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  作者: 深水晶
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第四章 雨の日も風の日も(後)

前編の続きです。

「それで? 一体どういうワケだって言うの?」

 ノリはものすごく不機嫌そうな顔で言った。

「あたしが眠ってる間に、サイと杉原がすっごく盛り上がっちゃってラブな関係になりました、とかいうオチじゃないんでしょ?」

 ええとノリ。ソレどういう意味かな? っていうか……。

「ラブ?」

「……私が質問してるのよ、サイ」

 ノリはきっぱり言った。

 ……そんな事言われても僕も良く判らないのだけど。

 困ったな。

「その、僕もよく判らないんだけど、まずなんとか原さんてあの昨日の男の人が……」

「……何?」

 ノリの眉毛がぴくりと跳ね上がった。

「あのナンパ男?」

「あ、うん。あの人にいきなりキスされて……」

「なんですってぇ!?」

 ノリは大声で叫んだ。

 僕は目の前で叫ばれて、びっくりする。

「ノ……ノリ……?」

「なんでサイは! 怒らないのよ!!」

「……え……?」

「『え』じゃないでしょ!『え』じゃ!! どうしてそこで怒らないのよ!! あんたソレファーストキスだったんでしょ!? 好きでもない男に奪われたらぶん殴ろうとか思うでしょ!!」

 ノリ、顔が恐い。

 剣幕も恐いけど。

「……って、杉原先輩が急に殴ったりとかで考える暇なかったし……」

「だああっ!! もう!! なんで杉原いてそんな事になんのよ!! ああっ!! もう!! もうちょっと役に立つのかと思えば! 使えない奴っ!! 番犬でももっと役に立つわよっっ!!」

 ノリはそう言って自分の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。

「ダメだわ。もう腹が立って、ケーキ食べるどころの話じゃないわ!!」

 そう言って、立ち上がった。

「え? ノリ? ……まだケーキきてないよ?」

「ここでのんびりケーキ食べてる場合じゃないわよ!! もう!! 悔しいったら!!」

「いや、でも。もう済んだ事だし。今ここでノリが怒っても、何もならないと思うよ?」

 っていうか、ここでまたケーキを食べ損ねるのはイヤだな。

「サイっ!! なんでそんな冷静なのよ!! そこで正論言われたって全然面白くないわっ!!」

 僕はびっくりした。

「面白いこと言わなくちゃいけないの?」

 それは困った。思いつかない。

「そういう問題じゃなくて!!」

 ノリは真っ赤な顔で怒鳴った。

「……どういう問題?」

 判らなくて、きょとんとして聞いたら、ノリは諦めたように溜息をついた。

「……まあ、確かにサイが怒ってないのに、あたしだけ怒ったって本当意味無いんだけどさ……でも、サイ。あんた本当平気なの?」

 何が?

「僕?」

 ……どうしてだろう?

「先輩にも大丈夫かって聞かれたんだ。どうして?」

 ノリは困ったように、眉を寄せた。

「どうしてって……」

 ノリは深く溜息ついて、真面目な顔になる。

「つまり、本来は厭な事だと思うワケよ。好きでもない男にキスされてもね。サイは平気なの? 気にならない? どう思った?」

「うん、びっくりした」

「…………」

 ノリはなんとも言えない顔で僕を見つめた。

「ねぇ、ソレ杉原にも言った?」

「言ったよ」

「……やっぱシバく。杉原」

「ええっ!? 何で!?」

 あんな見事な蹴り食らったのに、更にノリにシバかれたら可哀想だよ、杉原先輩。

「……念のため聞くけど、サイはソレで杉原にされたのはどう思ったのよ?」

「えっ……?」

 杉原先輩にされたってつまり……キス……?

 何故か、ものすごく顔が熱くなった。

 そうだ。キスされたんだ。

 びっくりして。ものすごくびっくりして。混乱して。

 先輩が殴ってくれとか言って目を閉じたりして。

 先輩。

 思ってたより結構睫毛長かったりして。

 そう言えば、今まで先輩の顔、間近であんまりじっくり見た事無かった気がする。

 先輩の観察は面白いからしてたけど、良く考えたら先輩の顔間近でじっと見たのはあれが初めてだった、と思う。

 先輩の顔。

 知ってるようで、たぶんあんまり良く知らない。

 判ってない。と思う。

 ていうかたぶん、僕は先輩の顔、毎日のように近くで見てると思ったけど、先輩の顔がどんな顔かなんて気にしないで見てた。

「杉原先輩ってどんな顔してたっけ?」

「……はぁっ!?」

 ノリは素っ頓狂な声を上げた。

「判ってるようで、たぶんあんまり良く判ってないんだよ」

 僕は言った。

「確か眉毛の中にほくろが二つあったと思ったけど、違った? ノリ」

 言うと、ノリは溜息ついた。

「……あたしはそんなの判るほどじっくり見た事ないわよ。杉原の顔なんか」

「僕もあまり良く覚えてないんだ。毎日会って、毎日話してるのに、おかしいよねぇ? 判ってるつもりなのに、判ってないんだ」

「……別におかしくはないわよ。そんなの」

 呆れたようにノリは言った。

「そう?」

 僕は言った。

「おかしくないわよ」

 ノリは言った。神妙な顔で。

「ところで、微妙にそらされた気がしてるんだけど、サイはどう思ってるの? 杉原のこと」

「そらしたわけじゃないよ」

「判ってるから。サイはどう思ってるのよ。杉原にキスされた一件に関して」

「……それなんだけど……」

「うん?」

 ノリがじっと僕の目を見る。

「……良く判らないんだ」

 僕は、困って。

「はい?」

 ノリが怪訝な顔をする。

「判らないんだよ。あんまり、よく」

 そう言うと、ノリはじっと僕の目を覗き込むように見た。

「どういう意味?」

 うまく、言えないけど。判るのは。判ってるのは。

「びっくりしたんだ」

 僕は言った。

「杉原先輩がそういう事するって思わなかったから」

 言うと、ノリは難しい顔をした。

「びっくりして、心臓が口から出るかと思って」

「……それで、イヤだったの? イヤじゃなかったの?」

 ノリは目を細めて言った。

「……いやじゃなかった。びっくりしたけど」

 そう言うと、ノリはじいっと僕を見つめた。

「で。もう一個だけ。……嬉しかったの? それとも嬉しくなかった?」

 ……嬉しかった?

 誰が?

 ……僕が?

 どうして?

