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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第一章 陸で迷子の海獣たち

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飼育されるのは猫よりも亀

 旦那様のご友人が遊びに来られたのは、いやもうちょっと事前にご連絡くださいな? って思う、唐突な夕方のことだった。

 旦那様は本日はお休みを取られていて、午前中に私用を片付けられたあと、午後からは私とお茶をしつつ、アクアマリン伯爵領に滞在する際の情報をいろいろ教えてくださっていた。

 アクアマリンの顔である港街エストレーアを中心に、迎賓館の間取りから、気候、人気のブティック、よく捕れる魚の種類、季節の祭り、領民たちの風習、領内独自の慣習、郷土料理、貿易船が多い土地柄のため私が近づくべきではない区画、よく港で見かける猫の種類に、よく港で浮かんでいる海月の種類――など、帳簿の数字や他人の評判でしか知らなかった土地のことを、旦那様自ら教えてくださるのは、とても楽しかった。

 後日改めて疑問点などを質問しても良いそうなので、私も個人的にノートなどに纏めてみようと思いつつ、そのままご一緒に夕食を頂こうとしていたときになって――執事に「お客様がお越しです」と言われたのだ。

「突然のご訪問をお許しください、アクアマリン伯爵夫人」

 お通ししていた応接間で、勝手知ったるご様子で寛いでいらしたのは、明るい翠の目と後ろで束ねた赤茶色の長めの髪が特徴的な青年だった。いかにも洒落者なその貴公子様の名前を記憶の片隅から引っ張り出す。

「ええと……フォンテイン子爵様?」

「覚えていてくださったのですね。光栄です、結婚式以来ですね」

 フォンテイン子爵様――ルビア侯爵の嫡子で、ルビア侯爵領内の中心地であるフォンテイン子爵領を次期侯爵として先に父親から拝領しているレナート・フォンテイン様(姓と領地が同じで逆にややこしい)――は、にっこりと微笑みながら私に手土産(高級クッキー缶の気配を察知)を渡すと、旦那様(けっこう露骨に顔を顰めている)を見た。

「なぁノア。お前、最近まで婚約もしてなかったくせに、こんな美人な奥方貰うとか、やっぱ狡くね?」

 うわぁ、さすが王都からほど近い内陸の侯爵領のご嫡子様である。お世辞が上手い。怖い。

「羨ましいからって邪魔しに来るな」

「いや来るだろ。まだ全然紹介してもらってないし」

 私は黙って遠いところを見た。

 ……この国の貴族の娘は、貴族のご当主や嫡子である旦那様に嫁いで、初めて社交界で認識される存在となる。爵位を持たない相手と結婚したり、結婚せずに修道院に行く娘には、用がないからだ。

 未婚の頃は、夜会に出ても、同世代の女性と同性の親族、そして未来の旦那様候補として紹介された男性くらいとしか会話しない。

 まあ時代を経て緩くなっていった慣習だが、今でも一応そういうことになっている。

 だから、よほど胸の大きな美女か、王女か王族に近い公爵令嬢とかでないと、名のある紳士の方々にはあまり覚えていただけていないだろう。

 そのため本来なら結婚後は、世話焼きなご夫人などが主催する夜会に参加して、「若輩者の〇〇と妻の〇〇です、こういうご縁で結婚しました、今後は夫婦共々よろしくお願い致します」と挨拶回りをして年長者の方々に顔と名前を覚えていただく機会を作るのが定石だったのだが、旦那様はふんわりした未来の顔繋ぎよりも今が未来を作る感じの実務がお忙しい上に、私が引き籠もりなため、忙しいから仕方ないよね! で今まで済ませていたのである。

 ……控えめに言って悪妻だな、申し訳無いな、という意識だけは一応ある。

 なので最低限、お互い似たような立場で寿命の都合上わりと最期まで付き合いがあるであろう旦那様の同世代のご友人くらいには、ちゃんと顔くらい見せて紹介してもらっておくべきだと言われれば、本当にそう、ごもっともです。

 というわけで私は遠くに行きかけていた目を戻して、ちゃんと貞淑な妻として振る舞うことに決めた。

 ちなみにフォンテイン侯爵家は、隣国から王都への道を守る由緒正しい家柄で、ウォーターハウス侯爵とも遜色ない領地をお持ちだが、世の中金だよ金という観点から見ればアクアマリン伯爵領の経済力もそこらの侯爵家に引けを取らない。そして旦那様が現当主なので、旦那様のほうが偉い。

