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Room  作者: 揚羽(ageha)


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2/6

(第二章)

 身支度をして、仕事に向かう。

 何も、確かめずに。

 鍵を閉める。

 ノブを回す。

 もう一度、回す。

 金属の感触が指先に残るまで確かめてから、背を向けた。

 駅までの道を、ほとんど覚えていない。

 信号を渡った記憶も、人とすれ違った感触もない。

 気づくと、改札の前に立っていた。

 会社の建物は、少し遠くにあるように見えた。

 エレベーターに乗り、フロアを歩く。

 いつもと同じ床。

 それなのに、身体だけが、わずかに遅れて動いている。

 席に着き、パソコンを立ち上げる。

 起動音が、大きく響いた。

 メールを読み、返事を書く。

 数字を打ち込み、表を整える。

 手は止まらない。

 その間、頭の奥で、冷蔵庫の低い音が続いていた。

 場所が違う一本の缶。

 画面を見る。

 一行読み、もう一度、同じ行を見る。

 文字が、うまく定着しない。

 午前中の会議。

 資料をめくる。

 自分の順番が来る。

 声は、いつも通りに出ていた。

 周囲の反応も、変わらない。

 異常はない。

 そのことが、気にかかった。

 昼前、引き出しを開ける。

 ペンを取ろうとして、手が止まる。

 位置が違っていた。

 右側にまとめていたペンが、少し散らかっている。

 消しゴムは奥に押し込まれ、クリップの箱が手前にある。

 ほんの少しの違いだ。

 説明できないほどではない。

 共有の引き出しでもない。

 触ったのは、自分だと考える。

 だが、その自分が、いつの自分なのか分からなかった。

 昼休み。

 食欲はない。

 それでも、何かを口に入れないと、身体が持たない気がした。

 スマートフォンを見る。

 無意識に歩数の画面を開きかけ、閉じる。

 見なければ、増えない。

 そう思う。

 午後、時間の感覚が曖昧になる。

 時計を見るたび、思っていたより進んでいない。

 仕事が終わる。

 ミスはない。

 叱責もない。

 それでも、胸の奥に、重さだけが残った。

 会社を出ると、足が自然と速くなる。

 理由は分からない。

 立ち止まりたくなかった。

 電車に乗る。

 吊り革につかまる。

 指先が、少し冷たい。

 バッグを膝に置き、ファスナーを開ける。

 中身を確かめるつもりはなかった。

 だが、指に紙の感触が触れる。

 引き抜く。

 レシートだった。

 白く、細長い。

 折り目が、はっきり残っている。

 店名を見る。

 見覚えがない。

 金額は高くない。

 内容も、現実的だ。

 だから、否定できなかった。

 財布を開く。

 現金は減っていない。

 カードも揃っている。

 スマートフォンで、決済履歴を確認する。

 履歴は、ない。

 それでも、レシートは、ここにある。

 バッグの中に。

 自分の持ち物のあいだに。

 朝から積み重なってきた違和感が、

 ひとつの形を取り始める。

 歩数。

 移動の記録。

 鏡。

 冷蔵庫。

 引き出し。

 そして、この紙切れ。

 レシートを握る。

 紙の感触が、確かにそこにあった。

 とにかく、帰らなければならない。

 理由は分からない。

 それが、使命を帯びた。

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