プレゼントプレゼンツ
「ネリネ」
旦那様は、結局いつも私のことを「君」か「ネリネ」と呼んでいる。
私の考案した、旦那様が気兼ねなく呼びやすいはずの私の愛称は、今のところ呼んでもらっていない。
いや、まあ私自身は、水の妖精にちなんだ可憐な花の名前を、とても気に入ってるけどね? わー光を受けてきらきら輝く私にぴったりー、特に髪の毛ー遠い目ー。
「おかえりなさいませ、旦那様。今日もお疲れ様です」
「うん。いつもありがとう」
私は行儀の良いトドらしく、日課として旦那様を玄関でお出迎えしている。旦那様はにこりと笑うと、私に何か小さめの紙包みを差し出してきた。
コートや鞄などは勝手知ったる使用人に預けているんだけど、こっちは軽い物なので、私に持たせても良いと思ったようだ。
私としても毎朝毎晩ただお見送りとお出迎えだけでは芸がないなと思っていたところなので、ちょっと何か任せてもらえるのは嬉しいかも知れない。
「あの、こちらは?」
「街で購入した菓子だ」
「では、厨房に運びますか? それとも、お部屋に?」
「……?」
ねぇ、もしかして旦那様って、しょっちゅう私を見て訝しげな顔をしてるよね?
「……君に贈った物なのだから、君の好きなようにしてくれて構わないが」
「……ほへぇー……?」
おぅっおぅっ、理解が及ばなさすぎて、思わず仲間を求める孤独な鯨みたいな声を出してしまった。
これ私の? 私のだったの?
えっ? できるペットとしてお荷物をお預かりしたつもりが、お礼も言わずに受け取った礼儀知らずな人間だったの、私。
「あっ、ありがとうございます?」
「……やはり、いらなかったか……?」
「い、いえ、謹んで賜りますわ?」
「すまない、大した物ではないんだが」
「いえいえいえいえ嬉しいです!」
贈り物をしてくれた人を微妙な気持ちにさせるのは良くない!
……そうだ、こんなときは、母から習った淑女のさしすせそ!
さ、最高!
し、識者!
す、素敵!
せ、先鋭的!
そ……なんだっけ? そ、ソライロイボウミウシより、ずっときれい!?
たぶんそう! このどれかで褒めよう!
「あのっ、ここで開封してもよろしいですか?」
「うん」
さっきから使用人の皆からなんだか生温い視線を向けられている気がするが、旦那様が頷いてくれたので、てきぱきと丁寧にリボンを解く。
中から出てきたのは、硝子の小箱に納められた、透きとおる海色の薔薇だった。
一輪が金貨と同じかやや小さいくらいの、繊細で硬質な薔薇が五輪、同素材の青々とした葉と蔓を纏って艷やかに咲き誇っている、お洒落な細工物だ。
「……。……きゅぇー……?」
「……さっきからその音は、ちゃんと声帯から出ているのか?」
いやぁ、今のは確かにイルカの鳴き声に近かったかも知れないけどね? よく知られているイルカや鯨は、頭にメロン体という脂肪組織を備えていて、そこから音を出して仲間との意思疎通を図っているのだ……けれどね? 私はいま単に脳みそが完熟メロンみたいになっていただけである。これなにー? という困惑が言語化できなくて、人語を忘れた謎生物になっただけだ。
「……こ、こちらは、綺麗な、飴細工……? ですよね……?」
なにしろ幼い頃に大きな過ちを犯したせいで、私、飴の識別に対してはちょっと自信がない。……これ、お砂糖だよね? 口に入れても良いやつだよね? 魔力の塊じゃないよね?
淑女のさしすせそも忘れて混乱する私に、旦那様が眉を顰める。
「……気に入らなかったか?」
「きゅぇっ? いいいいえ! 素敵と思いますですわぁ! 最高に先鋭的で識者ですわぁぁ! ソライロイボウミウシヨリズットキレイ!」
「ええと……ソライロイボウミウシは、毒々しくないか……?」
「え? アオミノウミウシほどではありませんよね?」
「うん? アオミノウミウシのほうが綺麗だろう? 竜っぽくて」
私たちは、しばらく無言になった。
あっ……もしかして毒々しいって、毒性の強さじゃなくて、言葉通りに見た目の話だったの? でも……えっ? ソライロイボウミウシの見た目って、毒々しいの? あの空色の体に黒縞と黄色の斑点がウネウネしてる感じ、かの有名な画家グォッホの作品の一つである海月夜にも似ているし、綺麗なんじゃないの?
