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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第二章 海に秘密が溶けていく

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溺没の赤

 エメリーン様が、そっと円盤のジャケットをテーブルに置かれる。そして、まっすぐに探るような瞳で私を見た。

「ジゼルのことを、お兄様たちから何か聞いていないかしら?」

「……ジゼル様のこと、ですか?」

 私は躊躇いながら呟いた。誰がどこまで知っているのかを、まだ整理できていない程度には、私はジゼル様のことをよく知らない。けれど、不用意な発言をすれば誰かの不利になる状況だということくらいは、感じている。

「私ね、小さな頃はジゼルと仲が良かったの」

 私の心を見透かそうとするかのように、エメリーン様が微笑む。

「といっても、私がやりたい遊びに付き合わせる関係だったけれどね。私のおままごとを却下できたのは、お兄様くらいだもの」

 侯爵令嬢のジゼル様は十八歳。国の王女であるエメリーン様は十九歳。当然そうなる。

 それを自分は自覚しているのだと、わざわざ私に伝えるエメリーン様は、どちらかといえば繊細な御方といえる。

「でもね。ジゼルは、昔はよく笑ってくれたのよ。もちろん、令嬢として微笑むだけになっただけなら成長よ? だけど、ジゼルは……」

 エメリーン様は言葉を区切り、お手本のように綺麗な、影のある表情を見せられた。 

「……少し、不安なほうに変わってしまった気がするの。悪い子じゃない、良い子のままみたいなのに」

 天色の美しい瞳が、私の本心を窺うために向けられる。

「だから、心配で……なんでもいいの。なにか、ネリネが知っていることはないかしら?」

 私は気遣うような笑みを浮かべたまま、悩んだ。

 ……エメリーン様の自己開示に乗って、私も何かを伝えるべきだろうか?

 王宮の、王女のためのお住まいに、誰の影響がどこまで及んでいるのかを、私はまったく知らないのに?

「……詳しいことは、何も。私がジゼル様にお会いしたのは、第二王子殿下の御生誕の祝宴に、夫とともに列席させていただいたときに、ほんの少しお話できただけですので……」

 冷たくならないように、柔らかく心配そうに聞こえるように、声色を選ぶ。

 私は、万が一にも私と旦那様を危険に晒すことはできない。何かが起きた瞬間に、それはアクアマリン伯爵領とウォーターハウス侯爵家に関わる問題になってしまう。だから、旦那様や第二王子殿下からあえて個人的に聞かされた話は、第二王子殿下の妹君であるエメリーン様にも伝えられない。

 やはり私が話してもいいのは、王宮で起きた出来事と、個人的に知っていて当然のことだけだろう。

「……ただ、ジゼル様は海の幸には一切手をつけられず、早めにご退席されてしまいましたので……後日、お見舞いの手紙を差し上げましたが、その……」 

「お金に困っていそうだった?」

 言葉を躊躇うと、エメリーン様は悲しげに小首を傾げられた。

「……はい」

「……やっぱり、そうなのね」

 エメリーン様がため息をつかれる。私もそれに合わせて息を吐いたあと、自分から問いかけた。

「……『祈海の凱旋』を名乗る教団のことは、ご存じでしょうか?」

 それ以上のことは、ぺらぺらと話すつもりはない。私が旦那様と第二王子殿下からお話を聞いたのが、シュールなスワンボート密談会場だった以上は。

 でも、今なにが起きているのかは、私ももっと知っておきたかった。

「ええ、お兄様たちが追っている反王国派の集団のことね」

 すぐに頷かれた。やはりご存知だったようだ。第二王子殿下が、ご自分の妹を守ろうとしないわけもない。

 しかしエメリーン様は、そのまま悲しそうに肩を落とされた。

「……ジゼルも、もう私のことが嫌いになってしまったのかしら?」

 ああ、これは答えだ。私は答えられずに目を伏せた。

 ミルテ侯爵令嬢ジゼル様は――もう『祈海の凱旋』に、取り込まれている。エメリーン様は、今、暗にそう言った。

 ミルテ侯爵家は、かつて戦争続きだった時代に、武勇を誇った名門だった。

 しかしこの国は、五十年前に隣国とその先の国が戦ったときに、隣国へ援軍を出した歴史を最後に、大きな戦争には参加せずに済んでいる。

 武勇の名門で次の時代に適応できた家は、多くない。彼らにとって商人は、自分たちよりも優れた者ではなかったからだ。だからこそ前線で戦えた。けれど……自国のための戦いではない隣国への援軍では、彼らの望む褒賞は得られなかった。慣れない地で王国が隣国に恩を売るために使われた彼らにとって、土地と名誉は増えない戦いでは、王国が出せた褒賞よりも人材の損失のほうが大きかったそうだ。

