アクアマリン複屈折
旦那様が愕然とした顔になった。
「今から実家に帰るのか……? なんで……?」
私はぶるぶる小刻みに震えながら呟いた。
「トドだから……?」
「実家に帰らなければならないトド期があるのか……? そうか……」
旦那様は、大きな氷の塊を躊躇いながら飲み込むような調子で呻かれた。
おかしいな。なんで二人して疑問符を飛ばしながら会話しているんだろう。私は震えをぷるぷるに抑えながら首を捻った。あとね旦那様、トド期ってなに?
旦那様は答えてくれる代わりに、小さく息を吐いて肩を落とした。しかしハッとしたように手元の重厚な冊子を広げる。
「だが、待ってほしい。その前に、これを見てくれ」
「え? はい」
これはもう解散の流れかな? と思っていた私は、おもむろにこちらに向けられた冊子を見て困惑した。なんだか目に毒なほど美しいデザイン画が、鮮やかに描き連ねられている。とても豪華なパリュール(ジュエリー全身統一武装セット)の図案のようだ。
「この話をするために、君を呼んだんだ。デザインを決めてくれたら、君が御実家に戻っているあいだに作らせる」
「はあ……」
なんで私がデザインを決めるんだろう……?
私はよくわからないままパリュールのデザイン画を見た。
デザインは三案あるらしく、どれもイヤリングとブレスレットには品の良い大きさのアクアマリンが共通して使われている。髪飾りにもなるブローチは、少し大きめで華やか。少なくともデザイン画の時点では、とても発色が良く透明感もあるように描かれている。おそらくもう使う石は確保してあるのだろう。
さらに大粒の石を使っている指輪とティアラは、私が今付けているネックレスと同じくらいの大きさだろうか。これはもう石だけでもかなりの贅沢品である。
なのに、どれもメインとなるアクアマリンの周りには、最先端のカットを指定した大きめのダイヤモンドと、ファンシーカットをいくつも組み合わせたサファイア、そして真円でないと成立しない組み方をしているパールが、鰯の群れくらいキラキラ大集合している――のだけど。
「ええと……このデザイン画は、いったい……?」
私はなんの意図も分からず途方に暮れて、おそるおそる旦那様を見上げた。
「買い戻したアクアマリンの家宝の、再設計案だよ。そのために買い足した分も結構あるけど」
旦那様は柔らかく目を細めている。
ああ、まあ死蔵するよりも、最新の技術で輝かせて今付けられる形にしたほうが、アクアマリン伯爵家の地位の誇示にもなっていいですよね。
……それ誰が付けるんですか?
「そのアクアマリンのネックレスに合わせて、パリュールを誂えようと思って。なにか気に入るデザインはあるだろうか?」
旦那様が私の首を飾るアクアマリンのネックレスを、大事そうに見た。
ん……あれ、付けるの私? いや、アクアマリン伯爵夫人は私だけど。ええ、そんなまさか。
「これって揃えて宝物庫に飾って置くんですか?」
むしろこのネックレスも、もう付けちゃ駄目なやつ?
「ん? 君がつけてくれると嬉しいんだが……」
「え?」
……本当に私がつけるんですか?
目をパチパチさせた私に、一拍遅れて旦那様が首を傾げる。
「え? とは」
「いえ、ひ、必要ありませんよね?」
そんなの揃えて貰っちゃったら、私、耐えきれないかも。こんなの、ただの政略結婚の妻に贈るべきものじゃない。――だって元々大粒が取れるアクアマリンだから良いよね? 他のレア石ほどギラギラしすぎない瑞々しいアクアマリンだからね! みたいなノリで、わりと伯爵夫人が社交で付けてもいい限界値に挑戦してる贅沢デザインだよ? うっかりするとちょっと顔見知りの公爵夫人とか微妙に知人の侯爵夫人とかに、私のことを想っての助言とかいただくレベル。
なのに旦那様は、ものすごく残念そうに肩を落とした。
「そうか……それなら、他の宝石でも構わない。それともデザインに問題が?」
「いいえ違います!」
私は前のめりに叫んだ。デザインとか知人未満の先輩夫人からのお小言とかは、この際どうでもいい。そんなことよりも、これ以上は、脳が完全に勘違いしてしまう。これはちょっと、可愛がりがすぎている。トドにアクアマリンがすぎる!
「だ……旦那様には、他に大切な方がいらっしゃるのでしょう? 私にまでお金を注ぎ込む必要はありませんよ! 私はっ、別に逃げませんから――!」
「……は?」
あ。……言ってしまった……。
旦那様の目が、呆然と丸く大きくなる。
私は肩を落として口を押さえた。ごめんなさい、直接責めるようなことは言わないつもりだったのに。
しかも後方で、エジェリーたちもびっくりしている気配がある。ごめんね、不甲斐ない女主人で。
でも私だって、エメリーン王女殿下の代わりにはなれないのだ。なりたいけど、なれない。苦しいし、もう限界で……。
「ネリネ。……まず、俺の、その……他に大切な方とは、誰のことだ? 俺の妻は、君だろう……?」
しかし旦那様は、戸惑ったように呟いた。
「……え?」
「この家に仕えてくれる使用人たちのことか? であればもちろん大切だが、ネリネよりも優先することはまずないだろう……? 少なくとも宝石を贈る対象ではないよな?」
「え……?」
う、うん。大切な使用人たちには、まあすごく特別な褒賞としてならわからないけれど、基本は給金をいっぱいあげたほうが良いよね?
