22.旅籠に向けて
俺は、あることを思いつき、市場に買出しに行き、今はひたすら瓶を振っている。
別に頭がおかしくなったわけではない。
学校の実験で学んだ“即席バター作り”にチャレンジしているのだ。
振って、振って、さらに振って――
麻布で濾しを繰り返すと、ようやくカップ一杯分のバターができた。
それを持って爺さんのところへ行き、小鍋と植物油を借りる。
薪ストーブの上でゆっくりと溶かし混ぜ、そこへ蜜蝋を加える。
軽く冷ましてから、ハーブティの茶葉を練り込んだ。
最後に商店街で買った革財布――紐つきの小袋に出来上がったクリームを流し込み、
冷え固まらせるために部屋の軒を借りて吊るした。
「なにか、おいしいものでもできるのかい?」
「そいつは朝のお楽しみだ」
市場を見回ったが、バターは売っていなかった。
乳を売る商人もチーズしか知らないと言っていたから、この世界には普及していないのだろう。
「うまくできてるといいが」
軒に並んだ五つの小袋を眺め、出発に備えて今日は早く寝ることにした。
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早朝。
木製の窓を開けると冷気が流れ込み、思わずブルッと震えた。
昨夜仕込んだ袋の感触を確かめ、中を確認する。
きれいな固形にはならなかったが、蝋状のクリームからラベンダーの香りがほんのり漂う。
――俺は成功とした。
広場にはまだ鉱夫の姿はない。
だが、野菜を積んだ荷車を引く親子や、白い息を吐きながら網を担いで川へ向かう漁師の姿が見えた。
出来上がったバームを早速見せようと階下へ降りると、爺さんが薪ストーブに火入れをしていた。
「おはよう、爺さん」
「おはようございます」
「できたぜ」
袋を開けて中身を見せると、爺さんは首をかしげた。
「これは、なんでしょうか?」
「こいつはこうして使う」
指でバームを撫で、俺は唇に塗りつけた。
「ほうほう、塗り脂ですかな」
「寒くなると唇が乾くだろ? 手荒れに塗ってもいいぜ」
「それは、旅に役立つね」
「沢山できたからひとつやるよ。昨日の礼だ。乳でできてるから臭ったら使うなよ」
爺さんは俺の真似をして唇に塗り、満足そうに微笑んだ。
「ありがとう、遠慮なくいただくよ」
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部屋に戻って荷物を点検し、身支度を終える。
再び階下へ降りると、爺さんが最後の茶を淹れてくれた。
宿に別れを告げ、火口茸を受け取りにマリオを訪ねると、
相変わらずお節介で、母親のようにあれこれ心配してきた。
「そんで、旅籠に着いて宿が決まったら詰所にこれを預けろ。あんたの名は?」
マリオは俺の名を手紙に書き添え、それを渡してきた。
「運び屋の名はモズだ。これであんたを見つけてくれるよ」
さらに続けて、
- 街道で赤白の旗が目印のモズの馬車とすれ違ったら旅籠で待て
- 旅籠に着いてモズがまだなら、待つか諦めるかは俺の判断
と説明してくれた。
奥さんが火口茸を渡してくれたので、俺は礼にバームを差し出した。
マリオが試して興奮気味に商品化を企て始めたが、バターの作り方だけ伝授し、
別れの挨拶をして街を出た。
紅葉に染まる街道は陽に輝き、俺の足取りを軽くした。
だが、しばらく歩いて立ち止まる。
「殺風景とか言って悪かったな」
振り返り、街の輪郭を目に焼き付ける。
そして再び、晩秋の景色の中を歩き始めた。
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