繋がる色合い
食事を終えて、旦那様と一緒に慰霊碑のある場所に向かう。
美しく整地された高台の公園にある慰霊碑は、予想以上に、優しく明るい雰囲気の中に佇んでいた。
旦那様の仰っていた通り、すぐそばには整備された庭園があり、脇にはお洒落な三角屋根の建物が見えていた。そこがカフェなのだろう。
「良いところですね」
素直にそう思ったし、そう思わせるために大切に造られていることがわかったので、言葉にしてみる。
そして、現地に着いたら愛人が待ち構えていて、堂々と紹介されたらどうしよう……とか内心思っていたのだが、まったくそんな気配はなさそうだ。
陽光に照らされて、爽やかな海風が吹き抜ける道を、馬車から降りて歩く。
「ああ。――だいぶ大きくなったな」
そう言って、隣で腕を貸してくれている旦那様が目を留めたのは、なだらかに海を望む斜面だった。
そこには、青々しい若葉をつけたまだ背の低い木々が、行儀良く並んでいる。
「オリーブ畑」
「ようやく実が収穫できるようになってきたところなんだ」
「お魚料理といえばやはりオリーブですよね」
「間違いないな」
そんなふうに和やかな会話をしながら、旦那様について歩く。
先に慰霊碑ではなく庭園のほうに向かわれた旦那様は、管理小屋に向かうと、日頃の管理の礼と、リースの用意を告げられた。どうやら事前に手紙で頼んでいたらしい。
「リースの用意ができるまで、しばらく庭園を見て回ってもいいか?」
「ええ、ぜひ見たいです」
日常生活や規範のある場所はそれなりに慣れたけれど、こういう特殊なときの距離の取り方は、私にも、たぶん旦那様にも、まだよくわかっていない。
庭園はどこもかしこも丁寧に整備されていて、穏やかだった。多様なクレマチスの花と、ラベンダーやアガパンサスなどが、優しい青紫と緑の空と地面、そして少し先にある海の色を繋いでいた。
――先代伯爵様は、自分のご子息とその妻を殺した場所を、そのまま放置しなかった。
あらゆる理由で、できなかっただろう。
領民にとっての恐怖そのものであり、領地の流通の関であり、伯爵の失態であり、内外から侮られる急所であり、未来の指導者というその後何十年分もの損失が生まれた悲劇の起きた場所だ。
先代伯爵は、大金と人員を注ぎ込み、数少ない土魔法の使い手に協力を求めて、時間を掛けて地盤を整えて、道を切り開き、この道を広く見通しの良い場所に変えた。
そもそも交通の要所だったのだ。ここは。
だが、それより前の時代、まだ他国との関係が浅く、海賊紛いの侵略者がいた頃には、領地の中心地への関所として機能していた。
狭く、迂回路もない道は、そういう意味では好都合だった。
おまけに、ゆっくりと移動するだけならば、領地の要所を繋ぐ、広く穏やかな川を使えば良いだけだった。
それが、事故が起こるまでは大規模な整備に踏み切れなかった理由だったのだろう。
ふんわりと風が吹いて、ラベンダーの香りが周囲を一帯を包み込む。
この道と公園には、約十五年ほどの歳月がかかっている。全部、私が嫁入り前に勝手に調べたことだ。
港とこの場所の復興で、かつてアクアマリン伯爵領は財産の大半を失ったそうだ。
……当時のアクアマリン伯爵は、嫡子を失って乱心したと囁かれたという。けれど、その理由は誰にも止められるものではなかった。
だが、先代伯爵様が大規模な土地開発を行った頃から、文明の進歩に伴い、豊かになった人間たちは、他人を襲う必要がなくなってきていた。
卑怯な手段を使えば非人道的だと罵られるとか、平民の地位向上により使い捨ての駒に出来なくなったとか、国内で民草を増やしたほうが国が富むとか――世界的に、偉い人たちの思考がそういう平和そうな方向に切り替わっていったのだ。
水族館の鮫だって、毎日お腹いっぱいなら、同じ水槽にいる鰯の群れをわざわざ追い回して食べたりしないのだ。まあ、ちょっとはおやつにしてるけれど……。基本的な欲求が満たされていれば、誰かが誰かに害意を向ける必要はなくなり、物事はそこまで複雑にはならないときもある。