「嬉しいとかじゃ……なかったと思う」

「…………」

 ノリの眉が不機嫌そうに寄せられた。

「ああ!! でも!! 別に杉原先輩に何かしたりしなくて良いから!!」

 僕は慌てて言った。

 言わないと、ノリが先輩に何かとんでもない事しそうな気がして。

 それじゃ先輩があんまりにも気の毒だ。

 ただでさえ頭に怪我とかしてるのに。

「それに、先輩、眼鏡外してくれたから良いんだよ」

 だって僕は、嬉しかった。

「……眼鏡?」

 ノリは怪訝な顔をした。

「うん。眩しいって言ったら、外してくれたの。わざわざ」

 僕のために。

 僕が、眩しいって言ったから。

 本当は外さなくても良いのに。

 外す必要なんか無かったのに。

 僕が眩しがったから。

 言わなかったけど、目を細めたら、先輩には判ったから。

 僕が何も言わなくても、先輩は僕の考えてる事が判ったから。

 先輩の目には、僕が見えていたから。

 ほんのちょっとだけ目を細めた僕が、先輩には見えていたから。

 だから僕は、嬉しかった。

 ……嬉しかったんだ。

「……それだけ?」

 ノリは厭そうな顔をした。

「あとねぇ、見えないんじゃないかって僕が心配したら、先輩、心配しなくても良いって。あのね、先輩、ああ見えて優しいんだよ。だからね、悪気はなかったと思うんだ」

  先輩はそっけないけど。

 全然優しい顔してくれないけど。

 たまにしか、嬉しくなるようなこと、言ってくれないけど。

 時折しか本当の笑顔、見せてくれないけど。

 僕が良いな、と思う、あのくしゃくしゃっとした、笑顔。

「……悪気とかいう問題じゃないと思うけど」

 ノリはぼやいた。

「先輩、泣いたりしてたから……ちょっと心配なんだよ。だから先輩一人にしたくなかったのに」

「あんなことされても?」

「僕は……」

 何故だろう。顔が熱くなる。

「全然、気にしてないから」

 僕がそう言うと、ノリは呆れたような顔して、僕を見た。

「……気にしてない……ねぇ?」

「本当だよ。何でも無いんだ」

 どうしてだろう?

 ……なんか変だ。

 変な感じ。

 もやもやするような。

 体温が少しだけ上がるような。

 風邪の予兆のような。

 でなければ月一のものの前兆のような。

「だからさ、ノリ。一緒に先輩の様子見に行かない? ケーキ食べた後で」

「……もういないわよ」

「そうかな?」

「いないって。家にでも帰ってるわよ。あんなとこにいつまでもいないでしょ? あたしが蹴ったって言っても、入院するほどの怪我なんかさせた覚えないし。その辺は心得てるわよ」

「手加減したってこと?」

 とてもそうは見えなかったのだけど。

 マジマジと見つめると、ノリはほんの少しだけ自信なさそうな顔になった。

「まあそれなりにね。たぶん」

 ……たぶん?

「たぶんはマズくないかな? ノリ」

「大丈夫よ。あたしはそういうの慣れてるもの。さじ加減は間違ってない筈よ。怒りのあまりちょっと力入っちゃってたかもしんないけど、あたしだって怪我人相手にそんな暴力振るったりしないわよ。そんな極悪非道じゃないし。あいつのこと、あまり好きじゃないけど」

 ……あれは十分暴力だったと思うけど。

 ノリの基準では暴力じゃないんだ?

「見事に決まってたね」

「当たり前よ。あたしのケリよ? 外してたまるもんですか。ケリ技で外す事ほど恥ずかしいもんはないわよ。スカートでコケたりしようもんなら目も当てられない羽目になるわね。当てたい部分に当てられるようになるまでには、地道な努力が必要なのよ!」

「努力したんだ? 地道な」

「そうよ。顔面蹴りとか腹蹴りって結構難しいのよ。バランス崩すと立て直し難しいし。失敗すると酷い反撃食らう羽目になるから、確実な時しかやらない方が良いのよ。やるなら成功よ。一撃必殺。必殺技は成功しなくちゃダメ。足なんか取られたら、お嫁に行けなくなっちゃうじゃないの」

「そうなんだ?」

 ノリは複雑な表情になった。

「……あんたと話してると、本当気が抜けるわね。まあ、慣れてるけど」

「そう?」

「ま、あたしはあんたのそういうとこ、好きだけど」

「僕もノリのこと、好きだよ」

「あたし達両想いで良かったわよね」

「両想い?」

「片想いだったら淋しいでしょ?」

 淋しい。

「……そうだね」

 僕は笑った。

「両想いで良かったよね」

「……杉原に聞かせてやりたいわぁ」

「え?」

 どきん、とした。なんで?

「なんで杉原先輩?」

「……あいつが聞いたら地団駄踏んで悔しがってくれそうだからよ」

 ノリはくすり、と笑った。

「もっとも、あいつはそんな判りやすい悔しがり方しないと思うけど。だからもうちょっと突っ込んだイジメ方したくなるのよねぇ……」

「先輩のこと、あんまりいじめちゃ駄目だよ、ノリ」

 するとノリはマジマジと僕を見つめた。

「え? 何?」

「……杉原も、あんたにだけは言われたくないと思うのよねぇ……」

「えぇっ!?」

 びっくりした。

「何それ。それってもしかして、僕が先輩をいじめてるって言うの? なんで?どうして? 僕先輩のこと、いじめてなんかないよ」

「まあ、サイはそう言うわよね。……サイは人をいじめようと思っていじめるタイプでもないし」

「……どういう意味?」

「サイは、このままサイのままでいてくれると良いなって話」

 訳が判らないよ、ノリ。

「さっぱり判らないよ」

「うん」

 ノリはにっこり笑った。

「あたしはそういうサイがとても好きだから」

「僕もノリが好きだよ」

「だから、お互い、好きでいようね?サイ」

 ノリは嬉しそうに言った。

「勿論だよ、ノリ」

 でも、何か誤魔化されてるような気がするのだけど。

 何かが省略されてるような気がするんだけど。

「それで、ノリは何か判ったの?」

 僕はよく判らない。

「あたしは判らないわよ」

 ノリはけろっとした顔で言った。

 ……どういう意味だろう?

 僕はきょとんとした。

「あたしは判らないけど、サイが判ったら、きっと判るのよ」

「……さっぱり判らないよ、ノリ」

 さっきまで怒ってたくせに。

「おかしいよ、ノリ」

「まあ、判ったような気になったからね」

 ノリは言った。

「何が?」

 聞くと、ノリはにやりと唇を歪めて笑った。

「つまり、判らなかった事が、よ」

「……そうなの?」

「そうよ。……判らないけど、たぶん、きっと、そうなの」

「……曖昧すぎて、よく判らないよ。ノリ」

「だってあたしは馬に蹴られるつもり、毛頭無いもの」

「馬? 何処に馬がいるの?」

 びっくりして聞き返すと、ノリはふふっと笑った。

「教えてあげない。だってそんな事したら、つまらないもの」

「……ノリの意地悪」

「本当にそう思ってる?」

 にっとノリは笑った。

「……思ってない」

「でしょ? あたし、サイのこと好きだもの。意地悪なんかしないわよ。サイには」

 ……それは、僕以外の人に対してはするって事かな。

「ノリ、僕はノリの事好きだけどね?」

「うん? 何?」

「ノリが他の人に嫌われるのってあまり好きじゃないよ」

 言うと、ノリは少しびっくりした顔した。

「サイ?」

「ノリのこと悪く言われると、気分悪くなるから」

 だって、僕はノリのこと、好きだから。

「悪口みたいな事言われるの、僕は好きじゃないよ」

「……サイ、そんなこと、気にするんだ?」

「気にするよ。……気にしたらおかしい?」

 ノリは一瞬目を瞠って、それからゆっくり首を振った。

「ううん。ちっともおかしくない」

 ……おかしくないなら、その一瞬の沈黙は何だろうって、思ってしまうのだけど。

「誰が何をどう考えようと、それはその人の自由だ。だから、誰かが何かを考えてたって、僕には何の関係もない。けど、目の前で知ってる人のこと、悪く言われたら気分悪くなるよ。少なくとも僕は、気分悪くなる」

