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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第二章 海に秘密が溶けていく

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もうやだリゾート地でイワナ釣る


 ――私は、確かにアクアマリン伯爵領に来てすぐは、わりと前向きになっていた。

 だが。そういういい感じな殊勝な心懸けとか期待の新人気分とかは、まあそう長くは続かないもので。

「……思いのほか、寂しいわね……?」

 王都にいた頃は、旦那様のお仕事も王宮ですべてが完結していたから、夕食はほぼご一緒できていた。

 だが、自領ともなると、そうはいかない。

 旦那様はこの機会にと、領内の各地を精力的に回られていて、何日も何日も留守にされることが増えた。

 私も、もちろん最初は一緒に近場巡りに連れて行ってもらって、そこそこの地位の者に顔を見せたりはしたのだ。

 だが、遠方の有力者も少ない村に、侍女や使用人を引き連れて行っても、私が出来ることは少ない。向こうも大して役に立たない者をもてなさなくてはならない。誰も得しないのである。

 ならば屋敷で留守番をして、他のことをするしかない。

 というわけで、私は伯爵夫人らしく、旦那様が王都で稼がれてきたお金を領地にばら撒いていた。

 領内の商人を呼んで屋敷の傷んだ部分を改修させたり、各所を訪問して寄付を決めてきたり、子供たちに菓子や栄養価の高い食べ物を買い与えて新奥様って悪い人じゃないですよパフォーマンスをしてみたり、使用人たちの制服を整えたり、王都から持ち込んだ素材で職人に新商品を作らせてみたり、王都の屋敷で使う物を揃えてみたり、王都で私的に手心を加えていただきたい貴婦人方に贈るためのお洒落な賄賂の品を注文してみたり、アクアマリン伯爵家や旦那名義でも使えそうなお洒落な賄賂の品を見繕ってみたりと――高いものから安いものまで満遍なく消費行動に励んでいるつもりなのだけど。

 あとヌエ先生との睡眠学習(週一で魔力をちょっと流すだけで譲歩して貰った)も続けているけれど。

 ご飯の時間が、寂しいのである。

 おやつの時間は侍女に同席してもらったりして私が足を運べない日中の外の噂話とかを教えてもらったりしているし、朝食や昼食は品数も少なめにしているからささっと食べ終えるし、そうでもないのだけど。

「……こんなに美味しいお魚を、独りで楽しむなんて……」

 ぼっちで夕食をいただきながら、私は肩を落とした。美味しい物を最大限に美味しく食べられない。実に我儘で嫌な贅沢である。

 実家ではほぼ必ず母がいたし、兄が王都の学校を卒業して義姉ができてからは、もっと賑やかだった。大抵は父か兄が弟の誰か一人はわりと居たから、食事は量的な意味でも豪勢だった。

「……どうしよう……わりと深刻に寂しい……」

 残念ながら、トドは社会性があり群れで生きる動物なのだ。寂しさで急死するわけではないけども。

 なので、こういう寂しいときにきっと旦那様は愛人と頼っているのかなって思うと、こう……なんかこう……。

「……なんでこんなにモヤモヤするの……」

 もちろん認めたくないだけで、何となくわかっている。

 私は別に、自分の感情には鈍くない。端的にいって寂しい。もっというと嫉妬しかけている。

 旦那様がいつも優しいから、結婚前からわかっていたのに勘違いしかけているんだってことくらい、ちゃんとわかっている。

 だって旦那様、異性関係はともかく、普通に良き隣人として付き合った分にはすごく良い人だし。異性関係はともかく。

「……うぅ……」

 でも、私だって一応侯爵令嬢として育ったのだ。

 感情コントロールくらい、でき……できる……。

「…………とりあえず明日はお昼から贅沢海鮮盛りにしてもらおう……」

 そう、こんなふうに(金の力で)。

 だって美味しい物を一人で食べるのはとても寂しいが、一人で食べる食事が美味しくないとさらに寂しいのだ。

 なんだかんだいって、贅沢は心に対して栄養価が高いのである。

 そうだ、伯爵夫人が領地の経済を回さなくて誰が回すというのだ。

「……そこそこの人数で砂浜海鮮網焼きパーティーしたいな……」

 あ、やっぱり駄目だ。ホームシックになってきた。


 というわけで、私は旦那様がお戻りになる予定日までの残り数日が我慢できなくなって、遊びに行くことに決めた。

 もちろん、表向きは近くの湖に開発中の、新しいリゾート地の視察である。もともと知る人ぞ知る保養所ではあったところを、老朽化や安全設備対策も兼ねて大整備しているらしいのだ。ここならギリギリ日帰りで行ける。

 書斎の中の、私でも触っていい本棚にあった計画資料を閲覧した限りでは、環境の価値がわかる人であればぜひお越しください系の、最近の流行りを上品に取り入れた、白基調の爽やかでギラつきのない旦那様っぽい雰囲気の、富裕層向けの避暑地兼避寒地らしい。

