第五章 雪の降る日の[8]
「今日はごちそうさまでした」
店を出たところで、そう言ってお辞儀をする先輩。いつも猫背気味なのに、ちゃんと背筋が伸びててキレイな仕草。
そんな先輩を見るのは今日が初めてで、だから僕は少し困惑してる。
先輩は元々真面目できちんとした人だから、背中丸めててもだらしないとこなんて見たことない。
でも、不思議な感じがする。
たぶんきっと、先輩は礼儀作法とか普段からこんな感じなんじゃないかな、という事がわかる。とても自然で。慣れてる感じで。
キレイでかっこいいけど、僕の知らない人みたいに見える。
「いえいえ、こちらこそ。また機会があればお話しましょう」
祖父ちゃんがニコニコ笑って言う。
「名刺でもあれば良かったんでしょうが、今は特に職にはついておりませんでしてな。我が家の電話や住所はご存じでしたかな?」
「あ、はい。電話番号は篠原……さんに伺ってます。俺の住所と番号は……」
「それは存じてます。では、問題なさそうですな。わしは携帯電話を持ってないので。大抵は自宅にいるので不自由してないですが」
その言葉に、思い出したような顔で先輩が言う。
「そういえば、篠原。さっき携帯電話買ってたよな?」
どきりとした。
「新規契約って聞こえたけど、もしかして……」
「せ、先輩! あの、その……今日、後でかけるから」
思わず声がうわずった。
「何時に、かけたら良い?」
僕が訊くと、先輩は頬を柔らかく緩めた。
「今日は十一時過ぎになりそうなんだけど……大丈夫か? なんだったらメールでも良いから……」
「は、話が」
顔が熱い。喉に何か絡まるみたいに息苦しくて。
「……え?」
「話がしたいから、電話かけるよ。それくらいに」
僕が言うと、先輩は優しく目を細めた。
「わかった、待ってる。……じゃあ、そろそろ行かないといけないから。またな」
「……うん」
僕が頷くと、先輩は祖父ちゃんに向き直って深々と頭を下げる。
「今日はありがとうございました。それでは、失礼します」
「はい。また会いましょう」
さよなら、と手を振って見送る。
祖父ちゃんはニコニコと見送って、先輩の背中が雑踏に消えてから、僕の頭にそっと手を乗せた。
「彩花」
いつも通りの穏やかな声。
「うん?」
「杉原君は、いいひとだな」
「うん」
僕は頷く。先輩はわかりにくいけど、すごくいいひとだ。
厳しくて、でも優しくて、真面目で一生懸命で、努力家で、ちょっと神経質で怒りっぽいところもあるけど。
「今日はちょっと安心したよ。彩花は彼が好きなんだな」
……へ?
きょとんとすると、祖父ちゃんはニコニコ笑いながら言う。
「わし以外にも、お前のことが好きで、お前が好きだと思う人がいるのは良いことだ」
「……どういう意味?」
よく、わからない。
「萩原さんもいい子だが、彼みたいな人がいてくれるというのは、お前の祖父としては、ほっとする事だよ、彩花。まだまだ若いつもりではいるが、それでも何があるかわからんからな」
理解できない。
「何言ってるの? 祖父ちゃん」
僕が首を傾げると、祖父ちゃんは笑って言う。
「自分以外に彩花を好きな人間がいっぱいいるという事は、わしにはとても嬉しい事だよ。彩花はどう思う?」
「よくわからないけど、僕を好きだと言ってくれる人がいるのは嬉しいよ」
誰にでも言われて嬉しいわけじゃないけど。
「杉原先輩も、ノリも大好きだから。一緒にいると楽しいし、嬉しい」
「うんうん、そうだな。わしもそう思う」
「勿論祖父ちゃんもだよ」
「わかってる。わしもお前が好きだし、一緒にといると楽しいし、嬉しい。ただ、お前には苦労かけているから……幸せになって欲しいといつも思ってるよ。わしがいない時も、いつも誰かと笑っていて欲しいと思う。わしは不甲斐ない保護者だからな」
僕はきょとんとする。
「どうして? 祖父ちゃんにはいつも感謝してるよ?」
祖父ちゃんが家族で良かったって、いつも思ってる。祖父ちゃんがいてくれて、そばにいてくれて、本当に感謝してるし、大好きだ。
「なるべく時間が許す限りは彩花と一緒に過ごすつもりだが、必ずしもいつもそうできるとは限らんからな」
祖父ちゃんは少し淋しげに微笑む。
「世の中には良い人ばかりとは限らんが、たくさん人と知り合って、たくさん友人を作りなさい。中には嫌な人や、悪人もいるだろうが、それも含めて糧となる。困った時は、人を頼りなさい。わしがそばにいれば助けるが、それができない時は一番近くにいる信頼できる人を頼るんだ。わかるね、彩花?」
こくん、と頷く。
「助けてくれる人がそばに誰もいなかったら、わしを呼びなさい。いつでもすぐに駆けつけるからな」
「うん、祖父ちゃん」
ありがとう。大好き。大好きだよ。
いつも、本当に感謝してる。
僕は幸せ。
とても幸せだ。
すごく幸せで──なのに、時折泣きそうになるのは何故だろう?
