気遣われトド
「そういえば、ネリネはルイェールについてどれくらい知っているんだ?」
「えっ?」ルル、ルルイ「ルイェールについて、ですか……?」
古代都市ルイェール。その昔、超高度文明を築き、なぜかある日突然眠りについてこの国の近海に沈んだとされる、幻の都市である。
私は動揺を表に出さないように、口の中でだけるるるるると舌を震わせた。知っているもなにも、私はその都市の魔力玉を食べました! なんて言いませんよ! 言いませんてば!
「最近、ルイェールのカルト教がどうにもきな臭くてな……。その、妙に……おとなしいんだ」
「……なるほど?」
おとなしいとは。あの暗躍しては成果をアピールするのが大好きなカルトが、おとなしいとは?
「その……心を入れ替えたのではなく、何かを待つように潮目に紛れているような、そんな感じなんだ。上手くは言えないが」
「いえ、とてもわかりやすいです。さすが旦那様。ですが、ウォーターハウス侯爵領では、ルイェールのカルトについてはけっこう厳しく取り締まっていましたので……詳しくは、なにも」
主に私の髪のせいでね! 仮にもウォーターハウスの侯爵令嬢が、自領に巣食ったカルトに攫われたりするわけにはいなかったからね!
「お力になれず、申し訳ありません」
「いや、謝らないでほしい。もしも知っていれば、と思っただけなんだ」
うっ、心苦しい。海があったら潜りたい。深淵に辿り着きたくはないけれど。
私は旦那様のほうを見ていられなくて顔を伏せた。そのことを気にされたのか、旦那様が気遣うように話を変えてくださる。
「そういえば、ネリネはステディ・スペルバーン監督の映画『May.I.』を知ってい――」
「あーっ! そっか、お互いの瞳の色がお好きなんですね! 旦那様と奥様って!」
「……えっ」
突然、デザイン画集を整理していた侍女マジョラムが嬉しそうに声を上げた。私は驚いて旦那様とマジョラムを交互に見た。
マジョラムは、旦那様の言葉を思い切り遮ったことにも気付かず何やら楽しそうにはしゃいでいるし、旦那様はキョトンとした顔で私を見ていた。
そういえば旦那様の瞳は、素晴らしい品質のアクアマリンみたいだなぁって、初めてお顔を合わせたときに思ったんだっけ。
でも。
「……ネリネ。君の瞳、とても綺麗だな」
うーん、こちらは明らかにいま気づいた人の反応である。
顔自体は見ていたと思うけど、たぶん、なんか濃い青い眼で黒髪で無難に目と鼻と口があるな、くらいにしか思ってなかったんだと思う。
その点、旦那様の顔が良いなということは把握していた私は、やはり幼い頃に水辺で鍛えた観察力が……待って、旦那様って右目頭の下にいい感じの泣きぼくろあったの? えっ、知らなかった……三分前にできたんだよね?
まじまじと見つめたまま私が表情を変化させすぎたのか、旦那様が戸惑ったように口を開く。
「あ、いや……最初から、綺麗というか、可愛らしい子だとは思っていたんだ。本当に。瞳もかなりキラキラしていて特徴的だとは思っていた。ただ、あまりまじまじと見るのは失礼だと思って、観察はしていなかったというか……」
「ああ、私もです……。旦那様が眉目秀麗だという評判は一応耳にしていたので、顔合わせのときに、なるほどこの方が、とは思っていたのです。ですが、泣きぼくろがチャームポイントだったなんて今知りました」
「俺もチャームポイントだったことは今知ったかな」
「違ったんですか? よくお似合いですよ?」
「ありがとう」
「旦那様、もしかしてちょっと面倒くさいときに受け流すの上手くないですか?」
まあ私も照れたときは滑らかに話を逸らしますけどね。
「……同僚と上司のせいかな」
「同僚と上司のせい」
否定してくれないどころか本来受け流すべきじゃない人たち出てきたね。
旦那様の直属の上司、第二王子殿下だよね。同僚も高位貴族の嫡子とかばかりだよね。
面倒くさいと受け流すんだ。旦那様、もしかしてけっこういい性格してるのでは?
