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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第二章 海に秘密が溶けていく

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ライフハック・ブルー

『青いザリガニ』は、看板メニューのザリガニの塩茹でや、エスカルゴのオーブン焼きに加えて、ロブスターや蟹などの高級食材を多く取り揃え、徹底した企業努力によって価格を抑えて提供することで有名な、裕福な平民向けの大規模チェーン店だ。

 最近では、ランチ限定でサラダブッフェを付けてお得感を出して客を呼び込んで、ゆくゆくはロブスターやら蟹やらフカヒレやらを注文してくれる上客に育てる作戦に出ている。

「……ネリネ? その、ここは一応、庶民向けの店なんだが……」

 気を取り直して付いてきてくださった旦那様は、店頭の水槽にいる、体が赤くなる成分を持つ通常の餌を与えられていないために青い体液の色が透けている憐れなザリガニたちを眺めながら、曖昧な表情になった。

 うん、元から青いザリガニもいるけれど、ここのザリガニは全部この栄誉失調ぎりぎりラインなんだよね……。きっっっついコルセットで締め上げられて夜会の花となる貴婦人と大体似たようなものかな……なんか仲間意識が……湧かないや、私、ちゃんと夜会に出てない。コルセットは適当(ちょうど良いのほうね)だし、美味しいものは容赦無く食べているし。ふふん。

 ザリガニ相手に勝ち誇りつつ、私は旦那様に答える。

「私の乳母の息子が、最近こちらの店長になったそうでして」

「ああ、なるほど。それなら挨拶の時間くらい――」

「仕入先の漁港で、珍しくて不要な深海魚が網に引っ掛かっていたら、ぜひ取引業者特権で引き取っておいてくださいって手紙で頼んでおりまして」

「……なる、ほど……?」

 まあ返信は無かったんだけどね。

 理解し難いと言いたげな顔でも理解を示してくださる優しい旦那様とは違い、ヤツはなかなかの守銭奴である。が、あくどいだけで極悪非道ではない、はず。なので、久しぶりに顔を合わせておいてもいいだろう。

「アクアマリン領では他に伝手が無く……お時間を取らせてしまって申し訳ございません」

 旦那様は「いや、それは領主の俺に言ってくれれば……だが、深海魚……? 深海魚をどうするんだ……?」としばらく呻かれていたが、急に爽やかに微笑んだ。

「うん。じゃあ、レストランは俺が選んでいいか」

 なんか、いろいろ聞かなかったことにしたっぽい。

 あのね、不要な深海魚って基本美味しくないやつだから私ももう食べないよ?



「アクアマリン伯爵、伯爵夫人。お会いできて光栄です」

 やがて、案内された奥の部屋に現れた黒服の青年は、このランチ時で忙しいときに――という感情を目に宿したまま、にこやかな笑みを貼り付けていた。

 彼こそが、私の乳母兄弟トーマスである。私と同い年で平民だが、既に最近流行りの港店の店長を任されているだけあって、貴族にも動じないどころかむしろ金づるだと思っている、優秀で図太い奴だ。

 なので私は彼に時間を取らせないよう、率直に聞いた。

「良い深海魚はいる?」

「おりません」

 即答された。ちなみに、軽く目を細めて顎を引いて口角を上げたその表情は、そんなもんわざわざ用意するわけねーだろこっちの労力考えろよお嬢様もとい伯爵夫人、である。なぜわかるかというと、今でこそギリギリ黙っているが、幼少期は実際にその手の言葉を発していたからである。

 まあ良いんだけどね。久しぶりに顔を見に来ただけだし、元気そうだし。

 しかし、彼はそれだけで私を追い出すことはなく、眉を顰めた。

「ただ……こちらをご覧いただけますか?」

 そう言って、何やらポケットから布に包まれた物体を取り出して、私たちに見せてくれる。

「なに……タツノオトシゴ?」

 それは私の親指くらいの大きさの、クルンと長い尾が素敵なタツノオトシゴのらしき彫刻を施された、光の加減で青っぽく輝いている黒い希石のようだった。それだけならば、少しパールやダイヤやサファイアをくっつけたら、お母様のブローチコレクションにありそうなやつ。

 でも――

 私はタツノオトシゴっぽい彫刻をつんつんしながら、軽く魔力を流してみた。

 その途端に、ペカーッ! ピンクと金色の光でリズミカルにエレクトリカル明滅するタツノオトシゴ。

「おお……」

 可愛い――! これ可愛い――っ! 鱗が一枚一枚ちゃんと細かく光ってたよ!

 ……もう一回やっていい?