「そうね」

 ノリは言った。

「誰にも言わなければ良いんだ」

 僕は言った。

「人が気分悪くなるようなこと、誰にも言わなければ良いのに。自分の心の中だけで言っていれば、誰も気分悪くならずに済むのに」

 僕が言うと、ノリはそっと静かに、優しく笑った。ちょっぴり淋しげに。

「そうね。そうよね。……本当、そう思うわ」

「……時々、思うんだ。ひょっとして、僕が思う通りには、僕が見る通りには、見えなくて聞こえないのかなって。僕に母さんが見てるものが見えないように。僕が母さんに見えないように。僕の声が母さんに聞こえないように、母さんに聞こえる父さんの声が、僕に聞こえないように」

「……サイ……」

「でも、僕の声はノリには聞こえてるよね? 僕の姿はノリには見えてるよね? 僕に、ノリの声が聞こえて、見えるように」

「そうよ。……見えているし、聞こえてる。大丈夫よ。誰が見ても同じ。サイの声は聞こえてるし、姿だって見えてる」

「うん、でもね」

 なんとなく、時折。

「時折、本当は僕の声が、僕の言葉がちゃんと聞こえてないんじゃないかって思うんだ。全く聞こえてないわけじゃなくて、全部聞こえてないんじゃないかって。だって、通じないんだもの。同じ日本語を話してる筈なのに、ちゃんと伝わらないんだもの。それってたぶん、聞こえてないんだと思うのが、自然だと思わない?」

 すると、ノリは少し考え込むような顔になった。

「僕、変なこと言ってるかな?」

「……なんて言うか、ね」

 ノリは気難しいような顔で言った。

「誰が悪い、とかそういうものじゃなくてね」

「え?」

「聞こえてるとか聞こえてないとか、そういう問題の前に」

「……違うの?」

「言葉が違うのよ」

 ノリは真面目な顔で言った。

「えぇっ!? 言葉が違ってるの!? ……僕、間違ってる?」

「間違ってるとかじゃなくて……意味が違うのよ。言葉の意味が違うの」

「……どういう意味?」

 判らなくて、聞き返した。

「使ってる言葉の意味が、人それぞれで違うのよ。違う意味の言葉を、同じ言葉だと思って使うから、おかしな事になるのよ」

「使ってる言葉の意味……?」

「そうよ。だから、同じ言葉を使ってる人じゃないと、言葉が通じないの。ううん、通じないわけじゃない。通じにくいの。でもね、一生懸命伝えようとすれば、たぶん何となくだけど通じるのよ。……そういう事だと思うの。あたしは」

「……ごめん、意味がよく判らないよ、ノリ。……難しい」

「うん、例えば、あたしはポルトガル語は全く判らないけど、ポルトガルの人が、泣いて何か一所懸命言ってたりしたら、意味は判らないけど、きっとこの人は何か泣きたくなるような事があって、誰かに何か伝えたい事があるんだなって判るでしょ? その人が例えば何かを指さしてわんわん泣いてたりとかしたら、良く判らないけど、指差してる何かが泣いてる事に関係あるんだって判るでしょう? でも、その人が泣いている事に気付かなかったり、何か言ってるのが聞こえなかったり、指差してるのが見えなかったりしたら、ちっとも判らないでしょう? ……つまり、そういう事だと思うのよ。言葉が通じないっていうのは」

「やっぱり見えてないし聞こえてないって事じゃないの?」

 ノリはちょっと困った顔をした。

「そういうんじゃないのよ。……なんて言うかな、つまり、見ようとしたり聞こうとしたり、理解しようとしないって、そういう事なのよ。たぶん」

「どうして?」

「……それが一番難しいのよね」

 ノリは溜息ついた。

「それが判れば苦労しなくて済むと思うわ」

「そうなんだ?」

「努力すれば100%理解できるってもんじゃないのもつらいとこだけど」

「じゃあ、僕の言葉は聞こえてる? 聞こえてるけど、通じてない?」

「それが一番難しいのよ」

「……どうして?」

「サイが通じてないって思うなら、きっと通じてないのよ。たぶんね」

「……たぶんなの?」

「世の中の大体の事は『たぶん』よ。でも好きに思えば良いのよ。自分の好きなように。それが一番手っ取り早いでしょ?」

「そういうもんなんだ?」

「あたしはそう思うのよ。取りあえず嘘でもはったりでも、勝てば官軍よ。それ以外の事なんか知ったこっちゃないわ。あたしはあたしが好きだから、あたしの好きなようにする。他の理屈なんかクソ食らえよ。あたしはあたしの都合さえが良ければいい。それ以上の事なんか知ったこっちゃないわ。それ以外の事まで考えてたら胃に穴が空いちゃうじゃない。でなきゃ杉原みたいに年がら年中鬱陶しい顔する羽目になっちゃう。そんなのつまんないわ」

「判るような判らないような感じなんだけど、何となくノリらしいね」

「でしょ? 他人の決めた理屈やルールになんか構ってたら、好き勝手できないじゃない。そんな面倒くさいの、あたしは厭だわ」

「ノリはどうしてそう思うの?」

「あたしがそう思うからよ。他に何があるって言うの?」

 ……それもそうか。

「そうだね」

 僕は笑った。

 ……だって、ノリは他の人の決めた理屈やルールなんか、どうだって良いと思ってる。

 だから、気にしない。

 簡単なことだ。

「ノリはすごいね」

 本当に、僕は思う。

「ノリはすごいよ」

 ノリは困ったように笑った。

「褒めても何も出ないわよ」

「うん」

 僕は頷いた。

「でもノリは本当すごいって思うから」

 僕には出来ない。

 だって、僕にはよく判らないから。

 他人のルールも、自分のルールも。

 残念なことに、ノリのルールも。

 判らないことはよく判らない。

 だからたぶん理解出来ない。

 一つだけ判ってるのは、僕がノリを好きだって言う事だ。

 ちっとも謙遜も照れもせず、ごく普通に、ごく自然に、そうするんだって言えちゃうノリがとても好きだってこと。

 ノリと友達で良かったなぁって。ノリと友達になれて本当に僕は幸せだなぁって。ノリと出会えて本当良かったなぁって思うから。

 僕は幸せだ。

 とても幸せ。

「ノリ、大好きだよ」

「あたしもよ、サイ」

 判らなくてもいい。

 理解できなくてもいい。

 僕はノリが好きで、ノリは僕を好きだって言ってくれる。

 これ以上に幸福なことって何処にある?