嬉しいのに、幸せなのに。
頬が、目が、熱くなって、こぼれ落ちそうになるのは。
「お前はいつも、我慢しすぎだからな」
そう言って、祖父ちゃんは僕の頭をゆっくり撫でる。
その手が優しくて、暖かくて。嬉しくて、幸せなのに、涙がこぼれ落ちる。
「もう少し甘えて良いんだよ?」
僕は我慢してるつもりなんてないのに。
「寄り道して帰るか」
そう言って祖父ちゃんは手をつないだ。
夜景の見える丘。
少し肌寒くて、ぶるりと震えると、祖父ちゃんがコートをかけて背中から抱きしめてくれる。
「きれい、だね」
「そうだな。昔は星がきれいに見えたんだが、最近は明かりが増えたから星は見えなくなったが、その分夜景が綺麗になった」
僕は首を傾げた。
「夜景がキレイになると、星が見えなくなるの?」
「ロウソクの火が、電灯の下と暗闇の中では見え方が変わるようにな。強い光は淡い光をくらませてしまう。夜景も夜景で美しいがな」
穏やかだけど、少し淋しげな声。僕は祖父ちゃんを振り返る。祖父ちゃんは困ったように苦笑する。
「昔、祖母ちゃんと星を見に来た事があるんだよ。その頃は、湧き水も出ていてホタルも見られた」
「そうなんだ?」
「うん。祖母ちゃんは星を見るのが好きだったからな。ビルもなかったから風通りも良かったぞ。冬は寒すぎて夜には来なかったが」
ちょっと想像して、身体を震わせた。
「寒いのは困るね」
「そうだな。最近は冬も昔ほど寒くなくなって雪も降らなくなったから、楽ではあるが」
昔は屋根の雪下ろしが大変だった、という話を聞いて、僕は今はそんなに降らなくて良かったと安心する。
「祖父ちゃんは子供の頃、どんなだった?」
「……よく覚えてないが、彩花を見てると自分に似ていると思うよ」
「そうなの?」
「そうだな。鈍いと言われたこともある。……だから、お前も余計な苦労するだろうなとは思う」
「余計な苦労?」
首を傾げると、祖父ちゃんは笑う。
「まぁ、それも生きていくのに必要な苦労だから、余計ではないかな。残念ながらその点についてお前に参考になるような事は言えないが、不器用でもゆっくりでも良いから、お前の思う道を探して歩きなさい。苦労するだろうが、それは大切な事だ。幸い、お前のそばにはわしも、萩原さんも、杉原君もいるからな」
僕も笑う。
「僕は幸せだよ」
祖父ちゃんは満足そうに頷く。
「わしも幸せだよ」
四年ぶり更新とか、しかもまだ完結してないとか。
しねとか言われそうな(汗)。
結局プロットとか設定とか、結構あったはずのメモ類はどうやら誤って捨てたみたいで見つからないようです。
もしかしたらあるのかもしれないけど、これだけ探して見つからないって事はないと思った方が早いよね、と思います。
なんだか久しぶりに小説書いた気がします(滝汗)。