私が訝しんでいると、新しい紅茶を足してくれたエジェリーが、にこやかに微笑んだ。
「そういえば、珈琲と紅茶も、お互いの髪色ですよね」
「え?」
エジェリー、今それ関係ある?
私は困惑して旦那様とエジェリーたちを交互に見た。
「相手の色が好きって、もうそれは……始まりなのでは?」
「小説の冒頭五ページ目くらいにあるあるですよね、相手の瞳の色が目の奥に焼きついて離れない……!」
エジェリーがいつになく抑揚のある声で瞳をキラキラさせて、マジョラムが両手を握って飛び跳ねている……。
「二人とも。そういうのじゃないのよ」
恋愛小説の知識で物事を語ろうだなんて、浅はかにもほどがあるよ。
そう、恋愛小説で参考になるのは、君を愛することができないは愛人絡みってことだけ――!
「君の侍女たちは、いったい何を?」
あの、今のは面倒くさいので受け流すところでしたよ、旦那様?
「いろいろあるのですよ」
色だけに。
私は淑やかに紅茶に口をつけることにした。なのでそれ以上は何も言えません。
……いや知ってるけどね? ものすごいこじつけで楽しんでいる侍女たちが、私が先日「たまには小説でも読もうかな」なんて雨の本屋に長居していたときに、各々流行りの恋愛小説を大量に買い込んでいたことは……!
ええ、エジェリーが知的な騎士に溺愛される作品を手に、淑やかに自分の好みのマッチョ幅について語っていたことも、マジョラムが逆ハーレム本を作者指名買いしていたことも、知っていますとも。
私? 最新の王都の川魚図鑑を買いました。あと烏賊人間が鮫人間と戦う新界SF(少し不定)。ネタバレすると、蛸人間の姫が、蛸人間と烏賊人間のハーフな主人公を食っ……いや、やっぱり自分で読んでね!
とにかく、私はエジェリーが出してくれたクッキーを噛んだ。
そう、ウォーターハウス侯爵家の縁戚であるエジェリーが、ウォーターハウス侯爵領から私に付いてきてくれた理由は、ウォーターハウスの潮風ムキムキマッチョが好みじゃなくて、最近流行りの港の香りの細マッチョを探したかったからである。さすがというべきか、既にアクアマリン伯爵家の護衛騎士団長の長男と、王都周辺の伯爵家の三男と、屋敷を出入りする裕福な商人の息子と仲良くなっている。私なんて毎日トド活をしてるのに。
まあマジョラムは、現実的には逆ハーレム狙いではなく、ヘンルーダの縁戚としてこの屋敷に来て、ヘンルーダの後釜を狙ってるみたいだけど……。
私はそれとなく旦那様の後ろに控えるシモンを見た。マジョラムを目で追っていたシモンが、思い出したように軽く首を傾げる。
「そういえばご主人様がコーヒーを深炒りのブラックで飲まれるようになったのは、ご婚約されてからですね」
「……っ、けほっ……!」
突然水(というかコーヒー)を向けられた旦那様は、目を見開いてむせてしまわれた。
その瞬間……私は、耳年増だからわかってしまった。
旦那様、さてはなにかその頃に大人の階段を登られたんですね……?
「そうなのですか?」
素知らぬ淑女顔で微笑むと、旦那様は真っ赤になって俯いた。
「違う、食後にデザートを増やしたから、そのぶんの糖分を飲み物から減らそうと……あぁ……」
「デザートを?」
「今までは先代伯爵様が持病をお抱えになっておられましたから、デザートは季節の水菓子を少量であることが多かったのです。ですが奥様がいらしてくださるにあたり、食事を楽しんでいただけるようにと旦那様がご指示を出されまして」
「っ、シモン、おい、そこまで言うな!」
「……そうでしたか……」
教えてくれて本当にありがとう、シモン。
「ありがとうございます、旦那様」
一瞬パッと顔を上げて、また伏せてしまった旦那様に、私はにこにこと緩む頬を誤魔化すことを諦めた。
トドの餌を豪華にするために、自分の嗜好品を調整してくださるなんて、本当に素敵な飼い主である。
申し訳ないけれど、すごく嬉しいですね。