 僕は嬉しくて。とても暖かくて、幸せで、優しくて。気持ち良い。

 ここは日溜まり。

 たとえ空には雨が降っていても。窓の外は嵐でも。

 僕は、僕のいるこの場所が暖かで幸せなら、それでいい。それだけでいい。

 他に何もいらない。これ以上のものなんて、何もいらない。

 僕は幸せだから。すごく、すごく幸せだから。

 ずっとこの日溜まりにいたいんだ。

 何も失いたくない。

 誰の目にも見えない幽霊になりたくない。

 僕は僕でいたいんだ。

 僕は僕が好きだと思う人達と、いつまでもいつまでも幸せでいたいんだ。

 他には何もいらない。

 ずっとこのまんまでいられたら良いのに。

 ずっと一緒にいられたら良いのに。

「時間が止まればいいのに」

 そしたら、進路のこととか、勉強のこととか、何も考えなくていいのにね。

 お医者さんにはなりたいと思ってるけど。

 このままでいられるなら、そっちの方がいいな、とか。

 だって、とてもここは、居心地が良いから。

「ずっと高校生のまま?」

 ノリは唇歪めて笑った。

 ……何か言いたげな顔で。

「気持ちは判らないじゃないけどね? サイ」

「え?」

「杉原は大学受かろうが落ちようが、卒業するよ? あと半年後には確実にね」

 どきん、とした。

「どういう……意味?」

 ノリは曖昧な顔をした。

「同じ学校にはいなくなるって、そういうこと」

 なんだ。

「知ってるよ、それくらい」

 僕が言うと、ノリは首を傾げた。

「そうかな? ……本当に判ってると思う? サイ」

「だって杉原先輩は三年だもの。三年生は普通三月には卒業するでしょ? 留年しない限り。少なくとも、杉原先輩は留年しそうにないし」

「その前に、学校来なくなるよ?」

「え? なんで?」

 びっくりした。

 ……ノリがどうして、そういう事言うのか、よく判らない。

「杉原、国立クラスでしょ? 来月には登校日以外は来なくなるって、サイ、判ってた?」

「……え?」

 一瞬、何を言われたんだろうって思った。

「だって、杉原先輩、勉強教えてくれるって言ったよ?」

「ソレ学校来る間だけだって言われなかった?」

「そんなことは…………あ」


『俺が教えてやれる間は教えてやるから』


 確か、そんな事を言っていた気がする。

 僕はてっきり、卒業するまでって意味だと思ってたけど。

 ……でも。

「……来月?」

 そんな話は聞いてない。

 確かに来月からは試験で忙しくなるとかいう話は聞いていたけど。

「聞いてないよ、ノリ!僕はそんなこと、聞いてない。来月からは試験で忙しくなるって聞いたけど、学校来なくなるなんて聞いてないよ、ノリ」

 言うと、ノリは溜息をついた。

「……たぶん、杉原はソレでサイに判ると思ったんじゃないかしら……あのタコ」

「タコ?」

 ノリは僕の目を見た。

「サイ」

「……え?」

 僕はきょとんとした。

「あたしは何があっても、サイの味方だから」

 真面目な顔で。

「どうしたの? ノリ」

「だから、サイがしたいようにすればいいんだよ。あたしが、誰にも文句は言わせないから」

 ノリはきっぱりと言った。

「ノリ?」

「ついでにあのクソエロナンパ外科医も何とかしてあげるから♪」

「……シメるのはマズイよ、ノリ。相手は大人の人だよ?」

「アレが社会人ていうのがそもそも大きな間違いなのよ。問題は早急に処理しておかないと、悪い病原菌が世にはびこって大変な事になるじゃないの。シロアリ退治と同じよ。見つけたらすぐ駆除しなくちゃ、家がダメになっちゃうじゃない」

 ……つまり、ノリにとってなんとか原さんはシロアリなんだ?

「いやでも、マズイというより危なくないかな?」

「あら、あたしの心配してくれるの?」

 ノリは嬉しそうに笑った。

「あたしの事なら大丈夫よ。バイク一台あれば、相手が四輪だろうと、絶対負けないから。あ、でも四輪一台までよ。単車も三台までかな。それ以上はちょっとあんまり自信無いけど」

 何の話してるんだろ?

「ノリ?」

「大丈夫。事故に見せかけて怪我させるのなんてお手の物だから♪ 証拠も残さないから、完璧よ。アリバイ工作もバッチリだし」

 ……ノリ。もしかしてそれって犯罪……?

「それはマズイよ!! ノリ!!」

 事故はマズイって!! ノリも怪我しちゃうじゃないか!!

「大丈夫。ちょっと目の前横切るだけよ。慣れてるから大丈夫」

「ダメだってば!! ノリ!!」

「心配性ね、サイ」

「そういう問題じゃないよ」

 ノリって発想が時々恐い。

「医者と教師と政治家を失脚させるのは、金か酒か女か交通事故が一番手っ取り早いのよ。要するにスキャンダルね。もっとも女に関しては、アレは援交なんかで自滅しそうなタイプだけど。……ああでも、ああいうバカっぽいのに限って結構上手く立ち回って、最悪の事態になるまでは何とか保ったりするのよね」

「何もしなくていいってば!!」

 ノリって結構執念深いからなぁ。

 普段すごく優しいのに。

「あの人はどうだっていいんだよ」

 そう言うと、ノリはマジマジと僕を見た。

「……サイって時折強烈な事言うわね」

「え?」

 どういう意味だろ?

「どうだっていいんだ?」

 何かおかしな事言ったかな?

「何? 変?」

「ううん。別に。全く気にならないんだ? サイ」

「ならないよ。だってどうだっていいから。どうだっていい人の事なんか普通あんまり気にならないでしょ?」

「じゃ、あいつに仕返ししちゃダメっていうのは、あたしのため?」

「だってノリってば、結構無茶ばっかりするでしょ?」

 僕には良く判らない理由で。

「何もしなくて良いんだよ。僕は、ノリが傍にいてくれれば、それだけで良いから」

 言うと、ノリはひどく嬉しそうに笑った。

「ありがと」

 とびきりの笑顔で。

「嬉しいわ、サイ」

「僕も嬉しいよ、ノリ」

「じゃあ、あの栗原って柳沢と同じなんだ?」

 僕はきょとんとした。

「栗原って誰? ……それに柳沢?」

 判らなくて、聞き返したら、ノリはぷっと吹き出した。

「えっ?」

 びっくりした。

 ノリはお腹を抱えて笑い転げた。

「やだもう! サイってば!! 本当っ……!!」

 げらげら大声上げて、文字通り椅子の上で笑い転げて。

 テーブルをバンバン叩きながら。涙流して。

「ノ……ノリ?」

 なんで?

 なんでそんなに笑ってるの?

 ていうか涙?

 何がそんなにおかしいの?

「どうしたんだよ、ノリ。笑ってちゃ判らないよ。どうして笑ってるの?」

「あははっ……あはっ、あは……っ!! ……だってサイっ……!! 全然!! 覚えてないんだもん!! 笑っちゃうじゃない!! 全く!! くっ……栗原が誰かっ……覚えてないんだ!! ああっ……おっかしい!! 最高よ!! サイ!! こんなおかしい事って無いっ……!!」

 ……少なくとも褒められてない事だけは判るよ、ノリ。

「そんなにおかしい?」

 僕は憮然として言った。

「……ごめっ……判ってるけど……っ!! ……サイがそういう子だって知ってるけどっ……!! ああっ……あいつに聞かせてやりたいわ!! あのロリコンナンパ男に!!」

 え?

「……もしかして、あの外科医の人の名前?」

 あ、そうか。なんとか原さん。そうか。……栗原って名前だっけ?

