」
「ソレ言ってたら、いつまで経ってもかけられないよ、サイ」
それはそうなのだけど。
でも迷惑かけたくないし。
「どうする? もうやめる?」
「うん」
荷物まとめて立ち上がる。
「ごめんね、ノリ。待たせて」
「別に良いわよ。今日はバイト休みだし」
「ノリはバイト熱心だよね」
「そうでもないわよ。週に三日か四日くらいだし。まあ、卒業前に新しいバイク買うのが目的だから、長期休みは週五日するけど」
「結構たまった?」
「んー、そうでもない。服買ったり、化粧品買ったり、食べたり飲んだりしてるし。でもまあ、卒業までには何とかなるわ」
「そう。それは良かった」
「そうね。でも、バイクじゃなくて車にしようかとも思ってるんだけど」
「え? 免許取るの?」
「まあね。まだちょっと迷ってるけど。移動だけ考えたら、バイクの方が都合良いんだけど。人乗せること考えたら、車の方が良いかなって」
「え?」
誰か乗せるの?
「例えばあんたとかね、サイ」
「えぇ? 僕を乗せてくれるの?」
「そうよ。そしたら結構遠出もできるし。あたし一人なら、バイクで遠出でも全然構わないけど、サイはそういうわけにいかないし」
「でも、平気だよ?」
そう言ったら、ノリはくすくす笑った。
「サイはまだ、あたしのブッちぎりの運転乗ったことないでしょ? メットなしだと、風圧で髪がぐしゃぐしゃよ。しっかり掴まってないと、道路に放り出されて大ケガするわよ?」
「え、そうなんだ?」
「そう。だから、長時間は無理だと思う。サイ、体力あんまりないし」
それは……そうかも。
「ごめんね」
そう言ったら、ノリは苦笑した。
「別にあんたが謝ることないわよ。あたしがそうしたいだけだから。ただ、車買うとなると、結構お金かかっちゃうし、推薦取れなかったらバイトそんなにできなくなるから、どうしようかなって迷ってるだけ。口約束だけで、まだ遠い約束になっちゃうかもしれないし、その前に杉原が免許取っちゃうかもしれないしね」
「杉原先輩が?」
「あれはきっと、あんたを隣に乗せたいだろうしね。だからと言って、あたしが遠慮する筋合いはないけど」
えぇ? 車に?
杉原先輩と車。
あんまり結びつかない。
先輩がバイク乗るのは、もっと想像つかないけど。
「ところでバレンタインデーはどうすんの?」
「え? バレンタインデー?」
「だから、杉原。買ってやるの? たぶん義理でも良いから、期待してんじゃないかと思うけど」
「え、そうなの?」
「あんたにその気がないなら、やめておいた方が良いと思うけど。だって、あいつ、油断できないし」
先日のキス事件以来、ノリの先輩に対する評価は下がったらしい。
なるべく二人きりにならない方が良いとか、学校以外で会うのはよした方が良いんじゃないかとか、言われるし。
杉原先輩の前で、一度そういう事を言って、僕はてっきり杉原先輩が否定するだろうと思ってたのに、何故か赤い顔で不機嫌そうに黙りこくってしまったから、とても不思議に思った。
先輩はそのまま何も言わずに帰ってしまったから、理由は聞けなかったけど。
「……バレンタインデー」
そんなこと、考えたこともなかった。
「普通は愛の告白をするんだけど」
と、唐突にノリは言った。
「は? え!?」
あ、愛の告白?
誰が?
「……まあ、そんなとこよね」
とノリが満足そうに、にっこり笑う。
「まあ、私が言ったことは忘れて良いわ、サイ」
「え?」
「私が言わなかったら、気付きもしなかったんでしょ?」
それはそうだけど。
「でも先輩にはお世話になってるし、欲しいならあげた方が良いんじゃないかな」
「たぶんお義理のは、欲しいけど欲しくないって気分じゃないかと思うけど」
「え、何で?」
「……あのさ、サイ」
ノリは真剣な顔になった。
「あんた、杉原に告白されたんじゃなかったの?」
「……告白?」
「好きだって言われたんでしょ?」
「……言われたけど」
告白?
いったいいつ?
「…………」
ノリは苦笑した。
「それはどう考えても杉原が悪いね」
とノリは言った。
「え、どういう意味?」
判らない。
「だって、サイには全然通じてないもの。杉原の伝え方が悪かったとしか判断できないわ」
「どういう意味?」
「いや、あたしはむしろ、杉原が勝手に自爆したり、フラレたりしてくれる方が安心だから、良いけど」
「ノリ?」
「私はそんなあんたが大好きよ」
ノリは優しく笑った。