私は泣かないように目を開いたまま、動揺いっぱいで旦那様を見た。
もちろん一般的には、宝石は妻に贈るものだよね。でも旦那様は、誰か忘れてない?
「エメリーン王女殿下に……」
「え? なんでそこでエメリーン殿下が?」
「……ぼぇ?」
ものすごく不思議そうに問い返された。
「なんでって、あれ? だって旦那様って、エメリーン殿下がお好きなのでは――」
そこまで言って、私はついにその場に流れる変な空気の意図を掴んだ。
「――ない……?」
旦那様がこくんと頷く。あ、そうなんだ。
……そうなんだ――?
愕然とした私に、旦那様がいつになく険しい表情になる。
「ネリネ。いったい誰に何を吹き込まれたんだ?」
あれ、これ私が悪いの? 私の勘違いなの?
「それは……だってっ、旦那様はエメリーン殿下にレッドベリルの指輪を贈っていてっ」
「うん?」
「だから、エメリーン殿下がお好きなのかと……」
「いや……? なぜそんな理解を?」
うわぁん旦那様完全にキョトンとされてる! 違ったの?
「恋愛の話だよな? 素敵な方だとは思っているが、恋愛的な好意は別にないが……君にしか」
「ひゅへっ」
謎の息を、吸うと同時に吐いてしまった。今なんて?
およそ人体の仕様では許可されてなさそうな呼吸のち謎の鼓動に、体内をドコドコされた私は、半泣きで叫んだ。
「でっ、でも――そもそもっ、最初の顔合わせで、旦那様はおっしゃったじゃないですか!」
小さく息を吸い直す。その呼吸が嗚咽になってしまう。この一年と数カ月ほど、地味にずっと刺さっていた言葉を反芻する。
「わ、た、私に……君を愛することができないって……!」
一瞬、室内がシーンと奇妙な静寂に包まれた。
しかし旦那様だけはぱちぱちと瞬きをして、不思議そうに首を傾げられた。
「え? ああ……うん? え、あれ?」
頷いて、また首を傾げた。
そして私の顔を見て、ようやく動揺したように顔色を悪くした。
「だから……っ、他に愛することができている方がいらっしゃるのかと、思って……エメリーン殿下に贈られたレッドベリルの指輪が、その証なんじゃないんですか?」
私は普通に諦めて泣いた。これ自分で言っていて悲しいんだよ……。
「待ってくれ、それは……全部違う」
「……うぇぇ?」
全部違うの?
私は呆然と旦那様を見上げた。そんなわけなくない?
しかし旦那様も、青ざめた顔で泣きたそうに顔を歪めた。
「まさか、聞いていなかったのか……? 顔合わせの前に……」
「な、何のお話ですかっ?」
私は怯えた。何か自分が旦那様に対して、ものすごい思い違いをしていた恐れがここにあった。
「…………あぁ……」
一拍置いて、旦那様は天を仰いでしまわれた。血の気の引いた顔を片手で覆い、呻くような声を出す。
「……すまない。他にそんな人はいない……」
「いない……?」
私は崩れ落ちるほども膝が動かず、その場に立ち尽くした。
じゃあ、婚約から今まで一年半ほど、私はいったい何と戦っていたの……? 無……?
「……そういう意味じゃなかったんだ。すまない。まさか、ずっとそう思っていたのか? ……それで、よく一緒に……」
旦那様は項垂れながら、パタンと図案の冊子を閉じてしまった。しかし途中で「え?」と困惑した声に戻る。
「もしかして、だから亀とかトドとかシュールな線引きをしていたのか?」
「……旦那様だって、確かに愛しちゃうのはまずいなって反応だったじゃないですか?」
あれ、これも私が悪いの? 私の超解釈だったの?
「……いや、俺は、その……」
しかし旦那様は酷く言いづらそうに、小声で呟いた。
「……ネリネが、……他に……作っても、いいように……」
「え、何を?」
私は耳を澄ませた。
「……俺よりも、ちゃんとネリネを愛せる……都合の良い男を、用意、しても良いように……良くないけど……」
「ぷぇぇぇー……?」
私は鳴いた。他にどうしようもなかった。
「……バリエーション豊富なんだな」
旦那様が現実逃避のような感想を述べる。
「だだだって、ええぇええぇ――?」
私はオロオロして周囲を見回した。ねえ、旦那様の自尊心低すぎない? 大丈夫? 私が泣いたあたりから後方に控えてられなくて、近くまできていたシモンとエジェリーも、びっくりした顔で固まってるよ?
「なななんでっ、そんなご自分に自信が無いんですかっ? そんなに素敵なのに!」
恋愛のことはよくわからないけど、旦那様より人間的に落ち着く人、そんなにいないよ? 少なくとも私は旦那様が近くにいると、落ち着くうえで浮かれるよ?
「……それは、その」
しかし一度長めに固まったあと、真っ赤になって視線を彷徨わせていた旦那様は、深く深く息を吐いた。
「待ってくれ、全部話すから、一から整理したい。君に勘違いされているのは……本当に困るし、嫌だ」
三月まで更新をお休みします。