「あ……ほら、僕は人の名前って覚えるの苦手で……」

「うんうん、判ってるから」

 そう言って、ノリは目尻の涙拭いながら、笑って言った。

「それはちゃんと判ってるから平気。サイが覚えてなくてもあたしがちゃんと覚えてるから問題ないわ。その調子だとあのバカ娘の名前も覚えてないでしょ?」

「おっ……覚えたよ!! えぇと、確か……」

 ウサギ、じゃなくて、ええとそんなんじゃなくて、シダ。

 最後にコが付いて。

 えぇと。そう、クシダ。

「クシダキョウコ、でしょ?」

 ほら、ちゃんと覚えてた。

「んー、まあ、あのバカ娘ってば、毎回必ず自分のフルネーム書いて来るしね。自分が覚えられてないことちゃんと判ってるんじゃないかってくらい」

「……あのね、ノリ。あの子の事は別にキライじゃないよ。ただね、あの子と友達になれるくらい話とかしたことないから。すぐウサギみたいに逃げちゃうし」

 キライとか興味ないとかそう言うんじゃないんだ。

 ただ、話とかあまり出来ないから。

 僕はむしろ話とかちゃんとしてみたいって思ってるんだけど。

「僕、嫌われてるのかな? あの子に」

 言ったら、ノリはぶっと吹き出した。

 汚い。唾が飛んだよ、ノリ。

 ……ていうかその反応はあんまりじゃない?

「ノリ」

「だって!! サイが!! あたしを笑わすような事ばっかり言うから!! やっと収まったと思ったのに!! 腹筋痛い!! ねじ切れそう!! ヤだヤだ!! 本当ヤだ!! あはっ……!! あはははははっ……!!」

 泣きたいのはこっちだよ、ノリ。……何でそんなに笑うかな?

「いいかげん怒るよ、ノリ」

「あははっ!! ……だってっ……あたしだって……笑いたくてっ……笑ってないっ……し……!!」

 バンバンバン、とテーブルを叩いて、脇腹を押さえながら、ノリは顔を上げて息を整えた。

「サイの怒ったところちょっと見たい気もするけど、縁切られたら困るから、やめとくわ」

 ノリは言った。

 ……別に縁切るなんて言わないけど。

 ま、良いか。

「で、何の話だっけ?」

 ノリは言った。

「だから、僕、あの子に嫌われてるのかなって」

 言ったら、ノリはよしよし、と僕の頭をそっと撫でた。

「うんまあ、特別好かれてるって事は無いでしょうけど、大丈夫よ。気にしなくていいわ、サイ」

「え?」

 どういう意味?

「アレはね、ただの嫉妬だから。無視して良し」

「僕は彼女と友達になりたいんだよ?」

「杉原の卒業まで待ちなさい。そしたら、もう少しあのバカ娘もどうにかなるでしょうから」

「……どうして?」

「ゲームみたいなものなのよ。……たぶん」

「たぶんなの? ……ゲーム?」

「卒業したら変わるかも知れないから。それまでは何言われてもあんまり気にしないのよ。アレはそういう遊びなんだから」

「遊び?」

「遊びって言ったら本人は怒るでしょうけどね。でもあたしから見たら遊んでるようにしか見えないわ。でも本人は楽しんでるんだからいいのよ。ほっときなさい。そのうち飽きたら違う事するでしょうから」

「意味が良く判らないよ、ノリ」

「杉原相手に鬼ごっこしてるのよ。『だるまさんが転んだ』に近いわね。本人が見てないところでしか行動しないんだもの。自己満足だから、気が済めば良くなるのよ。あんたに構うのもその延長。ああいうバカはほっとくのが一番よ。バカだから何言っても聞きやしないし」

「友達にはなれない?」

「……なれないとは言わないけど、あまりお薦めはしないわね」

「そうなんだ?」

「あたしは、サイの友達はあたし一人で十分だと思ってるし」

「僕があの子と仲良くしてたらイヤ?」

「……そういう事じゃないんだけど。なんて言うのかしら? ……あたしほどサイの事判ってる人間はいないって、あたしが信じてるからよ」

「そうなんだ?」

 そうなのかな?

 僕はノリのこと良く判らないけど、ノリは僕のこと、判ってるのかな?

 ……そういうもの?

「僕はノリのこと好きだけど、よく判らないよ。難しくて」

 ノリは苦笑した。

「うん、そうね。……難しいわよね」

 それから髪を掻き上げて。

「でも、難しいから楽しいでしょ?」

「そうなんだ?」

「……と、思うのよ。時折自信がなくなるけど」

「自信なくなる? ノリでも?」

「なくなるわよ。でも、あたしは自信過剰だから大丈夫だけど」

「自分で自信過剰とかって言っちゃうんだ?」

「まあね。でも過剰だとも思ってないけど」

 ノリらしいや。

「うん。過剰じゃないよね」

「そう言って貰えると嬉しいわ、サイ」

 そう言って、ノリは笑った。



 今日あるものが、明日にはなくなるかもしれない。

 それはごく当たり前で、ただの事実なのだけど、現実には、あんまり理解できてない。

 同じように、今日会おうとか思わなくても普通に会えちゃう人と、明日会えないかもしれない、なんてこともちゃんと想像できない。

 僕が交通事故に遭った日、ひどい土砂降りだったけど、僕はその日の朝、そんなことが起きるだなんて思ってもみなかった。

 だから、その事故の日、父さんがどんな顔をしていたか、出掛けようとする僕と父さんに母さんが何と言ったか、よく覚えていない。

 たぶん、他愛のない、いつもとそんなに変わりない、普通の会話だったんだ。

 それが、最後の会話になると知らずに。

 簡単に、何のひっかかりもなく、普通に過ぎてしまったから、後で思い出そうとしても、あまりよく思い出せなかった。

 確か、焦げた目玉焼きについての話題が出たと思うのだけど、本当にその日の朝だったかは、自信がない。

 目を閉じれば、今でもあの頃のことが思い出せるような気がするけど、頭の中の、記憶にしかない風景は、だんだんと夢か現実か、定かではなくなっていく。

 誰かに『その記憶は全部嘘だ』って断言されたら、否定できない気がする。

 夢ではないのに。

 夢なんかじゃなくて、嘘じゃない筈なのに、人の記憶っていうのはあてにならない。

 忘れたくない思い出が、どんどん薄れていってしまう気がする。僕は忘れたくないのに。なくしたくなんかないのに。

 時折、僕はいったい、どんな間違いをおかしてしまったんだろうと思う。

 何か僕が間違えてしまったから、父さんが死に、母さんに僕が見えなくなったんだと思うから。

 祖父ちゃんがいてくれて良かった、と思う。

 祖母ちゃんが死んだ時、悲しかった。

 けれど僕は母さんのようには悲しむことができなかったから、僕は自分が間違ってるんじゃないかと思った。

 でも、祖父ちゃんは『良いんだ』と言ってくれたから。

 母さんが僕を見てくれなくても、祖父ちゃんは僕を見てくれるから。

 僕のこと、好きだって言ってくれるから。

 ノリに出会えて本当に良かった。と思う。

 ノリと会ったのは偶然で。

 僕が校舎で迷子になってうろうろしてたら、屋上でノリとぶつかった。

 授業が始まってたから『遅刻だよ』と言ったら『あんたもね』と言われた。


『どうしてこんなところにいるの?』

 僕が不思議に思って尋ねたら、

『そういうあんたは?』

 ノリは何故か、楽しそうに言った。

『僕は迷子。……ねぇ、科学物理実験室って何処か知ってる?』

 僕がそう言うと、ノリはくすくす笑った。

『そんな部屋は無いわよ』

『えぇっ!? ……ほんとに!?』

 僕がびっくりして叫ぶと、おかしそうに笑いながら、ノリは言った。

『科学実験室と物理実験室ならあるわよ? どっちに行きたいの? ……でも、あと五分で授業終わるけど、行く気?』


 僕は行かなかった。

 代わりにノリを質問攻めにした。

 僕はその時、てっきりノリは年上だと思った。

 ノリは一年生だったのに、学校の建物の構造だとか、校門を通らずにコンビにへ行く一番の近道だとか、先生も生徒もあまり来ない穴場だとか、びっくりするくらい良く知っていた。