まずい。私の美的感覚が疑われてしまう。片手で掴まっている淑女の崖っぷちから転落してしまう。
「……なぜ、これを私に?」
私はそっと話を変えた。旦那様は僅かながら、コイツ露骨に話変えたな、みたいな顔をした。
「…………。その、愛することができないのに高価な品を贈るのはどうかと思って。いずれ溶けて無くなる物にしたんだ」
「なるほど……?」
えー? つまり愛人に拗ねられたりしないように、値段的には大したものではないと言い逃れはできる良い感じの物を、毎日ご主人様の気配を察して玄関まで来ているペットのトドへ、ご褒美として贈ってくださったってこと?
さては旦那様、本格的にすごく良い飼い主では?
なんだか旦那様は気まずそうにしているが、ペットへの贈り物としては上等すぎる代物である。しかも、私はまともにご令嬢としてやってきていないので、お花や可愛い小物などを贈られるとか、そういうのは無縁だったのだ。
……兄弟やお父様? 海で拾った一番人面っぽい石とか海で拾った一番ミイラっぽい流木とか、めっちゃよく跳ぶ水切り石とかめっちゃよく飛ぶ手作り水鉄砲とか、ワカメみたいなリボンとか魚卵みたいなブレスレットとか、そういうのならいろいろくれたよ。ちなみにお母様からは毎年『レディ・ユーグレナに捧ぐ淑女の心得』最新刊。
なので私は今……すっごい真顔をしている。駄目だ晒すなニヤけ顔。はいこっそり深呼吸。
「今日は、街に下りられたのですね」
「ああ、殿下のお付きとしてな。もちろん長々と遊んでいたわけではないが……お前も新婚だろうとからかわれてな。それで、今くらいは贈り物攻撃でもしておけと、お忍びで出掛ける羽目になって……」
旦那様は徐々に苦い顔になって、そしてため息をついた。
「おかげで仕事が定時に終わらなくなって、今やっと帰ってきたんだ」
「わぁ、お疲れ様です。新婚に気を使うならば、早めに家に返してもらいたかったところですね、そこは」
「ああ、まったくだ。なんだかすまない」
別に謝られることもないのだが、いつもなら夕食ももう食べ終えている時間である。
奥様はどうぞ先に召し上がってくださいと屋敷の者たちには言われたが、どうも旦那様は愛人のもとに向かわれて帰らないのではなく、お仕事で遅くなるだけと事前に連絡があったようなので、待っていたのだ。
二人纏めて提供してもらったほうがちょっと楽かな? と考えたのと、単純に一人で食べるのは味気ないなぁと思ったからである。
兎にも角にもお腹を空かされたご様子の旦那様とともに、食堂へと移動しながら、無駄に軽快なステップを踏まないように真顔で薔薇の飴の小箱を抱えていると、旦那様はちらりと私を見て、困ったように言った。
「……やはり、君も宝石のほうが良かったか?」
「宝石?」
「最初は、宝石店に連れて行かれたんだ。だが、君にそのような物を贈るべきかわからなかったから、隣の飴細工屋に行ったんだ」
「なるほど」
その二択で私には飴細工。妥当である。
そりゃね、宝石のほうがありとあらゆる面で有用だとは思うよ。よほどいらなければ最終手段としてそれを換金して飴細工屋で豪遊すらできるし。えっ、待って、すごい楽しそうなんだけど。飴細工屋で豪遊は、皆したいよね……。
……でも。
「……宝石と飴細工のどちらが嬉しいか、と問われると、難しいですね。宝石には宝石の価値があり、飴細工には飴細工の価値がありますし……」
