ボンボンショコラ一本釣り
初めて入った遊戯室は、重厚なアンティーク調だった。でも、深い海色の壁紙と木造船のような柱に合わせた家具のデザインは流行の曲げ木が取り入れられていて、まだ若い旦那様の趣味っぽい。
それとなくキョロキョロしていると、殿下が私を手招いて、自分の隣に座らせてきた。
「では夫人はこちらに」
「じゃあノアはこっちだな」
フォンテイン子爵がテーブルを囲んで私とは反対側に、旦那様を配置する。
「そんなわけあるか」と旦那様は驚かれていたが、
「じゃあコントラクトブリッジやるぞ!」
と殿下に言われて着席した。
「……それなら構いませんが」
うん。コントラクトブリッジはね、対面の人とペア組んでやるやつだからね。
というかカードって、偶数人でやるゲームが多いんだよね。三人だと、一人余るか足りないことが多い。コントラクトブリッジがしたかったなら、殿下が私を頭数に入れたのも納得である。
「いやー、ご婦人がいるとやっぱり華やかだなぁ! 俺ずっと男所帯で暮らしてるから、なんか新鮮かも!」
食事前からずっと、わっしょいわっしょいと落ち着かないトドを持ち上げようとしてくる殿下に、フォンテイン子爵も頷く。
「ああ、ノアが毎日定時帰りする理由が少しわかったよ」
そういう殿下もフォンテイン子爵様も、ご婚約者様は確か五つか六つ歳下である。二年後くらいにはご結婚される予定であろうものの、今は独身なのだ。だいたいこの国の貴族の適齢期とされるのが、男性は二十五歳頃の仕事を覚えて一人前になられた頃、女性は二十歳までの若く美しい頃である。なので女性は十六歳で社交界デビューしてすぐに、大学で優秀な成績を納めて将来有望な男性と婚約が決まるのが良いらしい。私のように二十歳になってから婚約して、一年後の二十一歳で、二つしかお年上でない旦那様と結婚するのは王都基準ではかなりのレアケースだ。
だから今は私でもちやほやとからかって楽しんでいるみたいだが、これはご結婚されたら落ち着くものなのだろうか。
……それとも、旦那様も、殿下やフォンテイン子爵様のお相手とお会いしたときは、こんなふうに話しかけて楽しまれるのだろうか?
「ネリネ、やり方はわかるのか?」
旦那様に問われて、ぐるぐると渦潮に閉じ込められたヒトデ気分だった私は、ハッと無駄なスピンを止めた。
「あ、はい。兄弟もおりますので、一通りカードの遊び方は覚えておりますよ」
「そうか」
しかし頷いて手際よくカードの用意を始められた旦那様に、私は一つ懸念を思い出して聞いた。
「あっ……ですがウォーターハウス侯爵領ではハウスルールを極めている可能性があるのですが」
「コントラクトブリッジは大丈夫だろう、さすがに」
「得点が同点になった次のターンは、カードを配らずに全部裏向きでぐるぐる掻き混ぜて、全員が一枚引いて、一番強いカードだった者が即勝者となる、満潮ドローとかいうルールは……王都ではないやつですよね?」
「それはウォーターハウスの独自ルールかな」
「ゲーム中に点差がありすぎると椅子を取り上げられて、上手いことを言わないと椅子を返してもらえないとか」
「それもウォーターハウスの独自ルールだよ」
「やっぱり……」
私は慄いた。フォンテイン子爵が訳知り顔で頷く。
「ウォーターハウスルールって、カードにまであるんだな……塩の売り方だけじゃなく」
うん。まあね、塩に関する税金関連はね。美味しいよね、お塩。
「殿下。飲み物はいつもので問題ありませんか?」
「おう、ありがとな!」
旦那様がそんな確認をして、殿下が頷く。そのまま殿下はこっちにも笑顔を向けてこられた。
「そうだ、アクアマリン伯爵夫人もいかがですか? と言っても、俺が入り浸りすぎて俺用の酒をこの家に保管させちゃってるだけなんだけどな! でも飲めるならおすすめ」
「では有り難く頂戴致しますわ」
私は上品に頷いた。ウォーターハウス侯爵家が皆してお酒に強いのはね、たぶんバレてるからね。