「ネリネ、安易に触らないほうがいい。たぶんこれは、ルイェールの遺物だ」

 ごめんなさい。旦那様にそう言われて、私は再度伸ばしていた指を引っ込めた。

 でもっ、あのね、古代都市ルイェールの遺物って、基本的に魔力流さないと何も起きないから……あとルイェールには、あえて可愛い物体を爆散させてやる! みたいな酷い感性はたぶんないから……うん。ここでやることじゃなかったね。

 ちなみにルイェールの遺物は、なんとなく見てわかる物が多い。細工物とかは特にね。シンプルに造形が妙に細かいとか、古さはあるのに高度な技術を使っているとか、なにかが今この辺りの地上にある物とは違う素材とか、いろいろあるんだけどね。具体的に言うと勘。

 でも、動物モチーフのやつに関しては……そう、なんか丸っこくて可愛いのである。すごくリアリティはあるのに妙に可愛いのである。

 イェーイ、海洋生物って可愛い! の勢いを感じるのだ。古代都市ルイェールの民、たぶん良い人たちだったんだと思う。

「こちらは今朝方に、地元の漁師が発見したものです。網にかかっていた蟹に捕獲されていたとか」

 私が遊んだせいで話が進まなかったため、トーマスが顰めっ面で補足する。と、旦那様の表情が曇った。

「最期の晩餐に失敗した可哀想な蟹……」

 あっ、もしかして旦那様、タツノオトシゴより蟹派? まあタツノオトシゴはあんまり食べないよね、可食部が少ないから、薬膳系で稀にしか……。

 トーマスが怪訝そうな顔で、私と旦那様を見比べてから呟いた。「なるほど蟹派ですか」

 ねえ、コイツ来月から『新婚領主夫妻も大好き! 夏の蟹フェア!』とかやる気だね? ただ有名人の好物を告げただけで、ここで食べたとは言ってないやつ。

「それで、この可愛い子は、私が貰ってもいいの?」

 最初に話を脱線させた者として、私は責任を持って話を戻そうとした。

 トーマスは、まるで与えてもいいかを確認するように旦那様のほうを見た。私の保護者かな? まあそうだけど。いや、どっちかというと飼育員?

 旦那様が特に異論を言わなかったので、トーマスがタツノオトシゴを差し出してくれる。

「はい。……ですが、今度は食べないでくださいね」

「ぴぃぃっ――!」

 私はびっくりして鳴いた。 

 あっ、あのね! 旦那様の前で警戒音とか威嚇音みたいな変な鳴き声を私に出させないでほしい。

「……伝えていないのですか? それは失礼いたしました」

 トーマスは器用に片眉を上げて、マジかよコイツ……という顔をしてきた。

 さらに横から視線を感じて旦那様を見上げると、どういうことだと言いたげに目を眇めている。

「……あ、えっと、子供の頃、これより綺麗でちっちゃな古代帝国の遺物を……その、飴玉だと思って飲み込んで、えーっと、軽く生死を彷徨いましたが、今はこの通り元気で……す……」

 私はふんわり清楚に微笑んで誤魔化そうとしたが、へへ、えへへ、みたいな半笑いにしかならなかったので、力技として両頬で両頬を覆った。はい、私は照れてますよー、なので、できれば突っ込まないでください……。

「…………健康そうで何よりだ」

 旦那様がとても優しくて、私は嬉しいです。いま寿命も延びましたね。

「それにしても、アクアマリンでルイェールの遺物が上がるのは珍しいことだが――」

「はい。ウォーターハウス侯爵領では何度か類似したものが打ち上がっていましたが、この港近辺では初めてではないかと、漁師たちが言っておりまして――」

「――なんでまた二人して私を見るんです?」

 もう食べませんよ?

 二人の視線を受けて、首を傾げておく。

 するとトーマスがギリギリ舌打ちを抑えながら言った。

「……偶然、ウォーターハウス侯爵家から嫁がれた夫人が、この地にお越しになられる日に、これが見つかるとは、なかなかによくできているのではないかと思いまして。小説でこんな展開が出てこれば、ご都合主義に呆れて投げ捨てているところです」

 えぇー、辛辣すぎない? いつもだけど。

「……これをネリネに渡すとどうなるのか、逆に渡さないとどうなるのか、不安になってきた」

 えぇー、旦那様、そんな、私がヤバい人みたいな……まあ髪は光るけど……この子はたまたま私の元に来てくれただけだよ! ……だよね?

「古代都市の遺物は、所持しているだけで明確に悪影響のみが起きる物はないと思っていますが……どうされます? やっぱり処分させますか?」

 トーマスが、もうコイツに玩具やるの止めとこうぜ? 誤飲するし。みたいな顔でこっちを見てきた。

「いえ……私が預かっておきたいです」

 しかし私は首を横に振って、可愛すぎるタツノオトシゴを受け取った。

 あのね、こういうのはね。

 受け取らなかった場合でも翌朝枕元にある現象が、一番怖いんだよ。

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