「……でも、私、来年にはこの王家を出るでしょう? そうすれば……ジゼルもまた笑ってくれないかしら?」

 エメリーン様は、静かに問われた。しかしそれは、私が答えるべきものではなかった。

「私は、この王国が好きよ。お兄様たちもお父様もお母様も大好きだし、御先祖様のことも敬っているわ」

 私は頷いた。王女様が愛せる王国であることは、王国としての最低条件だ。

「……でも、五十年前の戦争で、王国を守るためとはいえ、ジゼルの家に酷なことをしたのは事実だもの」

 エメリーン様は、沈痛な面持ちで呟く。

「……恐れながら、殿下。ジゼル様が、そう思われているとは限りませんよ」

 私は、怒られないと判断して告げた。

 私たちは、まだたかだか二十年ほどしか生きておらず、ジゼル様が五十年前のことをエメリーン様に責められるとは限らない。

 そして王女様は、王家は王国としてできる限りのことをしたというスタンスを、個人で崩してはならない。

 私の忠言を受け取ってくださったらしく、エメリーン様は軽く目を見開いてから、ゆっくりと紅茶に口をつけられた。

「そうね。……ごめんなさい。このところ、寂しさが抑えきれなくて。なまじお兄様たちが素敵だから、離れるのが嫌で……」

 私は(ん? 微妙に風向きがズレた?)と思ったが、なにも言わなかった。

 エメリーン様は、気分を落ち着かせるように、推しの祭壇――じゃなくて王女様が使う部屋に相応しい最高級サイドボードに向かった。棚の中から、小さめのぬいぐるみを二体取り出す。サンドルフィンと、Metaトロンである。どちらもデフォルメされていて特徴以外の原型は留めていない愛らしさだが、サンドルフィンが人間に近い好青年風の赤と茶色のカラーリングの天使で、Metaトロンは青と白の美しい異形じみた天使で、ぬいぐるみの背中にも翼が縫われている。

「私がいなくても、お兄様たちは、仲良くこの王国を導かれて……でも……兄様たちの兄弟は、私もなのよ」

 その気持ちは少しだけわかる。私なんて、一部は隣接しているほど近い領地に嫁ぐだけでも不安だった。そして、実家にも帰れるし社交シーズンにも会うに決まってる兄と弟の真ん中だった私はともかく、七つお年上の王太子殿下と四つお年上の第二王子殿下のお二人に可愛がられる立場であったエメリーン様にとって、二人の兄は、自分の兄妹なのに自分がおらずとも完結した存在になり得る。

「兄様たちには、兄弟で仲良く暮らしてほしいの。でも、その兄弟に私が含まれないことは……寂しいのよ」

 エメリーン様は、膝に置かれていたサンドルフィンとMetaトロンのぬいぐるみを、大切そうに撫でた。

 そこで私は気づいてしまった。

 あの映画は、SNS(Sylvan Nautical Sanctuary)界の守護天使サンドルフィンが、兄である二代目管理機構Metaトロンを助けるために、兄弟子である堕天使サタンサンと戦う話である。

「もしかして、それでサンドルフィンを推していらっしゃる……?」

 あ、ヤバい。エメリーン様に向かって、王族を映画のキャラクターに結びつけたような問いは不敬かも。そう思ったが、エメリーン様は照れたように頷かれた。

「そうなの。サンドルフィンが兄たちを思う気持ちを、つい応援したくなって……」

 そう言って、エメリーン様は、内緒話をするかのように、無邪気そうに微笑まれた。

「きっとね。エドマンド兄様の誰にも見せない顔を知っているのは、エマニュエル兄様だけなのよ」

「え?」

 ん? 今どう話が繋がったんですか?

「だから……むしろ私がいないほうがスッキリしていいわよねって、考えることにしたの」

「え?」

 今の流れだと、まさかエメリーン様がサンドルフィンに共感されて、お兄様方のお力になりたいと願っている……のではない……?