 どうしてそんなに知ってるの、と聞いた僕に、ノリはにやりと笑いながら言った。

『あのね、判らなかったら、全部実際にやってみればいいの。そしたら、大抵の事は間違いないわ。犯罪以外はね』

 なるほど、と思った。

 僕はノリのことが大好きになった。

 ノリも僕を好きだと言ってくれた。

 僕はそんなノリをもっと好きになって、どんどん好きになってる。

 ノリは時折困ってしまうような事を言ったりするけど、基本的にはとても優しい。

 それから心配性で、いつも僕のことばかり心配している。

 でも、僕は大丈夫なのに。

 僕はノリがそばにいてくれるだけで、ノリが笑っていてくれるだけで、とても幸せなのに。

 とても、とても、幸せなのに。

 ……でも、ノリが僕を心配してくれるのは、ちょっと嬉しい。

 それが、ノリの優しさで、僕に対する好意の表れだと、知っているから。

 ノリに会えて良かったと思う。

 ノリを好きになって本当良かったって思う。

 ノリが僕を好きでいてくれて、とても良かった。

 僕は、ノリ以外に友達がいない。

 それはちょっと淋しいけれど、ノリが友達で良かったと思う。

 ノリの他に友達がいないからじゃなく、ノリがそばにいてくれて、友達としてつきあえる事がとても嬉しい。


 じゃあ、杉原先輩は?

 杉原先輩の事は好きだ。

 面白い人だと思う。

 僕が面白いと言うと、いつも『お前にだけは言われたくない』といわれるけど。

 でも、杉原先輩を見ているのは好きだ。

 面白いと思う。杉原先輩の声を聞くのも好きだ。

 話の内容は、あんまり面白くない事の方が多いけど。

 杉原先輩の顔は、見ているようであんまり見ていない。

 でも、見た瞬間すぐ杉原先輩だってちゃんと判る。

 僕は人の名前も顔も覚えるのはあまり得意ではないのだけど、杉原先輩はすぐ判った。

 別にノリのようにとりわけ目立つ風貌ではないし、正直なところかっこいいわけでもない。

 黒縁の分厚い眼鏡と、少し長めの黒い前髪。

 犬の毛のように硬い髪は、実は長さがきちんと揃ってなくて、いつもどこか寝癖が付いてたりする。

 先輩はノリ以上に何を考えているか判り辛い人だけど、それでも、とても面倒見が良くて、辛抱強くて、優しい人だって事は良く判る。

 ただ、言ってる事がとても難しくて、残念ながら僕にはよく理解できない。

 頭が良い人だという事は間違いないんじゃないかな。

 不器用だけど。

 僕はいつものように図書室で先輩を待つ。

 先輩は難しい人で、良く判らない人だけど、至極真面目で約束を破ったりしない人だ。

 他人にも自分にも厳しい。

 それって大変じゃないかな、と僕は思う。

 思うから、先輩はすごい、と尊敬してる。

「……先輩?」

 いつもより遅れて、先輩が現れる。

 何故か昨日より、頭の包帯の量が増えていた。。

 ……ってもしかして?

「怪我、大丈夫?! 先輩!!」

 僕は思わず席を立ち上がった。

「図書室内では大声出すな。迷惑だろう」

 不機嫌そうな顔で言われて、僕は慌てて口を閉じた。

 先輩は困ったように笑って、優しく言った。

「悪い、篠原。とにかく座ってくれ。……いや、待て。どうせだから出よう」

「え?」

 僕はきょとんとした。

「……昨日のことで、少し話したい事もあるし……とにかく、場所を移そう。それからだ」

「うん、判った」

 良く判らないけど、僕は頷いた。



 先輩と一緒に来たのは、僕と先輩が初めて会った、普通教室と特別教室を結ぶ渡り廊下だった。

 今、初めて気付いたのだけど、窓が開け放たれた渡り廊下は、心地よい風が吹いていて気持ちが良い。

 先輩はすたすたと歩いて、特別教室棟の方へ向かう。

「何処まで行くの? 先輩」

「……廊下は話をする場所には向いてないだろう?」

「誰もいないのに?」

 僕が首を傾げると、先輩は少し考え込むような顔をした。

「……考えてみれば、わざわざ個室に入って話をするってのも変だな」

「個室?」

「……そこの地学教室は、天文部の部室なんだ。ほとんど使われてないけどな」

「そうなんだ?」

「……そうなんだよ」

 そう言って先輩は苦笑した。

「……昨日は、本当悪かった。あれからすごく反省した。反省するなら、最初からやるなって自分でもまあ思うけど。……篠原はどう……あ、いや、それはいい。その……」

 杉原先輩は、そこで顔を少し赤らめて、困ったように目を逸らした。

「……その、気分は……どうだ?」

「気分?」

 聞き返すとますます困ったように、俯いた。

「……そう聞き返されると困るんだが……気にしてないなら良いんだ。いや、良くないか。大体俺はそれを謝ろうと……でも……」

「先輩?」

 先輩は両手で頭を囲むように押さえてうずくまってしまう。

「……まあ、その、俺がバカだった。考えれば考えるほどそう思う。できればその……すごく勝手な事を言ってるんだが、『許す』と言ってくれると助かるんだ」

「許すって?」

「……許さないなら、それでも良い。必ずしもそれで良いわけじゃないが、俺の希望なんか言っててもどうにもならないし……昨日、俺がお前にした事を何も気に留めてないのだったら、俺を助けると思って『許す』と言ってくれないか?でも、気にしてるんだったら、怒ってくれて構わない。というかそれはお前の権利だ。俺がどうこう言う筋合いじゃない」