宝石の長所は、まず万人が価値を認めている点だ。そして、私たちがこの大地に生まれるよりもずっと古くから、長い年月を掛けて偶然作り上げられた、魚や人間が誕生したのと同じように神秘的なものだ。
でも、飴細工だって、人間が美しいと感じる物を、飴特有の質感を以て再現し、あるいはより完璧であったり、架空の色や形を付与された物を、そこに作り上げる。大切に育てられた生花の薔薇ももちろん大好きだけど、花びらが雨に傷むことのない、長く枯れずにいてくれる薔薇は、魔法や奇跡のように私の側にしばらく寄り添ってくれるのだ。しかも最後はパフェやケーキに飾って貰ったりして、美味しくいただける。
だから、旦那様がこれを私に選んでくださったのなら、その時点で、選ばれなかった他の物よりも、私の中では価値のある物、のはずだ。
……お金には困ってないしね、今のところ。もちろん私が裕福な領地の元侯爵令嬢で現伯爵夫人とかじゃなくて、普通の庶民でタダでどっちかあげるねって言われたら、絶対に宝石が欲しいと思うよ? 飴細工を食べるよりも宝石売ってパンを買ったほうがお腹が膨れる以上はね。
でも、私は現時点でかなり幸せで、その幸せな生活に、旦那様が気遣って、さらに上乗せしてくださったのだから。
「もちろん、宝石のほうが価値があることは、事実だと思います。ですが、私は、この飴細工が本当に嬉しくて。……真顔になるくらいに素敵だと思います……」
「真顔になるくらい、とは……? 君は、まさか喜んでいると真顔になるのか?」
「いえ、普通に嬉しいときは笑いますが……その、今の状態は、浮かれきって空腹状態でニヤケ顔を晒しながら廊下を高速スピンして酔う残念すぎるオディールにならないように、自分を抑えているところなのです」
高速スピン芸をするのが水族館のラッコやイルカとかなら喜ばれるけどね。私ではちょっと。
「……そう、なのか……」
旦那様、なんだコイツよくわからない……って顔をされている……。
「いや、待ってくれ、空腹状態? まさか、君もまだ食事を摂っていないのか?」
えっ? もしかして今まで、このペットなんでのこのこと食堂まで付いてくるんだろう、追加の餌でも貰うつもりか? とか思われてたの?
「はい。一人で食べるのも味気ないかなぁ、とか思って……すみません、ご迷惑でしたか?」
そうか、旦那様には大切な方がいらっしゃるのだ。しかもお昼は王宮に出仕しているのだから、別に私みたいに、なんか人恋しいなぁ夕飯は誰かと一緒にご飯食べたいなぁみたいな気分にはならないだろう。
「い、いや、そんなことはない。……君と食事を共にするのは……楽しいと、思う……」
……うん、そんなに視線彷徨わせて口籠もりながら、無理してお世辞言わなくても……。
でも、そう言ってくださる気遣いは嬉しいので、本気で嫌ならお土産もお世辞もくれないだろうということにする。
旦那様ね、ご飯が美味しいと表情がニコニコと緩んでいるし、苦手らしい野菜が巧妙に仕込まれているのに気づくと若干しょんぼりしながら頑張って食べているし、気取ってないのに所作が綺麗だから、私は一緒に食べていて楽しいんだよね。
だけど今日の旦那様は、なにか悩みごとがあるらしく、難しい顔で、本来ならそこそこ好物っぽい鰻の赤ワイン煮込みをもそもそと口に運ばれていた。
そして口直しに檸檬のソルベを食べようとしたところで、旦那様は唐突に言った。
「……やはり、宝石も贈ろう。君は、何が好きなんだ?」
ん? ……もしかして、今まで難しい顔で、そんなことを考えていたのだろうか?
