彼方の矜持
「っふふ……、ふふふ……とても美味しいです……!」
美味しい。美味しい、美味しい、美味しい……幸せ――!
トーマスから、タツノオトシゴらしき古代都市の遺物を貰ったあと。私と旦那様は、無事に旦那様が選んだレストランで食事をすることになっていた。
そして……どうしよう。さっきからニヤケが止まらない。美味しい。
こんなに新鮮なお魚料理は……今朝ぶりである。船旅は船内で、いっぱい美味しいものを食べられたので、ずっと幸せ。
とはいえ船の上は、どちらかといえば素材重視の豪快しっかり炙り焼き! がメインだった。船に病院はないからね。
しかし旦那様がお昼ご飯に選ばれたここは、当たり前に贅沢な食材を使い、とにかく丁寧に作り上げることを信条とした、正統派の高級料亭だった。
もちろん王都のお屋敷でも、アクアマリン伯爵家お抱えの腕の良い料理人のご馳走をいただいていたのだが、産地直送には限界があるのだ。ウォーターハウス侯爵家の冷凍魔法便は、まだまだ常食には高いからね。そして王都は、運河は整備されているし川魚は食べられるけど、それでも山や高原に囲まれているせいか、お肉料理のほうが好まれている。
だけどここの魚介は全部採れたてか、あるいは適切な空間にて熟成されている。素晴らしいことである。
実は、実家のウォーターハウス領は、領地が広すぎて、基本的に住んでいた屋敷は、地味に海から遠かったのだ。だから、人間が一番よく食べていたのは淡水魚。海鮮は領地内の別荘でのご馳走である。
でも、アクアマリン領のお屋敷は、漁港からさほど遠くない場所にある。
つまり、今後はずっとこの素晴らしい海の幸が食べられるのだ! ……生でも! アクアマリン伯爵領ありがとう!
「本当に、美味しすぎますね……」
「それは良かった。俺も救われる心地だ、いろいろな意味で」
「連れてきてくださってありがとうございます、旦那様」
愛人がいても、ちゃんと私には私好みの美味しいお料理食べさせてくれる旦那様、好きー。
そしてしばらく楽しく食事をして、やがて(おそらく私の一心不乱に動いていた手と口が、ようやく落ち着いてきたのを見計らって)旦那様に問いかけられる。
「――ネリネは、このあと行きたい場所はあるのか?」
「…………っ……?」
私は返事の代わりに手を滑らせてフォークを床に落とし、蟹の欠片を喉に詰まらせた。
港街から本邸のある街までは、馬車ならあと二時間ほどで到着できる。
だが、今夜はここ、港街エストレーアに泊まるつもりなのだと聞いている。
その口ぶりに愛人を呼び寄せる気配はなかったので、私もそこに泊まるつもりだった。
旦那様がそうする理由を、アクアマリン伯爵夫人として、私も察しているからだ。――今夜は、港の慰霊祭である。
だから、まさか旦那様に「ネリネは、このあと行きたい場所があるのか?」と問いかけられるとは、思ってもみなかったのだ。
「だ、大丈夫かっ、ネリネ?」
…………大丈夫じゃない。
たぶん真っ青な顔になっている私を見て、旦那様は慌てている。
ということは、愛想を尽かされたというわけではないのだろう。
ひとまずお水を飲む時間をもらってから、私は涙目のまま旦那様を見つめた。
「……私、旦那様について行かないほうがよろしいのですか……?」
二十年前のこの日の夜は、季節外れの暴風雨により、川が氾濫し、波は荒れ……港が高波に飲まれ、街中が洪水に襲われた。常に備えていた冬とは違い、繁忙期に港の店を構えていた人々は、たかだか夏の雨などで店を畳めば、商人たちは冬が越せないと、避難対策の初動が遅れた。
結果として、港街は壊滅的な被害を受けてしまった。
――そして、その一週間後。復旧の第一段階の目処が立った頃。
当時、今の私や旦那様よりもほんの少しお年上なだけだった旦那様のご両親は、混乱していたこの港街に滞在して、救援の指揮をされていた。
水が引き、被害状況を纏めたお二人は、不足する物資や人手や支援金などの手配のために、いったん当主のいる屋敷に戻ろうとした。
けれど、未曾有の大雨で地盤が弱っていて……道中の山道で土砂崩れに遭い、馬車ごと押し潰された。
今日と変わらない、よく晴れた午後のことだったという。
だから旦那様は、食事のあとは港の慰霊祭の最終確認の前に、この港にあるご両親の慰霊碑へ参られるご予定のはずだ。
御命日は来週なので、そのときはアクアマリンの本邸に戻ってお墓を参るとしても、旦那様は今日、まずは個人的にご両親の面影に会われるだろう。
でもそこに、私の同行は予定されていなかったらしい。嘘でしょ。
私、君を愛することができないとか言われていても、一応新米アクアマリン伯爵夫人だよね? 先代アクアマリン伯爵のご嫡息とその妻である旦那様のご両親は、私の義父母だよね? 行く理由しかないよね?
……あっ。もしかして愛人と一緒に行かれるんですか? そ、そうだよね。お飾りの妻より、真実の愛で結ばれたお相手と寄り添う姿のほうが、ご両親も安心……するのかな?
いや、どうだろう、わからないけど……。
もしも私に息子がいて――妻とは別の子を連れてきたら?
えっ、他人の人生半分を二人前も預かるのは大変すぎじゃない? って思うかも……。
……わぁ、もしかして旦那様すごいー? 私は旦那様一人さえ幸せにしてないのにー?
しかしぐるぐると小さな脳味噌を働かせて混乱する私に、旦那様は不思議そうに言った。
「来ても楽しいものではないし、今の街を知ってもらうほうが、君にとって良いと思うのだが」
「……いいえ。私は、アクアマリン伯爵夫人です。この地で尽力された先代伯爵のご子息夫妻に敬意を払います」
だからね、今日が駄目なら後日にでも、滞在中に必ず一度は行きますって。そして本邸に行ったら、先代伯爵様も眠る伯爵家のお墓も参りますって。
「そうか。ありがとう」
しかし旦那様は、当たり前のはずのことに礼を言われた。
「では、今日は日差しが強いが、しばらく付き合ってほしい」
……あっ、今日一緒に行って良いんですね。
もしかして、私があまり日に当たりたくないって言ったから置いていく感じだったりする……? さっきまで帽子をしっかり被って日傘差して、港をぶらぶらしていたのに……。
「お気遣い頂きありがとうございます」
「うん。慰霊碑の近くは、今はよく整備されていて、ちょっとした庭園とカフェがあるんだ。庭園にはクレマチスと薔薇がよく咲いていて、それを見ながら食べるアイスクリームはけっこう美味しい」
「……そう、なんですね」
これは単なる気遣いなのか、愛人の……恋人時代の匂わせ……なのか。どっちなんだろう……?
デザートのフルーツで喉を潤しながら、そんなことを考える。
どちらにせよ気遣われているのは確かなのに、今更モヤモヤしている私が可愛くないことは間違いなかった。