「昨日って……キス?」

 言った途端、なんだか顔が熱くなった。

 心臓の鼓動が速くなる。

「あ、あの……あのね、先輩」

「え?」

 驚いたように、先輩が僕を見上げる。

「その、ノリが、先輩は『恋愛』だって言ったんだけど……本当?」

「は? ……どういう意味だ?」

 先輩は目を丸くする。

「あ、いや、違ってるんなら良いんだ、ごめんなさい。ただ、その、僕は……そういうの、苦手で」

「…………」

 先輩は無言で僕を見つめた。

「……ん、と、うまく言えないんだけど、その、僕の母さんがとても父さんのことを好きで、それで病気になっちゃったから、僕は……」

「病気?」

 先輩は聞き返しかけて、はっと顔を強張らせた。

「篠原!」

 突然大声出されて、びっくりした。

 先輩は急に立ち上がる。目で追いかけるのが少しだけ間に合わなくて、僕は先輩の顔の位置を一瞬だけ見失う。

「俺は、篠原のこと、好きだから」

「……え?」

 顔を上げようとしたら、先輩の手の平が、僕の頭の上に乗った。

 どきんとして、僕は何故だか顔を上げられなくなった。

 どぎまぎしながら、頭の上の先輩の熱を、感じる。

 あたたかくて、大きい、手の平。

 指先が、優しい。

「……その、だから、俺は……お前はお前のままでいてもいいと思う。何て言ったら良いか判らないけど……ああ、くそ。こんな事言うはずじゃなかったのに……」

「せ、先輩……?」

「悪い、すまない。その……今、俺……ひどい顔してるから……かなり混乱してみっともないから、ちょっとだけ下向いててくれないか? ……勝手なことばかり言ってすまない。でも、今の顔見られたらちょっと立ち直れないから……その……」

「先輩?」

 強引に顔を上げて見上げたら──泣いているのかと思ったけど、泣いてなかった。

 その代わり、先輩は真っ赤な顔で、すごく困りきったような、弱りきったような顔をしていた。

「……先輩?」

 目が合った途端、杉原先輩は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

「先輩! ど、どうしたの?!」

 僕も慌ててしゃがみ込む。

「だから見るなって……ああ、見るなとは言ってないか……ああ、でも……っ!」

 先輩は微かに震えていた。

「先輩、大丈夫?」

「……あんまり、大丈夫じゃないけど、気にするな。……その、色々自己嫌悪とかそういう諸々の……駄目だ、今、喋らせないでくれ。自爆する」

「自爆? 自爆ってなんで?」

「…………」

 先輩は大きな体を縮こまらせて、ぶるぶると震えている。

「先輩、気分が悪いの? 保健室行く? それとも救急車?」

「……だ、大丈夫」

「え、でも……?」

「大丈夫だから! その……っ」

 先輩は顔を上げた。なんだか泣きそうな表情だ。唇をへの字に曲げて、眉間にたくさん皺が寄っていて、目が潤んでいる。

「……先輩?」

「……悪い、もう教室戻って良いから」

「え? でも、先輩……」

「俺が間違っていた。もう、自分の気持ちの整理はついてると思って……篠原のせいじゃない、俺自身の問題だから、その……」

「え? 僕のせい?」

「だから違うって! 俺がバカなせいだから、篠原はとにかく気にするな。あ、いや、気にしないでくれ。放っておいてくれればその内自力で立ち直るから……」

「あの、あのね、先輩。僕、先輩のこと、好きだよ?」

「…………」

 先輩は呆然としたような顔で、口を半分開いたまま、僕を見つめる。

「だから、先輩が泣いたり困ったりすると、困るんだ。どうして困るのか、聞かれても困るんだけど。……それで、ええと、先輩は、どうして、なんで、困ってるのかな? 僕、バカだから良く判らなくて……変なこと、言ってる?」

 話の途中から、何故か先輩の顔が、ますますぐしゃぐしゃになっていって、僕は困った。

 先輩は真っ赤な顔で、泣きそうで困った顔で、それでも一応僕のことを見ていた。

 視線は落ち着かなさげで、困惑気味で、泳いでいたけど、とりあえず大体は僕の方を見ていてくれた。

 先輩は半分だけ顔を隠すように、前髪をぐしゃりと掻き上げた。

「……あの、さ。ひとつだけ、聞いていいか?」

 困ってる口調で、でもさっきよりはしっかりした声で、先輩は言う。

「うん」

 僕は頷く。

「篠原は、俺が……キスしたこと、どう思ってる?」

 戸惑うように、優しい口調で、困ってるけど、どこか明るい、でも感情を抑えようとしてる声で。

「その」

 何故だか顔が熱い。顔だけじゃなくて、なんとなく全身少しだけ熱っぽい。

「なんだか、ちょっとだけ、困ってる」

 そう言うと、先輩は一瞬硬直した。

「あの、でも! なんとか原さんのとは全然違った!」

「……は?」

 先輩は虚脱したような、困惑したような、泣き出しそうな、奇妙な表情で聞き返す。

「……いやじゃないけど、すごく困ったんだ。なんだかびっくりして……なんとか原さんのは全然気にならなかったのに……思い出しただけでなんだか顔が熱くなったりするし……とにかく困ってるんだ。その、良く判らなくて」

「……その、篠原、それ、俺……どう解釈したら良いか判らないんだが……」

「うん、僕も判らなくて困ってるんだけど……」

「……そんなこと俺に言われても」

「そ、そうだよね。先輩も困るよね……」

「いや、俺のことはどうでも良い。本音言えばどうでも良くないが、お前の問題だし、ああでも……もしかして、俺の問題でもあるのか? いや、でも……駄目だ。俺が考えると、俺に都合の良い解釈にしかならない。それじゃ駄目だ……」

「都合の良い解釈?」

「とりあえずその辺は聞き流せ。聞いても聞かなかった振りしてくれ。俺が情けなくなるから」

「……先輩独り言多いね」

「気にするな。……って言うか、気にしないでくれ」

「気にするなって言われても」

「駄目なんだ。こういうのは苦手で……どうしたら良いか、あんまり見当がつかない。不慣れなんだ」

「え? 何が?」

「何がってその……つまり、『恋愛』ってやつかな」

「えぇっ!?」

 僕は思わず大声上げてしまった。

「……厭だったら、もう会わなくて良いから。どのみち、来月以降は登校日以外には学校へは来ないから、会いたくなければそう言ってくれれば良い。そうしたら、図書室にもなるべく立ち入らないようにするし……」

「なんで!?」

「なんでって……好きでもない男につきまとわれたくないだろう? っていうかその……気持ち悪くないか?」

「どうして?」

「……どうしてって言われても困るんだが……篠原が気にしないなら別に俺は……」

 言いかけて、先輩は小さく「ああ」と呟いた。

「……篠原は気にしてないんだな?」

「気にしてないって?」

「その……キスのこととか」

 キス。どきん、とする。

「ええと、その……」

 困ったな。なんだか本当困ってる。

「気にするとか気にしてないとか、そういう問題じゃなくて、困ってるんだ、とにかく」

「……その『困ってる』が判らないんだが」

 先輩は困った口調で言った。

「僕も判らなくて困ってるんだけど」

「……それじゃ、堂々巡りだな」

 先輩は嘆息した。

「でも、先輩に勉強教えてもらえないのは困るし……先輩が来月から学校へ来なくなるのも困ってる」

「え?」

 先輩はぽかん、とした。

「先輩に勉強教えてもらえなくなるのも困るし、先輩に会えないのもちょっと困る」

「……ちょっと」

 先輩は複雑そうな顔をする。

「先輩に毎日会えなくなったら、たぶん淋しいと思うんだ」

「…………」

 先輩はじっと僕を見つめた。真顔で見つめられて、僕はなんとなく赤面する。

「今日会える人が、明日には会えなくなるなんて、そういうのって、なんだかいやじゃないかな? 僕は、なんだかやだなって思う。晴れている日は勿論だけど、雨の日も、風の日も、先輩と会えるのは良いなって思うんだ。って言うか、会えるんだったら天気はこの際どうでも良いかなって。……僕は、雨の日も、風の日もあんまり好きじゃないけど、そういうのはあんまり気にしないんじゃないかなって。一人だったらいやだけど、そうじゃないから。僕は、先輩とノリがそばにいてくれたら、それだけで幸せで楽しい。そう思うんだけど……先輩は、どうかな?」

