アイスクリーム&シュガーミス
庭園のすぐ横にあるカフェは、淡いクリーム色の壁と白いパラソル、ダークブラウンの木で上品で、柔らかな雰囲気の建物だった。
旦那様に連れられて中に入ると、清潔感のある赤茶色の大判タイルと、新しい赤の生地が張られた古典的な可愛い椅子が並んでいる。
それから、貴族が珍しいのか、こちらを遠くの物陰から、じーっと警戒と好奇心の混ざった気配で見てくる子供たちの顔も。
悩んだ末に、ほんの少し手を振ってみたら、びっくりした顔は一斉に引っ込んじゃったけれども。
まあとにかく、このカフェは、生活に余裕がある平民であれば日頃のご褒美になるお値段で提供されているらしく、旦那様が来ることを事前に知ってか知らずか、程よく賑わっていた。
アイスクリームのショーケースを見せてもらうと、味と地元の素材にこだわっているそうで、シンプルなものも美味しそうだが、色とりどりのアイスクリームに美味しそうなナッツやフルーツ、チョコレートなどがゴロゴロと混ぜ込まれているものが目を引いた。
旦那様が気に入っていらっしゃるだけあって、節度を保ちつつも、人々の気軽に憩いの場としてほしいという公園の設計思想に沿った、楽しい場所であるらしい。
というわけで私は「どれにする?」と聞いてくださった旦那様に食べたいアイスを素直にお願いしてから、ひとまず優雅にエジェリーを連れて、化粧室に逃げた。もちろん髪を直してもらうためである。
そうして二階にあった貴人隔離ルームに向かうと、今ちょうど出来ました風に、お茶とアイスクリームが届けられた。大変お待たせいたしました。髪はしっかり直してもらったよ、さすがエジェリー。
そして、二階席の窓から日が差し込まない日陰を陣取り、私は優雅にアイスクリームを――眺めて、首を傾げた。……あー、やらかしたね。
なんと向かいに座る旦那様のアイスクリームは、二つだけだったのだ。目の前に置かれた私のアイスクリーム、三つある。ううん、数え直してみよう。いち、にい……何ということだろう、旦那様のアイスクリーム、二つしかない。
ちらっと旦那様を盗み見る。普通に視線が合ってしまった。ほんのりと微笑まれた。
「いただこうか」
……ねえ! 今の私、早くアイス食べませんか? って目で催促した人だと思われた気がする!
「ええ」
私はすべてを諦めて、微笑み返した。
まあ、事実だからね。グラスにたっぷりのアイスクリームの存在感は。食べないとアイスを三つ盛らせた証拠が隠滅できないし、食べたらアイスを三つ食べた夫人になるだけである。そう、もはや私にできることは一つ。美味しくいただくことだけ――。
……エジェリーにも三つ食べてもらえば解決しないかな?
チラッと視線を向ける。私が暴食するあいだに、彼女はプチ休憩で一個だけアイスクリームを食べる予定なのである。しかしエジェリーは、それとなく私から顔を逸らしていた。さすがエジェリー、しょっちゅう私の求めていることを先回りで把握しているだけある。
仕方ない。私は別の言い訳を考えた。
……よし。暑かったんだから仕方ないよね! だって髪をしっかり覆う帽子と、淑女らしい日傘にドレスを着込んだ格好で、真っ白な夏の港街をはしゃいで歩いたんだよ! 楽しかった!
