96.正義の怪物
できるだけ姿を見られないよう夕暮れまで移動を控え、
親子が漁火の籠に火を灯したのを合図に、俺たちは舟に乗り出発した。
親子は竿と櫂を巧みに使い、夜の湖を迷いなく進んでいく。
この細長い湖は両岸を視野に入れられるが、闇の中では土地勘と経験がなければ無理だ。
改めて雇って良かったと思った。
リッカは俺に身を寄せ、押し黙っている。
俺はアズィとの対決と、リッカとの逃避行を天秤にかけながら旅の結末を想像していたが、
今はリッカをケアする方が先だ。
「今は安全だろうから、できるだけ寝ておこう」
「うん」
俺はリッカの腰に腕を回し、子供をあやすように身体を揺らして、
彼女が眠るのを見守った。
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夜明けのもやの中でうとうとしていた俺は、
船がガクンと揺れた衝撃で目を覚ました。
舳先が砂地に乗り上げ、目的地に到着したらしい。
親子と別れ、ギャレの先導で土手を登っていくと、見覚えのある平原に出た。
「ここ、練兵場の近くか!」
「おや、来たことがおありなのですね?」
ギャレは息の上がったサギタに水筒を渡しながら、俺の独り言に応えた。
「ここからなら徒歩でも半日とかからず村に到着だな」
「はい。私とサギタは練兵場までのお付き合いですね」
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覚えのある草原を歩き、練兵場が遠くに見える距離まで来たところで、
ロガが眉をひそめた。
「……練兵場で祭りでもやってんのか?」
俺たちも足を止める。
練兵場の上空に、黒い煙が太い柱のように立ちのぼっていた。
ただの焚き火ではない。
建物が燃えている量だ。
さらに近づくと、風に乗って 焦げた木や油の臭い が鼻を刺した。
耳を澄ますと、遠くで 金属がぶつかる音 が微かに残っている。
戦闘の名残だ。
トーチが手で制止の合図を出した。
「おいおい、なんかおかしいぞ?」
ロガは最初こそ気にした風もなかったが、
しばらく凝視してから低く吐き捨てた。
「……冗談じゃねえ。公爵軍だ」
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「あっちの丘から様子を見よう」
リッカの提案で、俺たちは丘に向かい、身を低くして練兵場を見渡した。
そこには、
旗がいくつも立ち、兵士たちの遺体が雑然と中庭に転がる光景
が広がっていた。
厩舎は半分以上が焼け落ち、
残った建物からも煙が立ちのぼる。
「……公爵様が動かれたようですね」
ギャレが呻くように言った。
「公爵軍? 動くのが早すぎないか?」
「私たちが捕まらなかったので、公爵様はヤマノを証人にして、王の仲裁前にアズィ様を叩き潰すおつもりなのでしょう。
ヤマノの力は王もご存知ですから、すぐに手出しはされない。
領主様がアズィ様を無視して降伏するのは時間の問題です」
横暴だろうが、下級貴族は大貴族には逆らえない。
力の根源である王の権威を喪い、実家を勘当されたアズィは終わりだ。
「村は無事なのか?」
ギャレは短く首を振った。
「あの様子だと……残念ですが」
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トーチが立ち上がり、俺に告げた。
「カゾヤマ、護衛はここまでだ。俺は村に行かなきゃならねえ」
続けてロガも立ち上がる。
無茶だと言いかけたが、俺は呑み込んだ。
「なら、俺も――」
ロガが遮る。
「元々村を出る予定だったあんたは、村に戻ることはねえ。
リッカも、この際だから逃げちまえよ」
「だ、だが……」
トーチは焦燥を押し殺しながら言った。
「あんたらまで犬死じゃジェイが可哀想だ。
お互いやるべきことをやろうぜ?」
リッカは地面に伏せたまま、燃える練兵場を見つめている。
会話は耳に入っていないのだろう。
ロガは「じゃあな」とだけ言い、
二人は練兵場を迂回するため林へ駆け出した。
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二人を見送ったところで、
ギャレが立ち上がり、服についた枯れ草を払って淡々と言った。
「ここまでですね。サギタとカゾヤマ様は用済みなので、あとはご自由に。
リッカ様は私と来てください」
「何?」
俺より先にサギタがキレた。
「話が違うじゃねえかよ! 俺も連れて行けよ!」
「話の邪魔ですね」
ギャレはショートソードを抜き、
サギタの首を迷いなく貫いた。
再生するとはいえ、その容赦のなさに背筋が凍る。
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「リッカをどうする気だ?」
「あなたを制御するための人質になっていただきます。
ただ、あなたを王都に近づけるなと王から賜っておりますので、
ご一緒にというわけには参りません」
「私は行かない」
「それは王が望みませんので却下です」
ギャレは淡々と続けた。
「王は、リッカ様が手に入らなければ、
カゾヤマ様が狂うまで灰都で殺し続けよとも命じられました。
リッカ様の我儘は、カゾヤマ様を苦しめるだけです。
私を殺してお二人で逃げたところで、檻は一気に狭まります。
最初は耐えられても、すぐに限界が来るでしょうね。
愛を信じて、私を殺してみますか?」
汚い。あまりに汚い。
どちらも選べない俺に、リッカはそっと抱きつき「止めて」と言った。
ギャレは結論が出たと確信したように微笑む。
「それで良いのです。
イセカイジンが過ぎたる力を持とうが、所詮は“個”です。
ましてやリッカ様という鎖で縛られたあなたは、何の脅威でもありません」
「ここまでする必要があるのか?」
無駄だと分かっていても、聞かずにはいられなかった。
「当然ですよ。
あなたの力は、はっきり言って今までで最大級の危機なのです。
あらゆる手段を使って国を守るのは、私たちの使命であり正義なのです。
あなたは“人の姿を偽る怪物”の自覚がなさすぎます」
「お前も怪物だろうが」
「個人的には胸が痛みます。
短い間とはいえご一緒して、あなた方を見てきましたから。
そっとしておきたい気持ちもあります。
ですが、私は王の命に従わなくてはなりません」
「今度はなだめに来たか」
「いえいえ、本音ですよ。
そうだ、証として月に一度だけ逢瀬の機会を設けるよう、王に進言しましょう」
嘘だ。
こいつは俺たちの心が離れないよう、未練で縛るつもりだ。
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「カゾヤマ……私」
「ダメだ、勝手に決めるな」
「ご相談したければどうぞ。しばらく離れます……おや?」
ギャレの視線の先から、馬の足音が聞こえてきた。
「長居しすぎました。ひとまず隠れましょう」
俺とリッカは迷わず丘を駆け降り、藪の陰に伏せた。
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