「……ここで萩原の名前と並べられるのが、ちょっと複雑な心境なんだが……」

「え?」

「とりあえずそれは仕方ないとして」

「先輩?」

「気色悪いとか二度と会いたくないとか言われなかった事を素直に喜ぶ事にして、とりあえず有難うと言う事にする」

「……先輩?」

「だけどな、頼むからこの質問にだけは、明確で判りやすい答えが欲しいと思うんだが……俺は、今後、お前にキスしても良いのか悪いのか、どっちなんだ?」

「え!?」

「…………」

「…………」

「………………」

「……えーと……その……」

「…………」

「……えっと……うーん……」

 僕が唸っていると、先輩は溜息をついた。

「……悪かった。忘れてくれ」

「……良いの?」

「本当は良くないけど、良いことにする。じゃないと、お前は困るだろう?」

 確かに困ってるけど。

「……でも、答えが欲しいって……」

「忘れろ。って言うか、忘れてくれ。俺が悪かった。もう二度と、あんな事はしないから、安心してくれ」

「えっ?」

 僕は先輩の顔を見返した。先輩は困ったような笑みを浮かべた。

「ああいう事は本来相手の承諾なしにするべきじゃないんだ。判っていたはずだったのに、思わず血が上った。反省してる。俺は確かに篠原にキスしたかったけど、ただ単にあいつに対抗心と嫉妬心を燃やして、自分勝手にしただけだった。篠原の気持ちも何も考えてなかったから、その点は謝る。本当に悪かった。だから、二度としない」

「……キスを?」

 先輩は本当に困ったように、くしゃくしゃに顔を歪めた。

「と言うよりは、承諾無しに無理強いする行為を、だな」

「無理強い?」

「相手が嫌がるようなこととか」

 嫌がる?

「……別にいやというわけではなかったけど」

「…………」

 先輩は何故かがっくりと肩を落とした。

「……篠原、頼むからそういう事は言うな。妙な勘違いするから」

「そうなんだ?」

「……そうなんだよ」」

 疲れたような声で、先輩は言った。

「先輩、具合悪いの? どこか痛い?」

「……痛いと言えば痛いけど、気にするな。自業自得だから」

「先輩?」

「……お前は、さ。篠原」

「え?」

「無理に理解しようとか、人の話聞こうとか、しなくて良いから」

「えええっ?! なんで!? どうしてそういう事言うの!? 理解しようとしないで、理解できるわけないよ!!」

「……だから、理解しなくて良いから。理解しようとしなくても良いし」

「どうしてそういう事言うの?先輩」

「……別に意地悪で言ってるんじゃなくてな、篠原。たぶん今は無理だと思うから、言ってるんだ」

「それはつまり、僕には先輩が理解できないってこと?」

「俺が困るのは自業自得だから良いけど、お前を困らすのは違うだろう? 俺はそういう事がしたいわけじゃないし」

「どうして先輩は、僕を信じてくれないの?」

「信じる信じないとかいう問題じゃない。俺の勝手でお前を振り回すのは悪いと思うからだ」

「僕は先輩の事が好きなのに?」

 一瞬先輩は泣きそうな顔になった。

「……俺が、自分本位で勝手な人間だからだよ」

「え?」

 僕はびっくりした。……先輩が、勝手?

「だから、俺のせいで、お前が困るのを見るのは、厭なんだ。自己嫌悪に陥る」

「どうして?」

「どうしてって……つまり、俺が、お前のことを、好きだからだろう? たぶん」

「たぶんなの?」

「……俺にも良く判らないからな。というわけで、良い加減許してくれないか、篠原。俺、そろそろ限界……」

「何が?」

「……お前って、ぼーっとした顔で結構きついよな……」

「えっ?」

 目を丸くした。

「まあ、そういうところも含めて好きだけど……って俺はマゾか……?」

 先輩はぼやくように呟いた。

「僕も先輩を好きだよ?」

 言うと、先輩は泣きそうな顔をした。

 ……どうしてかな?

 ノリだったら笑ってくれるのに。

「先輩の笑顔もすごく好きだよ」

 笑って言うと、先輩は引きつった顔で笑った。

「そ、そうか。有難う」

 ……先輩、いやなのかな。もしかして……。

「僕、何か悪いこと、言ったかな?」

「い、いや、別に……篠原は悪くない。大丈夫だ」

 ってますます引きつった顔してるんだけど、先輩。

「先輩?」

「あーくそっ。……あんまり顔を覗き込むな! 至近距離で真顔で見つめられると、また妙な気を起こしたら困るだろう。そんなことより……そろそろ教室へ戻らないと……」

「あのね、先輩」

 先輩は赤面した。

「な、何だ?」

「今日の放課後も明日の朝も、僕、図書室で先輩のこと待ってても良いのかな?」

 僕が言うと、先輩は一瞬目を丸くして、次の瞬間にこりと笑った。

「……ああ、勿論だ」

 顔をくしゃりと歪める、僕が大好きな、先輩の笑顔。

 思わず僕は先輩の首に飛びついて、ぎゅうっと抱きしめた。

「なっ?! 何っ……!! 篠原!?」

「先輩大好き!」

 僕は嬉しくなって、ますます腕に力を込めた。

「ばっ……バカっ……しのはっ……くっ……首っ……絞まっ……!!」

 先輩の襟元から、先輩の匂いが漂ってくる。

 それは、昨日のことを思い出させたけど、僕はもう赤面したり困ったりしなかった。

 ……先輩の、匂い。

 なんとなく、僕は思った。

 キスって、相手の匂いを嗅ぐために、あるいは匂いを覚えるために、するのかな、って。

 もしかしたら、間違ってるのかも知れないけど。

「くっ……くるしっ……! バカ、やめろっ……篠原っ……!!」

 あれ?と思って先輩を見ると、先輩は白目を向いて動かなくなっていた。

「先輩?」

 杉原先輩は目を開いたまま、眠っていた。

「……受験勉強、忙しいのかな?」

 もしかして僕、先輩に無理させてるんだろうか?

 今更ながら、気付いたりしたけど。でも。

「先輩に勉強教えてもらえなくなるのはいやだな」

 僕は自分勝手なのかも知れない。

 ううん、きっとたぶんそうなんだ。

 でも、仕方ないよね、と思う。

「先輩、ありがと」

 先輩は寝ている。

 先輩の睫毛は結構長い。

 眼鏡が落ちてる。

 それよりも、先輩重い。

 ……どうしよう?

 その時予鈴が鳴り響いた。

「どうしよう?」

 僕は呟き、そのままその場にしゃがみ込んだ。

 とりあえず、先輩の目が覚めるまでこうしていよう。

 膝の上の重みと体温が、なんとなく心地良かった。

 次第に睡魔に襲われる……。



── 第四章 後編 終 ──

というわけで杉原が不幸(?)な物語。

次章は今回名前だけ出てきた人も出て来ます。

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