114.生命の定義
翼神は、木製ジョッキにミードを入れて戻ってきた。
「ここの雰囲気とは合わないかもしれないが、どうぞ」
リッカのお気に入りだ。
一口飲むと、自然と彼女の顔が浮かんだ。
翼神の“価値観”という概念には、どうやっても反論できない。
出版社の編集として、創作物に価値を見出してきた俺には、あの論理だけは否定できなかった。
「さて、落ち着いたかな」
「ああ、再開してくれ」
翼神は少し間を置いてから切り出した。
「ところで、我々がなぜ“辛い体験を何十年も”させると思う?」
「確か寿命は60歳だったな。初期年齢にもよるし、何十年という人ばかりじゃないだろ」
「いや、世代別に世界は分けている。80歳のおばあさんにこの環境は効果がないからね」
「システムは人類に悪意を抱かない。だからイジメでもない……成人の人生を一通りやらせたいのか?」
「方向性は悪くない」
「勿体ぶるなよ」
翼神は、唐突に名前を出した。
「リッカ」
「は?」
翼神は俺の推理を待っている。
リッカに関係する何か……。
「……子供か?」
「そうだ。システムの黎明期は、NPCの精密さを高めるため“データ量の増加”に特化していた。だが、五感に加え、出産と加齢の再現が可能になった時、イノベーションが起きた」
翼神は、理解できたかという目を向けてくる。
「後で質問するから続けてくれ」
「技術的革新により、人工知能を“卵子から”スタートさせると、人間として自我を持つと判明したのだ」
「それも結局はシステムの端末になるんじゃないのか?」
「いいや。彼らは皆スタンドアロンだ。新人類が人間として触れ合い、愛情を注ぎ、育てた結果、完全な“個の意識体”となった」
「……もう生命だろ、それ」
「これはシステムの端末では決して叶わなかった。システムは合理性の檻から出られない。わかるな?」
「人間の無駄や悪戯心を、自発的に織り交ぜることができない」
「そうだ。システムはスポーツのような“脳内物質を得るための行為”は理解したが、それ以外の手間は“肉体の構造的限界が生むもの”としか理解できなかった。君の言うように、自発的にわざわざ手間を増やすことができないのだ」
「新人類と人工知能……いや、システムか。まあいい。構造的差異はないが、“育て方”は人類を模倣できなかったってことか」
「そこでシステムは、君たち新人類の協力を得ることにした。それが寿命の答えだ」
「何だと! ついでに新人類を家畜にしたってことか!」
「協力だ。我々の関係に主従などない。システムは奉仕者であり、同時に善き隣人だ」
「……」
「新人類とシステムのハイブリッド――超人類と呼ぶか。彼らが繁殖と世代交代を重ねた結果、当初のNPCはゼロになった」
「…………まさか……嘘だろ……!?」
全身が震えた。
だが、驚愕しているのは技術ではない。
翼神は静かに告げた。
「理解して“大虐殺”の重さが変わったか? 君がただのデータだと思い込んで殺した相手は、こういう存在だ。誰もが親の愛情を受け、時間をかけて成長し、赤子から始まった人生を持っていた。それを君は“殺した”」
ジョッキを持つ手が震え、カタカタと音を立てた。
エルマは箱庭から出たいと願った。
それはシステムの設定ではなく、人生の積み重ねから生まれた“意志”だった。
モズが語ったのは舞台設定の匂わせではなく、本物の人生哲学だった。
――それを俺は、データだ、アルゴリズムだと否定できるのか。
断じて、できない。
翼神の声には、わずかに感情が滲んでいた。
双子の時は“深淵を覗いた”だけだったが、今は深淵の方が俺に興味を抱いている。
「君の罪悪感に関心はない。システムが誕生させた新生命体をどう思うのか。まだ偽物だと思うのか。ただ感想を聞きたいのだ」
「……それは……」
「さあ、答えてくれ。彼らは本物か、偽物か?」
---