いや、それはないか。あ、でも、私はこの国でけっこう力のあるウォーターハウス侯爵家の娘で、同じ海側の領主であるアクアマリン伯爵家には、一応友好目的で嫁いだのである。
私を蔑ろにしてうるさくされるとまずいかなとか、そんなことをわざわざ悩んでしまった可能性はあるだろう。
「あの、私は、マナーとして必要な宝石は、すでに一通り持っておりますから、無理はなさらないでください。伊達に行き遅れておりませんからね、日中の引きこもり以外でまで嘲笑われないように揃えてありますよ」
私とて重要な夜会くらいは一応出ていたのだ。ただ、スッと行ってジッとしてサッと帰っていたから人目についていなかっただけだ。
ちゃんと、旦那様になる前の旦那様を見かけたことだってある。若くして海に面した領地のご当主様になるであろう人、という情報にすら興味がわかないほど私も社会性が死んでいるわけではないし、夜会ではお嬢さん方がひそひそしていたので、「あー、あそこのお嬢さん方に囲まれている、たぶん第二王子殿下とその側近の方々っぽい集団の中にいる、ミルクティー色の髪がチラ見えしてるの人なんだー」とは壁際からでもわかったのだ。顔を見たのは婚約前の顔合わせのときだけど。
「……無理などは」
旦那様は、そう呟いて、なんだか困ったような顔になってしまわれた。
でも、私だって飴細工でもちゃんと嬉しくて……宝石より客観的な価値があるとは思わないけど、ちゃんと嬉しかったのに、やっぱり飴細工より宝石渡しといたほうが無難だったよな、とか今さら思われているなら、やっぱり面白くない。
考えた末に、私はちょっと意地の悪いことを言った。
「では、アクアマリン伯爵領で採掘されて、加工された宝石を、一つ、頂きたいです。色は、水色から青が好きです」
……アクアマリン伯爵領では、今でも少量だけアクアマリンが採掘されている。
でも、いま採れるほとんどの物は、透明度が低く、いわゆるパワーストーンとして平民街で扱われる物ばかりだ。ただ、もうほとんど採掘されなくなった高品質な物だけは、他国にはない色濃く鮮やかな青で、非常に価値が高かった。
……ほとんど領地の代名詞であるアクアマリンを寄越せと言ったようなものだ。
そして、それを加工して宝飾品とするならば、上限は無いに等しい。
だから。嫌がられるか、宝石と呼び難い物やごく小さな石のアクセサリーを渡されるのか、アクアマリン伯爵夫人として外でも身に付けられるそこそこの宝飾品を貰えるのかによって……旦那様が私をどう思っているのか、きっとはっきりとわかってしまうだろう。
だが、旦那様は、少しだけ驚いたように目を瞬かせたあと、なんだか嬉しそうに笑った。
「そうか。わかった。良い物を探して用意するから、少し待っていてほしい」
「……あ、ありがとうございます」
特にまったく怒られなかったし、嫌な顔もされなかった。
……あれ? もしかして私、いま一人で変な拗ね方してたんだろうか。
なんだかんだ恥ずかしいな、やっぱり図々しかったかも、と思いながら、デザートのゼリーを口に含み。
あっ。全然別に一つおねだりしとかなきゃいけなかったこと、思い出した……。
「んんぅっ」
「えっ、どうしたっ? ゼリーが口に合わなかったか? それとも詰まったのか?」
「いえ、咳払いに失敗しただけです、お気になさらず。葡萄のゼリーはとても滑らかな喉越しで美味しいです。……そうではなくて、旦那様。宝石は一通り持ってますなどと豪語したあとに恐縮ですが、既婚者用の衣装や小物などの一部を、今から揃える必要があることを、思い出しまして……近いうちに、仕立屋を呼んでも構いませんか?」
婚約期間がさほど無かったので、最低限の嫁入り道具以外は後から揃えるつもりでいたのだ。どんなに茶会から逃げていても、夜会からはさすがに逃げられない。嫌がられようが金が掛かろうが、要るものは要る。
「ああ、それは自由にしてくれて構わないが」
旦那様は、事もなげにそう言ってから「そういえば」と続けた。
「俺もそろそろ誂えたほうがいいなと思っていた物がいくつかあったな。次の私の休日に、纏めて呼んでくれないか? 君と並んだときにおかしくない物も必要だろう」
「そうですね。ではそのように」
私は淑やかに頷いて、ゼリーを完食した。
……その夜、私は少しだけ迷って、結局、薔薇の飴細工を個人的に一等地だと思うベッドサイドテーブルの上に置いた。
ちょっとチョロいくらいが、人生を気楽に生きるコツなのだと思う。