 というわけでやってきたのは、港街にも宝石の職人街にもほど近い位置にある、丘陵地帯の淡水湖。

 私は、しっかりと帽子とショールで虫除け兼陽光対策をして、その広大に広がる美しい湖……の前に、少し足場の悪い渓流エリアに来ていた。長らく奮えていなかった手に馴染む釣り竿と、秘伝の釣り針を持って。

 そう。この国の一部の渓流には、もちろんブラウントラウト……ではなく、なぜかイワナと呼ばれる本来であれば東の国にしか棲息しないとされる魚がいる。なんでも古代都市がまだ海上にあった頃に、美味しいからという理由で持ち込んで繁殖させてしまったのだとかなんとか。

「たくさん釣れますように……!」

 そう願いながら、さっそく秘伝の釣り針を釣り竿に付けて、針にブドウ虫(白くてぷくぷくの芋虫みたいで名前ほどは可愛くない)を付ける。ちなみに侍女だが、アクアマリン伯爵領出身のマジョラムとヘンルーダはちゃんと湖のほうに置いてきた。なおウォーターハウス侯爵領から私にわざわざ付いてきてくれた根性あるエジェリーは、ブドウ虫の箱からは距離を取って薪の用意をしてくれている。

 というわけで、なぜか護衛にまで引いた顔をされながら、さっそく私はいかにもイワナのいそうな陰に向かって竿を振った。

「――釣れた!」

 さすが私。いや、さすが秘伝の釣り針。なんかこの釣り針、小さな頃に拾ったんだよね、海岸で。キラキラしていて全然錆びなくて、小さいけれど青いダイヤよりも輝く宝石まで付いていて、二、三回は魚に食われて逃げられたのに、毎回不思議と翌朝の海岸にまた落ちているんだよね。

 え? 釣りは釣れるのを待つのが楽しい? 邪道?

 釣れないよりは釣れたほうがいいでしょ。日光は大好きだけど、髪と美容の敵だし。

 あと、ちなみに釣り針って本当は釣る魚に合わせてサイズ変えなきゃいけないけど、この釣り針は……たぶん金属が柔らかいんだと思う。釣りたい魚のサイズに合わせていつの間にか可変してるなんてまさかそんなわけ。

 というわけで、本来ならば繊細な性質のはずなのに、文字通りの入れ喰いになったイワナを、有り難く丁重に包丁の背で頭でトンッとして、たっぷりのお塩で綺麗になってもらってから、お尻からお口のほうまでスーッとして、内臓と可愛いエラをごめんなさいして、背中の血合いもバイバイしておく。

 食べやすい身になったら、うねうねっとしっかり串を打って、お塩をふって、いったん手を洗って私がストレッチしておく。

 そうしてお塩が馴染んで美味しさが増したら、尾びれと背びれに化粧塩をふって、ついに串焼きタイムである。

 あとは、じっくりと焚き火のまわりに集まるたくさんのイワナを美味しくなーれと見守りながら、半分焼いてひっくり返してまた焼いて。

「それでは皆さん……アクアマリンのお魚が美味しいことを祝って!」

 エジェリーや護衛騎士たちに串焼きとレモネードを配布して(護衛騎士たちは交代制だけど)、さっそくレモネードを一口飲んで、イワナに齧り付く。

 口の中いっぱいに、柔らかなイワナの身がふわりと解けて広がる。繊細な美味しさを引き立てるピリッとしたウォーターハウス特産のお塩が最高に合っていて、さっぱりめの脂が浮いた焼き目も香ばしくて、けれど素朴でどこか奥深い。これぞ山の味である。

「……美味しいー!」

 渓流のしっとりとした空気と豊かな自然の匂いの中に、しっかり焼いたお魚と、美味しいジュース。あと椅子。最高。

 イワナはたくさん釣れたし、しっかり用意してきたから生きたまま持って帰れる。

 でも、これ、この場で旦那様にも食べてほしかったかも。

 そう思った途端に、鼻と目の奥がツンとした。

「……奥様? どうかなさいましたか?」

「……煙が目に入って痛い」

 イワナの串を置いたエジェリーが、戸惑った気配になる。

「申し訳ありません。目薬は湖のほうに置いてきてしまいました」

「ううん。大丈夫、気にしないで」

 慌てて首をぶんぶんと横に振って、その間だけ目をぎゅっと瞑って、涙を引っ込めておく。

「それより、パンとチーズも焼いてくれたんでしょ? 食べたいな」

「かしこまりました」

 そうねだると、エジェリーはすぐに私から背を向けて、焚き火のほうに行ってくれた。ごめんね、せっかくのイワナが冷めちゃうね……。


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