だから――とても悲しい結果論だけれど、アクアマリン伯爵領は、その身の不幸によって時代の波に乗ることに成功した。
旦那様のご両親が亡くなられたことを起爆剤にして、目覚ましく発展したのだ。
……そんなことを考えるなんて、なんて嫌な女だろうか。
管理小屋に戻り、細部まで仕上げを確認されたリースを受け取って、慰霊碑に向かう。
「祖父とは、ずっとこうやって花を供えてきたんだ」
そう言った旦那様の表情は穏やかだったので、私は頷いて息を吸い込んだ。
どんなに海好きの人間だって、望んで海に出られるのは、陸があるからなのだ。足元の盤石差のありがたみを忘れてはいけない。
旦那様がリースを慰霊碑に供える。
私は半歩下がった場所で日傘を閉じて、目を伏せた。
どれだけ勝手に調べたって、私はこの場所のことをよく知らない。役に立てるかもわからない。
でも、それなりに守れたらいいなとは思うのだ。差し出がましくても、鬱陶しくはない塩梅で。
「……そろそろ行こうか」
旦那様がこっちを振り返る気配がして、私は顔を上げた。
途端に強い風が吹いて、私の帽子を煽る。
「……あっ」
旦那様のアクアマリンに等しい瞳が、にわかに大きくて丸くなった。
その視界の端で、青い光が一筋、ふわんふわんと揺れていた。
あっ……ああああ横髪ぃいいいぃぃっ――!
私は慌てて帽子のツバを両手で握り締めた。手にしていた日傘が落ちる。やってしまった。まさかの事態である。初めてきた港街に浮かれて、帽子と日傘を差しているからと歩き回って、髪型が崩れていたことにも気づかなかったなんて。どうしよう。ごめんなさい。
「……今……」
旦那様が、ゆっくりと近づいてくる。
「違、っ……これは、さ……さっきの、た、タツノオトシゴを、光らせた、効果……で……」
咄嗟にわけのわからない言い訳を呻いている私に、旦那様の手が伸びる。
反射的に身を竦ませた瞬間、その指先が跳ねるように止まって、それからそっと私の横髪に触れた。
「……綺麗な黒髪が見えた」
長い指が静かに動いて、ただ私の耳の後ろに髪を掛けてくれる。
「ぁ……ありがとうございます……?」
あ、あれ? もしかして、気づかなかったのかな? 光って青かったの……。
思わず旦那様を見上げてみるけれど、何事もなかったかのように視線を外された。
「……あの……」
「向こうのカフェで休憩しよう」
旦那様はそう言って、私が落とした日傘を拾ってくれた。開いた日陰に私を入れて手渡してきて、それから後ろにいたシモンたちに指示を出しに行く。
代わりにエジェリーが近づいてきて、小さな声で聞いてくる。
「奥様、もしかして髪を見られたのですか? 後方からは何も見えませんでしたが……」
「ううん……わからないの。咎められなかったし……」
私はまだ混乱したまま告げた。少なくとも、しっかり幅広な帽子のおかげで、後ろからはまったく見えなかったらしい。
「……少なくとも旦那様は、警戒されているご様子ではありませんでしたよ」
「そ、そう……? じゃあ、やっぱり大丈夫なのかな……?」
そう考えると、跳ねまくっていた心臓が少しだけ落ち着いて、呼吸が落ち着いてくる。
「でも、髪型は乱れちゃったみたい。後で直してくれる? ピンで止めるだけでいいから」
「畏まりました。とりあえずカフェに入るまでは持ちそうですね」
頷いて、エジェリーが私の髪の崩れを確かめるように触れて、また落ちそうだった一房を、優しく帽子の中に押し込んでくれた。
なのに私は、せっかく仕事をしてくれたエジェリーに触れられたことを、なんだかんだ勿体なく思ってしまった。
それで気づいたのだが……困ったことに私は、たぶん旦那様に髪を耳に掛けられたときの感触、けっこう好きだったらしい。