 おろおろした私に構わず、エメリーン様はぎゅっと二人のぬいぐるみを抱き締めた。

「……本当は、私、Metaトロンのことも、サンドルフィンと同じくらい推していて……でもね。エマニュエルお兄様は、きっとエドマンドお兄様がMetaトロンのようになる前に、しっかりと繋ぎ止めてくださるはずなのよ。ふふふ」

 ……もしかして、今の発言は、聞かなかったことにしたほうが?

 あの映画のMetaトロンは、堕天使サタンサンにシステム汚染されて暴走している状況でしたよね?

 それを王女様のお兄様方のご関係に当てはめられてしまうと、ナチュラル国家反逆罪のボーダーライン上でダンスされている状況なのでは……?

「ちなみにエマニュエルお兄様には、腐っているのに生を食うなと叫ばれたことがあるわ……」

 それはそう。危ないからね。

 ……えっ?

 私が唐突に堕天した王国の深い海の宇宙の新星誕生を告げられて混乱していると、エメリーン様は時計に目を向けられた。

「……あら、もうこんな時間なのね。初回からあまりネリネを閉じ込めると、ノアが心配するって、エマニュエルお兄様に言われているのだったわ」

 その言葉に、私も群れのトップが雌で二番手が雄になるクマノミみたいな世界観の知識は海の彼方に押しやることにして、優雅に立ち上がることにした。

「エメリーン様。本日は親しくお話させていただきましたこと、至福の喜びでございます」

「ねえ、ネリネ。またお話に付き合ってくれないかしら?」

「はい。私でよろしければ」

 あ、しまった。なんだかんだ楽しかったので、ついノリで快諾しちゃった……。

 でも、このとき私は、不敬ながらエメリーン様のことを、少しばかり妹のように感じていたのだ。

「……その、ただ、私は日光が非常に苦手でして……このような室内でないと、エメリーン様と対面するべきではない姿しかできず」

「ああ、それはちゃんとノアから聞いているわ。大丈夫よ。またこうやって個人的に呼ぶから。それならいいのよね?」

 ……おっと、私は牽制だと思っていた旦那様の根回しが、エメリーン様にとっては助言になってます?

「ええ、ぜひお呼び立てくださいませ、エメリーン様」

「ありがとう、ネリネ! ……ジゼルのことも、何かわかることがあれば、また教えてね。お願い」

 エメリーン様は、そう付け加えるときだけ軽く眉を寄せられたけれど、次の瞬間には笑顔に戻られる。

 私も、ジゼル様が助かるならそうなって欲しいので、軽くだけれど頷いておく。

 それからエメリーン様は、なにやら再びサイドボードに向かい、棚上に置かれていた包みを持ち上げた。戻ってきながら中に入っていた赤と茶色のチェック柄の缶を私に見せてくださる。

「ねえ、これはお土産なのだけど、貰ってくれるかしら? この缶のデザインがサンドルフィンに似ていたから買ってしまったのだけど、ちゃんと美味だったわ」 

「ありがたく頂戴します。本当に、とても可愛らしいデザインですね」

 なるほど。そう言われるとサンドルフィンの概念を感じなくもない。

「中はローズキャンディなの。他にもたくさんのキャンディと缶のデザインがあって、缶と中身の組み合わせも選べるのよ」

「素敵ですね……推し缶が作り放題ではありませんか……」

 私も一度くらい行ってみたいかも。別に推しがいるわけではないけれど、好みの色を組み合わせるのは絶対に楽しいだろうし……ほら、ミルクティー色の缶に水色のキャンディとか、絶対に素敵じゃない?

 そんなことを考えながら、推し缶を賜る。そのエメリーン様の人差し指を飾っている、赤い石の指輪がふと目について、私は首を傾げた。

「そういえば、そちらのエメリーン様の指輪も、サンドルフィンのお色ですか?」

 何の石だろう。光の反射が妙にうるうるツヤツヤと瑞々しい気がする、けして大きくはない、ピンクっぽい赤の石。

 ルビーやガーネットであれば王女様がつけるには控えめな大きさだけれど、たぶんあの強めのキラキラ感とは違う石だと思う。

「そうなの! これ、ノアがくれたのよね。私が好きそうだから、って」

「え」

 だ――旦那様が、エメリーン様の好きそうな指輪を……贈った?

 それだけを理解した瞬間、私は全ての思考回路をショートさせた。

 けれどエメリーン様は、幸せそうに笑いながら、無邪気な声で私に言った。

「こういう気遣いって、なかなか嬉しいものね。レッドベリルだそうよ。……でも、これくらい大したことないでしょ?」


「………………ぴぃ…………?」


被告人ノア。

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