旦那様の従者のシモンが、壁際の棚に近づいて、王家の紋章が封蝋に刻まれた深紅の瓶を取り出してくる。
「殿下、封蝋の確認をお願いします」
それを旦那様が受け取って、殿下に見せる。
「うん。問題ないな! ありがとう。ノアもこれ飲むよな? レナートも、これでいいか? 赤だけど」
「シェリーでいいなら白もあるが」
殿下と旦那様が、フォンテイン子爵を見る。
「あー……できればお茶ください……俺は禁酒します、三日ほど」
しかし意外にもフォンテイン子爵は、渋い顔で首を横に振った。そういえば食前酒以外は食事中も口にしてなかったね。
「あー、最近立て込んでいたからな……」
殿下がほんの少しだけバツが悪そうな顔になる。
もしかして、旦那様が先日調べていると言っていた、ルイェールのカルト教団関連のことでだろうか。それならちょっと聞いておきたい。
しかし私が口を挟むよりも早く、フォンテイン子爵は首を横に振った。
「明日から二日間は、婚約者に会うので……酒臭いのは嫌だろうし」
あー。旦那様のご友人なだけあって、なんだかんだ良い人たちである。
殿下も何やら思うところがあったのか、若干目が遠い場所に逸れていたが、気を取り直すように両手を叩く。
「じゃあ、甘いのを掛けようぜ! ボンボンショコラ!」
そして示されたのは、サイドテーブルに鎮座していた、殿下から賜った大きな手土産の箱である。外箱の黒パケキラキラ金のロゴからして王都で大人気の最高級チョコレート屋の物だ。私が何で知っているのかというと、婚約期間中に旦那様(仮の姿の頃)から頂いたからである。めちゃくちゃ美味しかったので、しっかり覚えている。
カカオとかはね、今までは内陸側から複雑な経由で届いていたけれど、最近は船の進化でようやく外海から安定して輸入できるようになったのである。だから旦那様の領地であるアクアマリンの港が重要になっているのだ。フェアトレードって直接買い付けのほうがやりやすいからね。
「あのチョコレート、普通の貴族なら一ヶ月は待つ店ですよ。いくら殿下でも、その大箱を当日によく持ってこられましたね?」
旦那様が呆れたように首を傾げる。しかし殿下は胸を張って、
「いや、一週間前からレナートとここに来る計画を……あっ!」
途中で叫びながら口を覆った。旦那様が目を眇める。
「……一週間前からうちに突撃してくる計画をされていたんですか?」
「なあレナート、誠心誠意の手土産で自爆した、助けて」
「自爆前ならともかく自爆済みは無理です、というか俺も殿下の暴露で既に連座なんですが」
「くっ、ノアめ、王子を謀るとは……さすが俺の右腕にして親友だな!」
「お褒めに預かり光栄です。それで、どう分けるんですか?」
「んー、ボンボンショコラは六十四個入りだから……勝ったペアが四つ、負けたペアが一つ。でもとりあえず一個ずつ食おうぜ!」
殿下がそういうと、私が目配せするまでもなく、使用人たちが個別に銀の皿を並べ、ミニトングを用意した。
さてはこの手のスイーツ賭けゲーム、毎回やってましたね?
「じゃあ、伯爵夫人はどれにします?」
「ではこの四角いラインの物を頂きますね」
殿下が勧めてくださったので、遠慮なく一粒選んですぐに口に入れた。
繊細なチョコレートの薄膜が舌の上でしっとりと蕩けて、中に仕込まれたチョコレートと塩キャラメルの濃い甘みがじわっと溶け出してきて、これは……おーいーしーいー!
さらに殿下がおすすめしてくださったワインも頂いて、にこにこしていると、旦那様が気遣うように私を見た。
「ネリネ、君は別に賭けなくてもいいからな? 食べたいだけ食べても」
「いいえ、勝って食べます。そのほうが絶対に美味しいし……はっ」
私は慌てて口を覆った。
しまった、淑女らしからぬ食い意地の片鱗をお見せしてしまった……。
「ネリネの食に一生懸命なところは、美点だと思うよ」
あー、片鱗どころ尾まで出てたかー……。
フォローしてくれる旦那様の優しさが沁みるわね。




