84.ベルマ
次の日の昼下がり、リッカの希望でベルマを一望できる丘で休憩をした。
国で二番目の都市は、
半月状の城壁に抱かれた巨大な湖のほとりに広がっていた。
湖面は冬の陽光を受けて銀色に揺れ、
そこへ木の枝のように伸びた桟橋が幾重にも重なり、
無数の船が静かに揺れている。
街の高台には、白亜の柔らかい光を放つ巨大な邸宅――
公爵の居城と思しき建物が、
湖と街を見下ろすようにそびえていた。
城壁の外側には、
区画整理された新しい街並みが幾何学模様のように広がり、
発展の歴史と住環境の良さをそのまま地形に刻んでいる。
「俺が目指した街」
「迷子になって後悔してる?」
「別に未練はないぞ?」
「どうかしら」
リッカがからかう横で、
俺は街道の走り方、丘の傾斜、湖の形、
見える限りの地形を脳に焼き付けていた。
ここはもう罠の中なのだ。
やがて御者が催促してきたため、
脳内マッピングを切り上げて馬車に乗り込み、ベルマへ入った。
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庭園付きの高級宿で俺たちを待っていたのは、
若い小男――王国警吏のギャレと名乗った。
「よろしく頼む」
「出発は明日の朝になりますから、お疲れでなければ観光などいかがでしょう?」
「港を近くで見てみたい」
「構いません。ただ、港は城外にありますので、出入りの際はお供いたします」
「では、部屋で支度をしてくる。ロビーで落ち合おう」
「はい、お待ちしております」
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部屋に入るなり、リッカが聞いてきた。
「どんな印象だった?」
「行儀良すぎな気もするが、芝居がかった感じはなかった」
「観光に付いてくるなら尋問に丁度いい機会ね。
船に乗る前に何か分かれば、最悪逃げられる」
「そうだな」
「そういえば、あんまりキョロキョロしたらダメよ。
何を見ても黙って満足気に頷く。会話は耳打ち」
「大丈夫だ。ちゃんと憶えてる」
「よし、作戦開始よ」
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トーチたちには壁内散策に出てもらい、
俺たちはギャレの案内で港へのゲートを抜けた。
港は外壁に沿って、幅広い石畳の岸壁が延々と続き、
桟橋ごとに詰所が設けられている。
湖風が冷たく、船の帆が遠くでかすかに鳴った。
ギャレが説明を始める。
壁内に入れるのは元々の住民のみ。
外部の人間は、貴族や警吏の身分保証がなければ一切入れない。
エリンヒャよりもさらに厳しい。
壁外が栄える理由がよく分かる。
「本当は露店をお楽しみいただきたいところですが、
御二人は高貴なる方々ですので、気になるものがございましたら
後ほどお部屋にお届けいたします」
貴族は買い食いしない――
わざわざ釘を刺すあたり、俺たちの正体は知らされているのだろう。
「散歩は構わないだろ?」
「ええ、少し後ろをついていきます」
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リッカの手を取り、湖を眺めながらゆったりと歩く。
湖面は陽光を反射してきらめき、
遠くの帆船が白い点のように浮かんでいた。
人がまばらになったところで立ち止まり、
ギャレに近くへ来るよう合図した。
「俺は詳しいことを聞かされていない。
相手のイセカイジンの情報が欲しい。
話そうにも、しどろもどろじゃ逆効果になる」
「船でお話するつもりでしたが……
胸につかえがあっては、せっかくのご旅行もお楽しみいただけないでしょう。
何なりと」
旅行を楽しめ――
しれっと含ませて牽制する話術はアズィと同じ。
ただの警吏ではなく、王の目の一員か。
「まず、名前だ」
「サギタと仰る方です」
「これだけ大がかりに根回しして保護するような重要人物なのか?」
「はい。
ご覧の通り、広大な湖を隔てて薬を密輸されては、我が国は手の打ちようがありません。
我々は隣国での工作で彼を炙り出し、こちらに移し、
保護と引き換えに監視するつもりでした。
しかしサギタが炙り出された途端、公爵様が御自ら捕らえようとお心変わりなさり、
手配書を撒いてしまったのです」
「おかしな奪い合いが始まったのか」
「はい。アズィ様は今回の計画を“公爵様への挑戦”とおっしゃいました」
国家権力のドロドロかよ。
アズィの性格的に引くわけがない。
「公爵様は我々の活動を妨げるために渡航を制限しました。
今回の計画が新婚旅行となったのは、それが理由なのです」
リッカが囁いた。
「見えてきた。でもそろそろ動いた方がいい。憲兵が気にし始めてる」
「ギャレ。続きは船の上でいい」
「さすがアズィ様のご令嬢。では、戻りましょうか」
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アズィに加えて公爵まで俺たちを監視しているなら、
警戒を強める必要がある。
ギャレが公爵を名指しで嘘をつくリスクは計り知れない。
恐らく事実なのだろう。
俺は湖に向かい、
“貴族らしく”満足げに頷き、
リッカの手を取って宿へ戻った。
湖面は夕陽を受けて金色に染まり、
その美しさが逆に、
これから始まる嵐の前触れのように見えた。
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