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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第二章 海に秘密が溶けていく

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おそらく砂糖を送られている

 ――これは、ペットのお散歩なのだろうか。

「そこは滑るかもしれない。気をつけて」

「はい、ありがとうございます」

 私はなぜか旦那様にすごく気を使われながら、お散歩コースを歩いていた。湖に近い、緑豊かな小道は、旦那様のこまやかな気遣いとは真逆なくらいに、しっかりと足場を均されている。

 なのでね、今の旦那様が気にかけるべきは、私ではなく殿下では? 大丈夫なのかな?

「……余計なことを言ったかな?」

「えっ、いえ、心配されることに慣れていないだけですよ? 気遣われたら嬉しいです」

 気まずくてソワソワしてるのがバレたのか、旦那様が微妙に不安そうな顔になる。いえいえ、ペットは元気ですよ!

「そうなのか」

「はい」

 何しろ、実家では基本的に――できる課題しか出していないぞ! ほら行けうおお! であり、心配されるイコールもう後がないときである。

 もちろん配慮はあるんだけどね。それは、生きてるザリガニはハサミで攻撃してくるから背中から掴めよ! であって、たとえテルミドールでもロブスターの殻は硬くて尖りがあるから、君の白魚のような手が怪我しないようにね、とかではないのだ。

「ああ、そこは階段がある」

「ありがとうございます」

 滑り止めを兼ねた石の縁取りがお洒落な小さな階段を指摘されて、お淑やかに注意を払う。しかし旦那様は、難しい顔で呟いた。

「この階段、まだわかりづらいか?」

 なので私は、正直に言ってみた。

「そうですね……この場所は、あちらへの遠景がとても良いスポットですし、このスモモの木も美味しそうで可愛いので、見惚れていると少し危ないかもしれませんね……」

「なるほど……? スモモが美味しそうで……可愛くて、見惚れる……」

 旦那様が真剣な表情で、私を見る。

 なるほど……。どうやら、これが正解らしい。

 私たちの前後にも従者や護衛は普通にいるし(特に殿下のね)、リゾート地に来た貴婦人が散歩するとしても、まず一人では出歩かない。けれど、旦那様は事故が起きる前に気付ける問題を、極限まで潰したくて、私をテスターとしてここに連れてきたのだろう。

 そういうことならば、実は私、わりと得意である。

 そう、あれは今から三年前くらいの令嬢時代――まだムキムキマッチョな男性職員ばかりだった水族館に入り浸って、この柵では隙間が大きすぎて客がベルーガに夢中になるには危ないだの、この床はカワウソに見とれていたら滑るだの、この低さでは子供は陸上にいるペンギンを見られないだの文句を言いまくって、実家の金で改修させまくるというお嬢様パワープレイをしていた過去(黒歴史じゃないもん)などがあるのである。

 この場合の必要なスキルとは、うわーまた面倒くさいこと言い出したなこの小娘……という表情をされても、実家の金と実家の地位で相手が年上だろうと押し切るまあまあ迷惑な胆力なのである。まあ……その後水族館がとても流行ったから、追加施設を建てるときは最初から聞かれるようになったし、あれはセーフだったということで、ね?

「ですので、もしかすると、ここに可愛いオブジェを設置しておくと、足元にも注意がいって安心かもしれません」

 なのでそれっぽいことを言ってみると、「へえ。この辺りか?」と殿下が段差の横に立ってくださった。

「はい。そうです」

「わかった。ネリネはなんのオブジェがいいと思う?」

 旦那様は大真面目に私に聞いてくる。

「えっ……は、白鳥とかですかね……?」

 だって今日は白鳥記念日ですもの……?

「うーん、俺は女神像がいいと思うけどな」

 しかしお二人を気遣った私をよそに、殿下はニヤニヤ笑った。

「せっかく奥方というちょうどいいモデルもいるしな! いい若気の至りってやつだろ」

「……ああ、確かに……?」

 旦那様は真剣な顔のまま頷いた。

 いえ、なぜ納得しているんですか旦那様? 愛妻家カモフラージュにしても用意周到すぎるよ。なるほど、殿下と旦那様が仕事できるわけだ!

「ネリネ。良いかな?」

「……ええ、ぜひ」

 まあ、そのためのお飾りの妻ですからね! 体くらいは張りますよ? え、本気?