なので私のアイスクリームがお上品なグラスに堂々と三つ盛られていても、もう仕方ないことなのだ。だってミックスベリーとラムレーズンクッキーとジャンドゥーヤの中から一つを選べる人なんている? 旦那様はたぶんキャラメルナッツとアップルカスタード味を食べてるけれど。……うん、それも美味しそう。次に来たときはそれにするね。
「ネリネは本当に好奇心旺盛だな」
どうやって旦那様より多いアイスクリームを淑女らしく清楚に食べ切るか私が真剣に考えていると、向かい席からは、少し笑うような声が聞こえた。
「……はい。その、旦那様が、美味しいと教えてくださったので……いただきますね」
私は恥ずかしくなって、頬の赤みを抑えるために、そそくさとアイスクリームを大盛り頬張った。
「……っ! っ、っん、美味し……つめたっ……美味し……!」
一転して、舌の上でとろけて冷たさと優しい甘みが広がりまくるアイスクリームに震える羽目になった。旦那様は優雅に「ゆっくり食べていいから」と笑みを深めると、ちょうど良い量のアイスクリームを口に含んで、緩やかに目を細めた。はい。負けました。
と、早々にアイスクリームを食べるときの上品さについては白旗を上げることにして、私はアイスクリームの味を堪能することにした。そして旦那様、カラメルとかキャラメルとかカスタード系が好きっぽいよね。可愛いと思う。
けれど、柔らかく溶けていくアイスクリームが、お互いに残り一つになった頃――うん、旦那様のも残り一つだった。あれおかしいな? 旦那様ゆっくり味わうの上手いね。
とにかく旦那様は、スプーンを手放してコーヒーカップを持ちながら、小さくため息をついた。
「今までは……恨めしく思ってばかりだったんだ」
私も、アイスクリームを食べる手を止めた。一瞬、わ、私のこと――? と思ったけれど、違うっぽい。旦那様、私のほうをガン見とかしてない。手元のほうを見ていらっしゃる。
「どうして、両親は俺を置いて死んでしまったんだって……みんなが学校から両親の元に帰るときに、どうして俺は祖父と慰霊碑や墓を参っているんだろうって」
旦那様は、言葉を探すように話を続けられた。硬い声ではなかった。世間話と変わらないトーンで、できるだけ明るく話そうとしている気配がある。
「でも今日は、心から、来て良かったと思ったんだ」
私は何も言えないまま、ただスプーンを置いて、旦那様を見た。
去年の今頃は、先代伯爵も亡くなられたばかりで、並行して進められていた私との婚約も決まったばかりだった。
たとえ、どんなに旦那様のことを慰められる人が一緒にここに来ていたとしても、それでも救われるような気分ではなかっただろう。
「……父が、今の俺を多少でも良い息子だと認めてくださるのか、とか。ネリネを迎えて、母がどう喜ぶのか、とかは、俺には想像がつかないんだ」
張り詰めていた糸を切るように、静かなため息をつく。
「でも……まあ、運の良い息子だと褒めてくださるような気がする」
そう言って、旦那様は確かに私を見て笑った。
「……余計な話をしたな。その、つまり、君に感謝しているんだ。ありがとう」
「いいえ、私は何も……」
出来ていないし、してあげられることもないはずだ。
「……でも、お役に立てたのであれば、嬉しいです」
話を聞くくらいは、トドでもできるからね。むしろ最適な可能性まである。美味しいものを食べさせてもらって、たまに構ってもらえるなら、ペットは貴方を裏切りません。なんてね。
アイスクリームに視線を戻して、私もひっそりと息をついた。
……基本的には、貴族は結婚に愛を望めない。身分を理由に愛する人との結婚を諦めなければならないのは、別に当人たちのせいではない。
だから、本当に大切な人がいるのであれば、引き裂かれるのは単純に不幸だ。
まして恋人がいる人に後から恋患いするなんて、ただの横恋慕である。貴族の正妻の地位は、夫に愛を乞う正当性を担保してくれない。
つまり何が言いたいのかというと――私はここにいて良いのか、私のことが好きか、なんてことは、旦那様に聞いてはいけない。聞く意味がないからだ。
私は、ここにいなければならない。……一年前からわかっていたのに、旦那様に愛人いるの、やっぱり嫌ー! 無理ー! 私が一番がいいー! とかは言っていられないのである。
領地のために結婚する。それが、元ウォーターハウス侯爵令嬢であるアクアマリン伯爵夫人の務めである。
私は侯爵令嬢だったから、不自由なく育てられて、ある程度自由に学べて、今の今まで守られて傅かれてきている。だから貴族の娘としての役割くらいは、当然果たさなければならない。
その結婚相手と食べるアイスクリームが美味しいのだから、私はずっと恵まれているほうだ。
……でも飲み物は、ココアにすれば良かったかもしれない……。
普段ならほとんど砂糖も入れない紅茶の中に、アイスを食べている最中だというのに山盛りの砂糖を入れて、ミルクも入れて執拗にぐるぐるしていると、旦那様は「そういえば」と呟いた。
「……ネリネは、子供が好きなのか?」
「んえっ?」何がどうそういえばだったのかわからなくて、私はおそらくアイスクリームと同じくらいの糖度になっていくミルクティーの錬成を止めた。
「さっき、手を振っていたから」
「ああ、ええと、嫌いではないですね? 可愛いと思いますよ?」
どうやら入店時の話だったようだ。個人的には子供に好きも嫌いもない。大人が特別好きとかもない。人による。でもなんで急に?