 だが、お二人とも第二王子殿下の側近というお立場で、第二王子殿下とは学生時代からのご友人ということである。話を聞いた感じ、特にこの三人で仲が良さそうだ。

 旦那様は、呆れた顔のまま、夕食の席に追加の指示を出した。

「すまない、ネリネ。今日だけ相手を……いや相手は別にしなくていいか。食事中にうるさい置物が増える。景観も悪くなるかも知れない」

「えー、俺も顔だけは良いって評判なんだけど? アクアマリン伯爵夫人にも相手してほしいなー」

「駄目だ! あと今後は絶対に事前連絡をしろ。顔だけじゃなくて、それくらいの知能もあるだろう」

「わかったわかった。というかノアがちゃんと奥方と仲良さそうで何よりだよ」

 その言葉で、私はフォンテイン子爵様がわりと非礼な訪問をしてきた理由を察した。

 爵位を継いだばかりの旦那様が、急に訳有な女と結婚してその女をまともに紹介しないものだから、旦那様のことを心配されて抜き打ち調査に来たのだ。

 婚約期間もさほどなく、儀礼的に挙げた結婚式は、小規模なものだった。私は社交界から逃げ回って高位の貴婦人たちに睨まれている上に、運良く社交界で人気の旦那様を手に入れてご令嬢からも睨まれていた行き遅れである。

 二人しかいない友人たちも、出産間際と出産直後で欠席という惨状で、埋められたのは親族席だけだった。

 そして旦那様は、長年よく仕えてくれている者やご友人は多いものの、肉親がどなたもご存命でないので、深い付き合いの者だけを招待したらしい。

 結果として、由緒ある伯爵家の当主と侯爵家の娘の結婚式とは思えない、静かな式となったのだ。

 もっとも、そのぶんの浮いた費用の一部を教会に寄進したおかげか、公爵家や侯爵家の結婚式と同じ会場を用意していただき、アクアマリン領の大司教様に主導していただいているのにウォーターハウス領の大司教様にもご挨拶に来ていただいたりした上に、旦那様のご友人として第二王子殿下を筆頭に高位貴族のご令息方数名にご列席頂いていたりして、人数のわりに妙に格式高くはあったのだが。

 遠い目をしないように自我をここに留めていると、フォンテイン子爵様が再び話しかけてくる。

「結婚式でのドレスもお似合いでしたが、今日も素敵ですね」

「あ、ありがとうございます」

「ああ、確かにネリネはいつも可愛いが、あの結婚式でのドレスも、古典的かつ斬新で、上品で、よく似合っていたな」

 いやぁ、私は髪が難題だったうえに旦那様からも肉体関係でお呼びでないこともわかっていたので、貞淑に肌を軽く隠していただけですね。引き篭もりらしくベールも全力顔隠し仕様で、侯爵令嬢らしく全体的に丈も長めだったし……総合的に、かなり豪華で良いやつを着せてもらったのは間違いない。

 ……待って? いま旦那様、他人の前だからってさらっとめちゃくちゃ褒めてくれた?

 えっ、すごい。またいつでも来てねフォンテイン子爵様。

 なんて感動していると、すすっと執事がやって来た。

「ご歓談中のところ失礼致します。旦那様、新たなお客様の馬車が」

 旦那様はなんとも渋い顔をして言った。

「殿下だろう?」

「はい」

 事もなげに頷く執事に、旦那様は「殿下の食事の用意も頼む」と告げる。

 執事は「心得ております」と言って、使用人に指示を飛ばす。

 でも私は心得ておりませんので……。

「……ええっと?」

 ……殿下って、旦那様のいう殿下って、第二王子殿下だよね? 第二王子のエマニュエル殿下だよね?

 殿下って渾名の渡り鳥とかじゃないよね? なんで急に来るの?

 呆然とする私を、旦那様が申し訳なさそうに呟く。

「レナートが来るときは、だいたい殿下も後から来るんだ」

「そうなのですね……」

「さしずめ俺は先触れ役だな」

「フォンテイン子爵様が先触れでは、豪華すぎますわ」

 だからね、先触れの先触れをお寄越しください。

 とにかく第二王子殿下をお出迎えするために、私たちは席を立った。

 そして、鰹じゃないんだから、追い友人で殿下を追加して高品位な緊張感を加えるのは止めてくださいよ……いえ、旦那様のご自宅ですし、別に良いんですけども……なんて考えつつも、つつがなく第二王子殿下に歓迎の意を示す。

 が、殿下は、フォンテイン子爵様と同じように勝手知ったるご様子で、「前回ここに来たのが約半年前とか久しぶりすぎてさー、道忘れてて焦ったー、迷子になるかと思ったわー」などと、専属御者付き馬車できたとは思えない謎ジョークを飛ばしながら上がり込んできた。