「じゃあ、良い彫刻家を探さないとな」

「うん、王都に戻ったら、そういうの詳しいやつに紹介させよう。どいつにしようかな……ああ、ポーズはどうするんだ? 軽く決めておくと後が楽だぞ。彫刻家と揉めなくて」

 おお……本気で爆誕してしまうのだろうか、若気の至り像……。

 とはいえ、もはや殿下の提案を却下するわけにもいくまい。

「ネリネはここで何がしたい?」

 そう聞かれて、私は周囲を確認した。

「やっぱり湖を眺めたいですね。大きく開けているわけではありませんが、草木と湖と奥の山のバランスが良いスポットなので。たぶん今の時期なら、あの山間から朝日も綺麗に見えますよね?」

 たぶんこのリゾートのお散歩コースは避暑がメインだろうからね。間違ってはいないはず。

 旦那様がチラッと地面の影と時計を見た。

「なるほど。確かにネリネは朝の散歩が似合いそうだ」

「朝日を見つめる貴婦人は、まさに女神のモチーフだよな」

「……そういうつもりでは……恐れ入ります」

 うわーっ、二人して飛べないトドを持ち上げないでくださーい。落下が怖いので。

 そうだ話を変えよう。

「あと、ここは少し危ないかもしれませんね」

 私は、岸に近い位置で水面からちょこちょこと出っ張る天然の石場がある場所を指差した。ああいうの、軽く飛び石風に遊べないこともない。

「バカンスで浮かれていると無茶な遊びをしかねませんし、ドレスだと、たとえ本人に水泳や水難事故対策の心得があっても、救助される前に沈みますから」

 いや、ふざける奴が悪いんだけどね。自業自得だけでなく、唆したりする奴もいるからね。ドレスを着る人や子供も来る可能性がある以上、落ちにくいようにする、ではいけないのだ。絶対に落ちてはいけない。ここは散歩コースの中では奥側だから、救助の心得がある者が即座に飛び込めるとは限らないし。

 殿下が「なるほどな」と軽く頷いて、私を見る。

「君でもか?」

「はい。私でも無理です。水を吸ったドレスの生地が、全部重りに変わるので……」

 ドレスを脱ぐ前に沈むというか、まずドレスが全身に張り付くからね。

 いや、さすがに溺れたことはないけどね。子供の頃、兄たちが仕立ての良い服のまま海で遊んでいるのを見習って、ドレスのまま砂浜の波打ち際で調子に乗って遊んでいたら、高めの波が来て、膝から下がめちゃくちゃになったことはある。転けた。びたーんって。怒られた。いや本当、ふざける奴が悪いんだけどね。