いや、急ではないのか。以前もポメベロスちゃんたちと殿下とフォンテイン子爵が来ていたときにも、妙に気にしていたよね、子供。どっちかというとトラウマがありそうな方向で。
「……そうか……」
旦那様は困ったように顔を伏せてしまった。
――あ! もしかして、子供が苦手なんだろうか?
……わかった! たぶんゆくゆくは愛人の子供を私の養子にしたいけど、そもそも子供が苦手だからいろんな意味で私に言いにくいんだ!
なるほど、また名推理しちゃったね――?
甘ったるい紅茶の香りで最高に冴えていた私は、おもむろに口を開いた。
「……うちの兄は」
その存在の強烈さのせいか、旦那様が顔を上げてくださる。
「次期侯爵なのに、子供はいらない! と叫んでいたくらいですから……その、義姉が減るからと……」
「減る……?」
旦那様は何を急に? という顔をしているけど、本当に言っていたんだよね、これが。
「兄は義姉のことが好きすぎるんですけど、義姉は子が生まれたら、絶対に兄よりも子を最優先にする人ですから……俺の妻が俺に構ってくれる時間が減る! と……」
入り口のほうに控えているシモンが、なんかヤバい話を聞かされてる……という顔をしているけれど、旦那様は目から鱗を出すようにパチパチと瞬かせた。
「そんな考え方が……?」
いえ、真似しないでくださいね? あっ、しないか、私には。
「まあ、まだ兄も義姉も二十四ですから、そんなに急ぎすぎることはないな、と。少なくとも私の実家ではそういう雰囲気ですので……」
義姉も、さすがに五年以内には躾け直すと言っていましたし?
「なので旦那様も、自分の御心以上に跡継ぎの用意を焦る必要は、ないのかも知れませんよ?」
もちろん、旦那様の御両親はそう変わらない御歳で亡くなられているし、旦那様に身内と呼べる親族はもういない。旦那様のお母様は他領の伯爵令嬢だったけれど、ヘンルーダいわく、土砂災害による事故の後すぐに、娘を殺した伯爵家としてアクアマリンとは縁を切られたそうだ。だから旦那様のお母様の遺品は、ほとんど何も旦那様の手元にない。なのにアクアマリンの港が流行り始めたから、今さら旦那様を孫として扱おうとしている。
別に貴族としては正しい行動だけれど、気分の良いものではないだろう。
だから、早めの跡継ぎ確保でひとまずの安心感を得たいという思考はわかるのだ。
でも、子供が苦手で考えるだけで落ち込むくらいなら、まだ無理はしなくてもいいと思う。
――あとね?
……新婚でそこまで急がなくても、愛人の養子を私が引き取る話とかは、さすがにもっと後でいいのでは?
……まあ私の義姉は兄に大変溺愛されてますけどね? 羨ましくはないですけどね?
そもそも、他領の気品ある箱入りお姫様を貰ったところで、絶対に脳筋すぎる兄の奇行にショックを受けて泣くだろうし可哀想だからという理由で、兄は感情赴くままに海岸で大絶叫公開告白した同い年の従姉妹と結婚することに、親戚一同が大賛成したくらいなので……貴族のお約束を一から十まで踏み抜いているのでね? 何の参考にもならないんですけれども……。
「……そうか。俺は……焦りすぎていたのか」
しかし旦那様は、ふいにホッとしたご様子で表情を緩めた。
「ありがとう、ネリネ。君がいてくれて良かった」
私は、よくわからないまま頷いた。
そのまま紅茶を飲み、意味のわからない甘さに内心泣いた。
私は、たぶん……まだ、頭で考えているほど、模範的な伯爵夫人を受け入れられていない。
なのにお礼なんか言われて、どうしたらいいんだろうか。
自罰的に、せっかくの紅茶をおかしな甘さにしてしまった物をめそめそと啜り、鳴かないように顔を上げる。
またシモンと目が合った。
すごく――どうしようこの人たち……って言いたそうな、微妙な顔をしていた。