「あっ、どうもアクアマリン伯爵夫人。この国の恋人エマニュエルです」

「ようこそお越しくださいました、エマニュエル殿下。先日は私どもの結婚にご臨席を賜りましたこと、誠に有り難く存じます」

「すごい真面目に返されて俺がアホに見える! でもそう、それが俺です。よろしく」

 殿下、一応黙っていれば金髪碧眼の美形の理想的なキラッキラ王子様で、常に背景に私の手持ちのアイシャドウの中で一番ラメ入っているやつの百億倍はラメグリッターを背負っている感じだったので、まあこれくらいのほうが緊張しなくて楽……なんだろうか?

「……すまない、ネリネ。次回からはきちんと野に返してくると約束するので、今回だけは面倒を見てやってくれないか?」

「おいおいおいおーい第二とはいえ一応王子だぞ、俺は」

「非公式すぎるご訪問ですので、貴族の間柄ですらなく、ただの友人として扱いますよ、もちろん。ですので妻に家では飼えませんといわれたら潔く諦めます」

「捨て猫なのか俺は」

「我が家では猫よりも亀のほうが妻に飼ってもらえる可能性が高いですよ」

「哺乳類としての尊厳すら奪われた」

 どうやら私が旦那様に嫁ぐ前は、先代伯爵様は領地にいらっしゃったこともあって、フォンテイン子爵様と殿下は、よくこんなふうに気軽にご訪問されていたようだ。

 もちろん旦那様の交友関係に後から口出すつもりも権利もないのでまあ構わないのだが、私は社交に対しては自信無しなので、内心ビビりまくるくらいは許してほしい。

「……旦那様って、こんなふうに殿下とお話しされるのですね」

「君とはまだ漫才してない?」

「いえ、包容力のあるツッコミ型だとばかり思っていました。単に私が呆けているせいだったんですね。あんな攻撃型のボケができたとは……いえ、でも旦那様、あえてボケることによって、殿下のフォローをしている……? やっぱり面倒見が良い……すごい……」

「何を言っているのかまったくわからないけど、ノアが君と相性良いんだなってことはわかったよ」

「ありがとうございます」

 戯れている旦那様と殿下を眺めつつ、とりあえず私はフォンテイン子爵様とそんなお話をしていた。

 そして、素晴らしく手際の良い料理人たちによって見事に四人分に嵩増しされた食事を頂いたあとは、まあ旦那様たちは遊戯室に籠もるのだろうと思い、私は退出しようと席を立つ。

「久しぶりにカードやろうぜ。夫人もご一緒にいかがですか?」

「え、私もですか?」

 が、なぜか殿下に引き止められた。

 もしかして乗ってはいけないタイプの社交辞令かな? と思ってフォンテイン子爵を見る。が、彼も大きく頷いてきた。

「それいいな。もうこの三人だと手のうちが分かってて、刺激が足りなかったんだよな」

 遊戯室の用意を使用人たちに目配せしていた旦那様が、怪訝そうな顔をする。

「もう少し勝率を上げてから言ったらどうだ」

「今まさに、夫人にご参加いただくことによって、気負って良いところを見せようとしたお前の手元が狂うのを待つという、秘策中の秘策を発動中なんだが?」

「手口がハリガネムシ以下」

「そんな罵倒ある?」

 どうやら旦那様も、フォンテイン子爵を全力で罵倒はしているが特に私を止めるつもりはないようだ。

 それなら、殿下の意向を素直に受け止めて参加すべきなのかな? フォンテイン子爵様も同意されているし。でも、本当はお邪魔なのでは? と、私は決めかねて、答えに窮した。

 すると旦那様が困ったように眉を寄せられた。

「ネリネ。……その、嫌なら断っても大丈夫だからな」

 んっ? 待って、待って、それは……! 旦那様、もしかして本当は、私に同席してほしくなかったりするっ? それとも庇ってくださってるっ? どっち――? 

 しかし究極の二択に追い込まれた心地の私とは対極の気楽さで、フォンテイン子爵がにやにやと旦那様を見て笑った。

「へー」

「なんだ」

「いやー、ノアも奥方には嫌われたくないんだなって」

「当然だろう」

 見たことのない旦那様の憮然とした顔が、少し赤いことに気づいて、私は安心することにした。

「あの、では、少しだけご一緒させてください」

 よし。まあ……万が一雰囲気が悪くなったら、逃げたらいいよね!



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