 即座にローリングして仰向けになって、ドレスの裾をしっかり掴んで起きなかったら、二撃目は顔面に波だからね。

「まあ確かに、あれは遊びたくなるよな。俺もあそこで飛び跳ねる妄想はする」

「も?」と、旦那様は怪訝な声を発したが、ごめんなさい、私も想像はしますし、後ろの護衛の方も何人かこっそり頷いてましたね。


 そんな感じで、折り返して(到達地点である開けた絶景ポイントは、とても綺麗で安全にはしゃげそうだった)戻る途中。

「……ちょっと腹が減ってきたな。ノアは?」

 ふいに殿下が首を傾げられた。

「俺も少し……では戻ったらカフェに向かいましょうか。ネリネは?」

「私は既にそちらでケーキをいただきましたので、お二人でどうぞ」

 むしろ心を落ち着けるために自棄食いしたので、ちょうど軽く歩いた今がとても良い感じです。

 というわけで、そろそろトドは御暇いたしますね。

「あー……うん、あのカフェだとメインは甘い物だよな……」

 しかし殿下は、なんだかカラメルを飲んだような表情をされてしまった。そして、周囲の護衛や従者には聞こえないくらいの小声で言う。

「ノア、あのさ。すまん、俺、今わりと塩気のあるものが食べたい……」

「あっ……申し訳ありません」

「いや、昼食のデザートが美味すぎて、俺が食い過ぎたせいなんだがな? でも、どうせノアも塩気のあるもの食べたいだろ? かなり食ってたし」

「それは……はい」

 旦那様が素直に頷く。しかし「すみません、まだ軽食屋は改装中で……カフェで何か食事を作らせます」と呻かれる。

「そっかぁ。いや、メニューに無いものを作らせるよりも、美味いケーキ食ったほうが満足度高いよな」

 秘密裏にそんな会話をしている二人に、仕方なく私は提案した。

「あの、戻ったら、イワナの塩焼き作りましょうか……? 私でよろしければですが」

「それだ! って……君が作るのか?」

 殿下が首を傾げる。

「はい」

「さすがだな。でも、いいのか? ノアはどう思う?」

 殿下が旦那様を見る。しかし旦那様は、不自然に口を開いたり閉じたりして、考えるように視線を右往左往させたあと、助けを求めるように無言で殿下の顔を見てしまった。

「うーん、ネリネの手料理が食べたいけどネリネにそんなことさせていいのか? と迷ってる顔だな、これは」

 さすが殿下。旦那様の解説がお上手ですね。

「塩焼きくらいさっきも作りましたし、侍女や護衛騎士にも配りましたよ?」

「じゃあ食べる。食べたい」

 思いのほか勢い良く旦那様がこちらを向かれた。やっぱりイワナの塩焼きはみんな好きだよね。

 じゃあ焼きますね。

 というわけで、良い感じのバーベキュースペースを借りて、領主権限で食材持ち込みを許可してもらったあと。

 なぜか旦那様は、ずっと私の近くに来ている。

 殿下が二メートルくらい離れた位置でお待ちくださっているので、そっちで和気あいあいしていらっしゃったほうが幸せなんじゃないかなと思うんだけどね。

 すっごく……すっごく手伝ってくださる。

 イワナからごめんねした部分の処理とか、ドロドロの洗い物とか……まあまあ自然の摂理を感じる臭いなのに、手際が良すぎて尊敬する。

 でもなんで出来るの? 伯爵だよね?

 などと自分のことを密かに棚上げしながら、私は困惑しつつイワナに串を打った。

 そして、ウォーターハウス謹製の良いランクのお塩をバサバサとサービスしていると、旦那様は「さすが、手際が良いな……」と感嘆の声を上げてくれた。お世辞でも嬉しいです。

「火の調理も自分で?」

「はい。慣れてるので大丈夫ですよ?」

 心配そうに見てくださいますけど、大丈夫ですよ。こちらのトドは、なんと火を扱えましてね。料理中の怪我よりも、釣りの岩場で滑って転んだときのほうが、毎回全治までの期間が長かったくらいです。あれ? トドとして弱そう?

 とはいえ手際を褒められて嬉しかったので、ヒレへの化粧塩も大サービスで盛っておく。

 そう、これが敵に塩を送るという東方の故事……いや、殿下は敵じゃないしこれは塩焼きだけど……。

 というわけで焼き上がったイワナの塩焼きを、殿下と旦那様と、殿下の護衛と従者と旦那様の以下略いっぱいに配っていく。

「……!」

 そして旦那様は、一口齧った瞬間――目を見開いて黙ってしまわれた。

「あ……あの……?」

 とりあえず私も食べた。うん、火は通ってるし、塩加減も我ながら絶妙なはずなのだが……。

「――ふわふわ……」

 たっぷり五秒ほど開けて、ようやく旦那様は、静かに呟かれた。

「ふわふわで、パリパリで美味しい……」

 おっと、イワナが美味しすぎて、旦那様の語彙力が低下してる……?

「ネリネは本当に……なんでもできるんだな……」

「あ、ありがとうございます」

 イワナのおまけとはいえ、私の腕まで褒めてくださるとは嬉しいですね。

 すごくしみじみと感嘆されてしまった私は、むずむずとする居心地を誤魔化そうとイワナに齧りついた。

 ああ……どうしよう。今はケーキも食べたあとで、全然お腹は空いていなかったはずなのに、渓流で焼いて食べた時よりも、美味しいかもしれない。

 というか、もしかしてだけど旦那様、私のことも、人としてけっこう好きなのでは――

「うっっっまっっっ!!! しかもウォーターハウスの塩をこんなに贅沢に使ってるの、王宮でもあんまり見ないぞ? ヤベーな……うっっっまっっっ!!!」

 ……まあ、殿下が良い人だからね。でも、私は殿下の次でも十分に嬉しいので、そうなるように頑張っ――

「あ、そうだ、ノア。今夜はネリネと一緒に寝るんだよな?」

 ……うん?


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